一粒の種

2009年06月04日(木) 21時22分27秒 テーマ:感動の詩・唄

今しがた、末娘と2人でなにげなく、NHK教育を見ていました。福祉ネット 「一粒の種・がん患者の最後の言葉を歌に・・・・。」です。


感動しました。

ついこのあいだ、「おひさまのたね」をご紹介しましたが、ここで、もうひとつの種、

「一粒の種」をご紹介しておきたいとおもいます。



ほんと、感動しました。



詳細は、こちらを・・・。



砂川恵理歌HP 


http://sunakawaerika.net/blog/


音盤見聞録 

http://www.j-cast.com/mono/2009/05/26041851.html」


 

シマウタ37.6「琉球からのキセキな話題」

http://sansin.air-nifty.com/simauta/2009/02/post-5655.html



以前、

このブログで、「千の風になって」をご紹介したことを懐かしく思い出しています。それは、日本中がフィーバーする前のことでした。

その後、私の周辺でも、さまざまなシンクロニシティーが起こり、1000人の一般の方をご招待した、「新井 満氏 講演会」が名古屋市公会堂で、実現したのです。

素晴らしい講演会(当然歌もあり、主催は、名古屋商工会議所 若鯱会です。 )になりました。

それは、私たちが運営する学習塾の生徒数が1000人になった年でもありました。


世の中、不思議なことが起こるのです。

このところ、スピリティーな歌が、日本にたくさん現れてきていることを実感しています。

とても、嬉しいことです。



一粒の種/砂川恵理歌
¥1,000
Amazon.co.jp


「おひさまのたね」 

2009年05月30日(土) 11時54分27秒 テーマ:感動の詩・唄
「おひさまのたね」 

西島三重子さん作曲の「おひさまのたね」をとりよせて聴いています。

「こどもはだれもが おひさまの 種を
にぎって生まれてくるんだよ・・・・」

「おひさまになれ おひさまになれ
やさしく強い 心をもって・・・・・・」

とってもすばらしい詩です。作詞されたのは弥勒さん。

全国にこの歌を広めよう。そんな人たちがたくさん生まれているのが大変嬉しいです。http://www.aoistudio.co.jp/SP/nishijima/ohisama.html



スピリチュアル人間学-おひさまの

http://www.aoistudio.co.jp/SP/nishijima/shop/images/ohisama_cd.jpg


こどもたちへの願いをこめながら、
私たち大人も、成ろうじゃありませんか。「おひさま」に。
僕たちも、おひさまのたねをにぎって生まれてきたんですから・・・・。

「おひさまになれ おひさまになれ
そばにいるだけで あったかい」

偶然は2度とやってこない?『待ちぼうけ』

2005年04月24日(日) 20時55分43秒 テーマ:感動の詩・唄
日本の童話作詞家と言えば、北原白秋、そして作曲家と言えば山田耕作。
この二人の作品に『まちぼうけ』という唄があります。出典は中国の故事「韓非子」ですが、韓非子の思いはリアルです。故聖人(老子や孔子)たちのスピリチュアルな考え方を一刀両断のもとに切り捨てています。  

韓非子の、「守株待兔」という物語。

『宋の国で、男が畑を耕していました。畑には切り株があり、兎が走ってきて切り株にぶつかり、首の骨を折って死んでしまいました。男は簡単に兎を手にすることができました。このことがあってから、男は畑仕事を止め、くる日もくる日も、切り株を見張っていました。しかし二度と兎を手に入れることは出来ず、宋の国の笑い者になりました。』そこで韓非子は当時の政治を『先王の 古いしきたりにとらわれ、民を治めているということは、このような類のことだといえる』として批判したのです。
《 宋人有耕田者、田中有株、兎走觸株、折頸而死。因釋其耒而守株、冀復得兎、兎不可復得、而身爲宋國笑。今欲以先王之政、治當世之民、皆守株之類也。 >宋人に田を耕す者あり、田の中に株あり、兎走りて株に触れ、頸(くび)を折りて死す。因りて、そのスキを捨てて株を守り、兎また得んことを願ふ。身は宋国の笑となる。今、先王の政を以って、当世の民を治む、皆、株を守るの類なり> 》  

