「関の小万」彼女は何キロ歩いたのか? 2012年04月30日22:35
立花は日本舞踊を習っていた。
流派は藤間である。
敬愛する藤間龍玉先生に師事し、「関の小万」という大層愛らしい小唄の踊りを教わった。
「関の小万は亀山かよい~♪」出だしはこうであった。
関も亀山も立花の実家のある三重県である。
なまじ、リアリティーのある地名に好奇心が蠢いた。
立花 「先生、この小万って子は何をしに関から亀山まで毎日通ったんでしょうね?!」
先生 「え?!やっぱり役者さんて変な所に引っ掛かるわね。踊り屋はそんな事は気にしないわよ」
立花 「気になるんで調べてみます」
先生 「わかったら教えてね♪」
早速、自宅でネット検索。「関の小万」が何者か判明した。
江戸時代。
関の宿屋の前で行き倒れた武家の子女。
夫の仇討ちをと幼い「小万」を残し、母は他界。
子供の居なかった宿屋の主人夫婦が「小万」を引き取り跡とり娘として大事に育てる。
しかし、ある日、自分の素性をしり、仇をとるために亀山に日参した。
はれて本懐を遂げ、孝女として名を上げた、らしい。
ははあ。
しかし、彼女は毎日何キロ位を歩いたのだろう。
地名に馴染みはあっても、実際行ったことのない立花としては実感がわかない。
日舞の方は上がったものの。
既に、日舞とは全く関係なく、立花の煩悶の種であった。
traecyちゃんの地元と聞き及び、尋ねると、「今度、連れて行ってあげるわ」
それから早や数年が過ぎ。
本日、旦那ともども、念願の関宿へ案内して頂いた。
さてさて、「小万」は亀山に剣術の指南を受けに通っていたそうな。
亀山には無形文化財の「心形刀流」という古武術が伝わっており、おそらく小万はその流派を学び、父の仇を打ったとおもわれる。
亀山から関は同じ東海道五十三次の隣の宿場街であり、か弱い乙女の足でも何とか道場に通えたのであろう。
「小万」の墓と養家の「会津屋」を見学し、美味しく、また、情緒たっぷりの佇まいのお蕎麦屋さんで十割蕎麦を頂き。
「小万」の名が付いた足湯で寛いだ後、概観は江戸、なかはすっかりイングランドのティー・ルームで本格的なアフタヌーン・ティーを楽しみ。
如何に立花が自分のやりたいことしかしない人間であるかについて、旦那とtraceryちゃんが合意するまでおしゃべりをしていた。
途中から雨に降られたが、落ち着いたティー・ルームから見える街道はなにやら、イングランドの古い街並みめいて、自分が何処にいるのかを一瞬忘れさせてくれた。
今度、関を訪れる時は「小万」を習って関から亀山まで歩いてみるか。
手元のパンフレットを読み返しながら、今日の収穫をmixiにアップする立花であった。
あ、龍玉先生にもお伝えしなきゃ(笑)
早く日舞のお稽古に復帰したいよ~(^^;
振り付けすっかり忘れてしまった(ToT)



