過去の悩みと今の自分

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こどものころ、悩んでいたこと。ずっと思っていたこと。

『明るくなりたい』
みんなみたいに楽しそうにしたい。仲間に入りたい。
そのためにはどうしたらいいんだろう?
どうしたら面白いこと言えるんだろう?

人気者になりたい。
運動できる人がうらやましい。
足がはやいひとが羨ましい。

人をバカにしてみたりすればいいのかな。
たくさん笑ったらいいのかな。

バカにされることが嫌いだった。
いじられるのが嫌いだったし、嫌だった。
楽しそうだから、いじる側になりたかったけどなれなかった。

得意な事をしているときは楽しかった。
卓球をしている時は自然と明るくなれた。
テストでいい点を出すことは誇らしかったが、同時にその喜びは隠すようにした。

みんなが楽しそうにやっていることを、同じように楽しくやりたかった。
同じゲームが欲しかったし、ヨーヨーやミニ四駆をやりたかった。
でもたぶん、本当のところはただ、同じように盛り上がりたかっただけなんだろう。
振り返れば、ヨーヨーやミニ四駆はもってることに安心して、探求することはほとんどなかった。

翔太に一生彼女はできないって言われた。
格好よいなんて言われなかったし、宇宙人なんて言われていたし、
スポーツはできないし、得意なことは卓球と勉強で、
眼鏡をかけていた頭でっかちだったし、
恥ずかしがりやで中学生のときは、女の子とお話できなかった。

今思えば、ないない尽くしだったなあって思う。
みんなが出来るのに出来ないことがたくさんあったし、
それを気にしていたけど、そういったことを、できるだけ自分は隠そうとしてきた。

意識は外にしかなかった。
楽しそうな事を楽しもうとしていたから、自分自身が楽しむという概念がなかったかもしれない。
卓球とバドミントンは好きだったな。
でも、部活で始めてからは、みんなすぐうまくなっていって、自分の優位性も目立たなくなった。
精神的に弱かったから、練習した技術をうまく発揮することができず、学外ではぼちぼち。

●〇●〇●〇

今とは、本当に別世界。
だぶん、過去がああだったからこそ、今こうなっているのだと思う。

現象がなんであったとしても、答えをうちに求めることの方が、今はずっと大事で、

自分の好き、心地よいという感覚を、大切にしだしたら、
まわりには、好きな人や愛が深い人ばっかりになった

自分は明るいつもりなんてないのに、勝手に面白いと笑ってもらえる
話し出すと、何故かみんな和みだし、勝手にツボに入る人がいたりする

ずっと人と繋がりたいと思ってたけど、
今は、友だちが2000人以上いて、コアに繋がり日々連絡をとりあったり、
深いシェアを毎日している。

自分にとってあたりまえになって民族衣装。もはや意識もしてない。
素敵な世界観ですね、なんかいいですね、っていってもらえる。

みんなの称賛をえたかったけど、
今は、翔太君はもう与える側だよ。与える側になれるんだよ、て言ってくれる人がいる。

大好きな彼女がいて、
別に自慢したいわけでもないけど、
日常のなかでは素敵な女の子ばっかりに囲まれている。

それから、俺の夢を本気でいっしょに考えてくれる、
応援してくれる親友たちがいる。

一緒にコラボしようって言ってくれる、
本気で自分を生きるひとがいる。

あんなに何もできないと思っていたのに、
いつしか何でもできるよなー翔太は、と言われたりしている。
それも自分にとっては特別ではないし、大したことじゃないと本気で思っている。

●〇●〇●〇

比較して気付く事。
今、まじで奇跡の世界にいること。
幸せすぎるところにいること。
夢の世界にいること。
なんてことだろう。

何が変化を引き起こしたのか。

自分は自分で良いって思っていること。
他責でなく、自責をこころがけていること
自分のよさをいかせばいいのだって思っていること。
自分は、たくさんのものをもっているって知っていること。
できないことはやらないくていいって知ったこと。

自分の感じていることを、大切にしていること。
自分の感じていることを、認めていること。
自分を愛することを大切にしていること。



それってまじで、何気ないこと。
ささいなこと。
どうでもいいって、見過ごしてしまうかもしれないこと。
でも、それだけで、世界は変わる。
全然変わる。



いつしか、こんなところにいた。

今つらい人に、どうしたらそれを分かち合えるか。
自分はそのひとつとして、Sound Soulsを伝えている。

自分が本当は感じていることに気付く事。
そんなのちがうって、否定してきた、どこかで置いてきた自分を迎えにいくこと。

みえないものを、見えるものとして、とらえられる体験。

自分がどうかんじているか、それが世界をつくっている。
本当にそう。それでしかない。

だから分かち合いたい。
気になる人は、明日2/11、15時に東池袋へ^^

本当におもしろいから、
面白くなるから、
分かち合いたいんだーーー。

 

Sound Souls体験会のイベントページはこちら^^

https://www.facebook.com/events/1506994432643992/

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ツインレイ、ツインソウル、スピリットメイト、運命の人……
という言葉がありますが、実際生きていく上では、
意識しないことの方が大切かなあと感じています。

様々な人が、様々な定義で、ツインほにゃららということについて
研究したり、発信したりしています。
自分がここで述べたいのは、『魂のかたわれ』とか
『魂のときに、ともに生きることや役目を果たすことを決めてきた存在』という概念全般についてです。

