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森田ゼミ 5月30日 講義録 

2006年06月22日(木) 14時06分04秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
皆さんこんばんは。
さて、本日はテキストの最終原理である第七の原理です。
第一の原理からはじめて、やっと第七の原理まで、やってきました。
ゼミの講義も今日を含んで次回のまとめとあと2回ですね。
原理としては、最後の原理ですからさすがに直球勝負になっています。
第七の原理のテーマは、「偶然の一致を活用する。」です。

本質的には、この宇宙に「偶然」というものは存在しません。
つまり、すべての出来事は「必然」であるということです。
皆さんは、すべての出来事が「必然」である。ということを受け入れられますでしょうか?

どうでしょうね。
殆どの場合、自分に都合の悪い出来事は、「なんで、こんなことが起こるの?」ということで、「偶然」のせいにして終わってしまいます。
つまり、自分には「責任」もないし、「原因」もない。
言い換えれば、「無責任な傍観者の態度」で居たいわけです。
自分にとって都合の良いときは、「いやぁ。偶然だよ。」なんていいながら、
「日頃の行いが良かったから」なんて人に言われると内心にやにや。(笑)

とにかく、私たちにはその出来事の「因果関係」がわからないので、「偶然」ということばを使っているわけです。
もう少し偶然について考察してみましょう。
偶然といえば、その出来事が起こる確率が、限りなく小さいということですね。
例えば宝くじに当たる。という出来事。
宝くじやロトを買ったとき、当たる確率は万に一つ以下ですよね。
殆どの場合「当たらない」訳です。というか、大当たりはしない。

以前に竹下内閣の時代に、ふるさと創生資金の1億円を使って、宝くじを買った村長がいましたけど、やっぱり当たらない。でも新聞に出て知名度は上がりましたから、広報費としてはいくらか意味があったかもしれませんね。

宝くじを5枚買った人は、宝くじを1枚買った人よりは5倍確率が高い。
これは確かです。だけど、当たる確率を上げたくて、もし発売された宝くじを、誰かが全部買ったら、当然その宝くじの「当たり」を全部買ったことになる訳ですから、大当たりになると思いますか?
なるわけ無いですよね。
え。分からない人がいる?(笑)

ちなみに今発売中の「ドリームジャンボ」は、総発売額が1140億円だそうです。
1等2億円が38本予定されています。すごいですね。7等の300円が3800万本です。それで1等から7等までの賞金を全部足すと、539億5620万円になります。
つまり、発売された1140億円の宝くじを全部買ったら、当たりくじを全部買ったことにはなりますが、539億5620万円しか当たらずに、お金を減らすことになっちゃうわけです。
大当たりどころではありません。
手元には最初の47.3%しか残りません。
この場合は、「偶然43.7%になった。」とは誰も思いませんよね?必然です。(笑)
ただの算数ですから。まぁ。実際には、こういう悲喜劇は起こりません。
1140億円持ってる人は、宝くじなんて絶対買わないでしょうから。

庶民の夢ですよね。宝くじって。
逆にいって、宝くじを楽しみに買っている私たちは、庶民である証明です。(笑)

さて、余談ですが、この43.7%の戻率をどう思いますか?宝くじの当選確率という「局在」で考えたら、43.7%という純粋確率の世界で終わってしまいます。
つまり、毎日ずっと宝くじを買いつづけたら、買った金額の47.3%の当たりでお金が戻ってくる、ということが統計学的に推定できます。
結局大当たりはしないわけです。
たくさん買えば買うほど、当選確率である47.3%に近づいてしまう。
なんだか、夢がありませんよね。これでは。(笑)

つまり、1枚買うよりは10枚買ったほうが10倍当たり易くなるような気がしますけれども、当選確率である期待値47.3%の戻り金額に10倍近づいているともいえるわけです。
7等は下1桁ですから、連番で10枚買えば必ず1枚当たる。ただし戻り率は10%。
これは確定ですから、宝くじを1割引きで買ったことになります。ただそれだけの意味しかありません。
そうですよね。

それでも、現実は2億円の宝くじ長者が、38人生まれるわけです。換金にこない人を除けば、必ず38人は、大当たりする。 

ドリームジャンボの発売総枚数で割ると、4218万4750本分の38本になります。
だいたい111万本に1枚。
2本当たる人はいないと思いますから、一人平均10枚買うとすると、宝くじを買った人の11万人に一人という確率になるでしょうか?

