100を切ったら、バーディーを狙え。(13)

2005年06月01日(水) 19時12分03秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
ゴルフと言うのは、へたくそには余計に厳しいゲームであった。

ラフに入れる。林に入れる。
へたくそが、よりむづかしいライの中で打たねば成らぬ過酷な運命を創り出す。
自滅・悪循環の地獄が連鎖するのである。
山すその斜面でのつま先上がり。
はるかに見上げる傾斜を上って、木々を抜け隣のコースへ行って、焦りながら打って降りてくるだけで、息が切れる。体力の消耗もへたくそほど一段と激しい。 

1年前のあの美しい記憶はどこへ行ってしまったのだろう。
真夏の熱いあの日は、幻だったのだろうか。
雨が静まって霧に変わった小渕沢カントリーを後にして宿に向かう私の心は問うていた。

「なんで、思うように行かないんだろう。」それがゴルフだとはそのとき私は、まだ気が付いていなかった。
トータル147打。

1年前の暑い日の幻から覚めてみると、この現実は私を充分失望させていた。 

あの日が132打なのだから、今日のこの日は126打、つまりトリプルペースくらいでは回ることができると思っていたのである。
それがこともあろうにダブルパー、プラス3!なんということだ。

スコアの良し悪しもさる事ながら、この日のラウンドの苦しさにめげていた。
132と147。スコアなど、どんぐりの背比べ。目くそ歯くその例えで、言ってしまえばどうでも良い。

どうして楽しくないんだろう。
雨のせいでもない。
一緒に回ったメンツのせいでもない。 

この苦しさは、自分の心が生み出していたのだ。

1年前のご招待の日は、無心でいて結果など思いも至らなかった。
目の前のボールを一生懸命に打ち出すことを無邪気に楽しんでいた。
私を含めて誰も、スコアなど期待をしていなかったから、いや逆にかすかな期待を上回っていたから、純粋に楽しかったのである。

「現実と期待値とのギャップを埋めることができないと感じたとき、人は自ら不幸の罠に陥るのである。」

私は、この法則に自ら深く落ち込んでいた。
ぐるぐるとスパイラルダウン。 

だが、その日の宴会では、皆上機嫌で優しかった。地元の銘酒をギンギンに冷やした竹筒で注ぎ合いながら、楽しく飲んでいる。
いつもなら口の悪い連中なのにどうしてみんなこんなに優しいんだろう。
こんなへたくそに向って罵詈雑言。いじめられてもしようが無い。
むしろ自分が存外回りから期待されていなかったようで寂しささえも感じていた。 

今になって、あのときの周囲の優しさが、私には理解できる。
皆、通ってきた道なのである。
ハンディシングルの達者なものでさえ、かつて通ってきた道を私は歩き出していたのだ。 

誰かが言っていた。「1打あたりのコストパフォーマンスは、森田が一番安く上がっている。」

まぁ確かに。

100を切ったら、バーディーを狙え。(12)

2005年05月26日(木) 19時00分11秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
やっぱりゴルフを甘く見ていたのである。 
そして当日。第1ラウンドの始まりは「雨」だった。
 
1泊2ラウンドのゴルフ研修会の会場に選ばれたのは、長野県の諏訪湖に近い小渕沢カントリーである
暑い真夏には、高原の瀟洒なゴルフ場がふさわしいらしい。実にリッチなことだ。 
全長6,492ヤード・パー72 第1ホールは492ヤードパー5。いきなりのロングホール、しかも雨。
どうせ飛ばないに決まっているが、雨にかすんでボールが見えない。
おのおの雨具を着込んでいるが、釣り用の雨合羽を着た私は、もう既に気が遠くなりつつあった。

5番アイアンを必死に叩きつけた私は、7オン3パットにOBつきの12打。
汗だくのなか「決断の時」まで28時間の辛い真夏のラウンドが始まった。 

金属特有の光沢を放ち、細く美しいシャフト。このシャフトの先に片側にだけニョキッと突き出して、しかもひねくれたように角度を付けて鎮座するヘッド。
「こいつらが悪いんだ。ナンで曲がっているんだ。」心の中で悪態をつきながら、雨合羽を放棄して途方にくれていた。 

