2008-09-15 19:11:51

松室麻衣&dreamをあゆにする! マックス松浦 第二の聖戦

テーマ:松浦・依田
当ブログで最もアクセス数の多かった記事は先に紹介した「エリカ様シリーズ」だったが、単独の記事としては今回改めてご紹介する「マックス松浦 第二の聖戦」のアクセス数が最も多かった。


◆歌手オーディション当落の境界線

“歌手オーディションを勝ち抜くために必要なことは?”そう問われたとき、どんなことを思い浮かべるだろうか。
歌唱力?
だって歌手になるんだから、歌唱力がなければ話にならないでしょ?・・・うん。それは純情というか・・・正統派の答えだ。
顔?
だって芸能界は見た目が重要でしょ。特に女の子。歌唱力があっても、かわいくないと厳しくない?・・・うん。それはニヒルというか・・・現実派の答えだ。

歌唱力。顔。実はこれら二つの要素とも、正解には当てはまらない。少なくとも今からご紹介する“avex dream 2000”オーディションでは、そうなのだ。



このオーディションでグランプリを取り、dreamとしてデビューしたのは、松室麻衣、長谷部優、橘佳奈の三名。そして準グランプリが倖田來未である。だが映像を見れば4人に比肩する存在の人もいる。それなのになぜ、上記の3人+1人が合格したのだろうか。私が想像するにこのオーティションの合格者は、最終審査前の段階で一人だけ、決まっていた。dreamのリーダーとなった松室麻衣。彼女こそavex dreamの主役なのである。

◆マックス松浦が浜崎あゆみから学んだこと

このオーディションは1999年に開かれている。99年という年は、エイベックスやその専務だった松浦にとってどういう時期だったのだろう。会社の将来を託して売り込みをかけた浜崎あゆみが前年末にブレイクし、安室奈美恵の休業で空席となった“女子高生のカリスマ”の座を確固たるものにした頃である。その浜崎がブレイクした理由だが・・・

①かわいい顔
②小室ファミリー以来の定番:ハイトーンボイス
③ファッションセンス、プロダクツへのこだわり
④物語に裏打ちされた自作の詞

まず基盤となったのは①と②。この基盤①②と④が、③を触媒に化学反応を起こして、リアリティ感=セルフ・プロデュース感が立ち現れ、爆発的ブレイクへと繋がった。ここで松浦が学んだことは、時代はフィクションではなくリアリティを求めているということだ。エイベックス躍進の功労者・小室哲哉失速の原因はいろいろあるが、「小室がプロデュースする分には、歌手なんて誰でもいいんでしょ?」という意識が広がって全てをコントロールするのは小室で、歌手の側に決定権がない(ように見える)ことや、小室作の詞を(女性)歌手が歌うスタイルが、共感を得なくなった点は見逃せない。

松浦はそこで歌詞を、浜崎自身に書かせることにした。それによって浜崎をone of themからonly oneな存在にした。(マックス松浦が浜崎をどのようにスターにしていったのかはまた別の機会に書く予定である)単に自作の詞を歌うだけでもonly oneになれる状況だったのに、それに加えて浜崎の生い立ちや言葉を選ぶ感性が、その詞を独特のものとした。松浦は歌手本人が歌詞を書くことで出来上がる作品だけでなく歌手自身にもリアル感が出ること、特殊な生い立ちやデビューのきっかけなどの物語性のある個性があれば、そのリアル感が鋭く増すことを浜崎から学んだ。

プロデューサーという人種は、物事の立ち上げから成功までに興味を持つ。そして成功を収めたものについては、関心が薄らいでいくものである。小室哲哉がその典型だ。浜崎の成功によって自分のプロデュース法に確信を持った松浦は、二匹目のドジョウを狙うことが経済的であることも踏まえて、第2のあゆ探しを始めた。avex dream 2000は、そのための大掛かりな装置というわけである。そして松浦は、浜崎と同じく九州出身の松室麻衣に出会うのだ。

