国会議員の定数削減に関する頭の体操
テーマ:ブログ中長期的にやり続けてこそ、初めて実を結ぶ政策もある。少子化対策なんかまさにそうだろう。家計への現金給付、保育インフラの整備、有休資源の利用、育児休業のシステム、女性にとってキャリアに傷がつかないようにするための種々の保障。これらを組み合わせて初めて効果が出る可能性が高まるが、その効果は10年単位で表れ、その恩恵が生産年齢人口、租税、社会保障の担い手の増加といった形で表れるのは、その更に20年先である。このため、短期的に効果が出ないといった早とちりやら、向こう30年先のことだからといった投げやりやらに走らない、息の長さもまた必要なんだろう。
以前のブログの繰り返しになるが、今年の日本政治は、消費税の増税の扱いが最も大きな政治的なイシューとなる。この関連で、最近半ば常識化しつつある議論として、税の引き上げの前に、公務員給与、議員定数の削減など身を切る姿勢を示す必要があるという身切り先行論がある。これがさも規定路線のように進行していくことに奇怪なまでの違和感がある。特に後者に関してそうである。
議論の前提として、国会議員の定数削減は法律改正だけでできるが、一度削減したらもはや再び増員はできないだろうとの予測に立つとした時に、その影響は長期的なものになるといった点は確認しておきたい。
そもそも何故増税が必要であるのか?を問い直した時に、仮に中長期的な社会保障の枠組みの維持にその目的があるとすれば、それが議員の定数削減と連動することはおかしい。我が国の人口構造の変化からして、現行の税率でもって現行の社会保障の枠組みを維持できないとして、仮に国民の多数が枠組みの維持を求めるとするならば、その分歳入を補強するために税収を増やすというのはしごく普通の判断である(その方法は、必ずしも増税のみにとどまらないにしても、要は還元されるのだから)。
一応、今回の増税の目的は、社会保障の維持と充実ということになっているが、歳出増のほとんどが社会保障費の増加によってもたらされているとすれば、本質は財政の補強にあるとも言える。仮に社会保障の自然増が現在の財政を圧迫しているにしても、これまでの長年の政治に財政の基礎的な部分の悪化の原因を求めるとすれば、連動してもおかしくないと一瞬思ってしまう。だが過去の失政の責めで、ある程度の詰め腹を切れというのは、そもそも代議制の理屈に合うのかという疑問が拭えない。
それに今回増税するにあたって定数削減をしたとして、再び7年後なり8年後なり更なる消費税の増税が必要になった時も同様の理屈で削るのだろうか?
まあこの不可解な連関をひとまず良しとしよう。それでも他にいくつか疑問が浮かぶ。1つは、民主党が提案している定数削減は衆議院の議席を80削減するというものだが、何故衆議院だけなのか?ということだ。政治家が身を切る覚悟を示すというのなら、参議院の定数削減も同時に提案しなければ理屈が通らないはずだが。
また1つは、ホントにできるのかということだ。09年の民主党マニフェストによれば、確かに衆議院の比例区の定数を80削減すると明記してある。野田総理は年始の会見で、公明党など小党に配慮して比例のみで削減というのを取り下げたようだが、とすれば小選挙区の定数も併せて削減することを目指すということになる。仮に今年の夏前に法案を成立させることができたとしても、小選挙区の定数を削減する場合はその後に区割りの変更からなんから来年夏の任期満了までにやることになるわけだ。果たして、この調整を含めてできるのか?
そして1つは、何故数を減らすことにこだわるのか?ということだ。つまり公費から政治家にあてがわれている費用をもって身を切る覚悟を示すというのなら、本来国会議員の数を減らすということに手段は限定されないはずだ。給与を減らすなり、政治家の数を大きな算定基準として交付されている政党交付金の総額を減らすなり、いろいろバリエーションは考えられるはずだ。それにも関わらず80削減することにこだわるからには、よほど80という数に何らかの合理性があるのか?と言われれば、どうやらそういうわけでもなさそうだ。
ここには代議制民主主義の下での代表者の数に関して、些かあきれるほどの軽さがあるように思えてならない。現行の小選挙区と比例区の300:180の割合と、300:100の割合を比べて、仮に明日選挙をやるとしたら、もしかしたら前者ではどの党も過半数に達しない可能性があるのに対して、後者では過半数に達する可能性が高い結果が出てくるだろう。80削るか否かといったことだけで、日本の政治がより多党制的な側面を残すか、より二大政党的な側面を強めるのかといった大きな分かれ目となりうるわけだ。その帰結が政治に及ぼす影響は大きいかもしれない。だから数を削る、どれをどれだけ削る、といった議論は、選挙制度のあり方を含めてより慎重に行われる必要がある。
(各国の連邦制、単一性と定数との関係、あり方に関してちょっと書こうと思ったが長くなりそうなので、今回は割愛っ笑)
言説政治の中で、消費税と身を切る姿勢はリンクされてしまった。だが定数を削減する、そのことの選挙制度のあり方全体の中での意味などは全然軽視されている。また参議院だけでなく、衆議院の選挙制度そのものを改正しようという動きもポツポツで始めている。ならば、身を切る=数を減らすに極限すんのは今はやめようというのが今日の結論だ。
じゃあ国民に対して示せる代替案はあんのか?。単純に考えれば、なくはない。
例えばこれも身を切るの中に入れられそうな感じだが、今度の常会で国家公務員の給与を7.8%削る法案が提出されるだろう。それなら、国会議員の給与、文書交通費、そして公設秘書の給与など国会議員1人にかかってる費用を同率下げたらどうだろう。減った分だけ院車など削ればいいし、もっとMっ気が必要なら赤坂の議員宿舎なぞ売っぱらってしまえばいい。722分の80は11%。大体トントンになるじゃないかと思う笑
冒頭の対少子化政策は、長年かけて決定を積み重ねてようやく効果が出せる課題だ。そしてこの選挙制度のバランスと絡んだ定数削減の課題。これは安易に、一回きりの議決でやれるが、その影響はよくも悪くも長きにわたる。だから他に代替があるなら先を急ぐべきではない。
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