第2ホールの175ヤード・パー3は、何とかボギーで上がり、第3ホールの410ヤード・パー4も5オン・2パットでやっとこさの7打。
よーしやってやるぞと意気込んだ第4ホール、387ヤード・パー4にいたって、クラブが変な風に曲がって見えてきた。何をやっているのか次第に回りが遠くかすんでくる。
ぜいぜい言いながらグリーンにたどり着いたときは9打め。
数えるだけで余裕が無くなる。ついでに3パットでまた12打。第6ホール147ヤードのショートはダボ。第7ホール510ヤードのロングは、9オン4パットで13打。続く第8、9のミドルホールは、6打と9打で締めて75打。

「こんなはずじゃ。なかったのに。」後の祭の始まりだった。決断のときまで25時間。

著者: 夏坂 健
タイトル: ゴルフを以って人を観ん―緑のお遍路さんたち

100を切ったら、バーディーを狙え。(11)

2005年05月20日(金) 18時17分09秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
真夏の熱い空気を吸いながら、濃い自然の中で心地よい汗をかき、緑の中を歩き回って、一人ご満悦だった私は、しばらくたったある日、出席した同期の研修会で盛んに「パー」を吹聴してしまった。
やっぱりうれしいんだね。 

これが、致命的な一泊2ラウンドゴルフ研修会実施へむけての決め手になってしまったのである。
「森田、ゴルフしてるわけ?」  
田山氏が、乾いた声でつぶやいた。 

次年度の研修予定に7月23日・24日一泊研修、テーマ「ゴルフ」という事が決まったのはそれからまたしばらくたった翌年の春だった。 

人生とは「自ら蒔いた種を、自ら必ず刈り取る。」ジェームズ・アレンが著書で明らかにしたように、人生に偶然は無いのだった。

その年の夏が近づくと、結構なプレッシャーがかかってきた。

参加メンバーは猛者とも言えるゴルフ好きなうえに、いままでゴルフに付き合ってこなかった私が、一泊で参加するのだから鵜の目、鷹の目である。
会えば「練習してる?」話せば、「どんなゴルフか楽しみやのう。」
少々あせった私は、直前の1カ月間、ゴルフスクールに通うことにした。

いつも5番アイアンを握っていた。

100を切ったら、バーディーを狙え。(10)

2005年04月22日(金) 17時49分57秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
 とにかく暑かった。私にとっては最高のシチュエーションだった。
私を除く3人は当然ながらゴルフ経験者で2人は久しぶりのラウンドではあったが、
 「森田さん、ゴルフというのはね。」というお決まりの世話好きゴルファー。
ああでもない、こうでもないと言われながら、
「森田さん、なかなか筋が良いじゃないですか。」と言う具合にお世辞をくれていたが、ハーフが終わってスルーでバックナインに入る頃には顔を真っ赤にし、汗をしこたま流しながら、
 「真夏にゴルフはやるものじゃない。しかもスルーなんて地獄だ。」と根を上げ始めた。

私は心地よかった。  確かに暑かった。その日の夕方のニュースでは37度がどうのとか、各地の熱島ぶりを盛んにアナウンスしてたッケ。

私はもちろんズブの素人、ヘタッピー。ドライバーなど持ってしまったら、皆さんの迷惑。と言うことは自認していたわけで、第1ホールのティーグラウンドから7番アイアンを固く握り締め、身体も一緒にかちかちの中、渾身の気合いを入れ、20%の期待を込めて第1打を放った。

そして一人歩き出す。そうなのだ。すぐそこにボールが待っている。
363ヤード・パー4。2打目も黙って7番アイアン。  
キャディーさんが優しかった。こんな私にもいちいち残りの距離を教えてくれる。こんなキャディさんに付いてもらって私はラッキーだった。
それでも第3打もやっぱり7番アイアン。少しは力も抜けて、さすがに3度目の正直。すでにグリーン回りにおのおのたどり着いていた3人の目の前で、白球は放物線を描きながらピン横1ヤードに落ちたのである。

こうして記念すべきご招待ゴルフは、パーで始まった。そして、スルーの後の食事とビールをいただきながら、すがすがしい汗と満足感の中、132のスコアを残して長く楽しい1日が終わったのである。)

100を切ったら、バーディーを狙え。(9)

