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「うちのSnowball(雪だま)、なんかこうだいぶ大きくなってきたと思わない?」

 

 

「朝だから、毛が膨らんで見えるんじゃない?」

 

 

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相方が約三週間ぶりにアメリカのダラス→カリフォニア→東京→上海→スペインのマドリードの出張からフランクフルト経由でやっと北の果ての街、ストックホルムへ真夜中の深夜過ぎに慌ただしく戻って来て、その翌朝のキッチンでオフィスに向かう前のテーブルで二人向かい合ってコーヒーを飲みながらの会話。

 

 

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この単純な朝の何気ない(又は何気なく見える)会話のやり取りにダイナマイトへの導火線に火をつける火種が隠されていようとは相方は知る由もない、傍目には何気ないやっと戻ってきた日常の朝の静かな風景。

 

今年の一月と二月に入ってから相方は、今どこにいるのかこちらが分からなくなる程の忙しさで、二月は多分、二人で一緒にいられたのは5日間くらい。

 

 

その中で一人で生活するペースにやっと慣れて感情の処理の仕方も時間のなだめ方も覚えかけてきたところへ、ぱっと相方が旋風の様にわさわさと戻ってきて、また突風の様に次の出張の地へ向かう後に、部屋に残るの倍増された静けさの音。

 

 

 

 

 

長い出張の間、毎日を分刻みのスケジュールで私とはシンクロすることのない異なった時間の流れと空間、様々な国境をまたがった旅先でたくさんの人達との出会い、環境の変化に身をさらしそれらを身にまといながら過ごしてきた相方。飛行機飛行機

 

vs. (対)

 

ストックホルムのアパートで雪だまの成長ぶりに一喜一憂しながらモノトーンな毎日雪降る氷点下の同じ様なグレーなお天気で、いつの間にか夕闇迫る部屋の窓から暗闇に一方方向へ赤く流れる家路を急ぐ車のテールライトを目で追いながら静かに終える私の一日。かたつむり

 

 

 

 

 

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朝コーヒーを淹れて朝食を一人で食べ、そして夕食を一人で整えて、常に傍にいてくれる雪だまに話しかけながら、時折携帯に「相方からの着信はないかいな?」っと視線を落とし、食事を食べ終わった後の静寂の中で食器を片ずけて、という日々には慣れているけれども皆が楽しそうに街中を歩く週末には、さすがに何か遣る瀬無い気持ちになることもある。

 

 

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この何気ない会話の流れの中で、相方にとってはたわいもない事だけれども、

「そうだね。大きくなったね。」

と、それだけの返事を私は期待していたのだと思う。

 

そして、「僕の留守の間も大変だっただろうけど、まだ子猫の雪だまの面倒を見てくれて僕のいない間に目に見えて大きくなってる雪だまの成長ぶりは君の頑張りの証だよ。」という風に自分なりに解釈したかったのだと思う。

 

しかし、この相方の言い返してくる優しくないぶっきらぼうな一言が私の乾ききった心の導火線に勢い良く火をつけた。メラメラ

 

「ちょっと待って。あなたはどうも、私が言った言葉に対して、「うん、そうだね。」という返事が素直に言えないご様子。私の言ったことに対して必ず何か反論する様なニュアンスを含ませた返事をするのはどうして?」と火蓋が切られる。爆弾

 

 

 

彼は必死にのらりくらりと手のひらの中の鰻の様にニョロニョロと抵抗するけれども最後には、「僕はそんなつもり、ないんだよ〜。ひえ〜。」と彼の目はもう魂が抜けた様になって戦が終わる。

 

 

{2DDDBF2D-EE33-4750-9CA5-B4DFD8FC8E40}ダウンダウン
 

 

 

 

言っても変わらないのは仕方のないことなのかもしれないけれども、言うべきことをその時に言わないと「君が言わないから分からなかった。」と決まり文句を繰り返されるのでチャンスを逃さずにその時にちゃんと言わないと、夫婦の関係、理解が成り立たない様な気がします。

 

国際結婚の難しさは、言葉と身体のコミュニケーションの闘いを日本人はどうしてもないがしろにしてしまう事にある、とは私なりの自分の経験を踏まえての結論。

 

面倒で「大人の態度」を決めて言葉で、身体を通じて言わないとその感情自体がなかった事と思われてしまう。そして、その実、「言わない」という事はその目の前にいる相手に対して、友人や同僚の場合なら興味がない、無関心という事、恋人同士や夫婦ならば愛がなくなったという事なのかもしれない、とも思う。

 

だから関心があって愛もあれば出来るだけ言葉でフィジカルにその事を伝えるのはとても大切な事なのだけれども、「おしゃべりはダメ、静かにしましょう」と小さい時から学校でも周囲からも言われて育って来た子供の時、模範的な日本的良い子の代表みたいだった私には、実は今でもそれは自分の生まれ育って来た環境の逆をやっている様な後ろめたさもあってとても難しかったりします。

 

