born to enjoy♪5th stage

ニシカワヒサコのダダ漏れ日記

音楽と癒しとイケメンを求めてやさぐれセラピストが
日々をやり散らかす記録
人生に役に立つかもしれないし立たないかもしれない情報


テーマ:

「Irisunderground」ってなんですか?

という質問をいただきました。
 

読み方は「イリスアンダーグラウンド」と言います。

ニシカワの会社「アルコイリス」と言います。
その「地下活動」というコンセプトで、イリスアンダーグラウンド、と名付けたのですが
英語表記になったら「アイリスアンダーグラウンド」って読みますけども
もうめんどくさいので、そう書いてこう読んでます。
「イリスアンダーグラウンド」はカタカナだと

「アリスインワンダーランド」にも見えます。

友人の一人が
「地下の虹・・・・見えてない部分を表現しようってコンセプト?」
と深すぎる解釈をしました。

「え?・・・そ、そうそう。」

と答えました。

 

++++

昔、私は「オンシアター自由劇場」というちょっと有名な劇団の
研究生だった。でも私が座員になる前に劇団は解散した。
最終公演の「黄昏のボードビル」という作品に出演。(1996年)

そのあと小さ目の劇団の製作やら役者をやって
中島みゆきさんの「夜会」という舞台のの【アンダースタディ】という仕事をもらった。
みゆきさんが、演出をやる日に、みゆきさんの代役をやる仕事。
(*歌は歌っていません。)

結婚して、芝居の世界から引退。
親の会社を継ぐことに。
ひとつの会社を兄とはんぶんこした。兄が元の会社の流れの
名前を引き継いだので私の会社の名前は
好きにつけていいと言われた。
「虹のようにいろんな部門が育つといいなあ」
と思い虹のスペイン語「アルコイリス」と命名。(2007年)

2010年に自由劇場の「上海バンスキング」という
私の運命を変えた芝居が16年ぶりに再演するというニュースが舞い込む。
スタッフでもなんでもいいからかけつけたかったが
子供は小さいし、会社もあるしでそれはかなわなかった。

 

 



「行けない・・・」とわかったとき、なんか何年ももやもやしていたものが
爆発した。電柱をけりけり歩いた。
これをどこかにもっていかないと、精神的におかしくなりそう。
それで、「歌なら、誰にも迷惑かけないんじゃないか」と思い
チャリで5分のアメリカ村にあったボイストレーニングに通うことにした。

高校生の時にバンドブームでボーカルはやっていたけど
ちゃんと歌を勉強したことはなかった。
そこのスタッフはみんななんだかご機嫌で
「褒め殺しかwww」と思うくらい褒めてくれた。

自分を褒めてくれる人が当時、そこしかなかったので
普段は褒められたら疑う性格だけど、「まあいいや。騙されておこう」と
ご機嫌でやっていた。

半年くらい経った頃、「オリジナルを作りませんか?」と言われた。
そういえば私中学の時から「夢は作詞家」とか言ってずっと作詞してた。
シリアルナンバーは1000を超えたけど、離婚した時、
そのノート数十冊は全部捨ててしまった。

 

曲はほとんど作ったことがなかった。
でも、なんとなく浮かんでくるものはあり
それを一生懸命鼻歌を繰り返して覚えて
田中氏に聞いてもらうことになった。
恥ずかしくて恥ずかしくて、何度も止まる。吐きそう。
田中氏は助産師のように
「大丈夫ですから。大丈夫ですから。」と最後まで聞いて
保存してくれた。それにアレンジをしてもらって、人生初のレコーディングで
生まれたのがこれ。この音源は2011年の声。

 



音楽の事を知らないからアレンジもいっぱい文句言ってしまって。
今から思うとぞっとするw
この時、田中氏に「フェイク入れましょう」と言われ
「フェイクってなんですか」と返すありさま。
フェイクが理解できないし、自分で作れないから
音符にしてもらって覚えて歌った。
レコーディングでは細かい指示がいっぱい出された。
ああ、これをするためにトレーニングは必要なんだと思い知った。
出したい音、表現したい質感があるから、鍛える。なるほど。