2005年04月14日(木) 10時14分28秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
  一緒に事業を展開している今井氏の招待(つまりタダなのだ)は断る気がしなかったし、とにかくゴルフを甘く見ていた。気の置けないメンバーと言うのも幸いした。
この時の真夏のスルーゴルフが、1泊2ラウンドゴルフ研修会出席への2つめの布石となったのである。  クラブも靴も借り物の、傍若無人など素人が名門ゴルフ場に足を踏み入れてしまったのである。  
 平成14年8月末の雲一つない晴天の中、共和カントリーに着いた。この道中は勝手知った道である。私達の山小屋は、長野県阿南町にある。名古屋からは、名古屋インターから東へでて、愛・地球博の会場のまん前を通りぬけ、国道153号線を飯田に向ってずんずんと北上して、途中長野県平谷村を右折して国道418号線に進んで阿南町に入る。  
 この記念すべき日のゴルフ場はその道中にあった。途中もみじ狩で有名な香嵐渓の渋滞を避けるために、いつも共和カントリーを通る「ゴルフ道」を通っていたのである。私見だが、まるでゴルフに行く人のために創られたような丘陵を抜けていく道路と言っておこう。  

 世間では「ゴルフ歴」なるものが存在するようだ。ゴルフ番組で素人参加の場合、たいていはこの肩書きがつく。そこがずいぶんと悩ましい。私ははたしてゴルフ歴26年なのであろうか。

100を切ったら、バーディーを狙え。(8)

2005年04月11日(月) 10時12分28秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
バブルの頃にも全然バブラずに、堅実に地味にそしてささやかな幸運に支えられて商売をしていた私だったが、ある年に行政書士事務所の売上が急激にダウンしてしまった。
規制緩和の風に吹かれて「世の中は良くなったけど、売上がさぶくなった。」のである。
そこで新規事業を志した。 「教育こそが、人を創る。」そう思った私は個別学習塾のフランチャイズ契約をし、平成12年2月に個別指導学習塾 「IE一橋学院 名東校」を開業するのだが、その後とんとん拍子に縁があり、ささやかな幸運に恵まれながら、守備良く仲間を得て、今では3人のオーナーが名古屋市名東区周辺に14教室を運営するグループを形成している。
この学習塾、実は私の教室が名古屋では第1校目だったのだが、今では愛知県内に50数校、全国では500校を超えるまでに成長している。  
その3人のオーナーの一人が、3オーナーの親睦と感謝を兼ねて、ご自身が会員である共和カントリーに私を招待してくださったのである。「お誕生日サービスデー」とかいうものを利用したらしい。もう一人、気の置けない知人である事務機販売の営業マンを道連れに真夏のスルーゴルフが始まった。
ちなみにその営業マンは、亡き市古君の仕事を引き継いでいた。

100を切ったら、バーディーを狙え。(7)

2005年04月06日(水) 17時39分00秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
 その市古君は38歳で亡くなった。胃がんである。
 「いいやつほど、早く死ぬ」。
  もうこの人生で経験すべきことを終えてしまったのか。闘病6カ月の妻の愛をしっかりと確かめ、抱きとめて、彼は逝ってしまった。平和公園の片隅に愛車であったランドクルーザーが刻まれた墓標が作られた。  
 余談だが、彼が亡くなってから、彼が私の夢に出てきたことがある。なにやら必死の様相で、地上に残してきた彼の「奥様のトラブル」について、どうのこうのと私に必死に訴えているのだ。夢の中で私は考えた。「気持ちはわかるが、俺にはどうしようもないよ。」そして言った。「もうおまえは死んでるんだから、あきらめな。奥さんの自由にしてやれよ。」それから、2度と私の夢には出てこない。  
 その彼に、入院する前の年に切に頼まれて一緒にゴルフスクールに通ったのである。
 「一人で行くのじゃ気恥ずかしいし、若い連中ばっかりだろうし。」意外に気が小さい彼は、仕事柄ゴルフが必要だった。接待ゴルフに付き合いゴルフ。  
 たった3カ月の短期のスクール経験だったが、私はその後、ゴルフを甘く見たのである。
 「けっこうまっすぐ飛ぶジャンか。軽いスポーツとしては悪くない。ゲームとしても面白い。だけどコースはダメだ。農薬だらけの自然破壊だ。」
 いつも私は7番アイアンだけを借りていた。  ちなみに彼がゴルフスクールに入学した目的は、ドライバーで思いきりかっ飛ばすことだった。

