2008-07-16 05:20:38

「町人学者」を読んで

テーマ:ブログ

<a href="http://kyaz.at.webry.info/200807/article_1.html" target="_blank">「浅田常三郎」を読んで</a>

<a href="http://kyaz.at.webry.info/200807/article_2.html" target="_blank">「浅田常三郎」を読んで()</a>


の二編のブログ記事は、「町人学者・浅田常三郎」(増田美香子著、毎日新聞社)という本の読後感という表題になっているが、

内容的には実際は、浅田氏の同級生であるが無名の服部学順氏の事跡を紹介しているものである。


ソニーの盛田明夫氏は浅田常三郎氏の指導を受けたがために、あの超優良会社を造り得たのだが、盛田氏が浅田氏の弟子になったのは、服部学順氏の勧めによるものであった。

このことは、服部氏が日本の社会に対して大変に大きな貢献をしたことになる。


服部氏は人生の後半を、国立のD大学の教授として過ごしたのであるが、教育者としても、研究者としても目立たない存在であり、肩書き等には無縁の生涯であった。

しかし、実はD大學でも、その大學が今日までに産み出した中で、最高と言って良いほどに評価できる、研究成果を上げるのに、大きな寄与をしている、という。

その仕事は、現代医学では素人でも知らぬ者のないくらいに有用なツールになっているMRIに結び付いていく基礎研究である。

 

こうしてD大学でも、若しも服部氏の存在がなかったならばどうなったか分からない仕事で、「社会的貢献」を服部氏はしているのだが、

但し、その研究自身は同僚の研究であり、自身の業績ではないから、服部氏の功績にはならないし、学内の殆どの人達もそのことを知らない。

 其処で、上記のブログ記事では、


その人の業績、とは言えないが、若しも、その人が居なければ歴史は変わっていただろう、という場面で、適切な人物が居た、と知ると、

人知を超えたところで、我々のすむ世界を動かす力が働いているような気がしてならない。

 ソニーの誕生にしても、MRIの話にしても、である。」

と書いてある。



私は、それに引っ掛かるものを、感じずには居られない。

その様な業績を評価するシステムが、社会に在ってしかるべきではないのか。


服部氏はD大學でも肩書きのつかない平凡な一教授で終わったのだが、死去の前日の日付で名誉教授称号が贈られたそうである。

私の「下司の勘繰り」では、服部氏の死去の直後に、葬儀の準備か何かの動きの中で、ソニーの盛田氏の件が出て来て、大学側では慌てて名誉教授称号を贈ったのではないか、と推量する。

追贈というのでは格好が付かないので、退職後の生前贈与ということで、逝去の前日の日付になったのではないか。



D大學では毎年、何人かの定年退職者に名誉教授の称号を贈っている。

また、在職中に所謂、学内実力者であった退職教授は叙勲を受けたりする。

それらの顔ぶれは、研究業績とか学者としての評価とは別の処で決まるものらしいが、

社会全体の仕組みが何か、間違っているように思えて仕方がない。

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