昨日、私は実家から帰宅しました。
男チームは一昨日、帰宅でした。
お正月も終わり、日常がもどります。
私にとっては○年ぶり?の社会復帰となる、新たな一年の始まり。
違った一年になりそうで楽しみです。
さて、今回私はある覚悟を決めていったわけですが、やはり思いどうりには行かないものです。
まず、先月RのカウンセラーのI先生からカウンセリングは終わりにしたいとの申し出がありました。
理由はひとつではなく、込み入っているのですが、まずはRが先生を勘違いしているとゆうこと。
「一緒に時間を楽しむ人」になっていました。ようは、友達みたいな、感覚を味わえるから。
それは、何度も私はRに言ってきたことでした。
先生は友達じゃないし、友達にはなれない。
カウンセリングとゆう時間を買っているんだと説明してきました。
けど、ダメなんですね。先生だから好き嫌いの問題ではないのですが、一人として友人ができないRは人並みな友達関係の真似事のような感覚が楽しかったのでしょう。
認知行動療法時、コーヒーを飲みながらゆっくりと最近の悩みや行動、近況報告をしましょうと言っても今日は父母へのプレゼントを買うんだ、姉のプレゼントを選ぶんだとカウンセリングにならないと。
先生宅でのカウンセリングでも、そのときは理解できたように見えても結局同じことの繰り返しで堂々巡り。
先生の言っている意味は痛いほどわかりますけどね。
通常はカウンセリング以外メールや電話は緊急の時だけでしょうが、そうゆうルールは通用しないし言い聞かせればもちろんわかりますが、そのメールの内容もまた問題で私が何度説明しても「初詣に一緒に行きませんか?」などとゆう先生にする内容とは程遠いものであったりするので、先生も困り果てます。知能が低いのです。
でもRは説明したり約束したりするとちゃんと守るので、先生がきつくしっかりと言い聞かせれば、、、とも提案しましたが、どうやらお月謝にたいしてオーバーワークなんだな、と私は感じました。
根本的にI先生は精神障害者や知的障害者に関わる分類ではなく、うつ病と引きこもりの専門カウンセラーなのです。病院にも出入りし、発達障害を指摘してくださり少々幅が広いとゆうだけ。
よくここまで受けてくれていたものです。あとは、I先生が引きこもり等の講演会をするようになり多忙になられ、専門外で扱いにくいしかも話の筋の通らないRの相手が、突拍子のないメールの返信等の対応に時間を割いていられなくなってきた、とゆうところでしょうか。
この一年の成果は感謝しています。行動面での成長はすばらしいものです。
それにしても、痞えるものがある。
I先生との個人カウンセリングが終わりになるのなら他をさがさねばならず、薬を処方していただいているT病院でのカウンセリングができないものかと相談したところ、前々からと同様ご自分のことを隠させるようにする。
先生の言い分はこう。自分も病院に通じる者として他でカウンセリングを受けていることを言わないほうがよい、なぜなら病院にはそれぞれプライドがあり他でのカウンセリングを認めにくく、病院側は気持ちの良いものではないと。
受けてもらいたいなら、ご自分の立場のことを「話を聞いてくれる方がいる」くらいにいておきなさいと言う。
今回、Rの両親に作成してくださった「この一年間でできるようになったこと」を書面にしてくれましたが、それを間違っても持って行ったりする必要はない等、強く言う。、
これには毎回>???でしたが、私たちサイドが困るとゆうよりは、なにかご自分の都合が悪そうな感を受けていました。
私は、自分が違うと思えば先生であっても考えを曲げないので(実際本人の私の方が正しかったことが何度かある)
↑このI先生の話はスルーです。T病院へ出向き私一人での診察(相談)で私はありのままをお話しました。
何のことはない、I先生のことなどは関係なく院内のカウンセラーは現在一杯一杯の状態だと。
あとは、やはりRの知能がカウンセリングを受けられるほどのレベルではないとゆうことでした。
ようは、I先生と同じ意見とゆうことです。
カウンセリングを受けるにあたる必須項目が「通常の会話ができる」でした。
S先生の言うことはよくわかりました。
先生の意見はこうです。
カウンセリング可能な知能レベルがないので、ソレより障害者たちが集う場でグループ作業を通し社会性を養うとゆうもの。作業を通して、それはこうよ、だめよ、こうするのよ、と正してもらい他人との関わりと社会性を身につけ、その後やっとカウンセリングの是非が問われ必要ならばその時点でやっとカウンセラー選び。
