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24日深夜、父が亡くなりました。
病院からの電話で飛び起き、車を飛ばしましたが間に合いませんでした。でもまだ温かく父の匂いもしました。
父の最後の言葉は多分、前日の夜消灯1時間前の8時すぎ、私が帰るとき、私に『もう帰るの?』でした。その日、父の話したことをもっとしっかり頭を働かせ考えれば、二日前自宅への外泊時にした話、2度めの救急車での搬送を考えれば、自分が疲れるからとか早く家に帰れるとかすっ飛ばしては母を呼んであげたり私が一泊付き添ったりできたろうに。
明け方、父は冷たくなって帰宅し、それからは怒濤のように時間がすぎ、25日26日に葬儀。昨日は1日中横になり、今日母が役所へ行き父は除籍になり、もう今久しぶりの時計台から陽が暮れようとしています。父が他界して四日目の夜です。
自宅への外泊時に父と話ができてよかった。あの時話したことは私も母も一生忘れない。入院中、私が帰る前父に置き手紙で今まで言えなかったことは書いて母か看護師さんに見せてもらってるだろうから私の中では覚悟できていたのに、あの状態の父では置き手紙は覚えておらず、本当に話してよかった。
父はあの時、もうすぐ死ぬんだとわかっていたから私と母にありがとうと言ったんだよね。そうだとわかっていたのに…
あの時、置き手紙にかいた、ずっと父に言いたかったこと、口に出して言ってよかった。
もう少し親孝行したかった、看病したかった、チビの成長を見せたかった、チビが頭がいいのは父に似たから、足が長いのもくさいのも父に似たから、JTのとても偉い地位にいたことが私の自慢だった、そしてチビの自慢にもなった、なに不自由しなかったし大人になっても父がいたから不自由してない、チビにもたくさん残してくれてありがとう。
どんな親でも子供が可愛い。愛しかたが違うだけ。お父さん、ありがとう。そして、親不孝なバカな娘で、自慢の娘がいなくてごめんなさい。父の最後のありがとうが私と母の救いになり、これから生きていく元気の源になることは間違いないよ。残された人生、母も私もお父さんの分まで楽しく笑って生きていく。私は母とRを守りながら生きていくから、心配しないでね。
こんな簡単なことがわかるのに44年かかりました。




