2009-11-04 03:54:47

近代の超克と「モラリッシュ・エネルギー」

テーマ:ブログ
はじめまして、東大4年の鈴木陽です。

ただいま卒論を一生懸命やっていますが、くさたけ君からブログ書けといわれたので、しぶしぶ書くとします。

本当なら卒論の内容について書きたいところですが、今手元に文献が全然ないのと、まだかけるほど勉強してないので別のことを書こう。



じゃあテーマは「近代の超克」について!実はちょっと卒論にも関係するけど。



「近代の超克」とは何かというと、第二次世界大戦期に日本の知識人たちが唱えたアジア・太平洋戦争支持の論理だ。

これはある人が論文に書いて出したとかいうものではなくて、当時の知識人の一部が座談会で、この戦争は近代の超克だ!という話をしたもの。「知的協力会議」の名の下に開かれた13人の知識人による座談会と、「世界史的立場と日本」という京都学派知識人4人の座談会がそのメインだが、後に竹内好とか広松渉が同名の論文を出している。

僕がこないだ読んだのは、「世界史的立場と日本」という中央公論から出た座談会の議事録的論文集だ。



高坂正顕、高山岩男、鈴木成高、西谷啓治という4人の学者(哲学・歴史学)が、太平洋戦争開戦直前と開戦後に3回の座談会をしたもので、内容は主に大東亜戦争・大東亜共栄圏ををいかに理論づけうるか、というもの。

彼らは全員京都大学の哲学科出身で、西田幾多郎の哲学を学んでいる。この座談会で4人がほとんどお互いに異論なく、満場一致で話が進んでしまっているのもそのためだろう。4人の議論の話題はかなり多岐にわたっているが、主流になっているのは



「日本が西洋近代の仲間入りをした今、西洋によって作られてきた世界史の中に日本が重要な地位を占めるようになった。しかも日本は欧米のような自由主義・個人主義の国々とは異なる特殊なエネルギーを持つ国だ。今こそそのエネルギーによって東アジアの民族を目覚めさせ、西洋近代を超越するような東亜新秩序を形成するときだ、そのための大東亜戦争だ。」



というような考え。で、その中の「エネルギー」というものについて少し自分流に解釈をしてみた。

そのエネルギーとは何かというと、彼らは「モラリッシュ・エネルギー」という言葉で説明しようとする。日本語にすると道義的生命力となるらしい。また国民の主体性とも言い直されており、歴史や秩序に対する積極的な価値コミットを指すと考えられる。4人によれば、日本人はどの諸外国の国民に比べても格段にこのモラリッシュ・エネルギーに満ち溢れているのだという。その裏づけこそが日本の主体的な近代化(明治維新)という事実である。また、西洋近代が破綻をきたしているという裏づけはもちろん、第一次世界大戦である。



モラリッシュ・エネルギーという概念は耳新しい概念だが、4人によればこのエネルギーは西洋の自由主義・個人主義の社会からは生まれないものらしい。そしてドイツファシズムやソ連共産主義のような社会からも生まれない。じゃあ日本はどんな社会だからこのエネルギーが生まれたというのか。4人はいろいろと説明しているが、正直いまいちピンとこない。思うに、上にあげたような歴史的背景を元に「日本人はすごい」という共通認識がなんとなくあったんではないかと思う。しかし実はこの共通認識こそが彼らの言うモラリッシュ・エネルギーなのかもしれない。つまり、当時の日本人(特に知識人)は、日本は世界的に優れた民族・国家であると考えたが、その信憑をもとに知識人は日本人にはこの共栄圏を形成する力があると考えたのだと思う。しかしもちろん、このような信憑にもとづく共栄圏形成の可能性は、実際の国際政治的な可能性に基づいていないのだから意味がない。



だが一方で、彼らのこのハイテンションな座談会を読んでいてうらやましいと思うのも事実だったりする。現在、日本人は世界の中である程度の位置を回復した。しかし僕たちには世界史の中に現代の日本を位置づけようという意志も可能性もあるとは思えない。近代の超克を論じた知識人たちは、現状認識や方法論において大きく誤っていた。彼らの議論を現代によみがえらせることは意味がないとは思う。

しかし日本人のがんばりによって世界に新しい秩序をもたらそうとする、そのような意志を僕たちが失ってしまったとしたら、それはちょっともったいないだろう。いや、そのような意思を持つ人はいるかもしれないが、僕は「多くの人はもっていないだろう」という信憑を持っており、それを多くの人と共有している気がしている。したがって、たとえ世界を良くしようという意志を持つ人が何人かいたとしても、僕にとって現代の日本には「モラリッシュ・エネルギー」はないことになるのだ。で、僕のような人がたくさんいれば、実際に「モラリッシュ・エネルギー」はない。

近代の超克の議論は今では批判の対象だが、当時のモラリッシュ・エネルギーというやつを感じてみたいなと思ってしまった。そんな論文だった。

まぁ、モラリッシュ・エネルギーという概念についてもっとよく考えなきゃ、現代に当てはめるような議論は意味無いんだけどね。



近代の超克について書くつもりが、結局モラリッシュ・エネルギーの適当な話で終わってしまった。別の観点からの議論はまた今度やります。




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