ものすごい偶然ですよね。超ラッキー。
ところが、宝くじに当たったがゆえに家族が崩壊したり、人間関係がおかしくなったり、仕事をやめちゃって人生台無しにしたり、超ラッキーなはずの偶然が、超アンラッキーな出来事の始まりになったりしています。よくあることでしょ。

人生全般にかけて、宝くじに当たる意味を考えたりすること、あるいは、社会的・全宇宙的に意味を考えたりすることを「非局在」的視点といいます。
簡単にいえば視野を広げて意味を考えるということです。
宝くじに当たって、幸せになるか。不幸になるか。それは、宝くじのせいではありません。

その出来事から、意味をどう発展・創造していくかという本人の問題なんです。すべての出来事に意味がある。つまり「必然」なのですから、宝くじに当たる人にも、当たらない人にもちゃんと意味がある。理由がある。
それは、確率を超えたものです。
だけれども、私たちにはわからないだけなんですね。その意味が。
「当たりたい」っていう「欲」しかありませんから。(笑)

つまり出来事には、「意味のある偶然」と「意味のわからない偶然」とがあるわけです。そしてどちらも必然。偶然の一致に出会ったとき、その意味を感じ取れるか取れないかでは、その後の人生に大きな違いが生まれます。それが、今日の本当のテーマです。

事業に失敗して、どうしてもお金が足らない。というとき。「よし宝くじを当てて事業を立て直そう。」なんて考えている経営者は、事業を止めたほうがいい。(笑)

業績が上がらなくて、四苦八苦しながら一所懸命やっていたら、たまたま初めて、奥さんが宝くじを買っていて、当たってしまった。というほうが「あり得ること」です。

違い分かりますよね。奥さんが宝くじを買った動機。
愛する主人のため?
無邪気な射幸心?
日常の買い物のときふっと目に付いたから?

理由は、私たちには分かりません。ケースバイケース。
私たちには人生の謎は深まるばかり。答えは天のみぞ知る。です。

私たちは、日常を惰性で暮らしています。惰性といってしまうと反感をかってしまいますが、過去の経験や記憶、あるいは知識や解釈によって日常を作り上げている。と言い換えましょう。
そういった過去をベースとした行動規範は無意識のうちに行っているわけですけれども、本当の可能性や創造というものは、過去をベースとしている心からは生まれてこない。
それだからこそ、偶然の一致という「天からの贈り物」に気づきましょう。偶然の一致は、魂のレベルの欲求として発動されます。
新しい自分を創造していくために、魂のレベルで、計画され協力されて、私達の前に姿を現してくるのです。
ささやかな偶然もあれば、ドラマチックな偶然もあります。 

その偶然の一致に意味を見出して、自分を変化させていくことができると、「不可能」に思えたことが自然と「可能」になっていく。
それが、偶然の一致を活用するという第七の原理です。

偶然の一致という事実に、鈍感では、これは成り立ちません。
偶然の一致という出来事に、注意深くならなきゃいけない。
「これは、何か私にとって意味があるんじゃないだろうか?」「その意味は、かならず知ることができる」この繰り返しによって、どんどんシンクロニシティが頻繁になって、物事が自然と解決・発展・創造されていく人生が体験できるようになるのです。