100を切ったら、バーディーを狙え。(6)

2005年04月01日(金) 10時11分11秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
 この山小屋建築の愛すべき仲間の一人に市古という男がいた。彼は事務機販売店の若き番頭で、突っ張り高校生の頃、私の同級生であり麻雀仲間であった谷中氏(この男はログハウス建築仲間となる)の大学時代のアルバイト先での後輩という出会いだったが、世の中不思議なもので私がカフェバーを出したすぐ近所に移り住んでいたのである。  私の店の開業直後にたまたま近所の文具店に事務用品を買いにいったら、ご対面である。 「森田さんじゃないですか。」  この彼が、私をゴルフ研修に参加させる第1のきっかけを作ったのである。  彼は、工作は全くのダメ人間で、手先は滅法不器用なのだが、口先は達者で、ほとんど宴会担当ではあったが、さすが体育会系の営業マン。乗りの良い人間で、くだんのハイヒールの女性も彼の知り合いだった。奇蹟的にこの山小屋が、民放テレビの番組で取材され2週にわたって放映があったときに、日頃はくぎ一つ打ったことのない彼が、ちゃっかり大きなのこぎりを手に持って映っていたときなど、仲間内では大笑いをしたことが、本当に懐かしく思い出せる。彼のおかげで賑やかで艶っぽい山小屋生活が続いたのである。

100を切ったら、バーディーを狙え。(5)

2005年03月22日(火) 16時57分38秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
 その頃の私は、毎週のように山に向って車を走らせていた。ただし、もう既に山岳暴走族ではなく、手作りでログハウスを建築するためであった。つくづく思うけれども私は山や森、川と言った自然が大好きなのである。それ以上に実は金がなかったから、手作りなのである。
 ど素人が山の木を切り、スコップ片手に斜面に基礎を作り、汗水垂らしながらログハウスづくりに挑戦していたのである。奇蹟と偶然が縁を結び、様々な出来事が絡み合って不可能が可能に成っていった。 
 建物の概観ができるまで、ゆうに3年を費やした。その後の10年ほどは、できあがったログハウスは、黄金期であった。友達やら、その知り合いやら、ものめずらしさに騙されて最盛期は年間のべ200人もの訪問者があったものである。
 ちなみにこのログハウス建築に関わった仲間達は、この建物をログハウスとは呼ばない。「山小屋」と呼ぶ。ログハウスをイメージしておしゃれな温泉ツアーに参加したつもりの20代の女性は、ミニスカートにハイヒールといういでたちで車から降りた。その後彼女は2度とやってこない。まさに「山小屋」なのだから。
次回に続く

100を切ったら、バーディーを狙え。(4)

2005年03月17日(木) 10時55分19秒 テーマ:物語り:ゴルフ編
 さて、最初の仕事が、全くの期待はずれで、目の前真っ暗だった頃、くだんの経営者のための自己啓発団体に誘われた。頭でっかちで何でもできると思い込んでの脱サラが大失敗だったことで、心底勉強したいと思った。経営の勉強ができるならと考えて入会したのである。私は第13期生だった。
 この13期生は、2代目経営者も多く皆さん羽振りがよかった。くだんの7人の連中も皆同期で、当初から連れ立ってゴルフに興じていたらしいが、それを尻目にわたしはいつも誘いを拒否していた。
「ゴルフなんて。金と暇のあるやつの道楽じゃないか。やめとこ。」
 こんな私は付き合いも悪く、零細事業主であることのひがみもあって最初の頃は青経塾の中では浮いていたが、途中で退熟せずその後の素晴らしい経験と仲間を得られたのにはささやかな幸運があったのである。
 同期生25名の中に偶然にも縁のあった人間が2名いたのである。そのうちの一人が私にゴルフの決断を迫っている田山氏だった。小学校1年の時の同級生だったのである。彼はその年のうちに引っ越したのでほんの1年。しかも年少のことでほとんど記憶にはないのだが、ささやかなつながりがあると親近感が生まれるものだ。
 もうひとりはサラリーマン時代の後輩で彼とは営業と制作マンという関係だった。独立してデザイン事務所を経営していた。世の中広いようで実は狭い。これぞまさにシンクロニシティーである。    次回に続く

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