パタンジャリは、古代ヨーガの伝統を甦らせた人物です。
仏陀の死後数百年後のインドに生まれ「ヨーガ・スートラ」という経典を残しています。
おそらく当時のインドは、仏陀が起こした新しい考え=仏教のエネルギーに席巻されていたでしょう。
そのなかで、当時までの少なくとも二千年をさかのぼることのできるインド哲学を再興し広めた人物と言えます。
なかでもパタンジャリの瞑想法は、現代のさまざまな瞑想法のルーツと言えるはずです。
パタンジャリの主張も、クリシュナムルティと同じように「いまこの瞬間」と向き合っているときのみ、霊的に目覚められる。というものです。
そして「いま」という瞬間からたえず注意を逸らす犯人は、思考する心である。とも言っています。
心はたえず「いまここ」を離れた記憶、イメージ、判断に流され、それらにまつわる抽象的な思考や物思いにふけってしまうのです。
瞑想するときの最初の課題は、思考する心を過去や未来への執着から離し、「いまここの」貴重な呼吸に意識をむける自由を取り戻すことなのです。
呼吸は、意識的にすることもできますし、無意識にもしています。
つまり意識と無意識。現象界とスピリチュアルな世界とをつなぐものなのです。
少年マンガで「ちばあきお」作の『キャプテン』と言うのがあります。
ちばあきおさんは、昭和52年『キャプテン』、『プレイボール』で第22回小学館漫画賞を受賞。『チャンプ』(ボクシング漫画)を連載中、昭和59年(1984)9月13日に自ら命を絶ちました。享年41歳でした。
「キャプテン」は少年野球マンガなのですが、猛練習の末につぎつぎと強敵を負かしていく感動物語りです。そのなかで、大舞台にたったチームの選手が、緊張していまいます。
落ち着きを取り戻し、ピッチャーの投げるボールに集中させるために、相手のピッチャーの呼吸・息使いに自分の呼吸を合わせて打席にはいるようにキャプテンが気付き指示します。
そして練習どおりの実力を発揮して勝ち進んでいくという場面がありました。
心を静めるために、呼吸に意識を集中させることは、余分な思考や体の緊張をなくす効果があるのです。
私たちは同時に複数の対象に注意を向けることはできません。
呼吸に意識を集中していると自然に思考や雑念から離れることができるのです。
そしてその意識を徐々に広げていきます。
呼吸への意識から、体全体への意識の拡大集中ができるとプロ級です。
ゴルフのショットのとき、集中しているようで集中ができません。
グリップの形状からトップの位置、ダウンスイングの起動、コックの返しやフォロースイングなどコンマ何秒の間にひとつひとつ意識してスイングすることは事実上不可能です。
そのようなときに体全体を意識できる心があれば、きっとすぐに上達することでしょう。
瞑想の要でもあります。
スポーツのような高度なからだの使い方でなくて、歩くという行為においても、実践することができます。
歩きながら呼吸に意識をむけて、思考の流れを止め、次に手足など全体に意識をむければ、効果的に意識を清らかな状態にできるはずです。
歩く瞑想です。
特別な時間や場所、環境でなくても瞑想はできるのです。
意識をいまここに保ち、内なる現実と外側の現実を『裁くことなく知覚しているとき』は、まさに瞑想していることなのです。
私達が、学ばなければならないたった一つのこととは、すべてを注意深く行うということでなのです。『自分の心、体、行動を観察し、すべてを完全に意識的に行える人間は、光り輝く存在になる。「オショー」』
「悟り」という遠い未来のなにかに向って直線的にすすんでいくことが、スピリチュアルな道ではありません。スピリチュアルな目覚めと言う「現在進行中のプロセス」を「いまこの瞬間」に体験していくことが、既にスピリチュアルな心の状態でいられるということです。
(参考引用抜粋:『セブン・マスターズ』[瞑想へのいざない] ジョン・セルビー著 サンマーク出版)