大げさに言うと、不可能を可能にしていく過程の中で、本当の自由を体験していく。
遠山先生のいう。「わが人生に不可能はない」の意味がわかるようになる。
こういった心の状態になると、何ができるか。できないか。ということは問題ではないんです。
「何がしたいのか」「自分はどうありたいのか」が大きな問題なのです。
もし、私たちに充分なお金と充分な時間があったら、何をするでしょうか?日頃、私たちは、「お金がないから」「時間がないから」「知識がないから」などなどさまざまな理由をつけて「不可能」なことを創り出しています。
でも、もしあなたが「スーパーマン」や「大富豪」だったら、何をするでしょうか?
どんどんシンクロニシティが頻繁になって、物事が自然と解決・発展・創造されていく人生を体験していくということは、実は私たち一人ひとりがすでに実際は「スーパーマン」であり、「大富豪」であることへの気づきになるのです。
だからこそ「何をしていくか」「自分がどうありたいか」ということを「意図」していくこと、人生を創造していくことが、私たちの根源的な欲求、魂の欲求、生まれてきた理由、人生の計画=バースビジョンというものを成就させていきます。
その貴重な導きとして「偶然の一致」は、やってくるんですよ。
特に人間関係ですけど。
私の体験談を少し長くなりますが、ご紹介します。それでもすべてをお話しできるわけではありませんが。

(略)

偶然の一致、偶然の出逢い、そういったものに意味を感じ、発展させ、未来を創造していくことはほんとうに素晴らしい生き方だと思っています。
次回は、6月27日(火)です。ご静聴ありがとうございました。(拍手)

第六の原理のスートラ 森田ゼミ 4/30 講義録⑨

2006年05月14日(日) 13時44分08秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
それでは、最後にテキストの「第六の原理のスートラ」を読み上げたいと思います。

あなたは変身することができると思いなさい。

あなたは男にも女にも自由になれると思いなさい。

あなたは強く、決断力にあふれ、勇気に満ち、すぐれた表現力をもつ、強靭な身体の持ち主であると思いなさい。

あなたは強く魅力的で、直感的で、包容力があり、愛情深い人間だと思いなさい。

あなたは山と同じくらい、安定した存在だと思いなさい。

あなたは風と同じように柔軟性があると思いなさい。

あなたは翼のある天使だと思いなさい。

あなたは限りない思いやりをもち、悟りを開いた存在だと思いなさい。

あなたは天上で遊んでいる神だと思いなさい。

あなたは変身して、どんな動物にも、鳥、昆虫、植物にも、そして岩にさえなれると思いなさい。

あなたに好きな原型があっても、神話のすべての存在が自分の心に宿っていると思いなさい。

あなたは自分がもっとも賞賛するヒーローにも、ヒロインにもなれると思いなさい。

ご静聴ありがとうございました。
次回は5月30日(火)です。

遺伝子のON/OFF 森田ゼミ 4/30 講義録⑧

2006年05月14日(日) 13時41分49秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
さて、私たちも未来を変えていきましょう。
さて、意思によって自分の原型を呼び出しましょう。
さて、自分の原型って何だろう。

原型は、可能性として存在し、通常は意識の中で眠っている。
しかし何かのきっかけで目覚め、自分を通してそのパワーを発揮する。
といわれても、自分の原型がよくわからないんです。私たちには。

それに、原型というのは「普遍的無意識」の領域で人類共有ですからね。
同じような関係にあると思われる研究を思い出しました。
生命の暗号 あなたの遺伝子が目覚めるとき 村上和雄 サンマーク出版 によると、人間の体には60兆個もの細胞がある。(1キロ当り一兆個)
細胞のひとつひとつに、DNAがある。
DNAは、30億の化学の文字でかかれた情報が入っている。
すべてのDNAは、基本的に同じ情報を持っている。
爪や皮膚、神経などの細胞の違いは、DNAの30億の情報のON・OFFで決まる。
「さらに驚異的なのは、これら遺伝子の構造と原理は、すべての生物に共通していることです。

地球上には200万種以上の生物がいると言われていますが、カビも大腸菌も植物も動物も人間もすべて同じ原理。
ということは、あらゆる生物が同じ起源を持つことを示しているように思われます。」
「遺伝子の能力が最初はなかったのに急に発現したのではなく、前もってあったのに隠れてでていなかったのだ。ジャコブとモノーは、この現象を説明するために、遺伝子にはタンパク質を作る構造遺伝子と、その遺伝子のON/OFFを調節する調節遺伝子というものがあると仮定しました。
その後この仮定が証明され、ノーベル賞をもらっています。」

つまり、人間や動物のDNAは共有されているけれども、形としてこんなにも違いがあるのは、そのDNAのどれにON/OFFが入っているかによるのだ。ということです。
原型も共有しているけれども、現象として投影されているものは、無意識的な心理状態による。

