私のオートレース人生 ~小学生編
テーマ:オートレースオートファンの師匠でもあるオー友さんに触発?
されまして・・・私もオート道を綴ろうと思います(^_^;)
私とオートレースの出逢いは35年ほど前。
大のオート好きであった親父におぶられて
観戦したのが最初。開催の度に車で片道
1時間半をかけ飯塚オートへ連れられていた。
物心がついた頃には「(爆音)うるさい」としか
印象がなく、レース場では退屈していた。
母が病気で長期の入院をしていたため親父も
子守りでレース場へ連れて行ってたのだろう?
しかしレース場での退屈さは相変わらずで
「帰りたい!!」を連呼しては親父を困らせ
いつしかレース場に着く前に柏ノ森に在った
おもちゃ屋で毎度、品物を買ってもらっては
しかし小学校3年生ごろ退屈さを一変させる
ある場面に遭遇した。ピンクの蛍光塗料
ホイールで颯爽と走り抜ける選手・・・
「植木常男・飯塚15期生(引退)」との出逢い。
当時、飯塚若手のホープとしてS良し雨良し
の売り出し中の選手だった。その蛍光ピンクの
派手な競走車(ギャラ・メグロ2気筒)を操る
植木常男に少年であった私の心は奪われた。
それまで気にもしなかった家にあるビデオや
選手名鑑(S58年度)を擦り切れるほど見ては
オート!オート!に明け暮れる日々。
選手名はもちろんの事、呼名や車種には
好奇心を駆り立てる何かがあった。
余談だが昭和58年度の選手名鑑では
4バルブの単気筒を引っ提げ新規参入した
HKS社製「フジ」が単気筒派乗りの主流で
2バルブのメグロ・トーヨー・キョクトーは
少数派だった。(上記3社は後に4バルブを投入)
2気筒ではやはり英製トライアンフが多数を占め
後に部品供給安定などで台数をしのぐ事になる
メグロ2気筒はこの時点では少数だった。
オートレースに対する興味は日に日に増し
唯一のオート専門誌「オートレースマガジン」を
親父に頼みこみ、毎月購入するまでになった。
自転車もギア付きオンロードタイプからタフな
BMXを買ってもらいオートレースごっこに夢中になる。
放置してたポケバイもエンジン駆動に対する興味を
持ち始めたため、思うがまま町内?を走り回った。
レース場に着くなり親父から数百円の小遣いをもらい
金網にへばり付いて観戦し、夕練で落ち合うという
一日別行動をするまでに至っていた小学4年生。
昔は競走車が係りによって先にHラインに並べられ
選手がトラックに乗って各競走車付近で降ろされ
ファンと競争車に一礼してスタートしていた。
ヘルメットは現代みたいなフルフェイスではなく
ジェットヘルにゴーグルマスクが主流だった。
選手によっては競走車に跨るまでゴーグルマスクを
額部分にかけ普段はお目に掛かけれない表情が見れた。
もちろんこの頃は発走合図機ではなく手旗発走。
当時の飯塚オートは整備の鬼として知られた
桝崎正(引退)が不動のエースとして君臨した。
しかし桝崎はSG(当時の呼称は特別競走)で
ミスターオート飯塚将光と引けを取らない優出歴も
タイトルに恵まれなかった悲運のエースでもあった。
※後にSG格上げにはなったが(当時は特別企画)
2級車から1級車へ乗り替わったばかりの17期生
永富高志(ウルフェン・フジ単気筒)や後にオート界を
席捲し、花の19期生と謳われる中村政や水崎などが
2級車デビューしたのもこの頃で、私は19期とオートを
歩んだと言っても過言ではない。小学校5年生では
山陽オートレース場にも初上陸。しかもこの日は
第6回オールスターオートレースの優勝戦 だった。
バンクの奥側にある飯塚スタンドに慣れていたためか
上から見下ろすような造りの山陽バンクを見た瞬間
「同じレース場か!?山陽のほうがコースが小さい」と
そんな“ハズ”もない第一印象を抱いてしまった。
優勝は小さな巨人と言われた進藤敏彦(引退)だった。
印象的だったのは10R(当時11R制)の特別選抜戦で
1着を取った大川徹二(引退)。ゴール後スタンド前を
大響音の空ぶかしで歓喜の雄叫びを表した。そして・・・
この特選に後の「セアの申し子」と呼ばれる片平巧
(スプリーセン・フジ単気筒)が出走していたのを記しておく。
このオールスターに当然の如く?優出していた桝崎正。
その桝崎にもSG初制覇の千載一遇のチャンスが訪れた。
第20回日本選手権 が地元飯塚で開催されたのである。
当然この優勝戦にも私は行っていた。
準決では他を圧倒する動きを見せ飯塚オートファン
のみならず全国オートファンも今回の優勝は桝崎正!
だと信じて疑わなかった。オッズにも如実に表れ
飯塚将光と桝崎正の折り返し①=③が一番人気。
しかしこのレースの主役は桝崎ではなく飯塚でもなく
血気盛んな若大将・田代祐一であった。
そして今もなお語り継がれる伝説のレースとなった・・・。
当時の飯塚オートは日曜の一般開催でも軽く一万人以上の
ファンが来場していた。第20回日本選手権の優勝戦は
オッズまで確認したのは記憶にあるがレース自体の内容は
まったく記憶にない・・・当日は足の踏み場もないほどの
観衆の鈴なりしか・・・。桝崎正の地元SG初制覇は夢と消え
昭和最後のこの年、小学6年生での晩秋を迎えた。
駄文でスミマセン・・・続編あるかな(^_^;)