 

普段と違った緊張感漂うキッチンで、雪だまは私の後ろに隠れてじっと待機。そして相方はその雪だまの様子に、2対1の数の劣勢を目の当たりにしてちょっとジェラシーを感じているのが分かります。ウインクウインク

 

☘ ☘ ☘

 

猫とは本当に面白い生き物だと思う。

 

 

最近このパターンに気づいたのだけれども相方が出張から戻って来る度、雪だまの食事パターンに変化が現れます。

 

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大き目な体のサイズながら意外に変化に敏感なメインクーンの雪だま(5ヶ月目)

 

雪だまにいつも通り餌をあげると、鼻を餌に向けてちょっと匂いを嗅いだだけでプイとそっぽを向いてどっかへ行ってしまう。でも私が台所へ立つ度に「にゃ〜ん」と甘え声を出して立ち上がって両手を私の腰に伸ばして餌を催促してくる。

 

よく考えてみると、相方が長い出張から戻ってくる度にそれまで美味しそうに食べていたブランドのキャットフードを食べるのをやめてしまうのでした。

 

そして私は「どうしよう。まだ育ち盛りの子猫なのに食べるのを止めてしまったら成長に必要な栄養が取れないのではないだろうか。」と心配になって様々なキャットフードを求めに氷点下の粉雪降る中、買い物に出たり、四苦八苦の工夫でどうにか餌を食べさせて一喜一憂を繰り返しているのだけれども、これは本当に精神を消耗させるプロセスなのです。

 

あんまり食べたくないけどお腹空いた。。。

 

相方に話してみると、「放っておいてお腹が空けばそのうち食べるよ。」と表情も変えずに言う。私は心の中で、「うわ〜、自分の家のペットなのにこんなにクールに突き放せるんだ。」と妙に感心するけれども、猫は放っておいてお腹が空けば何でも食べる動物ではなくて、猫には「そのうち」という事は滅多にないという事をシンシンの経験から学んでいるので、ちょくちょくと餌の減り具合に目をやりながら気を配っています。

 

置物に代弁させてる(?)シンシンε- (´ー`*)フッ

 

そして猫はとても頑固でもあって、一旦嫌いになると断固として同じものを好きにならなかったりする。そうかと思うと、しばらく経った後、ころっと態度を変えたりするのだけれどもそれはそれなりの理由が猫にはあっての事なのだと思う。

 

猫は犬の様に分かりやすいシグナルは送って寄こさないけれどもその眼差し、仕草、声色、毛並みや尻尾の動きの全てを通して、猫はこちらにコミュニケートしてくる。それをキャッチ出来るか出来ないかで猫との関係性はすごく異なったものになるのだと思います。

 

だから猫とのコミュニケーションがうまく取れる人は人の感情や状況にもその観察力で敏感に反応できる人なのだと思う。

 

そして、ちょっと話しは飛んでしまうけれども、動物の感情の機微を読める人は異文化に出ても比較的その違った環境に馴染む事が出来るのではないか、と思います。

 

 

 

ここからがやっとリサ・ラーソンのお話。ニコニコ

 

 

リサ・ラーソンさんというスウエーデン出身の陶芸作家が、日本でもとても人気を集めています。

 

 

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そして遠く離れた日本でこれほどにも北欧デザインへの感心が高く、また人気を集めて生活の中に馴染んでいる事にも日本人の中にあるシンプルで清廉なものへの憧れ、が見て取れてとても面白い現象だと思います。日本人の生活の中にある禅の心の部分が北欧のデザインに惹き付けられる理由なのかもしれません。

 

実際に住んでみると、そのシンプルさ、というよりもその淡白過ぎるスウエーデン人気質に何か物足りなさも覚える事もありますが一長一短が世のならいです。(笑)

 

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うちにあるリサラーソンさんの作品の中では一番の大物と二大対決照れ
 

 

そしてリサ・ラーソンさんもそんな日本を信頼して、日本のマーケットでだけ彼女の作品のキャラクターを使った商品(リサラーソンのネコのコケシまであるそうです!)の販売を許可している、というところにも日本とスウエーデンの「近さ」を感じたりします。

 

パリで初めて見た店頭に飾られるリサ・ラーソンさんのネコ達。

 

私がリサ・ラーソンの作品を初めて手にしたのはパリに初めて住んだ時でした。フランスでの彼女の知名度はさほど高くはないのですが、パリに移り住んで初めて過ごす冬の季節に、一人街を散歩していた時、フランスのデザイナーの「Paul & Joe」のホーム&ファニチャーを扱う店舗のショウ・ウインドーに何かとても素っ頓狂な表情のネコの置物を見つけたのが初めての出会いでした。

 

どうしてもあの人面魚の様な(笑)超シンプルに単純化された表情のネコが忘れられず、その時はリサ・ラーソンの名前も知らず、何回かショウウインドウを覗きに行った後、思い切ってお店のドアを開けて暫し談笑した後、店員さんに値段を聞くと、