韓非子は、偶然と必然の意味において論拠しているわけではありませんが。西洋科学合理主義に近い思想家であったことは間違いありません。でも私たちが、セレンディピティとかシンクロニシティというささやかな「奇跡」を考えるとき、そして「思いが成就する」というこころの法則を実践するときに、忘れてはいけない物語です。  

この唄をゆっくりと味わって、なぜ偶然は2度とやってこなかったか。を感じなければいけません。  
北原白秋は、おおらかに言っています。「ウサギはきっと、コレラに罹っていた(当時の日本ではコレラをコロリといって怖れていました。)のだから、そんな珍しいことはなかなか起らないよね。」見たいな。

まちぼうけ
北原白秋作詞/山田耕作作曲

待ちぼうけ 待ちぼうけ

ある日せっせと 野良かせぎ
そこへ兎が 飛んで出て
ころり ころげた 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ

しめたこれから 寝て待とか
待てば獲ものは 駈けて来る
兎ぶつかれ 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ

昨日鍬とり 畑仕事
今日は頬づえ 日向ぼこ
うまい伐り株 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ

今日は今日はで 待ちぼうけ
明日は明日はで 森のそと
兎待ち待ち 木のねっこ

待ちぼうけ 待ちぼうけ

もとは涼しい 黍畑
いまは荒野の 箒草
寒い北風 木のねっこ

「あるひ、せっせと野良かせぎ」この男がせっせと野良かせぎ=畑仕事をしていたからこそ、ウサギを偶然(必然)に手に入れることが出来たのです。

男の目的が「せっせと畑仕事をする」から、「楽してウサギを手に入れること」に変わったことによって、2度と「ウサギを手に入れること」も、「畑仕事で暮らしていくこと」も叶わなくなってしまったのではないでしょうか

親の心の状態が、子どもの経験を生む。

2005年04月21日(木) 18時54分01秒 テーマ:感動の詩・唄
「子ども」

批判ばかりされた 子どもは  非難することを おぼえる

 殴られて大きくなった 子どもは  力にたよることを おぼえる

 笑いものにされた 子どもは  ものを言わずにいることを おぼえる

 皮肉にさらされた 子どもは  鈍い良心の もちぬしとなる
 しかし、激励をうけた 子どもは  自信をおぼえる

 寛容にであった 子どもは  忍耐を おぼえる

 賞賛をうけた 子どもは  評価することを おぼえる

 フェアプレーを経験した 子どもは  公正を おぼえる

 友情を知る 子どもは  親切を おぼえる

 安心を経験した 子どもは  信頼を おぼえる

 可愛がられ 抱きしめられた 子どもは 世界中の愛情を 感じとることを おぼえる

 (「あなた自身の社会-スウェーデンの中学教科書」=新評論刊)
著者: ドロシー・ロー ノルト, レイチャル ハリス, Dorothy Law Nolte, Rachel Harris, 石井 千春
タイトル: 子どもが育つ魔法の言葉
というアメリカの家庭教育学者の作った「子供」という詩

 親や大人や、社会の心の状態が、子どもの心の状態を作り出し、そして経験を生んでいく。 私たちの責任は重大です。


心の状態=存在が、経験を生む。

2005年04月21日(木) 09時44分33秒 テーマ:感動の詩・唄
成功は、ある条件の結果として生れるのではない。
ある条件が、成功の結果として生まれる。

幸福は、ある条件の結果として生れるのではない。
ある条件が、幸福の結果として生まれる。

愛は、ある条件の結果として生れるのではない。
ある条件が、愛の結果として生まれる。

共感は、ある条件の結果として生まれるのではない。
ある条件が、共感の結果として生まれる。

豊かさは、ある条件の結果として生れるのではない。
ある条件が、豊かさの結果として生れる。

想像しうる限りのどんな状態をあてはめてもおなじである。
存在が経験に先立ち、経験を生み出すというのが真実なのだ。

■ 神との対話①②③/神との対話 365日の言葉/神との友情 (上・下)/ 神とひとつになること <ニール・ドナルド・ウォルシュ/吉田利子(訳):サンマーク出版>