DNAの研究と原型の考察が、似ていると思いました。
そう思ってスートラを読むとまた深く感じられます。

さて、テキストで例を出しているのは、天使とか、神・女神ですが、いかがでしょうか。

皆さんが親近感や、平和な感じや、落ち着いたり、元気が出たりできるようなそんな象徴的な何か。
そういったものをイメージできますでしょうか。
ユングの原型が心理的な側面とすれば、DNAのON/OFFが、物理的な側面として、無限の可能性を内包している訳です。

そんなことを考えながら、チョプラさんのスートラをヒントにしてみてください。
それぞれの意味を象徴するものや人物を一つひとつイメージしてみましょう。それが、あなたの原型かもしれませんよ。
続く

タイムマシン 森田ゼミ 4/30 講義録⑦

2006年05月14日(日) 13時40分06秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
最近、TVでタイムマシンという映画が放映されました。
H.Gウェルズの不朽のSF小説をリメイクしたやつです。
私は最初の映画版を子供の頃TVでみて、印象的だったのが未来の地球の地底人でした。
地底人は、地上の人間を家畜として飼ってるんですよ。
食料のために。
そんな未来が本当にやってくるのかしらんと。漠然と暗い気持ちになった覚えがあります。

こんどのタイムマシンでも、未来に行きますが、最初は過去を変えるためにタイムマシンを開発するんです。
科学者アレクサンダーは、1899年に恋人をちょっとした行き違いで、暴漢に襲われて亡くしてしまう。
自分のふがいなさと後悔が、過去に戻ってやり直すために4年後にタイムマシンを作り上げてしまう。
そして、過去に戻り決してその事件に合わないように恋人を騙してデートのコースを変えるんです。
 ところが、やっぱり恋人は死んでしまう。
違う事故によって命を落としてしまうんです。
主人公は、どうして過去が変えられないかを問うために、科学が進んでいるにちがいない地球の未来へと旅立ちます。
そして、全能のコンピューターと出会い、問い掛けますが、コンピューターは、時間旅行などできない。と冷たく答えます。 
やむなく、アレクサンダーはもっと未来へと旅立ちます。
そこで見たものは、地底人とミュータントに支配された地球でした。
ミュータントはアレクサンダーに
「恋人の死が、タイムマシンを作る原因なのだから、その結果としてできたタイムマシンで、原因である恋人の死を変えることは出来ない。」と告げます。 
アレクサンダーは、
「過去は変えられなくても、未来は変えられる」
と叫んでミュータントをタイムマシンに閉じ込めて、爆発させ、その恐ろしい爆発のエネルギーで、地底人たちを全滅にしてしまいます。
そしてアレクサンダーは、地底人たちに怯え、成すがままにさせられていた地上に残った人間達を救い、彼らとともに暮らしていく。というストーリーです。
続く

原因としての自己 森田ゼミ 4/30 講義録⑥

2006年05月14日(日) 13時37分42秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
さて、話がだいぶ濃くなってしまって、皆さん頭の中が煮詰まってると思います。(笑)

簡単に言うとユングは、スピリチュアルな事実をいかに科学的に表現するかに挑戦した精神医学者だったわけですね。
ユングが取り組んだこの方面は、今また世界中の精神医学者やカウンセラー達が、退行催眠というスキルを使って、挑戦しています。
ちなみに日本では、あの「生きがいの創造」シリーズの飯田史彦先生が、自らの臨死体験を本にして出版しました。
「ツインソウル」PHP出版です。

飯田先生も、大学教授の肩書きにこだわりを持っています。
自分は科学的思考のできる存在であり、純粋に科学なのだと言うこだわりは、ユングと同じですね。
今日のテーマの「第六の原理 宇宙のダンスを祝福する」のトレーニングとして