映画『君の名は』は、ツインほにゃららについての話であるっていう
ことについてアツく語る人も多かったので、概念として知っている人は、
たくさんいるでしょう。

自分自身も、その存在にすごく興味があるし、決してその存在を否定したいわけではありません。
調べたこともあるし、詳しい人からはむしろ積極的に話を聞きたいとも思います。




でも、結局のところ、

自分自身が、いまここで何を感じていて、何を表現したいのか

ということに立ち返ってくるだけなのです。



『あの人は、私のツインレイなのでしょうか?』
『結婚しているけど、ツインソウルに出逢ってしまいました。
強烈に惹かれあっているのです。離婚した方がいいでしょうか?』

そういった疑問は、
自分が本当に望んでいることに動くことについてくる責任を、
転嫁したいというものだと思います。

大切なことは、その質問の奥に眠る自分自身の本当の願望と、
それに対して働きかける意思です。

うえの例でいうならば、

ツインレイだったとしたら、どうしたいのですか?
ツインレイでなかっとしたら、何も働きかけなくても、心底納得しますか?

ということだし、

今のパートナーよりも、ツインソウルだと感じる人へ強烈に惹かれているなかで、
結局どういう選択をしたら、後悔しないと感じているのですか?

ということです。



そもそも自分自身は、運命の人でない人がいない、と思っています。
運命にはいろいろなかたちがあります。
一生一緒にいる存在が運命ではない。

今共通のテーマをもっていて取り組むけれど、それを果たしたら離れていく運命
ひとつのキーワードを伝えるためだけの一期一会も運命
誰かと出逢うかけ橋として出会う運命

なのです。



なので、今目の前にいる人は運命。
自分自身のほんとうのところに戻っていく時に、
必ず必要な存在として、いてくれています。

そこに向き合った時、その人が実はツインソウルなんだって
感じあうときがくるかもしれないし、

そうでないんだって分かる事によって、
次のステージにすすむことができるのかもしれないし、

その結果は誰にも分からないけれど、
今、ここで目の前のことにむきあう、ということしか
究極的にできない。

それだけが大切だし、
そうでない論理や概念は、『いきる』ということを遠ざけます。



悟り、も同じだと感じます。
世の中には、悟りに導くメソッドや、宗教などたくさんありますが、
世の中のすべての理が分かった上で、

自分がどう存在していくのか、表現していくのか、は
自分が決めることだと思います。



ということを思った時に、
ツインなんちゃらでなくても、そうであっても
悟っていなくても悟っていても、

結局、いまここで向き合う、というところに立ち返ってくるのだから
そうすればいいよねっていう
感じがする自分です。
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こんばんはー。

翔太です^^

 

たまふるアーティストあらため、ニジユメアーティストになりました。

もはや、どういうこと?って感じですね。

その説明は、またします。

でもその時にはまた変わっていたりして笑

さて、

何か誘うことに、不安だったり、おそれていたりってありますか?

自分はイベントを何年もやってきたりしていますが、

やっぱりまだこわいなーって思うことがたくさんあります。

そういうお誘いもそうだし、誰かに何かを提案するときも、同じ。

なにかをおそれるとき、不安なときには、

 

まず何を感じているか?

 

をちゃんと感じるのが大事だと思っています。

それで、自分が気にしていることはこんなことがありました。

『提案した人から嫌われること』です。

なぜ嫌われうとおもうのかというと、こんなことがあります。


⇒ 興味のないことを紹介しているのでは?
⇒ 非常識なことをしているのでは?
⇒ がっかりされるのでは?
⇒ 自分のことしか考えていない、と思われるのでは?
⇒ 面倒くさいやつだ、と思われるのでは?

でも

嫌われるようなことを、本当にしているのでしょうか?
仮に、その提案が純粋な愛やワクワクからしているとしても、嫌われるのでしょうか?

そして、別のおそれがありました。

『提案したことを、断られること』へのおそれ、です。

 

じゃあなぜ断られることがこわいのかというと、
 

提案したことが断られることが、『自分は必要ない』に繋がっている

 

からです。

 


⇒ 自分には価値がないことをおそれている。
⇒ 自分がやっていることにも価値がないことをおそれている。
⇒ 自分はその人にとっていらないんだっていうことをおそれている。

 

では、本当はどうなのでしょうか??


●提案は自由
●提案にのるかどうか、決めるのは相手
⇒ 嫌いだから断るのではない。提案を断っている。

なので、自分の存在否定に繋がるのは飛躍しすぎです。

そして、相手に嫌がらせようとしての提案ではなく、

自分は、相手への純粋な善意によっての提案でした。

ぞれを自分がちゃんと認められいない、

何かによって、侵害される可能性を許している、認めているから、

おそれてしまうのです。

相手が、誤解をしたら、相手に伝わるように、本当の気持ちを伝えてあげれば

大丈夫なのです。

つまり

その人が提案にのってものらなくても、

変わらず自分にも自分のやっていることにも
価値があるということを、まず自分自身が深く感じることが大切。

ということです。



自分のこころ、意思は自分以外の誰にも変えられません。
絶対的な安全で、絶対に侵害されません。

自分がそれを、ちゃんと許していれば、

人が何をどうしても、自分が感じていることは安全なんです。

そのとき、自分が感じていることを、表現し続けること、だけです。

その結果、どういう現実になっても、

自分が真実を知っていて揺らがないのだから、大丈夫なのです。

 

 

 

というわけで、

わかりづらかったかもなのですが、

自分への備忘録もかねて、投稿しました!!

ありがとうございます(●^o^●)

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