◆全ては松室麻衣を中心に

松室麻衣という人は、実の両親が存命中であるにも関わらず、養父母の下で育てられるという、浜崎をも凌ぐ複雑な家庭環境の中で成長した。その上、顔も問題ないし、歌唱力も悪くない・・・とくれば、松浦が松室を選ぶのは当然だ。ところが大きな問題があった。オーディション合格者は、即デビューするスケジュールが組まれていたのである。エイベックス以前にサンミュージックにいた浜崎とは違って、松室には芸能活動の経験がない。また浜崎と比べると、派手な顔立ちや華やかな雰囲気に包まれているわけではないし、売り物になるような歌詞がすぐに、そして継続的に書けるとも限らない。松室にかかる負担が相当なものになることは、容易に予想できる。

だから松浦はソロではなく松室を軸にしたユニットを結成させることにしたのだ。したがって最終オーディションの肝は、誰を松室と組ませるのか、ということである。ユニットの人数は「御三家」「たのきんトリオ」「アルフィー」「TM NETWORK」など日本の定番である3人か、当時ガールズグループのトップにいたSPEEDのような4人組にするか、というところだったろう。しかし4人組にした場合、松室がSPEEDにおける新垣仁絵のようなポジションになる危険性がある。よってメンバー各々が対等に目立ち、各々の個性が付けやすい3人組にしたのだろう。

3人組というのは、2人目までは案外簡単に決まる。クリエイティブに優れている人や、歌唱力のある人、華やかな人をポンポンと選べばいい。TMに例えれば、松室が小室だ。そこで次は、宇都宮隆に相当する人間を選べばいい。ここで重要なのは、松室がリーダーになる以上、彼女よりも年長の者は、メンバー候補から除外されるということである。最終オーディションでどんなに素晴らしいパフォーマンスを披露しても、松室より年長者がグランプリを獲得する可能性はゼロだったのだ。もちろん、そんなことを最終候補者は、露ほども知らないわけであり、随分残酷な話だなと思う方もいるに相違ない。ただその後、エイベックスからデビューを果たしている落選者が何人かいる。熱烈なパフォーマンスが全てムダになったというわけではなく、グランプリを獲得し、dreamとしてのデビューができなかっただけの話なのだ。

さて、dreamにおける宇都宮隆。それが長谷部優である。長谷部にはかわいらしさだけでなく、松室にはない、アイドルの王道を行く華やかさが見込める。その割に松室の存在感を食ってしまうほど脂ぎったパワーもない。dreamのフロントを張る存在として、うってつけの人材である。

3人組で最も重要なのは、アルフィーにおける桜井賢、TMにおける木根尚登のような第3のメンバーの存在である。料理の味の完成度は、塩コショウで決まるが、その塩コショウが第3メンバーなのだ。dreamの第3メンバーに求められたものは、少しキツめの声質且つ豊かな声量ということになる。それは本格的な歌唱力というよりも、ムリの利く喉使いができるかどうか、ということだ。モデルとしてはSPEEDの島袋寛子のように、グループ全体のパフォーマンスを下から支え、他所様に見せる状況にまで突貫工事でしつらえることができる人がいい。倖田來未が準グランプリに選ばれているところを見ると、橘佳奈と倖田の争いだったのだろう。

だが、倖田に不利な状況が降りかかる。合格→即デビューという制約だ。これではとてもじゃないが、ダイエットが間に合わない。それからもう一つ。倖田のキャラの強さも問題だ。松室も長谷部も押しのけて、倖田が主役の座につきかねない。そもそも文化系の薫りがする松室とウマが合うのか、甚だ疑問でもある。第3のメンバーには、橘佳奈が選ばれたが、松浦はしかし、倖田が化ける可能性を感じ取り、いずれはソロとしてデビューさせることを念頭に、準グランプリの地位を与えて囲い込みを図った。まだ完成されていなかったからこそ、倖田は落選を免れた。裏を返せば、既に完成しているなと思われた人が落選するということでもある。倖田をどうブレイクさせるか、松浦としても、いじり甲斐があったところだろう。