【レッスン11】自分の内面に宇宙を発見する
の要点は、

「今、私は世界の中にいるのではなく、世界が私の内部にある。」

「今、私は宇宙の中にいるのではなく、宇宙が私の中に存在している。」

この二つですが、同じことを、スケールを変えていっているだけですよね。

原因と結果の因果性の中で、結果としての環境や状況、出来事の中に自分がいるのではなくて、その環境や状況や出来事を作り出している原因としての自己の存在を意識しよう。
これが、意思によって原型を呼び出すという意味です。
人生は発見ではなく、創造である。
と「神との対話」(ニール・ドナルド・ウォルシュ)にあるように、そして、過去は変えられないが、未来は変えられるという格言のいうように、意思によって未来を創造していくための、基礎知識でした。
続く

ユングの理論 森田ゼミ 4/30 講義録⑤

2006年05月14日(日) 13時35分48秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
ユングの理論は、スピリチュアリズムと切って離すことは出来ません。
当時から「オカルト」の烙印を押されていましたし、ユング自身「霊的体験」をしていました。
ユング心理学の光と影――スピリチュアリズムとの関連性 渡辺 学 から引用してみます。

『父親は旧約聖書の雅歌の研究で博士号を授与されていたが、牧師となる条件で親戚から経済的援助を受けて牧師になった人物であった。
彼は牧師としてキリスト教信仰を公に代表していたが、彼の信仰は個人的な体験的基盤を欠いていた。
他方で、母方は祖父をはじめとして聖職者を多く輩出した家系であったが、 同時にスピリチュアリズムと深い関係をもっていた。
そもそも祖父自身が毎週亡き妻と交霊したり、さまざまな霊の存在を感知したりしていたのであった。
祖母もまた、解離をはじめとする霊媒的素因をもっていた。
彼らの信仰はスピリチュアリズム的な交霊体験に裏打ちされたものであった。
ユングは、自我意識を代表する第一人格と、無意識を代表する第二人格という、人格の解離を思春期から体験していたが、これらの人格は、父母の葛藤および両者の宗教的葛藤に対応(略)十九世紀のスピリチュアリズムの興隆は、すべては自然的 必然によって説明できるのであり、神やその恩寵なるものは存在する余地がないとする科学的自然主義もしくは自然的科学主義という新興のイデオロギー、あるいは、新たな時代の「常識」が、伝統宗教つまりキリスト教の教理――唯一の神の存在、死者の復活、永遠の生命など――と大きな葛藤を引き起こしたことを前提としていた。
つまり、神の存在や死者の復活ということがたとえ信じられなかったとしても、永遠の生命が魂が死後も存続しているという形で実証されるならば、科学と宗教が両立しうる可能性があるのではないかという民衆の予感を、そもそもその土台としていたのである。
例えば、心霊研究協会の主要な担い手には 聖職者の子弟でありながら科学者であったという人々が多くみられた。
代表的なのはウィリアム・ジェームズであり、ユングもその一人であった。
要するに、スピリチュアリズムの背景には現代における宗教の存続をかけた重要な思想闘争があり、それが科学的唯物論との間で繰り広げられていたのである。
一方で、フロイトを科学的唯物論の代表者と見、他方で、ユングを宗教的信念の擁護者と見るとき、二人がどのような時代状況のなかで対立していたかということが明確に浮かび上がってくるだろう。 
このように、本書が提起している問題は決して軽々には論じられないし、これらは決して過去の問題ではない。
今日の日本の状況をみても、とりわけオウム真理教事件が勃発する前夜の日本のマスコミには、霊媒をはじめとする霊能者の〈霊験〉を視聴率のアップに利用したり「あなたの知らない世界」といった心霊番組を珍重したりする傾向があったからである。
科学と宗教というコンビネーションはスピリチュアリズムだけではなく、まさしくオウム真理教事件の根幹をなしていた問題なのであった。』
続く

スピリチュアリズム 森田ゼミ 4/30 講義録④

2006年05月14日(日) 13時33分20秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
そして、今21世紀を迎えて、私たちはスピリチュアルなものの考え方を学んでいます。
時代が必要を要請しているように私は感じています。