私たちは常日ごろ、何か条件が整えば何かが成就するし、上手く行かなかったことは何かしら足らなかったからだと思っています。
でもその考えは勘違いなのです。  存在が経験に先立つ。飯田史彦先生は同じような事を「意味が現象に優先する」といっています。

存在とはなんでしょうか、それは「魂」であったり、「霊」であったりします。霊魂=スピリチュアルな存在が、私たちの経験を生み出しているということが一つ。

もう一つは、私たちの「心の状態」が、存在であるということです。
ある心の状態が、それにふさわしい経験を創り出していく。その意味で私たちの悲劇や幸運。身の回りの環境のすべてを自らが生み出している。ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」でいう原因とは、存在=心の状態であるといえます。  

そして私たちの心と言うのは、意志や思考や感情である「精神」、そして「身体」、「霊魂」の三味一体の統合された、複合されたものといえます。

著者: ニール・ドナルド ウォルシュ, Neale Donald Walsch, 吉田 利子
タイトル: 神との対話―宇宙をみつける自分をみつける

青春とはスピリチュアルなこころの状態だ。サミエル・ウルマン

2005年04月18日(月) 19時01分52秒 テーマ:感動の詩・唄
サミエル・ウルマンは、1840年4月13日にドイツで生まれたユダヤ人で、ユダヤ教の精神指導者でした。のちにアメリカに渡り暮らしています。
有名な青春という詩をご紹介します。

 青  春             原作 サミエル・ウルマン 邦訳 岡田 義夫

青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。 人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる。大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失われない。これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他はなくなる。
                                                                   蔵版   青春の会(より引用)

ユダヤ人はよく知られているとおり、科学の分野や経済の分野で突出した人々が大変多いのですが、なぜでしょうか。

 アインシュタインは、神の創った宇宙のなぞを解くために理論物理を研究していました。ユダヤの人たちの精神的バックボーンには、神に近づくために学問をする、経済活動をするようなところが見えます。よく言われる選民思想と関係があるのかもしれません。

日本の湯川博士が、中間子理論でノーベル賞を受賞した後、仏教の世界観と量子力学的世界観との相似性に言及したように、最近の先端科学を探求する科学者は、宗教に近づいていく傾向がありますが、それとは対照的に、ユダヤの人は宗教から科学へすすんでいくのです。子供のころからの宗教教育が影響していると思います。

青春という詩も、神や霊感という言葉が出てきます。ユダヤの人はユダヤ教徒だからユダヤ人なのです。私たちとはおおいに違っています。特定の宗教の良し悪しを言っているつもりではありません。

 「千の風になって」の新井満さんが、サミエル・ウルマンの原文を探し出して、新しい「青春」の和意訳をして曲を作ったそうですが、まだ拝見していません。氏によれば原文はずいぶん違うところがあるそうです。時を経るに従い名作も変容していくのですね。

そこで、勝手ながら私流に短くしてみました。

青春 (スピリチュアル・ライフ)

青春とは、人生の若い時期のことではありません。
いつまでも理想を追い求める、こころのことを言うのです。
自らすすんで変化に挑戦し、森羅万象に心をときめかせ、
勇気と忍耐をもって、けっして希望を失わない、
そのこころを青春というのです。

人は失望と、あきらめとともに老いて行くのです。
人生への歓喜と感謝ある限り、
霊感は、その青春のこころにやってきます。

26歳の薄幸な天才の死 金子みすゞ

2005年04月16日(土) 17時20分02秒 テーマ:感動の詩・唄
みすゞは、幼い子供を残して26歳で服毒自殺をしました。
西條八十に『若き童謡詩人の巨星』とまで絶賛された天才童謡詩人は、500余りの詩を残して帰らぬ人になったのです。
昭和5年3月10日のことでした。

