いかに死ぬかは、いかに生きるかということであるか
文庫なのに分厚くて読むの大変でした。
宗教ってなんなのだと、知りたくて借りたのだけど、
そこから生き方から、人間とは何かと、死とはとか、
広がる。
宗教って広い。
自己の上にもっと大きな自己、
ちがうな、自己ではない物があるっていうのを感じると、
真の自己になるっていうのがおっきくまとめるとそういうことになるんですが、
この矛盾が葛藤です。
わかりづらいですが、
バガボンド29巻にこれがわかりやすく書いてあるぞ、
っていうのにこの本読んでから気づきました。
天に生かされてる、それゆえに人は自由である、
みたいなことを沢庵坊が言うのですけど、
まさにこれはこの本でいうところの開けのことだったんだなと。
これだけだと宗教嫌いの人は嫌がるかもしれないけれど、
これに対する武蔵の返答もいいのです。
読み返したときに、
すごいなと思いました。
だからやはり漫画はすごいんだよ、
って。
国営マンガ喫茶っていう言い方、
だから僕は嫌いなんですけど。
だいたいなんだ、この言葉は。
漫画をバカにしてるのかマンガ喫茶をバカにしてるのか、
バカにするのはそういう政策というかね、そういうのに対してであってほしいと思いますけどね。
国営マンガ喫茶なら少なくとも役に立つのではないだろうか。
ホームレスで宿のない人は助かりそうだぞ、おい。
変な値段設定にしたり、
工事で大人の関係があったりして、
国営マンガ喫茶にすらなれないものが作られる可能性があるから、
税金の無駄遣いになって、ダメなんだろう、
って、そうじゃないんかい。
漫画と喫茶に害のないようにそこらへんやってくださいってことですよ、うん。
はい話それちゃったけど。
あと山頭火と放哉について知れたのもよかったです。
蟹工船が流行ったんなら、
この二人についてももっとヒューチャーされてもいい気がする。
とくにこの引きこもりが増えてる社会、
放哉って参考になるのではと思う。
まあ、詳しい放哉の本を読んだわけではないので、
まだなんとも言えませんが。
気になりました。