村内ではありませんが明日香村の近くに住んでいます
奈良に生まれて育ったので、地元の歴史や文化を少しは知ろうと勉強中です!
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2月18日現在
奈良公園 7分咲き
郡山城址盆梅展 満開
月ヶ瀬梅林 咲き始め
追分梅林 5分咲き
賀名生梅林 咲き始め
広橋梅林 咲き始め
福寿草が咲き始めているとこの間奈良新聞に載ってので
まだまだ早いだろうとは思いながら行ってきました
河瀬直美監督の映画の舞台にもなったところです
谷を挟んで向かい(北)は櫃ヶ岳、吉野三山のひとつで
大峰山脈を一望できる展望のいい山です
特に冬の時期は、雄大な銀嶺を眺められます
金色に光る福寿草です
集落のてっぺんにあるお寺の下は日当たりがよいので、そこそこ開いていました
ほかの場所はまだまだ蕾です
これから一月くらい楽しめるのではないでしょうか
よい香りがすると思ったら 蝋梅の花が咲いていました
バックに写っているのが櫃ヶ岳です
雪はなくても氷点下らしく、不思議な氷のオブジェが
山頂近くまで民家があるので、最初は舗装した車道をてくてく登ります
分岐のお地蔵様
途中から山道に入りますが
松茸山なので秋は入山禁止になってます
南面に開けた展望♪
樹がのびてじゃまになってきましたが
稲村ヶ岳がきれいに見えています
ふきのとうがいっぱい顔を出してました
帰り道の明日香から 金剛山に沈む夕日
下は雪が多かった去年(2/21)の写真
■コースタイム
きすみ橋 11:30
地蔵分岐 12:00
尾根道分岐 12:25
貝原からの車道出会い 12:50
山頂(昼食休憩)13:30~14:40
尾根道分岐 15:15
地蔵分岐 15:30
きすみ橋 16:00
会期は2008年12月13日(土)~2009年1月18日(日)
橿孝研の友史会に入会しますた
知らなかった…
年会費を払えば何回でも無料で入館できるなんて
特別展も速報展も?知らなかった…
友史会のウォークに参加したくて入会する事にしたのですが
知っていれば、もっと早くに入ってたのに
今日の目的は牛ではなく
フリースペースに展示してある復元された七支刀
石上神宮に伝わる国宝の「七支刀」は私にとっても特別な物です
実物を見たのは小学生の時でした
公開されるのはこの先当分ないからと
「是非この機会に見ておきなさい」と担任の先生に言われて
友達と3人自転車で見に行ったことを覚えています
その時は
「なんか変わった形の剣やなぁ~」くらいの感想しかありませんでしたが
考古学的に大変貴重な物で国宝に指定されていると聞いて
自分の住んでいる場所に国宝なんかがゴロゴロあるという
そういうことをちょっと誇らしく思った一番最初の経験だったと思います
最近、自分の住んでいる所のことを少し勉強しようと思って
いろいろ本を読んだり調べたりしてるのですが
今思い返すと一番の根底にあるのは「七支刀」だったのかなぁと思います
■七支刀について
石上神宮に伝わる神宝。国宝。
鉄製で、長さ74.9㎝、剣身の左右交互にそれぞれ3本の枝刀が互い違いに出る、他には類を見ない変わった形状。
剣身の表と裏両面に金象嵌(鉄に溝を掘り、金線をはめ込む技術)で62文字の銘文が彫られている。
銘文の文字からは、この剣が七支刀というすばらしい剣であること、369年につくられたこと、百済王の太子(王子)が倭王の為に作ったこと、などがわかる。七支刀は古墳時代に百済という国(朝鮮半島南西部にあった)から倭(当時の日本)へ贈られたプレゼント。
古代史の絶対年度を明確にする可能性を秘めた、最古の歴史的資料。4世紀後半の中国、朝鮮、日本の関係を知る上でとても貴重。
日本書紀に「神功皇后の時代(神功皇后五二年⇒372年か?)に百済から『七枝刀(ななつさやのつるぎ)』が献上された」とある。この『七枝刀』が『七支刀』ではないかといわれてる。
この時代(360年代)、百済は北にあった高句麗と戦争をしていた。371年に百済の太子は高句麗王を倒し、戦争は百済の勝利に終わる。翌年の372年には東晋(中国の王朝)に使いを送っている。
七支刀は、高句麗との戦争の最中、倭との同盟をはかりたい百済が369年に作り、372年に倭に贈ったと考えられる。
石上神宮は物部氏の本拠地で、大和王権の宝物庫を兼ねた武器庫『神庫(ほくら)』を管理していたといわれている。どのようにしてこの剣が石上神宮に納められたのか詳しいことは不明。
■復元された七支刀
復元したのは現代の刀匠 河内國平(かわちくにひら)さん。奈良県無形文化財保持者。鍛刀場は東吉野村平野、たかすみ温泉の近くにある。
