こんばんはー。

翔太です^^

  

 

たまふるアーティストあらため、ニジユメアーティストになりました。

 

  

もはや、どういうこと?って感じですね。

その説明は、またします。

 

 

でもその時にはまた変わっていたりして笑

  

 

 

  

さて、

  

何か誘うことに、不安だったり、おそれていたりってありますか?

 

 

 

自分はイベントを何年もやってきたりしていますが、

やっぱりまだこわいなーって思うことがたくさんあります。

  

 

そういうお誘いもそうだし、誰かに何かを提案するときも、同じ。

 

 

 

なにかをおそれるとき、不安なときには、

 

まず何を感じているか?

 

をちゃんと感じるのが大事だと思っています。

  

 

  

それで、自分が気にしていることはこんなことがありました。

 

  

『提案した人から嫌われること』です。

  

 

 

なぜ嫌われうとおもうのかというと、こんなことがあります。

 

 
 ⇒ 興味のないことを紹介しているのでは?
 ⇒ 非常識なことをしているのでは?
 ⇒ がっかりされるのでは?
 ⇒ 自分のことしか考えていない、と思われるのでは?
 ⇒ 面倒くさいやつだ、と思われるのでは?

  

 

   

でも

 

嫌われるようなことを、本当にしているのでしょうか?
仮に、その提案が純粋な愛やワクワクからしているとしても、嫌われるのでしょうか?

 

 

 

そして、別のおそれがありました。

『提案したことを、断られること』へのおそれ、です。

 

 

じゃあなぜ断られることがこわいのかというと、
 

 

提案したことが断られることが、『自分は必要ない』に繋がっている

 

からです。

 


 ⇒ 自分には価値がないことをおそれている。
 ⇒ 自分がやっていることにも価値がないことをおそれている。
 ⇒ 自分はその人にとっていらないんだっていうことをおそれている。
 
 

 

では、本当はどうなのでしょうか??

 

 
●提案は自由
●提案にのるかどうか、決めるのは相手
 ⇒ 嫌いだから断るのではない。提案を断っている。
 

なので、自分の存在否定に繋がるのは飛躍しすぎです。

 

 

 

そして、相手に嫌がらせようとしての提案ではなく、

自分は、相手への純粋な善意によっての提案でした。

 

 

ぞれを自分がちゃんと認められいない、

何かによって、侵害される可能性を許している、認めているから、

おそれてしまうのです。

 

 

相手が、誤解をしたら、相手に伝わるように、本当の気持ちを伝えてあげれば

大丈夫なのです。

 

 

つまり

 

 

その人が提案にのってものらなくても、

変わらず自分にも自分のやっていることにも
価値があるということを、まず自分自身が深く感じることが大切。

 

ということです。

  

  

  
 
自分のこころ、意思は自分以外の誰にも変えられません。
絶対的な安全で、絶対に侵害されません。

 

 

自分がそれを、ちゃんと許していれば、

人が何をどうしても、自分が感じていることは安全なんです。

 

 

 

そのとき、自分が感じていることを、表現し続けること、だけです。

 

その結果、どういう現実になっても、

自分が真実を知っていて揺らがないのだから、大丈夫なのです。

 

 

 

というわけで、

わかりづらかったかもなのですが、

自分への備忘録もかねて、投稿しました!!

 

ありがとうございます(●^o^●)

感じていることを認識して、認めて、堂々と表現する。
そのときに恥ずかしさや、人の反応をおそれるときには、自己信頼が足りないんだと思っている。
 
といっても、それは思考で言っている理想で、
現実の自分はそこにいまいま向き合っているところ。
 
『こうであるはず。こうなっているはず。』
という理想を、現実で行動して、体験を積み重ねているところ。
 
なので、自分のなかでも頻繁に、
『そうは言っても・・・』て気持ちが現れる。
 
その度に、ビビりながら、自分を生きることに挑戦したり、時には逃げたりしている。
 
「人を傷つけたくない。がっかりさせたくない。
 いつでも、力になってあげられる人でありたい。」
そんな綺麗な言葉でごまかしたとき、自分のこころが、自己信頼を下げる。
 
本音をいったら、傷つくということも、
本音をいったら、がっかりするということも、妄想。
 
自分が傷つくのがこわいし、
自分が間違っていることを認めたくないんだ。
 
今まで、何度も逃げたけど、もう逃げないって決めている。
 
昨日、そんな、
『そうは言っても・・・』に向き合わせてもらった。
 
全部伝えた時、正直に伝えてくれて嬉しいって言われた。
不安な気持ちも溶けていった。
 
社会的常識がどうであったとしても、
自分が本当は感じていること、っていうのは変わらずにある。
 
それは良いも悪いもなく、責めることじゃない。
それを踏まえて行動を選択することはできる。
感じた事は事実。
それを認められないと、自分を責めはじめるんだと思う。
 
その感じていることをもとに行動するかどうかはともかく、
まず受け止めることと伝えることは、大切にしたい。
 
違和感を大切に扱うことは、
自分を大切にすることだと思う。

ご無沙汰です!

