2009-11-05 00:12:05

ドイツ政治と下手な文章

テーマ:ブログ
どもアウフヘーベンGE、早稲田大学の草竹敦紀ですチョキ

アウフで最も尊敬されるキャラの陽くんからバトンをもらい、今日は俺が書きます

さーて最近俺のマイブームはドイツ政治ですひらめき電球

個人的に政治学の中でも比較政治が大好きで、その一環で先月からずーとドイツばっかやってます淲

まだ本9冊、論文6本しか読んでないけど、多少はドイツ政治わかりかけてきました。(今日は道楽でワイマールについて読んでた)

ただ知識として吸収するって段階と、そこからいわゆる研究するって段階では全く違う次元にあるわけで、その間のこえがたい壁をいかに乗り越えるか?って課題に対してはその人の知識量と学問的なセンスが問われてくる晴れ

俺に欠けてるのは、そのセンス炅

ただそれを嘆いても仕方ないわけで、今はただ黙々と知識を固めていきやす溿

3つ4つ明らめたいことが見つかってきた。

・「州による連邦政府弱体化仮説」(概念BY草竹)
・社会民主党のドイツ特有の性質とその説明
・ドイツメディアの特異性と政治への影響
・ドイツにおける外相

また機会を改めてひらめき電球

あと年末に参加するとあるイベントの課題文の締切が今日だって気づいて、夕方にマッハで下手な文書いたんでのっけときやす。

1000字で日本政治について格差とか絡めて論じなさい的なかんじ。

 55年体制下の日本政治は、パイの拡大という前提条件の下に、政権与党であった自由民主党による再分配の継続にその特徴を有していた。
 しかしながら、一方でオイルショック、そしてバブル崩壊を経て、パイの拡大を保証していた成長モデルが瓦解し、他方で冷戦の崩壊と、それによって加速していったグローバリゼーションの潮流の中で、日本政治もまた変容を強いられることとなった。そうした状況の変容に直面しつつも、日本政治は、90年代、55年体制下の政治システムの保存を追求し、それに対する改革に気運との摩擦に彩られた時期であった。
 しかしそうしたシステム維持のための努力は、内外の状況への対応の必要性の中で困難に直面し、また自民党政治が大きなシステム疲労を起こした時に登場したのが小泉政権による自民党の体制内改革の試みであった。2001年から06年の小泉政権の間、小泉は、彼の言葉で言う「抵抗勢力」と妥協しつつも、それまでの自民党政治の分配の象徴であった道路、あるいは集票の担い手であった郵政の民営化に着手すると共に、経済の低迷に対して公共投資によって経済政策を図るという旧来の手法に消極的な姿勢を示すことにより彼なりの「改革」を行った。
 東京大学の松原隆一郎の指摘するように、彼の改革の根本が非効率部門から効率部門への資本の移動にあったとするならば、遅かれ早かれ2つの部門間の歪みの主張が出てくるのは必然であっただろう。つまりは「格差」の拡大という社会問題の表出である。
 この問題は、あいまいな「格差」という概念が一人歩きをし、冷静な議論がなされなかった観があるものの-例えば政府は経済財政白書の中で、小泉政権下に格差の拡大はなかったと主張し、他方で格差を問題視する論者たちはジニ係数を根拠にそれへの反論を試みている-、この問題は我々に1つの大きな解決すべき問題を示唆してくれている。つまりは国が担う「社会保障」の役割とはどの程度であるか、という明確な線引きが、一般国民レベルのみならず、政治家レベルですら定立されていない事が格差論に代表される議論の混乱を招いているのである。
 無論、その線引きに際して、1つの理念が正しい、正しくないの議論は存立しえない。
しかしながら、政治家が理念を提示し、それに対して国民が選挙という政治参加の過程を通じて選択と授権を行うというのが民主主義の形式であるとすれば、まずは政治家が理念を持ち、国民に対して提示する事が必要なのである。裏返して言えば、それが不十分だからこそ55年体制の崩壊後の日本政治は新たなシステムを未だ構築することができないままに漂流と模索の時期に甘んじたのだと考える。
 日本の問題点として挙げればきりがないが、その根幹としての政治の理念提供の責任、あるいはそれを受容する側の主権者たる国民の自覚の問題が解決されない限りは、個々の問題解決の議論は枝葉末節になるだけだろう

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