奇跡の水 ルルドの泉 聖母マリアの愛
2005年04月28日(木) 18時06分58秒 テーマ:奇跡と預言
ファチマの預言(本編既述)でもふれましたが、聖母マリアの奇跡は無数にあります。数からいっても内容からいっても聖母マリアは特別な存在です。
1852年2月11日、フランスのルルドに聖母マリアが出現しました。出現を受けたのは14歳の貧しい家の娘ベルナデッタでした。薪を拾っている途中で、洞窟にやってきたときそこに聖母マリアが出現したのです。
良く見られるパターンですが、聖母は自分から名乗ることはありませんでした。
このことを周囲の大人達は誰も信じようとしませんでした。しかし17回目にベルナデッタの前に現れた聖母マリアは、洞窟でベルナデッタに名前を聞かれ、次のように答えたのです。
「私は、汚れなき孕り(やどり)です。」
この答えは、まわりの人々を驚かせました。その言葉の意味は、数年前にローマ法王が正式に聖母マリアのことを「汚れなき孕り」であるとして新たに信仰箇条として宣言した言葉だったからです。
貧しい無学のベルナデッタが、そんなカトリック教の教義を知るはずはなかったのです。 この言葉によって、聖母マリアの出現は村中に広がり大ニュースになりました。
聖母マリアのいいつけどおり、ベルナデッタは土を掘り水が沸いてきました。その数日後20年間白内障だった人物が、洞窟に涌いた泉の水で目を洗ったら、突然治ってしまったのです。
こうしてルルドの奇跡の泉が誕生したのです。
奇跡は続き、時が経ちました。
1903年にノーベル医学賞を受賞したカレル博士がその年に、彼の患者を連れてルルドの泉を訪れました
カレル博士は泉の奇跡に疑問を持っていましたが、患者が目の前でみるみるうちに治癒していくのを見て「これは間違いのない奇跡だ」と驚嘆のなかで宣言したのです。
日本人の科学者で、このカレル博士の発言をきっかけに、ルルドの泉の水の成分を本格的に研究した人物がいます。後述をお楽しみに。
こうしたルルドの泉の奇跡は、その後もつづいています。有名な霊的スポットとして訪れる人が絶えません。
しかし、もっと驚くべきことは、聖母出現に立ち会ったベルナデッタがその後修道会にに入り、1879年4月16日に35歳でなくなったのですが、30年後に墓を開いたとき、遺体は腐らず葬られたままの姿だったのです。
そして今では126年もの時を越えてヌベール修道会のガラスケースのなかでまるで眠るように安置されているベルナデッタの遺体を見ることができます。
まさに奇跡は続いているのです。
1852年2月11日、フランスのルルドに聖母マリアが出現しました。出現を受けたのは14歳の貧しい家の娘ベルナデッタでした。薪を拾っている途中で、洞窟にやってきたときそこに聖母マリアが出現したのです。
良く見られるパターンですが、聖母は自分から名乗ることはありませんでした。
このことを周囲の大人達は誰も信じようとしませんでした。しかし17回目にベルナデッタの前に現れた聖母マリアは、洞窟でベルナデッタに名前を聞かれ、次のように答えたのです。
「私は、汚れなき孕り(やどり)です。」
この答えは、まわりの人々を驚かせました。その言葉の意味は、数年前にローマ法王が正式に聖母マリアのことを「汚れなき孕り」であるとして新たに信仰箇条として宣言した言葉だったからです。
貧しい無学のベルナデッタが、そんなカトリック教の教義を知るはずはなかったのです。 この言葉によって、聖母マリアの出現は村中に広がり大ニュースになりました。
聖母マリアのいいつけどおり、ベルナデッタは土を掘り水が沸いてきました。その数日後20年間白内障だった人物が、洞窟に涌いた泉の水で目を洗ったら、突然治ってしまったのです。
こうしてルルドの奇跡の泉が誕生したのです。
奇跡は続き、時が経ちました。
1903年にノーベル医学賞を受賞したカレル博士がその年に、彼の患者を連れてルルドの泉を訪れました
カレル博士は泉の奇跡に疑問を持っていましたが、患者が目の前でみるみるうちに治癒していくのを見て「これは間違いのない奇跡だ」と驚嘆のなかで宣言したのです。
日本人の科学者で、このカレル博士の発言をきっかけに、ルルドの泉の水の成分を本格的に研究した人物がいます。後述をお楽しみに。
こうしたルルドの泉の奇跡は、その後もつづいています。有名な霊的スポットとして訪れる人が絶えません。
しかし、もっと驚くべきことは、聖母出現に立ち会ったベルナデッタがその後修道会にに入り、1879年4月16日に35歳でなくなったのですが、30年後に墓を開いたとき、遺体は腐らず葬られたままの姿だったのです。
そして今では126年もの時を越えてヌベール修道会のガラスケースのなかでまるで眠るように安置されているベルナデッタの遺体を見ることができます。
まさに奇跡は続いているのです。