なんかいっつもご無沙汰ですが^^;

   

 

こころかきびと 改め、 たまふるアーティスト(仮) の翔太です^^

たまふるというのは、魂を震わせる、の略です。

魂を震わせて生きたい。

そして、その振動で、人の魂を震わせていく。

そんなアーティストって素敵だなあーと。

それから、マインドフルネスという言葉がありますが、

魂が満たされた状態=魂フルネス

みたいな、状態であろうということでもあるかもしれません。

そんなわけで、一旦、仮にたまふるアーティスト。

 

なんだかもう、こころかきびと、ていうのは

自分の一部ではありますが、肩書きとしてしっくりこない感じがしてます。

  

ここ数日、いきなり自分との対話がはじまりました。

直感の自分との会話?

思考というよりかは、もっと軽い、だってこうだよねってすっと出てくるような

そんな自分が質問とフィードバックをくれています。

 

昨日、いろいろ衝撃的な発見がいろいろあったので、

ここに備忘録と、分かち合いとして、かきます。

 

●稼げないのは、稼ぐ能力知識・能力ではなく、もっと根本的な問題があった

どこから稼げている、というとちょっと分からないですが、

自分自身の基準として、もっと物理的な意味でも精神的な意味でも豊かになりたい、という思いがあります。

  

が、物理的な意味での、豊かさというところところについての意識が、

中身がないまま、先行していたということに気が付きました。

 

☆今の自分には稼ぐ知識がない。実力がない。能力がない。という感覚はフェイクで、

 本当は、稼げるということを信じられていないだけなのです。

  

信じられていないから、ないことにしたいのです。

もっと学ばなければと、今自分が知らないものに、過度に期待をするのです。

そして、知らないことを知ることで一旦満足します。

  

でも、自信がないので、最大限の行動にはうつしません。

  

じぶんのすべてを懸けた時、結果を出せないことがこわいからです。

それをみるのがいやなんです。

自分に可能性がないということを、現実世界でみたくないんです。

無意識的に可能性がないと思ってしまっているから、それをどうにかこうにか誤魔化すために、言葉にしたり、中途半端な行動をしてみます。

でも、ちゃんとそこに気付いていないので、結果の出るはずのない学び・行動を繰り返すのです。

  

ただ、本気になれば、実は実るタネが本当はある。

今まで学んだことを、ちゃんと振り返って、ちゃんと行動にうつしたら、十分な土壌がある。

でもそこにいつも、何かのせいにして、本気で取り組まなかったのです。

  

時間がないから。お金がないから。

  

え、じゃあ何故学んだのですか?

あんなに期待して、ワクワクして、絶対参加したいと願った、その場所で。

 

まず、自分自身を信頼し、自信をもつことからです。

 

なぜそう思ったかというと、経験もないのに、できてしまったことがあるから。

何故か何百人の前で、尊敬する惣士郎さんのうたの伴奏することにきまりました。

本番は3日後。曲は知らない曲3曲。

ピアノからは離れているし、そんな短期間で、できた経験もない。

でも、たぶんできるだろうっていう何となくの確信があった。

根拠のない自信と信頼です。

もくもくとひたすら練習しまくった。本番直前まで全力で。

そこにできないという不安はなく、できるはずだから、全力でやろう、だったのです。

 

他の活動をしているとき、

例えばビジネスをしようというときは、そのマインドではなかったことに気が付きました。

理由もなく、信頼し、自信をもつことは可能なのでした。

  

でもそれ以上、根本的な発見がありました。

  

●そもそも、稼ぐ理由がなかった

ということ。本も子もない・・・。

 

お金は本質的には、何かと何かを交換する媒介として存在しています。

お金が欲しいというのは、幻想で、それを交換したい何か、が本当に欲しいもののはず。

それに対するイメージがあまりにも弱かった。

   

じゃあ、自分が何が欲しいのだろう?

と問いかけたとき、自分は

『充実感、躍動感、いきいき』が欲しいとおもいました。

  

直感的な自分がいいます。

『それってお金いらなくない?

 じゃあ、そのためにいまできる限りにおいて、何をしてるの?』

  

かすった行動はしているけど、そこにフォーカスを当てていなかった。

自分自身の充実感、自分らしさ、いきいき。

それが欲しいのなら、それを求めればよい。

お金をもとめるより、それを直接求めた行動をすればよかったんだ。

  

●じゃあ、じぶんのそれってなんだろう?

昨日からずっと考えています。

なんとなく、ストーリー、人、変化、がキーワードだと思っています。

   

ストーリーは躍動感、感動に繋がります。

こんなことがあってここにきた。

そしてこんなことがおこっていきそう。

   

そのことにワクワクするし、希望がある。

それをもたらすのはインスピレーションです。

   

感じたら動く。

そしたらこんなことがあった。

   

自分にいかに正直であれるか、素直であれるかは、そこに繋がっていきます。

  

ここまで書いて、ちょっと時間がきてしまったので、

また更新します。

   

読んでくれて、ありがとう^^