こころとカラダのトータルセラピスト 蒼です 
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普通になりたい。
私は子供の頃、よくそんな風に考えました。
あの頃の私にとって普通の家族とは何だったのでしょう。
多分それは、
私の両親ではない両親
あの弟でないきょうだい
一緒に笑い合ったり
一緒に遊んだり
一緒に居ると安心出来る
どこよりも安全な居場所。
これが普通だと思っていました。
※ 私の家族は、その逆でしたから
うちは普通ではないと思っていました。
今考えれば、わかります。
私は、環境、両親、家族、全てを否定して
それ以外のところに普通を求めていたのですね。
私の求めた普通とは、理想であって
日常とはかけ離れた世界でした。
そんな私は、あれからずっと
普通の家族を持ちたいと願っていました。
普通とは何かも知らずに。
そして、この願いは叶うものだと信じていました。
さて、
今回お話ししたいのは、
家族とは善である。
家族とはこういうものである。
家族とはこうあるべきである。
という固定概念についてです。
「家族は善。○○であるべきよ。」
そんな風に言われると
それに適応出来ない人は
排除された気持ちがして、焦ります。
自分も普通にならなければならないと思ってしまうのです。
または、普通でない事をあきらめるしかありません。
この時、家族は善であるという
暗黙の固定概念を作り上げたのは
社会だと思いつく人はいるでしょうか。
家族は善であるべき
善=普通
という固定概念をほとんどの方は持ってるのではないでしょうか。
そして、その家族が適応出来ない理由が、
社会に問題があるから
などと考える人はいるでしょうか。
家族内で何か問題が生じれば、
問題はその家族の内にあるとされて、
その「家庭」や「社会」に「人」を適合させようとする方法が取られて来ました。
ですが、その時、社会の側にも問題があるのは事実です。
「家族とはこういうもの」と言う固定概念を掲げて
社会や家庭に適合させようとするやり方は
単にその家族を排除しているだけの事で
本質的な問題に触れていない可能性があります。
最近では、心理学の分野でも、
家族や家族をとりまく社会を考慮した広い視点で、
家族というシステムを捉え始めています。
家族とは、
心から安らげる安心・安全な居場所であるというイメージがありますが、
閉ざされた集団でもあり、外側には本質が見えにくい面があります。
中には、苦しい居場所と感じながらも
耐えるしかない状況にある方達がおられる事も
また事実なのです。
改めて「家族とは何か」についてを、
ひとりひとりが考え直す機会を与えられたいま
新たな「家族」という概念が生まれつつあります。
その時ようやく、社会も変容するのだろうと思うのです。
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