◆マックス松浦の“dream”の行方

2000年1月1日。dreamはデビューした。それはメンバー3人の夢である以上に、プロデューサー・マックス松浦の夢であった。これでdreamが、解散するSPEEDの後継ユニットの位置にでも収まって大ブレイクすれば、浜崎に続いてスターを育てた松浦の名声がますます高騰すること請け合いだ。松浦は落ち目の小室哲哉を凌ぐスーパープロデューサーになれる。そんな個人的な野心もさることながら、彼も一応、会社の「専務」である。エイベックスとしては、浜崎への依存度を下げることが懸案になりつつあった。当時の浜崎はいつ休業してもおかしくはない不安定な状態に、しばしば見舞われてもいた。浜崎への依存を減らすことは、浜崎にかかるプレッシャーを減らすことにもなる。エイベックスという共通の夢を大きなものにするため、持てるものの全てを松浦はdreamにつぎ込んでみせた。2000年半ば以降は、満を持して、歌詞が外部提供から松室作詞のものになった。しかしどんなに頑張ってもdreamはついに、第2のあゆにはならなかった。その理由を端的に言えば、時代状況が悪かったということである。

90年代、ビーイング系や小室によってJ-POPは一気に拡大と発展を遂げた。その中核を担ったのが、デジタル歌謡ポップス(デジポップ)や歌謡ポップス系ロックである。ところが90年代も末になるとMISIAや宇多田ヒカルの登場で、次第にシーンの中心をR&B系が占めるようになる。既に飽和状態だった従来型のJ-POPは行き詰まりを見せ、制作者はR&Bを取り入れるか、ロック路線に活路を見出すか、選択を迫られた。いち早く対策を打ったのはB'zで、90年代中頃からハードロックに接近した。ビーイング系バンドの中でB'zが生き残れたのは、その路線変更の賜物である。

基本的にエイベックスはデジポップ路線だったが、実験好きの小室は、自身がリーダーを務めるglobeを、97年頃からロック路線に、次いで99年頃からR&B路線にシフトさせた。歌唱力やリズム感にやや難のある浜崎は、R&Bではなくロックを選んだ。浜崎のアルバムを聴けば、完璧なデジポップだった1st/2ndアルバムから3rd→4thとロック色がだんだん強くなっていることがわかる。デジポップなJ-POPでブレイクできる最後の世代が浜崎だった、ということだ。松浦が気張りながらdreamをプロデュースしていた頃には、デジポップの時代は終わりを告げていた。

モーニング娘が国民的なアイドルグループになったことも、dreamにとっては逆風となった。狙っていた元SPEEDファンをごっそり、モーニング娘へさらわれてしまったのだ。松浦としては、松室の作詞をアピールすることで、伊秩弘将やつんくといった全権プロデューサーが仕切るグループにはない、新しい、自律的な“ユニット”の姿を見せたつもりだったのだろう。そうやって小室ファミリーとの違いを打ち出した浜崎をスターにした成功体験もある。しかし宝塚やおニャン子クラブの要素を取り入れて、変化球なエンターテインメントに徹した、つんくモーニング娘の牙城を、真っ直ぐ勝負の松浦dreamは、ついに、脅かすことすらできなかった。

最後に、dreamにとって最も致命的だったのは、同じレコード会社で同じプロデューサーが担当している浜崎あゆみが立ちはだかったこと、だ。

◆複雑化する浜崎との関係

松浦はdreamを通じて、松室麻衣を第2の浜崎あゆみにしようとした。それが彼のdreamだった。しかし浜崎をモデルにしたdreamには、まさにそれゆえの限界があった。先述の通り、歌唱力と物語性、作詞センスについては遜色なさそうなレベルだったが、芸能活動の経験や見た目の華やかさといったものが松室には足りなかった。そういう松室に足りないものを穴埋めするためにdreamは作られたわけである。ところが松室の武器である物語性、作詞についても、あまりの浜崎人気の強さのために何ら目新しさのないものになってしまった。

