行ってきました「興福寺国宝特別公開2009 お堂でみる阿修羅」。
普段は興福寺の国宝館などに展示されている阿修羅像をはじめとする八部衆・十大弟子像※の現存14体すべてが仮金堂(かりこんどう)に集結。
※八部衆・十大弟子:
八部衆は、もともと異教の神々だったものが、釈迦に教化されて、仏法の守護神となったもの。
十大弟子は、釈迦の高弟の僧侶10人。
土曜日に拝観にトライしたのですが、あえなく玉砕(
幻の仏像を求めて
)したので今日はリベンジも兼ねて開場時間前に現地入り!
しかし…あのぉ、まだ開場30分以上前なんですけど…
もはやチケット買うだけでも200m近い行列…
もちろん、チケットを買った後も行列は続きます。
私がチケットを持って仮金堂の門をくぐった時にはすでに待ち時間120分の表示が…
その先には、ざっと計算して1,000人以上(本当に仏像に興味のある人がどれだけいるかは別として)が仮金堂の開くのを今や遅しと待っています。(まだ開場時間の9時になってないんですけど…
)うーむ、さすが最終日!
今朝は凄い霧で、どんよりとした曇り空の中、私も含め大多数の人が「ここまで来たら、後には引けないぞ!」といったオーラを醸し出し、ひたすら並ぶ並ぶ。
周りの方々の年齢層はかたよりがなく、まさに老若男女といった表現がピッタリです。皆さん、本を読んだり、ゲームをしたりと長期戦の構え。
私も並んでいる間に、本が一冊読めてしまいました。

ようやくお堂に入れたのは10時半。(120分の表示に驚きましたが、実際並んだのは90分くらいでした)
で、いよいよ拝観。この頃には、太陽が顔を出し、少しポカポカしてきます。
で…
うーん、さすがに壮観ですね。
ほの暗い中に浮かび上がる21体の仏像は、それだけで一つの世界観を醸し出します。
その中でも阿修羅像の美しさは目を惹きますね。
21体のセンター位置に鎮座している阿修羅像の高さは153.4cmといいますから小柄な女性の方くらいでしょうか。
後ろにある釈迦如来坐像が3m60cmもあるので、実際以上に小さく見え、精巧なミニチュア細工のような繊細さを醸し出しています。
そもそも阿修羅とは、古代インド神話に登場する軍神で、最高神インドラに戦いを挑む激しい怒りの姿で表されるらしい。仏教に帰依して守護神になってからは、その激しさで仏教を守る役割を担っているのだとか。
しかし、この像には、そんな怒りの感情は微塵も感じられません。
物悲しくも慈しむようなその表情は、華奢なスタイルと相まって、吸い込まれるような魅力を放ちます。
舞台の両脇を固める四天王のダイナミックな「動」に対する、内面へ深く沈み込むような「静」の世界。
染み込むような深遠な感動があります。
一方、北円堂は少し並ぶだけで拝観できました。(今回のチケットは、阿修羅像のある仮金堂と北円堂が両方拝観できるのです)青空に紅葉が綺麗で、なかなかのたたずまいですね。
そして一歩出ると、そこには興福寺グッズ売り場が…
まるで人気アーティストのグッズのように阿修羅クリアファイルや阿修羅ブロマイドが売られています。うーん、さすが…

まぁ、並んだ甲斐はあったと感じた今回の興福寺リベンジマッチ(?)だった訳ですが、帰る時には待ち時間がなんと210分になっていて、なかなか衝撃的でしたね。
ところで、仏像というと私は、魂の写真家 土門拳さんの「古寺巡礼シリーズ」を思い出します。
もちろん阿修羅像も、土門さんの題材になったことがあります。
リアリズムを追求し「ヒロシマ」や「筑豊の子どもたち」などの心に突き刺すようなリアリズム写真を撮っていた土門さんが、その仕事と並行して終生撮りつづけていたのが寺院・仏像。土門さんの撮る仏像の写真は、その独特な撮影方法(薄暗いお堂の中であっても、絞りを極端に絞って露出時間を極端に長くとることで精鋭感を出し、まったく外光がない場合でも、仏像の周りを数十個のフラッシュで囲み時間差で閃き込むことで独特の陰影を醸し出す)によって、内面までえぐるような異常なほどの存在感を生み出していました。
これらの仏像を前にして、土門拳はレンズ越しに何を感じとったのだろう、そして、脳卒中で倒れた後、11年間眠り続け、そのまま眠るようにこの世を去った彼の目には、今の仏像ブームはどう映るのだろうか。
そんなことを考えた秋の日でした。





1 ■お疲れ様です!
すごいですね!!
120分・・・210分・・・?
ここまできたら、のくだりはよくわかります(^▽^;)
阿修羅王は萩尾望都さんの「百億の昼と千億の夜」のイメージが強くてクリアファイルも買い、です!