テーマ:ブログ
…ハイ
もはやレポとは言えないレポという名の何かへようこそ
ナンバリングしてあるので
余計な警告はしません。
次画面から
テニミュ福岡公演ネタばれありの色々とアレなアレ(←何)
未観劇の方は決してご覧にならないよう御忠告申し上げます
今回は
テニスの王子様最大の謎・
無我の境地についての考察です
それではレッツすたーと☆
無我とは一体なんでしょう?
テニスを極めた者が至る最終地点でしょうか?
私は少し違う気がします
手塚ゾーン、
真田の風林火陰山雷、
跡部の氷の世界、
全国区と呼ばれるプレーヤーは
無我に頼らずとも
己の技と呼ばれるものを確立しています
(無我をもってしても
手塚ゾーンは再現できない
ですからね)
氷帝戦で無我を出したリョーマに跡部は
「だからお前は
手塚を超えられない」と言い、
今回の試合で幸村は
「まるで人真似、技の羅列だ
これが君のテニスなのかい」
と問い掛け…はい、私も同じ思いでした←
(舞台では言わないけれど)
真田に至っては、
「俺より弱い奴の技を
真似てどうなる」………
…流石キングオブキングの皆様は
言う事が容赦ナイデスネ。
無我って本当に…
なんなんでしょう…………?
我を忘れ、
ただ見た技を繰り出す事が
果たして強いといえるのか?
多分皆
同じ思いを抱いたのではないでしょうか
そこで、無我に出逢った
10年に一人の逸材たちの
選ぶ道は二通りに分かれます
「そんなものに頼らずとも
俺は俺のテニスを貫くぜ!!」
…とばかりに
自分道驀進する幸村と真田。
(これはまぁ王者立海の立海たる所以っていうか例え赤也が無我のコントロールを可能にしたとしても同じ道を辿りそうっていうか
…いえ、これはあくまで個人の考えですよ?)
そして
無我の奥にある可能性を求め突き詰め、百錬自得・才気煥発という二つの扉を開くに至った手塚と千歳
そしてリョーマの
天衣無縫の極み
無我というのはただのきっかけに過ぎず
新たな扉を開く鍵は
一度原点に還り、
今までの自分を見つめ直す…
自分にとってのテニスとは何か、
テニスをやっていて楽しいか、
何のためにテニスをするのか、
…それを考える事そのもので
無我は、その逆行への旅のスタート地点なのではないか?
一度見た技を次々と繰り出す
その様は、
己のプレイスタイルを確立する以前…新しい技に憧れてはどんどん吸収していく、テニスをはじめたばかりの姿とよく似ていませんか?
手塚と千歳はケガがきっかけで
自由にプレイする事が出来ない苦境の中でゆっくりと覚醒し
リョーマは記憶を失い、また
幸村のテニスで五感を失った事から急速に、そこに至った
作中で何度も繰り返される
“思い出せ”というフレーズは
記憶の事だけではなく、
覚醒の為のキーワードでもあるのでは?
テニスが好きで
好きだから強くなりたくて…
そんな気持ちを“思い出す”
狙いがあったのではないのか
…そう思えて来るのです。
まぁ、これは本当に
私の個人的解釈です。
本当の所は
私にもわかりません…
ただそこで気になるのは
越前リョーマの父、南次郎と
かつて一度開かれたという
天衣無縫の極みへの扉について。
ケガで引退を余儀なくされた
サムライ南次郎は
一体いつ如何なる状況で
その扉を開いたのでしょうか…?
非常に気になる所です
そしてもう一つ。
テニスはシングルスだけではありません
“同調(シンクロ)”………
あれは、
ダブルスの“無我”ではないのか?
百錬自得、才気煥発、
そして天衣無縫の極みのように、
同調の先にもまた、
新たな扉が存在するのではないだろうか?
………なんてね
いやぁ、
妄想のタネは尽きませんね(笑)
さてこれで、
福岡公演を観終えた碧生の
長い長い考察は一通り終わりです
ここまでお付き合い下さった皆さん、本当にありがとうございました
また何かをきっかけに
熱く語り出す事もあるかとは思いますが、
その際はまたよろしくお願いいたしますm(__)m
では皆さん
あでゅー☆(^O^)ノシ


