一年前の今日4月13日に私は二人目の子供を出産しました。
妊娠16週でのけいりゅう流産でした。
妊娠がわかったときは大喜びで正直そうすけのときより
喜んだんじゃないかと思うくらいだった。
大きな地震があって日本中が大変な思いをしていた3月の終わりごろ。
いつもどおりの検診で胎児に異常が見られると言われました。
最初はさっぱりなんの話しをしてるのかわからなくて
不思議とずっと大したことないと思い込ませようとしてた。
病院の先生が首の後ろにむくみがあって、それは例えるなら死ぬ前に体がむくむようなものだって
言っていた様なきがする。
我慢してたけどさとちゃんにも聞いてもらわなきゃと思って呼びに行くとき
助産婦さんがすごく心配そうな顔で「大丈夫?」って聞いてきたから
あ、大丈夫な話じゃないんだな、と思って涙がでた。
待合にいる妊婦はみんな幸せそうで、なんで自分だけが、と思った。
もしかしたら正常に生まれてくるかもしれないし、ダウン症とかの障がいが残るかもしれないし
生まれてもすぐ死んでしまうかもしれないとか言われたような。
中絶という方法もありますと言われた。
とにかく泣いた。
次の日副院長の診察受けて、それがすごく痛くて
妊婦の検診じゃないんだなと思えてまた泣けた。
結局わからないから大学病院にいけと言われた。
4月の5だか6だか7だかに北里行って午前中いっぱい待ち時間かかって
診察してもらったら、もう心臓は動いてなかった。
4月10日入院前日、下の両親とお花見に行った。
大きくなってからの流産手術だから出産の形をとることになりますと言われた。
一週間入院するのでそうすけのこともさとちゃんのことも心配だった。
病院の配慮で個室に入れてもらった。
流産の処置はすさまじく痛かった。
泣かないと心に決めてても痛すぎて涙がこぼれてきた。
幸せな妊婦や新生児を抱いた人がいる病院を泣きながら歩くのは
この上なく惨めな気分だった。
だれが何を言ったところで悲しみは薄れもしないし
痛いことは一人で耐えるしかなかった。
3日目の午前の処置が終わって、これ以上子宮口は開かないだろうってことで
陣痛をつけて産む処置をした。
わりとすぐ破水して陣痛がきた。
そうすけ帝王切開だからきっと経験しないだろと思ってた陣痛を
少しでも経験できてよかったと思った。
途中で地震があったこと覚えてる。
痛いなーと思ってるうちに痛みが引いてしまって一回病室に戻ってといわれた。
部屋に独りになった瞬間、産まれた。二人の時間があった。
わたしの片手にもおさまるくらいちいさな赤ちゃんだった。
手も足もあってかわいいと思えた。
会えてうれしかった。
ほんとはぎゅっと抱きしめたかった。
一緒に桜を見たりおいしいもの食べたり笑ったり怒ったり泣いたりしたかった。
それからの処置はあっという間だった。麻酔がまた効かなくて
肩に太いの二本も刺されてイラッとした。
麻酔が切れたときのことよく覚えてる。
わけがわからなくてさとちゃんがいてくれて、そうすけがいないこととか
赤ちゃんはどうなったのかとか聞きまくった。
混乱してるからあんまり話しかけるなと言われてたらしく、あたしの視界から
消えようとしてそれがあたしをさらにプチパニックにした。
次の日助産婦さんがみんなきてくれて赤ちゃんにお花をあげてくれた。
わたしたちの赤ちゃんのために泣いてくれる人がいた。
赤ちゃんは火葬された。行きたかったけどさとちゃんとそうすけ2人で行ってくれた。
骨壷はとても小さかった。
退院の日はあったかかった。実母がきてそうすけはプラレールで遊んでた。
成長が遅かったのか、性別がわからなかった。
でも、きっと男の子だったと思う。名前も決めた。
さとちゃんがこっそり命名の紙に習字で書いてくれてた。
へたくそだったけどうれしかった。
だからなんだって話だけど、たぶん私の人生を変えた。
いろんな人に心配かけたけど結局一人なんだと思った。
同じ気持ちを共有できる人はごくわずかなんだと思った。
みんな自分のことで精一杯なんだと思った。
自分も同じだ。
上っ面の付き合いはできればしたくない。
それから全然違う婦人科系の病気になってまた落ち込んだり
久米島行ったり新車買ったりそうすけ2歳になったりいろんなことがあった。
わたしはたぶん、さとしと結婚してよかった。
さとちゃんが知らないうちにお誕生日プレゼントを用意してくれてた。
あたしはケーキ作りに失敗した。
クソッ