刀の作り方には鍛造と鋳造の二通りがある。古代の刀は当然鍛造によるものと思われてきた。
20数年前に一度、鍛造によって復元したときに鍛造説に疑問を持ち、鋳造説を提唱。
研究者と共に2005年から鋳造と鍛造の両方での復元に取り組んできた。結果、鋳造であることを確信した。もしかしたら古代の剣は七支刀のような特異な形の物でなくても、鋳造であったかも知れない。
■七支刀を見に行く
復元された2種類の七支刀が橿原考古学研究所附属博物館で展示中(3/31日まで)
見比べるとなるほどと納得できる展示になっている。金色の銘文も再現されている。
注:石上神宮にある本物の七支刀は非公開。
談山神社は元は妙楽寺というお寺で、藤原鎌足を祀っています
後ろの御破裂山には鎌足のお墓もあります
お寺だった時の伽藍配置そのままなので
神社なのに十三重の塔があったり
神社なのに拝観料をとったりします
紅葉の名所で今の季節は観光客でいっぱいになります
上まで車で登れるのですが
今日は飛鳥の石舞台から歩いて談山神社まで登りました
飛鳥側からの出来かけの車道を歩いてもいいのですが
やっぱり少しでも山道らしい方を歩きたいので
上居(じょうご)から沢沿いの急登を登ります
ガイドブックには載っていないコースです
藤本山万葉展望台は貸し切りでした
昨日の荒天から一転、抜けるような青空です
初冠雪と伝えられた金剛山、葛城山、二上山も綺麗に見えています
二上山の向こうに見えているのは六甲山でしょうか
談山神社の裏手から御破裂山に登るとこっちは人でいっぱい
ここもそれなりに展望がいいのですが
藤本山からの大展望とは比べモノになりません
境内の方へ降りていくと、ひと、ひと、ひと
人でいっぱいです
社殿の屋根には雪が残っていて、紅葉も見頃でした
何枚か写真を撮って
お弁当を食べるには、あまりにも人が多いので
釜飯やさん前の広場へ行くことにしました
紅葉の葉っぱを敷き詰めた絨毯の上でランチです
お腹が大きくなったところで出発
下山ルートは冬野から上畑~尾曽(おおそ)~上(かむろ)~石舞台
冬野からは竜在峠へ行く道や栢ノ森へ下りる道もあります
本居宣長は談山神社から冬野~竜在峠を通って吉野へ入ったと
菅笠日記に書いてるそうです
上畑には牛小屋があってヤギも放牧されてました
尾曽は山の中腹にまるで浮かぶようにある小さな集落で
今も住んでいるのは6軒ほどらしいですが
威徳院という立派なお寺があります
魚に乗った観音さまがおられました
尾曽から上に下りて冬野川沿いに石舞台の駐車地へ戻りました
近くに用事があったので、ついでに寄ってきました
さらについでに、行く途中に私の実家があって
母を誘ったら行くというので乗せていきました
用事はすぐに終わるので…
紅葉はちょうどか、少し早いくらい
お昼過ぎに家を出たので夕方近い時間でしたが
沢山の人出でした
中高年に土日・平日は関係ないようですね
母は少し前から体調が悪いとか言ってましたが
なんの、坂道を快調に登ってゆきます
時々気弱になるようですがまだまだ大丈夫と思われます
秋の特別開帳の孔雀明王さまを見てきました
ご本尊の薬師如来さまも小さいけれど上品で素敵です
綺麗なお庭を拝見して
赤い毛氈に腰掛け、抹茶を頂いてきました
母は真っ赤な紅葉や南天の実を見ては喜んでました
実家まで母を送って行き、
帰りにお米と野菜をいっぱいもらったのにも関わらず
なんだかとても親孝行した気分です
めちゃめちゃいい山でした~
紅葉も見頃で展望もよく
大峰山系から台高、葛城連峰まで見渡せて
近いところでは室生山系
榛原の鳥見山・額井岳・伊那佐山
ほとんど360°の大展望です
大和平野が白く霞んでいて
二上山が浮かぶようにそびえてます
登山道も綺麗に草を刈ってくれてるので
歩きやすかったです
登り下り登り返しの連続ですが
所々露岩や鎖場など面白いところもあるし
イワカガミもたくさんあって
それはそれはご機嫌な山です
こんな近くにこんなにいい山があるのを
今まで知らなかったなんて
もったいないことをしました
特筆すべきは
麓の里山風景の美しいことです
茅葺き屋根の集落が生き生きと存在しています
山間の集落にはのどかなところはたくさんありますが
人の住んでなさそうな廃屋だったり
ちょっとうらぶれた感じがしたりしますが
ここは人の気配がいっぱいあって
お庭も畑も綺麗に手入れされていて
昔話の世界にそのまま迷い込んだようです
ほんとにいい山でした
仏隆寺もいいお寺です
樹齢900年の桜があります
春の桜と秋の彼岸花が有名です
コースタイム
仏隆寺9:45
登山口10:20
高城山山頂10:50
三郎ヶ岳山頂11:30~12:20(昼食)
磨崖仏12:30
(この間ちょっと迷う???)
