思考の次元 祈りと学び
2011年03月15日(火) 16時37分13秒 テーマ:森田ゼミ2
3月11日の大地震と大津波では、TVを通してリアルタイムでその惨劇が私たちに届けられました。
今日も、被災地では救命・捜索、救援活動が続けられています。
被災者の方々には、お悔やみとお見舞いを申し上げます。
私たちは、映像を見、何もできない自分に大きな無力感を感じています。
只ただ、ひとりでも多くの人命が救われ、かつ避難者のかたがたと救援活動の方々の安全・無事を祈らずに入られません。、
そう。私たちは、祈ることができます。
私たちのこの祈りは、必ず通じます。
具体的に、また物理的に何もできなくても、私たちの祈りには「力」があると思っています。
被災地で、多くの避難者の方々が、身近な安否不明の人々の無事を祈っているように、私たちも名も知らぬ人々のために祈りましょう。
そして、祈りとともに学ぶことができます。
個人が、地域が、行政が・・・ありとあらゆる立場で、この大きな悲劇から、同じような悲劇が起こらないように、学ぶことができます。
大きな被害を受け、電気も無く電話も通じないとき、自分はどうしたら「大切」なものを守れるか?
その瞬間に判断し、行動するために、学ぶことができます。
今、被災地で何が起こり、これから何がおきていくのか・・・・・・、そしてどうすればよいのか。
しっかりと記憶にとどめ、考えていくことを続けなければなりません。
今は、一般人としてできることは、祈ることと学ぶこと以外には大変限られていますが、徐々に私たちの身近な生活に影響が見出されるようになります。
現に直接多くの人命が失われた沿岸地域だけでなく、内陸部の東北・関東北部では、ライフラインや社会インフラに多大な損傷を受け、通常の生活は困難を極めています。
さらに、関東全域で、計画停電が実施され首都圏では日常生活や企業活動におおきな影響が出ています。
人命だけでなく、莫大な量の「資源」が一瞬にして失われたことの意味を考えなくてはなりません。
製油所・発電所をはじめとしたエネルギー資源だけでなく、住居や家財をはじめ、数十万人分の生活資源も同時に失われているのです。
私たちは、被災地やその周辺の方々の復旧や復興に支障を生じないように、身近な資源を浪費しないように、すぐにでも学び、考え、実行しなくてはなりません。
可及的速やかに、せめて最低限の安全で安定した生活を、被災者の方々が送ることができるように、私たちはそういった広範な資源を節約しなければならないと思います。
それによってすべてを失った被災者の方々に、優先的に資源や製品が届くことを祈るのです。
被災地では、家屋や家財が失われただけでなく、「土地」そのものも失っってしまったと思われます。
農地が海水に洗われた集落では、当分の間、農地として不適合であるばかりでなく、地震によって海水面より地盤全体が低くなってしまっています。
都会であれば、土地を処分して生活再生の糧にするという選択肢もありますが、沿岸部の方々には、むずかしい話です。
また、被災者の方々の仮設住宅も住み慣れた被災地に建設が困難な場合、被害を免れた家屋や世帯であっても、無人にちかい集落で生活していくことができるでしょうか?
まさに集落が人々の生活の場であり、仕事の場であったのですから。
壊れた家屋や、港湾施設、河川・道路などを被災前の状態に作り直すだけでも甚大な資金と時間がかかりますが、今回の震災では、そのままの復興はありえません。
辛抱強く、復興計画とその実行を「待たねばならない」ことが必然です。
直接的に、具体的に被災者の方々の役に立つことのできる人は限られていますが、
私たち誰もが、辛抱強く「祈り続ける」ことと「学び続ける」ことは、できると思うのです。
今日も、被災地では救命・捜索、救援活動が続けられています。
被災者の方々には、お悔やみとお見舞いを申し上げます。
私たちは、映像を見、何もできない自分に大きな無力感を感じています。
只ただ、ひとりでも多くの人命が救われ、かつ避難者のかたがたと救援活動の方々の安全・無事を祈らずに入られません。、
そう。私たちは、祈ることができます。
私たちのこの祈りは、必ず通じます。
具体的に、また物理的に何もできなくても、私たちの祈りには「力」があると思っています。
被災地で、多くの避難者の方々が、身近な安否不明の人々の無事を祈っているように、私たちも名も知らぬ人々のために祈りましょう。
そして、祈りとともに学ぶことができます。
個人が、地域が、行政が・・・ありとあらゆる立場で、この大きな悲劇から、同じような悲劇が起こらないように、学ぶことができます。
大きな被害を受け、電気も無く電話も通じないとき、自分はどうしたら「大切」なものを守れるか?
その瞬間に判断し、行動するために、学ぶことができます。
今、被災地で何が起こり、これから何がおきていくのか・・・・・・、そしてどうすればよいのか。
しっかりと記憶にとどめ、考えていくことを続けなければなりません。
今は、一般人としてできることは、祈ることと学ぶこと以外には大変限られていますが、徐々に私たちの身近な生活に影響が見出されるようになります。
現に直接多くの人命が失われた沿岸地域だけでなく、内陸部の東北・関東北部では、ライフラインや社会インフラに多大な損傷を受け、通常の生活は困難を極めています。
さらに、関東全域で、計画停電が実施され首都圏では日常生活や企業活動におおきな影響が出ています。
人命だけでなく、莫大な量の「資源」が一瞬にして失われたことの意味を考えなくてはなりません。
製油所・発電所をはじめとしたエネルギー資源だけでなく、住居や家財をはじめ、数十万人分の生活資源も同時に失われているのです。
私たちは、被災地やその周辺の方々の復旧や復興に支障を生じないように、身近な資源を浪費しないように、すぐにでも学び、考え、実行しなくてはなりません。
可及的速やかに、せめて最低限の安全で安定した生活を、被災者の方々が送ることができるように、私たちはそういった広範な資源を節約しなければならないと思います。
それによってすべてを失った被災者の方々に、優先的に資源や製品が届くことを祈るのです。
被災地では、家屋や家財が失われただけでなく、「土地」そのものも失っってしまったと思われます。
農地が海水に洗われた集落では、当分の間、農地として不適合であるばかりでなく、地震によって海水面より地盤全体が低くなってしまっています。
都会であれば、土地を処分して生活再生の糧にするという選択肢もありますが、沿岸部の方々には、むずかしい話です。
また、被災者の方々の仮設住宅も住み慣れた被災地に建設が困難な場合、被害を免れた家屋や世帯であっても、無人にちかい集落で生活していくことができるでしょうか?
まさに集落が人々の生活の場であり、仕事の場であったのですから。
壊れた家屋や、港湾施設、河川・道路などを被災前の状態に作り直すだけでも甚大な資金と時間がかかりますが、今回の震災では、そのままの復興はありえません。
辛抱強く、復興計画とその実行を「待たねばならない」ことが必然です。
直接的に、具体的に被災者の方々の役に立つことのできる人は限られていますが、
私たち誰もが、辛抱強く「祈り続ける」ことと「学び続ける」ことは、できると思うのです。