中日新聞「こころの詩」瀬上敏雄さんのコラムで彼女の詩「蜂と神さま」に出会ったとき、こんな彼女の悲惨な人生は予想もしていませんでした。  

みすゞの父親とは、みすゞが3歳のときに死に別れ、それが理由で1歳の弟が、叔母の家に養子として出されます。ところが叔母も亡くなってしまい、その叔父の後妻としてみすゞの母が入ることになるのです。
本当の姉弟だということを知らないで育ち、弟はみすゞを愛してしまいます。

しかし、家の都合でみすゞは結婚し、夫の女遊びに泣かされ、病まで移され、創作活動を止めさせられて、ついに離婚を決意しますが、生まれたばかりの子供を奪われて命を絶ったのです。

蜂と神さま
  
       金子みすヾ

蜂はお花のなかに、

お花はお庭のなかに、

お庭は土塀のなかに、

土塀は町のなかに、

町は日本のなかに、

日本は世界のなかに、

世界は神さまのなかに、

そうして、そうして、神さまは、

小ちゃな蜂のなかに。

 この詩をローマ法王は、涙を流して読んだということが、瀬上さんのコラムに紹介されていました。

著者: 矢崎 節夫
タイトル: 金子みすゞ こころの宇宙―21世紀へのまなざし その生涯と作品

死にそうな人に、かける言葉。 雨にも負けず 風にも負けず 宮沢賢治

2005年04月09日(土) 09時33分53秒 テーマ:感動の詩・唄
愛・地球博の日本パビリオンで、朗読劇をやっています。

その中で「死にそうな人があれば、怖がらなくていいと言い。」という言葉が私の心に飛び込んできました。
宮沢賢治は、それまで良く知らなかったのですが、きっと、スピリチュアルな人だとわかりました。

死にそうな人に、私たちはなんと声をかけますか。「頑張れ」でしょうか。「しっかり」でしょうか。
「怖がらなくていい」これは絶対スピリチュアルです。    
              
雨にも負けず
 
風にも負けず

雪にも 夏の暑さにも負けぬ 丈夫な身体を持ち

欲はなく 決していからず

いつも静かに笑っている

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを 自分を勘定に入れずに よく見聞きし 分かり そして忘れず

野原の松の林の蔭の  小さな萱葺きの小屋にいて

東に病気の子供あれば  行って看病してやり

西に疲れた母あれば  行ってその稲の束を負い

南に死にそうな人あれば  行って怖がらなくてもいいと言い

北に喧嘩や訴訟があれば  つまらないからやめろと言い

日照りのときは涙を流し

寒さの夏はおろおろ歩き

皆にデクノボーと呼ばれ

ほめられもせず
 
苦にもされず

そういうものに 私はなりたい

千の風になって

2005年04月08日(金) 18時44分26秒 テーマ:感動の詩・唄
アーティスト: 新井満, 萩田光雄, Satoshi Yoshida
タイトル: 千の風になって

新井満という作家の古い友人の奥さんが、3人の子供を残して亡くなってしまいました。
そんなときは、私たちには、慰める言葉もありません。
でも新井満さんは、ある英語の詩に出会います。それを和意訳し、曲をつけてごく親しい友人達への、弔辞として贈っていました。
それが今、CDになり、本になり、映画になり、多くの人々の心を癒しています。

このテーマでは、スピリチュアルな詩をご紹介します。

 新井満HP

千の風になって 
a thousand winds 作詞:不詳(日本語詞:新井満)/作曲:新井満 編曲:萩田光雄

私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 眠ってなんかいません

千の風に  千の風になって  あの大きな空を 吹きわたっています

秋には光になって 畑にふりそそぐ

冬はダイヤのように きらめく雪になる

朝は鳥になって あなたを目覚めさせる

夜は星になって あなたを見守る
 
私のお墓の前で 泣かないでください

そこに私はいません 死んでなんかいません

千の風に  千の風になって
 
あの大きな空を 吹きわたっています

千の風に  千の風になって  あの大きな空を  吹きわたっています

あの大きな空を  吹きわたっています

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