スピリチュアル、スピリチュアリズムと呼ばれるこの考え方の始まりは、1848年、アメリカの小さな村で起こったフォックス家事件です。
『米国ニューヨーク州ハイズビルに住むフォックス夫妻には、マーガレット(十一歳)とケート(九歳)という二人の娘がいた。
いつの頃からか、夫人と二人の娘は夜になると不思議な物音がすることに気づくようになる。
やがてラップ音やノック音がしたり家具が動いたりするようになる。 
一八四八年三月三十一日の晩、前夜の騒音で家中の者が不眠になっていたので、その日は早くから床に入った。
するとまたコツコツと窓を叩く音がする。
はじめは怖がっていたが、今ではもうすっかり慣れた娘の一人が、パチンパチンと指を鳴らして、
「お化けさん、真似をしてごらん」と言うと、同じ数だけ叩く音がする。
娘たちは面白がって遊び始めたので、夫人が試しに、その場の誰にも答えられないような質問をしてみようと思いつき、
「私の子ども全員(前夫との子供も含めて)の年齢を上から順番にラップ音で答えてください」と言った。

すると即座にすべての子どもの年齢が正確に返ってきた。
そこで夫人は、
「正しい答えをしていますが、あなたは人間ですか?」と尋ねてみた。
ラップ音はない。
「あなたは霊ですか? もしそうならラップ音を二回鳴らしてください」
ラップ音二回。
さらに質問を続け、
「もし傷ついた霊ならラップ音を二回鳴らしてください」と言うと、即座にラップ音が二回鳴って家全体が振動した。 
それで驚いて近所の人達を呼び集め大騒ぎになった。
ドゥラスという人が中心になって、アルファベットを早口で言って、霊に望みの箇所で音を鳴らしてもらうといった繰り返しで、とうとう一つの通信文を獲得する。
それによると、音を鳴らした霊は、五年前にこの家に泊まって殺されたチャールズ・ロズマと言う名前の三十一歳の行商人で、五百ドル奪われ地下室に埋められた、というのである。それで翌日、皆で地下室を掘ったら水が出ていったん作業を中止したが、その年の夏、水が引いたので再掘したら本当に毛髪と歯と骨が出てきた。 以上が事のあらましであるが、ニューヨーク州北部の小さな村でのこの出来事は、新聞・雑誌によって全米のみならず外国にも伝えられ、大きな反響を巻き起こすことになる。
そののち姉妹は何度も新しい場所に引っ越したが、場所を変える度にノック音とラップ音はついて回った。
そして姉妹たちがその場にいないと、これらの現象が消えてなくなってしまうのである。』
(スピリチュアリズム・サークル「心の道場」. スピリチュアリズム入門より引用)

なんだか映画にもなりそうなホラーな話ですが、当時は、有名な科学者も調査をして、マーガレットとケートの霊媒としての能力は、折り紙がつけられました。
そういう時代もあったんです。科学が霊的な出来事をちゃんと取り扱っていて時代が。
そしてその頃の機運をまじめに引き継いできた人たちが、霊媒を通してさまざまな「真理」を霊たちから語ってもらったのがさまざまな「霊界通信」として世に残り、出版されているわけです。
続く 

原型を呼び出す 森田ゼミ 4/30 講義録③

2006年05月14日(日) 13時32分02秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
無意識的なものはすべて外界に投影されるわけですから、今、自分の置かれている環境や立場、そして経験しているすべては、自分の心の奥深くから発生しているといえるわけです。
逆に考えると、集団的無意識の力を借りて、自分の環境や境遇、体験や出来事を思うように変えていくこともできる。それが、「意思を活用することで、原型を呼び出す」というトレーニングの目的です。

話をユングの生きていた時代に戻しますが、ユングが原型を発表したのが1919年。
当時はスピリチュアルブームだったんです。

欧米では交霊会が盛んに行われていました。
日本でも新興宗教ブームでした。ちょうど江戸から明治へ変わろうとする激動の時代だったんです。

一方でアインシュタインが特殊相対性理論を発表したのが1905年ですし、一般相対性理論の発表が1916年。そして量子力学も1905年~1913年に初期の理論が発表されています。また1903年にライト兄弟が人類史上初めて空を飛びました。

まさに科学が花咲き誇る黄金の20世紀の始まりの時代でした。
そして行き着く先の科学万能主義を警告するように、さまざまなスピリチュアルな出来事も同時多発的に起こっていた時代です。
忘れてならないのは、スピリチュアルな部分は、脇に追いやられていき、そして世界的な大戦の時代へと進んでいった私たちの歴史です。
続く

