KazunorI、おもしろ?政治ブログ

政治や歴史について、感じたことを日記にしています。
時事ネタを中心に書いています。


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       みんなが知ってる「あの唄」について

                                         平成23年(皇紀2672年)2月23日


1.はじまり
明治10年代初頭、日本で小学唱歌集を編纂するとき、稲垣千頴が作詞した歌詞が採用され、「蛍の光」となった。
1881年(明治14年)に尋常小学校の唱歌として小学唱歌集初編(小學唱歌集初編)に載せられた。


2.歌詞
以下の歌詞は、小学唱歌集初編(明治14年11月24日付)に掲載された時のものである。


      よみ                   歌詞
1番

ほたるのひかり、まどのゆき、     螢の光、窓の雪

ふみよむつきひ、かさねつつ、     書読む月日、重ねつゝ、

いつしかとしも、すぎのとを、      何時しか年も、すぎの戸を、
あけてぞけさは、わかれゆく。 、    開けてぞ今朝は、別れ行く

2番

とまるもゆくも、かぎりとて、       止まるも行くも、限りとて、
たがいにおもふ、ちよろづの、      互いに思ふ、千萬の、
こころのはしを、ひとことに、       心の端を、一言に、
さきくとばかり、うとうなり          幸くと許り、歌うなり


3番

つくしのきわみ、みちのおく、 筑紫の極み、陸の奥、
うみやまとほく、へだつとも、 海山遠く、隔つとも、
そのまごころは、へだてなく、 その眞心は、隔て無く、
ひとつにつくせ、くにのため 一つに尽くせ、國の為


4番

ちしまのおくも、おきなはも、 千島の奥も、沖繩も、
やしまのうちの、まもりなり 八洲の内の、護りなり、
いたらんくにに、いさをしく、 至らん國に、勲しく、
つとめよわがせ、つつがなく 努めよ我が背、恙無く


3.1番
歌詞の冒頭「蛍の光 窓の雪」とは、「蛍雪の功」と言われる、一途に学問に励む事を褒め称える中国の故事が由来である。
“東晋の時代の車胤は、家が貧乏で灯す油が買えなかったために蛍の光で勉強していた。同様に、同じ頃の孫康は、夜には窓の外に積もった雪に反射する月の光で勉強していた。そして、この2人はその重ねた学問により、長じて朝廷の高官に出世している。”

4.経緯
現在、『蛍の光』は2番までしか歌われないことがほとんど、紹介した歌詞のとおり、本来は4番まである。
3番と4番は、遠く離れ離れになっても、それがたとえ辺境の地であろうとも、国のために心をひとつにして元気にそれぞれの役割を果たそう、というような内容であった。戦後はこの国家主義的(軍国主義、滅私奉公)とも取れる歌詞が敬遠され、また日本固有の領土である千島や沖縄が他国の占領下に置かれたという事情もあり、教育現場への指導などによって歌われなくなっていったと言われている。
なお、「至らん國に」の部分は様々な解釈が可能であり、日本の主権や正義が「至らぬ国(=敵国、蛮国)」、自身が「至らむ国(派遣される場所)」、「(いざ)至らん、国(故郷)に」など幾通りかの見解が存在する。


5.改変
3番は出版前の1881年(明治14年)の段階では
“ つくしのきはみ みちのおく  わかるゝみちは かはるとも
かはらぬこころ ゆきかよひ  ひとつにつくせ くにのため
という歌詞だった。これを文部省でチェックしたところ、普通学務局長の辻新次から「かはらぬこころ ゆきかよひ」という部分が、男女の間で交わす言葉だというクレームがついたために、翌年まで刊行が延びた。奥付は1881年(明治14年)11月であるが、実際に刊行されたのは1882年(明治15年)4月のことである。
4番の歌詞は、領土拡張等により文部省の手によって何度か改変されている。
千島の奥も 沖縄も 八洲の外の 守りなり(明治初期の案)
千島の奥も 沖縄も 八洲の内の 守りなり(千島樺太交換条約・琉球処分による領土確定を受けて)
千島の奥も 台湾も 八洲の内の 守りなり(日清戦争による台湾割譲)
台湾の果ても 樺太も 八洲の内の 守りなり(日露戦争後)


6.願い
このように、明治天皇が掲げた「八紘一宇」の理念を正面から受けた素晴らしい歌が、社会情勢やイデオロギーによって改変されてきたことは悲しい限りである。
昨今の近隣諸国との関係を鑑み、多くの人が4番までの歌詞を理解し、先人の思いや、その功績に感謝するようになることを願うばかりである。