 

「ちょっと待ってて。オーナーに電話で聞いてみる」と少し待たされて、二点で90ユーロと言う。一点ではなく二点一緒のペアで買ってほしいというリクエスト。その時は高いのか安いのか分からなかったけど、即決で購入して家に持ち帰ると、家で私の帰りを待っていたシンシンがとても興味を持って顔を寄せていた。

 

  

何故かお尻を向けるシンシン。

 

クンクン匂いを嗅いでその後は全くの無関心。グラサン

 

どうも後から値段を調べてみると、日本では一体100ユーロくらいするものみたいなのだけど、そのお店では多分早く在庫を処分したかったのかもしれません。(全然淡白じゃない(笑)ラテン国のフランスではやっぱり人気の出ずらいラテン臭フリーなリサ・ラーソンさんの作品の淡白キャラなのかもしれません。)

 

 

リサ・ラーソンの作品には勿論、ビンテージと呼ばれる60年代から80年代にかけてのオリジナル作品があって、今製作されているのはその元のオリジナルをちょっと今風にアレンジを加えて商品化されています。古いものは多分、使っている土が違うのか、焼きあがった素焼きの部分の色が濃く、灰色なので現品の明るいオレンジ色の物とはすぐに区別がつきます。

 

⬇️これまで少しづつ集めて来たリサラーソンのネコの作品達です。

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真ん中が今の作品。両側の小さめなのが昔のビンテージ。土の色と大きさがちょっと違います。
 
 
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母からもらったカエルのケロヨンも仲間入りです。ドキドキドキドキ
 
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真ん中の象さんもリサラーソンさんの作品ですが、ウプサラのリサイクルショップで出会いました。
 
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このリサラーソン作のネコのほぼ等身大の置物は胸に抱いたときの感じが本物そっくりです。
 

 

 

私はそれ以来、リサ・ラーソンさんの作品の全てのファン、というよりもネコをモチーフにした作品のファンになってしまいました。ネコ以外の他の作品の中には、私にはどうしてもプリミティブ過ぎる感じのもの(特に人物や子供をモチーフにした作品&東洋人女性の目の描き方にちょっと難)もあってちょっと敬遠気味です。

 

このリサ・ラーソンさんのお師匠さんとも言える方に、スティグ リンドベリ(Stig Lindberg)さんというスウエーデンの陶器界の世界ではハリー・ポッター級(笑)のものすごい方がいらっしゃるのですが、この方の作品もスウエーデンに来てから少しづつ集めたりしています。

 

 

 

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スティグ リンドベリさんの作品はとても明るい色の物が多いのです。
 
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なになに、これは美味しいの?
舐めちゃえ。ペロ。びっくり
 
 
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にゃに!食べられない!!??ガーン
そんなに驚かなくっても。。。あせるあせる
 

 

 

私はスウエーデンのビンテージものやアンティークにはとても心惹かれるのですが、逆にスウエーデン発祥のIKEAなどはどうしても苦手であの組み立て家具のdisposable感と巨大倉庫でお買い物、という感覚が好きになれなかったりします。

 

今をときめくスウエーデンの誇るデパートのH&Mとかストリーミング音楽の最大手のSpotifyといったものもどうもやはり苦手。その一方でなぜか50年代から80年代の北欧のもののシンプルさの中にある斬新さがとても好きです。

 

 

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断捨離、というのもいいのかもしれませんが、私は手放す事はいつでも出来るけれども、手放したら全てはお終い、と思っているので人も物も大事にして時間が経つに従って変わる色合いとか質感の変化を楽しみたいと思う。

 

勿論、人も物も新品の時が一番求められるものですが(笑)、物も人も、様々な毎日の経験と時が染み込んで過去と今が繋がって、蚤の市で手にしたアンティークの会った事もない元の持ち主とも時空を超えてつながる事も出来てる気がして、一人でいても一人じゃない、という感覚が心をとても豊かにしてくれる様に思います。

 
 

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私も相方も見かけは完全にビンテージの域に入っていますが、それでも共有する時間の長さこそが一本一本のシワに愛おしさを思い、白髪にも未だにほんの少しのセクシーさを感じて、二人が一緒に今ここにいる事を、喧嘩をする事もありますが、とても感謝しています。

 

当たり前の事など何もないこの世の中で地理的に同じ空間にいようといまいと一緒になる事を選んで私達の心が、今が、家族がある。

 

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言葉にして「愛してるよ」はちょっと恥ずかしくても、心の中で思ってたまに一人の時にでも口にしてみるのもいいものです。愛しているから一緒にいる。愛しているから心に浮かべて想う。

 

時に日常の中での身近な品々を愛でる事もとても大切な事。

 

ずっと昔のアンティークな時代も21世紀の今も、愛することだけは誰にも止められないのです。ビンテージな愛もデジタルな愛も、形は異なっても愛する心は皆同じ。

 

 

     ね、雪だま君。ウインク

 

 

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