ユングの原型 森田ゼミ 4/30 講義録②

2006年05月14日(日) 13時29分22秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
原型(元型)というのは、普遍的無意識に存在するということですから、誰にでもあるわけです。
そして、いくつかのパターンとして認識することができるそうです。
ユング自身が名前を付けた原形は、有名なものが4つあります。
影、アニマ・アニムス、自己、太母(全てを呑み尽くすグレートマザー)などです。
一つづつ、見て見ましょう。

四種類の原型
・ 自己:心全体の中心であり、心の発達や変容作用の根源的な原点となる元型。

自我ということばをよく使いますが、自我は意識の中心といえます。意識している自分の中心。
それに対して意識と無意識を合わせた全体の中心を自己と呼んでいる訳です。
この場合、自我にとって自己もまたうちなる他者ということになります。
自己は無意識概念と同じで、経験(自我による認識)を超越した概念で、経験的(意識的)にはその全貌を捉えることができない訳です。

・ 影:自我を補完する作用を持つ元型で、肯定的な影と否定的な影があり、否定的な場合は、自我が受け入れたくないような側面を代表することがある。
自分自身との出会いはまず自分の影との出会いとして経験されると考えられています。
「第二の原理 関係の鏡で自分を見つける」で学んだように、この影は、他人に投影された自分の姿として私たちは経験します。
つまり自分とは、このわたしであるだけでなく、他者であり、世界そのものであるわけです。
「私は自分のうちで他人を体験し、私とは別の人が私を体験している。」と言い換えることが出来ます。

・ アニムス:女性の心のなかにある理性的要素の元型で、選択的特徴を持ち、男性のイメージでしばしば認識される。

・ アニマ:男性の心のなかにある生命的要素の元型で、受容的特徴を持ち、女性のイメージでしばしば認識される。
男性原理、女性原理としてよく言われる原型です。男でも女でも、100%男、女と言う事ではなくて、必ず対する部分を持っていて、それが現れてくる、投影される元のものをアニムス、アニマと呼んだわけです。
生理学的にも男にも女性ホルモンがあるし、女にも男性ホルモンはありますよね。

その他、ペルソナ(仮面):社会的な立ち位置や役割に応えて使い分けられる、見せるための自分やグレートマザー(太母):生み出し育むものでありながら同時に全てを自らの中に留めようとするもの,幼児が母親に抱くイメージの総体などなど。

こういった原型は、直接私たちが認識することはできません。
こういった原型によって外界に投影されたものを、現象や経験として私たちは認識することができるのです。
続く

宇宙のダンスを祝福する 森田ゼミ 4/30 講義録①

2006年05月14日(日) 13時27分26秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
皆さん、今晩は。
先週の土曜日に、茶臼山に行ったら、雪が積もっていました。4月も終わりだというのに驚きました。

今日のテーマは、「第六の原理 宇宙のダンスを祝福する」です。
なんのこっちゃ。と思ってるでしょ。

宇宙のダンス。

宇宙が踊っている。どこで?私たち一人ひとりの心の中で。

そんなことができたら、祝福です。

テキストの本文では、いきなりユングの原型という概念が出てきます。
アメリカでは、原型という概念が当たり前の概念なのでしょうか。不思議な気がします。
この原型という概念と、ユングについて改めてお話をしたいと思います。

ユング(カール・グスタフ・ユング)は、1875年に生まれ1961年没ですので20世紀のはじめに活躍した精神医学者です。
有名なフロイトと同時代の人で、このころが心理学の創始にあたります。

ユングは精神病者の幻覚や妄想が古来からある神話、伝説、昔話などと共通の基本的なパターンの上に成り立っていることに気づいて、原型という考えを提唱しました。
1919年です。ユングは人間の心の世界には個人的無意識と普遍的無意識という 2つの層が存在し、後者はひろく人類に共通であり、そこに原型が存在すると仮定しました。
フロイトの考えた、性的欲求がすべての源だ。とする考えと異なっています。
ユング心理学は、臨床的心理学で、実際の精神病の患者と接しながら分析や理論構築をしていったことが特徴だと思います。
続く

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