先人がいて、私たちがいる。

将来の国民にとっては、私たちも先人の一員となる。

イギリスの歴史学者:トレンビーは言っている。

「自国の歴史を忘れた民族は滅びる」


戦後、GHQは日本に対して歴史と修身(道徳)の教育を禁止した。

その理由は、トレンビー言葉からも明らかである。

今こそ、自国の歴史を取り戻す必要がある。





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一目で分かる。

明らかにパクっている。

しかし、このパクリは、中国のそれとは違い、嬉しいパクリである。


「日の丸」を意識して国旗を作った国がある。
そのひとつが、パラオである。

パラオ共和国。
太平洋のミクロネシアと呼ばれる地域にある国。

パラオの国旗は青地に黄の丸を描いている。青地は南太平洋、黄色の丸は満月を意味する。


             KazunorI、おもしろ?政治ブログ-パラオの国旗           KazunorI、おもしろ?政治ブログ-日の丸


                 パラオの国旗                     日の丸


旧宗主国である日本の国旗を元にしたデザインで、月(パラオ)は太陽(日本)によって輝く(発展する)という意味が込められている。これは第一次大戦後にパラオを統治した日本が、現地の人々に高く評価されていたことを表わしている。


パラオはドイツの植民地だったが、第一次大戦開戦の1914年に日本が占領し、大戦後、日本は国際連盟からパラオを含むミクロネシア地域を委任統治することを正式に認められた。その統治は25年間続いた。
日本は多くの移民をこの地に送り、産業、教育、文化の発展に大きな功績を残した。公立学校や医療施設を作り、稲作やパイナップルの生産を促した。


パラオの高校で使われている歴史教科書には、こう記されている。
「日本の教育の刮目すべき効果のひとつは、授業の成績を重視することだった。生徒がどの氏族に属し、どんな身分なのかは無関係だった」。日本統治下では、身分に囚われない平等な教育や努力した者を評価するシステムが働いていたことが窺える。

大東亜戦争末期の1944年、パラオのペリリュー島で、日本軍と米軍による大激戦が行なわれた。圧倒的に優位な米軍は、この島を3日間で制圧できると目論んでいた。しかし1万人の日本兵は、73日間も勇敢に戦い、玉砕した。日本軍が島民をパラオ本島に避難させたため、島民には一人も犠牲者が出なかった。

(余談:「一緒に戦わせてくれ」と、多くの島民が志願したが、敗れる戦いに島民を巻込みたくないとの配慮から、その志願を断り、避難させた。)

戦争後、この地域を占領したアメリカは、日本が作った社会資本のほとんどを破壊した。特に日本の精神文化の影響は徹底的に破壊された。南洋神社は取り壊され、学校の二宮金次郎の銅像は撤去された。

1981年、パラオはアメリカから独立した。独立にあたって定められた国旗は、一般国民から公募した70数点の中で、一番人気のあった現在のものである。
パラオの人々は、強力な米軍と戦った日本人の勇敢さと純粋さに敬意を抱いていた。


国旗の選定に携わったパラオの島民は語った。
「英霊(戦死した日本兵)たちは、勇気と国を想う心があれば、アメリカよりも強くなれることを教えて死んだのだ」


パラオの国旗の満月は、日の丸の太陽とは違って、中心から少しずれている。
これは、日本に敬意を表し、まったく同じでは失礼だからと、わざと中心をはずしたためだという。パラオの人たちの慎み深い性格が窺える。


こんな国とは、いつまでも心を寄せたいものですネ。


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敵味方関係なく、「やるべきことはやる」。
それを貫いた日本人のエピソードをご紹介します。
よろしければ御一読ください。


主人公の紹介
シンガポール国立博物館には、日本人とイギリス人数人が、並んで立っているパネル写真がある。
この博物館には、これら日英の科学者たちの協力によって、戦火から守られた過去があった。
この話の主人公は、イギリス人生物学者のコーナー博士と東北帝国大学教授の田中舘博士である。


1.やらなきゃならん!