でも、結局は発達障害とゆう脳の障害は治すことのできない病気なのだから知能のレベルアップなどは不可能に近い気がします。
幼少の頃から他人との関わりが持てず、母親とは離れられなかった。典型的な発達障害混合型。
その頃に発達障害などとゆう病名が日本にあったかどうかは知らないが、学校か親か私が気ずいてやっていれば特別級や養護学校に入れてやることができたのだろう。
それができていたならば、それなりの楽しい人生を苦なくRらしく送れていただろう。子供の頃の笑顔だってたくさん見れたはず、、、と、思う。
けれど、それを悔いても今となってはもう遅く、普通級にずっといた発達障害の子供は全てにレベルが低く当たり前のようにいじめの対象になる。
中学校からは登校拒否、引きこもりに過食、家庭内暴力、、、今となれば、こうなることは当たり前のことのようにさえ思えます。
本人は全くもって全然悪くないし、むしろ可哀想な被害者だ。
親でも見つけられないほどの経度の発達障害=知能の低さ?(本当にそう?)はじめは軽度だったに違いない。
それをどうその子なりに伸ばしてやれるかが親の務めとゆうものだろう。
私が親ならどうだろう?仕事なんかしない、子供といたいから。(私の場合仕事が嫌いだしね)経済的な問題はあるでしょうが、うちはなかった。
私は子育てに専念、「子供の全てが最大の幸せ」とゆう親なら見つけてあげられることができたのでは、、、
私の母を責めるわけではないが、何かが違うと感じていたならもっと納得できるまで突き詰めてほしかった。
父がああだから(若い頃はもっとプライドもあったろうし、世間体を気にしただろうと思う)、協力など期待できなかったろうし母親のせいだくらい言われていただろうから行動にも限界があったんでしょう。引きこもりの会や他の親の会によく出かけて行ってはいたんだけど、その前の問題だったのだから仕方ない。でも、私なら、、、
ああ、やっぱり今更親を攻めたところでなにもならない。むなしくなるだけだ。
そんな感じで、全てが人より劣るのに普通級でずっと育ったRは自分はもちろん普通だと考え育つ。けれど人とは違い人間関係は小学生の頃から一人として友達はできず今も同じ。
感情のコントロールや我慢がほぼ不可能で人の感情も読めないから、今でゆう空気読めない人の典型みたいに見える。どこへ行っても同じ。
「ありがとう」が一番嬉しい人との関わりになり、その一言がほしいが為に物をとにかくあげたがる。小学生から同じ。
「○○をあげるから今日遊んで」てな感じ。
物は自分が良いと思ったものからそうでないものまでバラエティに飛ぶ。けど、その半分は到底人にプレゼントできるものはない。あげる立場の人かどうかの判断も皆無。
相手は「知能遅れのかわいそうな子」とでも思うのだろう、もちろん「ありがとう」とは言う。年配の方が多いのも
あるけれど、そのものは使用しない。でもここまでは読めないのだ。
「ありがとう」がすべてで嬉しさを感じ、終わり。また何かをあげたがる。そのものを使っていないことには気ずかない。して良い相手、悪い相手、して良いこと悪いこと、加減や社交辞令、相手の本音や断る気持ちはわからない。
なので、障害で人と同じようにできない感じられない自分と普通級で育てられてきた自分は障害者じゃない。とゆう気持ちが25年間入り組み絡み合い狭間で頭がおかしくなる様子が私から見ているとよくわかる。
忘れないように私に言われたことや注意事を必ず書く。それを壁にはったりもする。ノートに書いたりもする。出先だと自分の携帯からPCへ送信したりもする。
けれど、やはり同じ事を繰り返す。なぜなら、私のアドバイスは聞かないと自分は変われないとわかっている反面、発達障害と長年の家族や周りからの不理解と、引きこもりで失った大切な長い時間と極度の経験不足が絡みに絡み合って、そもそもの発達障害よりもかなり悪くなっていると私は考える。不のスパイラルにはまり悪循環、状況は最悪。だから超難しい。可哀想な子なのだ。涙が出る。
それでも諦めるわけにはいかないのが現実で、私が諦めてしまったらもう誰もRを救える人がいないから。
新幹線での別れ際、涙をこらえ顔を歪ませるけど泣くまいとするRの顔を昨日から何度思い出したことか。
可哀想な子、なんとかしてあげたい。残りの人生をなるべく笑顔で過ごさせてあげたい、Rらしくいさせてあげたい。ただそれだけ。たった一人の妹なんだもん。私はもう十分だから。
私にできるかな。2月はまた私だけで見学に行く場所が2箇所あるからいそがしいな。
Rに合う場所でありますように、、、