 

その後もいくつか作り続け「オルガニコ」が生まれた。
田中氏の曲が先にできて、後で歌詞をつけた。
歌いながら歌詞をつけていると、Cメロが浮かんだ。
そのCメロを加えて、さらにアレンジは膨らんでいった。
 

 



スクール生のオムニバスCDの企画が立ち上がり
「オルガニコ」で参加することになった。

そのレコ発で、あべのHOOPという野外ステージで初めて人前で「オルガニコ」歌った。
目の前をたくさんの人がざーざー歩いてるところで歌う。
立ち止まる人もいれば関係なく行く人もいた。
気持ちよかったのか楽しかったのか緊張したのか、
あんまり覚えていません。「ふーん」という不思議な感じだった。
歩いている人間と熱唱している人間の画。
不思議な状況だなあと思っていた。

「書き溜めた曲をまとめてフルアルバムを創ったらどうか」という話になった。
そんなことは全然頭になかったけど、やってみようかと思った。


2014年の夏。北海道に遊びにいくことになったので
室蘭に住む映画監督の坪川君に連絡をして会えることになった。
20年近くぶりだったと思う。
そこで、ずっと行きたかったイタンキ浜につれていってもらった。
「写真撮ってくれない?」
「ああいいよ」


こんな風に仕上げて送ってくれた。
「CD作るって言ってたから、上の方あけといた」

!!!!!!!

私のほのかな願望はすけすけに見破られていた。

アルバムの製作と同時進行で、執筆の企画が入って
どっちかというとそっちに意識は持っていかれていた。
 

 

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本が出たら力が抜けてしまい、全然進まなくなった。
マスタリングも終わってるのに、進めなかった。
このころ、澁谷信行さんを知る。
田中氏がアレンジに携わっていた関係で動画を見る。
「カナリア」に感動すると、トレーナー愛さんのお友達だという。

「会いたいです」

愛さんは「オルガニコ」の入ったオムニバスCDを澁谷さんに渡してくれた。
私は澁谷さんのライブを見に行って、直接お話しすることができた。

澁谷さんは「オルガニコ」を気に入ってくれたようで
話は進み「ライブやったらどうですか?一緒にやりますか?」
と誘ってくれた。ライブはやったことないし、好きじゃなかったけど
澁谷さんとなら歌ってみたかった。そして大胆なお願いをしてみた。
「カナリアを歌わせてください」
澁谷さんは許してくれた。

 

 

ライブをするなら、その日をCDのレコ発にしよう!と
制作陣は考えたが、CDは結局間に合わなかった。
2015年6月くらいだった。
 

そこからまたずいぶん時間が流れた。
2月にライブがあるから出ませんか?という話が来た。
今度こそ、レコ発にしようと。ついに田中氏が見かねて
「手伝いますから」と助けてくれた。

でも思った。ここまでひっぱって、前のまま出してもつまらないな。
「カナリアと、もう一曲追加したい」
「え?時間ないよ!!」

そのもう一曲は、ずいぶん前に吉田敬子ちゃんに鼻歌を
保存してもらっていた「狼」だった。
本当に時間がない中、敬ちゃんのスーパーアレンジが炸裂した。
 

 

 




アルバムに「カナリア」はひどくしっくりはまり
待っていたのかもしれないと、勝手にいい風に意味を与えることにした。

新たに2曲を加えて、Irisunderground 1st album「オルガニコ」はリリースされた。
2016年2月14日。


これが、歌を始めてからデビューまでのざっくりヒストリー。
そう。デビューして1年たった。

1年とは思えない濃さで。
1年後の今の状況など、夢想だにすることなく。


 

 





 

 



 

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