コーナー博士は、ケンブリッジ大学を卒業し、シンガポールに移り住んで13年間、ラッフルズ植物園で熱帯植物の研究をしてきた。
彼が、日本軍の占拠するシンガポール市庁舎を訪れたのは、昭和17年2月18日、進行した日本軍に対してイギリス軍が無条件降伏した3日後であった。
博士は植物園と博物館に保存されている標本や論文が、日本軍や現地人の略奪によって破壊されることのないように、イギリス総督の使者として日本軍に依頼していたのである。
この日、シンガポールの文化財を守るために日本から一人の学者が来ることになっていたので、その人に会うためにコーナー博士は市庁舎を訪れたのだった。
紹介された人物は、長い鼻、不釣り合いに大きな眼鏡、乱れた髪、くしゃくしゃの洋服と、いかにも貧相な五十男だった。
その男が、田中舘秀三博士である。
コーナーが博物館と植物園、図書館などの文化施設が危険な状態になっていることを説明し、その保護を願うと、身を乗り出して聞いていた田中舘は、突如立ち上がり、腕を振り上げて大声で叫んだ。「やらなきゃならん!」


2.これが本物の学者だ

田中舘はコーナーに案内されて、すぐに博物館と植物園を見て回った。南洋植物の収集・研究で世界的に有名な植物園では、オーストラリア部隊の残していったおびただしい武器弾薬、ドラム缶などを、日本兵が片づけていた。
広い園内は現地人が自由に出入りして、勝手に木を切ったり、物を持ち出したりしていた。
田中舘は、ナプキンに赤インクで即席の日の丸を作り、立ち入り禁止との札とともに、建物に貼った。
ちょうどそこに、官舎が現地人によって荒らされている、との知らせが入った。コーナーが研究室として使っていた場所であった。
「よし、行こう」と田中舘はすぐに走り出した。コーナーは暴徒が武器をもって向かってきたら、と不安を抱いたが、田中舘はそんな事は思ってもいないようだった。二人が官舎についた時、数人の現地人がコーナーの部屋から、標本や私物を持ち出している所だった。田中舘が日本語で叫んだ。「そこに置けっ、さもないと殺すぞ」
日本語が通じるはずもなかったが、田中舘の気迫に侵入者は縮み上がり、そそくさと研究室を後にした。
コーナーは、四つん這いになって、踏みにじられた自分の論文を、宝石でも集めるように一枚一枚泥を落としながら拾い上げた。
その様子に、田中舘は「これが本物の学者だ」と見て取った。


3.学問への深い敬意

軍政顧問としてシンガポールにやってきた徳川義親は、彼らの活動に深い理解を寄せた。
彼は、チャンギー刑務所に収容されていたイギリス人学者たちを引き取って、博物館と植物園に配属させ、各自の研究を続けさせた。

マレーのジャングルの研究では第一人者と呼ばれるシミントンは、コーナーの友人であり、マレーの林務官と植物学者のための手引き書を数年がかりで書き上げていたが、出版前に戦争となり、原稿はクアラルンプールの出版社に置かれたまま、彼は行方不明となっていた。
この件をコーナーから聞いた田中舘は、「それは大変な事だ」と驚き、すぐに山賊やゲリラの徘徊するマレー半島を無防備の車でクアラルンプールまで北上し、ゲラ刷りの原稿を発見した。原稿は、徳川義親と田中舘が費用を負担して、500部印刷された。
コーナーは後にこう記している。
著者のシミントンは、自分の成果が戦火の中を生き残り、敵国日本人によって救出され、出版され、そして敵国人からも同胞からも高く評価されたことを知ることなく、失意のうちに亡くなった。
徳川義親と田中舘が自腹を切り、大金をはたいて英国人の一業績を出版したのは、学問への深い敬意があったからにほかならない。
戦争の真っ最中、敵国人の仕事を英語で出版していかなる利益があるというのか。


4.敗者からの贈り物

その後、日本から二人の学者が、植物園長、博物館長として赴任してきた。
ほどなく日本の学術研究会議から田中舘に帰還命令が出され、彼は昭和18年7月に帰国した。

昭和20年8月、日本軍が降伏し、9月には英軍が上陸した。
英人捕虜が釈放されるのと同時に、博物館と植物園に残っていた日本人学者達が抑留された。コーナーは英軍司令部に占領中の彼らの功績を説明して釈放を願い出たが、日本人学者達は同胞と共に収容所に留まる道を選んだ。

コーナーはその夜、ただ一人、植物園の庭を歩きまわりながら、占領中の思い出に浸った。

田中舘秀三教授がいなかったら、シンガポールの博物館と植物園と図書館は跡形もなく滅び去っていたであろう。若き世代に残すべきものを失い、自分達の時代を子供たちに誇り高く語って聞かせることもできなかったであろう。
私たちは彼の遺志を受け継ぎ、希望の灯を高々と掲げ続ける。

そして、私の心を激しく打ったのは、敗けてもなお、これだけ立派で、永久に後世に受け継がれてゆく業績を残した彼等の偉大さであった。
敗けてなお勝つということはこういうことを言うのだ。
私はその大きさに圧倒され、夜空の下でいつまでも立ちすくんでいた。


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最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


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