石割峠13:15
愛宕神社13:45
登山口14:15
仏隆寺14:50
桜井市のウォーキングエスティバル「史跡案内の部」に参加してきました
「幻の大寺院を求めて」というタイトルで
郷土歴史家の先生方の解説を聞きながら
山田寺跡~安倍寺跡~百済大寺跡を歩きました
この三つのお寺はほぼ同時期に建てられています
○○跡ばかりで伽藍は何も残っていません
山田寺跡と安倍寺跡は史跡公園になっていて
礎石が残されていますが
百済大寺に至っては、よすがとなる物は何も無いという
そんなコースに300人?
以下はほとんどメモ書き
板葺宮で蘇我入鹿が討たれた乙巳の変
討った方は中大兄皇子と藤原鎌足
蘇我入鹿を油断させるために
ひと芝居したのが蘇我倉山田石川麻呂
名前を見れば分かるように同じ蘇我系だが
この時は中大兄皇子側についた
蘇我倉山田石川麻呂は中大兄皇子に娘を嫁がせている
(ぶっちゃけ持統天皇のおじいちゃん)
この時の功績を認められて
大化改新後、右大臣に取り立てられる
同じ時に左大臣になったのが安倍倉梯麻呂
この人は何をしたか、というと特に何もしていない
多分一番歳が上だったのだろう?(年功序列?)
ちなみに右大臣<左大臣
■山田寺
蘇我倉山田石川麻呂が自身の氏寺として建てたのが「山田寺」
完成を待たずに謀反の罪を着せられて自害
40年後天武天皇・持統天皇の時代に完成
鉄砲水によって土砂に埋まった
発掘された東回廊のレンジ格子は飛鳥資料館に展示
法隆寺より古い木造の建造物
礎石は蓮のデザイン(美しい!)
興福寺の仏頭はもともと山田寺の仏像だったもの
丈六の薬師如来(略奪された)
■安倍寺
安倍倉梯麻呂が氏寺として建てたのが「安倍寺」
(安倍文殊院は安倍寺の別院)
時代は仏教が日本に入ってきて
豪族がこぞってそれぞれの氏寺を建立した頃
■百済大寺
安倍倉梯麻呂は百済大寺建立の司に任命されている
天皇の勅願による大寺
舒明天皇
蘇我氏に反発、天皇の権威を大きくアピールするため?
とてつもなく大きな寺を造った
↑
永い間、その場所はわからなかった
吉備池廃寺
吉備池の畔に瓦を焼いた窯跡があった
護岸工事にともなう発掘調査で
古代寺院の基壇らしき物が見つかる
↑
一氏族の氏寺にしては大きすぎる規模であった
瓦の形状などから時代を検証
「百済大寺」の金堂の基壇ではないか?→ほぼ決定!
近くから塔の基壇も出現←九重の塔
80~90mあったらしい
標高をプラスすると160m以上
高さ比べ
香久山152m
畝傍山199m
耳成山140m
山より高い九重の塔が建っていたことになる、これはすごい!
■吉備池畔
西に二上山が見えるなかなかの景勝地である
二つの万葉歌碑も映える
「うつそみの…」大来皇女
「ももつたふ…」大津皇子
↑
この歌を詠んだという磐余の池は今はない
池ノ内、池尻等の地名が残っている
かなり広い地域にまたがった大きな人口池であったらしい
■磐余(いわれ)の地名について別表記
石寸
石村
石邑
古くは村のことを「ふれ」と言った もしくは「あれ」
いわふれ→いわれ
磐余は大切な場所
それを治めた大王 宮都があった
神武天皇 かぐやまといわれびこ
磐余稚桜宮(履中天皇)
磐余ミカ栗宮(清寧天皇)
磐余玉穂宮(継体天皇)
磐余池辺双槻宮(用明天皇)
コースタイム (約11キロ)
大福駅(集合)10:00
昆虫館(トイレ休憩) 10:45
山田寺跡 11:10~11:30
ふれ愛どころ(昼食場所) 12:00~12:50
安倍寺跡(史跡公園)13:00
神武天皇磐余邑聖蹟碑(春日神社) 13:30
百済大寺跡(吉備池畔) 14:00
三十八柱神社 14:30
芝運動公園(ゴール)15:00