松浦がdreamに精力を傾けた2000年から2001年といえば、ちょうど浜崎の全盛期に当たる。エイベックスとしては浜崎に売上を依存している状態のため、dreamが売れないからといって浜崎のプロモーションに手を抜くことは到底できない。むしろdreamが売れなければ売れないほど、浜崎で落とすわけにはいかなくなる。あの宇多田との異常なアルバム対決には、そんな背景もあったのだ。しかし、浜崎をアピールしていくということは、「居場所がなかったけれど松浦と出会って歌手になり居場所が見つけられた」という物語と、それに基づくノンフィクションな歌詞を喧伝していく作業でもある。プロモーションが成功して、浜崎に人が群がれば群がるほど、同じ物語性のあるdream松室麻衣の目新しい存在感は薄れていく。浜崎の出身地である福岡市が福岡県内のみならず、九州全体を吸収するように、dreamのファンになるはずであった女子中高生は、強烈な磁場をこしらえている浜崎に皆吸い寄せられてしまった。ビーイング(B-ing)は、成功した先行者(A)とパラレルな存在(B)をデビューさせる会社だが、宇多田のB-ing・倉木麻衣は目論見通り、大成功を収めた。ところが浜崎のB-ing・愛内里菜については小ブレイクに留まった。これも、いかに浜崎の磁場が強力だったかを偲ばせる結果である。浜崎の代わりは、エイベックスの中にも外にもいなかった。

dreamのメンバー3人がかりで構築した魅力をたった1人で賄い、しかもお釣りまで来る。浜崎あゆみという存在の特殊性、そして偉大さを、松浦は今更ながら身に染みて感じ入ったに違いない。こうして「マックス松浦第二の聖戦」dreamプロジェクトは、完全な失敗に終わった。多額のプロモーション費用をつぎ込みながらの惨敗に、松浦が大きな挫折感を味わったことは想像に難くない。そして気づくのである。浜崎が自分の夢を叶える存在から、自分の夢を邪魔する存在へと変わったことに。それだけではない。社内での発言力は急速に低下し、いよいよ依田の力が強くなった。浜崎に居場所を与えた松浦が、その浜崎によって自らの居場所を失くしかけていた。そんな苦悩する松浦を、浜崎も気に病んでいたふしがある。というのも、2002年1月1日発売の4thアルバムの中に、「その夢守って行くためには 私がいちゃいけなかった」という一節があるからだ。

また、こんなエピソードもある。松浦が浜崎に“produced by max matsuura”のクレジットを外そうと提案した。実質的にプロデューサーの地位を失っていたからだが、浜崎が拒否したため、今日までそのクレジットは残ったままでいる。この申し出は、浜崎が文句なしにセルフプロデュースしている状況を松浦が認めてリスペクトしているから、と説明されている。しかし一連のdreamを巡る流れを見れば、この理屈は綺麗過ぎる。むしろ、浜崎に対する自分の立場が、プロデュース“してあげる”関係から、プロデュース“させてもらっている”状態に、いつの間にか逆転してしまっていたことを、自虐的且つ皮肉たっぷりに表現したものと解釈すべきだ。そしてその申し出を浜崎に拒否されたことで、クレジット表記の有無さえも、自分の力では決められないふがいなさに、松浦は気づくことになる。

ところで松浦と浜崎は付き合っていたが、依田の命によって別れさせられたという話を耳にしたことがある。それが本当の話なら浜崎を忘れるために、dreamのプロデュースに打ち込んだという線も出てくるわけだが、しかし結局は、それも浜崎に邪魔され、かえって彼女の存在感の大きさを思い知る羽目になったことになる。

浜崎を擁し、小室哲哉相手の「最初の聖戦」に勝利した松浦。そしてdream松室麻衣を掲げた「第二の聖戦」での失敗。2年後、起死回生を賭けた彼の「第三の聖戦」が始まる。文化大革命で毛沢東は、自分が作った中華人民共和国に闘いを挑み、破壊し、勝利を収めた。敵は港区南青山3-1-30にあり!松浦の闘いは、自分が作ったエイベックス株式会社の中枢に向けられることになるのだ。

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