王陽明② 王陽明の生涯 立志修行時代
2005年04月02日(土) 10時00分43秒 テーマ:古今東西の成功哲学
(「真説・陽明学」入門 林田明大著 からの抜粋)
王陽明は、中国明王朝の時代(1368年~1644年)の真っ只中1472年に生まれた。コロンブスが新大陸を発見したとされる20年前である。当時は新儒教といわれた朱子学が儒教の中で主流であった。政治的には、数々の民族の侵入や各地の流賊が跋扈し、王朝は恐怖政治がはびこるという内憂外患の時代だった。
そうした環境の中で陽明は朱子学を学んだが、30歳のときに大病にかかる。肺病である。これをきっかけに「神仙」の道に凝るようになる。《病気は、人格を存在の瀬戸際まで追い詰め、以前は意識していなかった自分の人生の意味と目的とをそこに集結させる。~心理学者ユング派のセラピスト、ラッセル・ロックハート》 神仙思想は、老子を祖と仰ぐ道教と、儒教に対立する老荘思想を指している。その神仙の道で陽明は、病気を治すことを目的に道家で行う導引術(呼吸法)を学んだのである。このとき陽明は「予知能力」や「光と一体となる恍惚体験」などの神秘体験を得たという。」
しかし、陽明は人間性の向上を目指していたので、超能力と人間性とは比例しないことを見抜いて仙道の修練を止める。 次に陽明は仏教に懲り出して静坐を始めた。すると次第にこの世は苦しみや悪が多くて生きる値打ちがなく、どこか人里はなれた山中にでもいって修行に専念したいという願望が強くなった。しかし、ここでも陽明は、年老いた父母への情を絶つことは、自身の人間性をも否定してしまうことに気付き、人間の情愛を肯定する「良知」の学びへのインスピレーションを得る。陽明は仏教を排斥しているのではなく、儒教・仏教・老荘の区別を際立たせ排他的になるのは小道であり、すべてを含めて主体的にそれらを生かしていくのが大道である。と考えていた。
陽明が33歳のとき官職に復帰し、34歳頃から立志の大切さを訴えている。《ふだんから、一念一念に愛情を込めるように努めることことを心掛けていれば、やがては自然に愛が心の中に確立され、意識しなくても愛を発揮できるようになる。料理をするときも、掃除をするときも、心のこもらない機械的な作業になってはいけない。》
王陽明は、中国明王朝の時代(1368年~1644年)の真っ只中1472年に生まれた。コロンブスが新大陸を発見したとされる20年前である。当時は新儒教といわれた朱子学が儒教の中で主流であった。政治的には、数々の民族の侵入や各地の流賊が跋扈し、王朝は恐怖政治がはびこるという内憂外患の時代だった。
そうした環境の中で陽明は朱子学を学んだが、30歳のときに大病にかかる。肺病である。これをきっかけに「神仙」の道に凝るようになる。《病気は、人格を存在の瀬戸際まで追い詰め、以前は意識していなかった自分の人生の意味と目的とをそこに集結させる。~心理学者ユング派のセラピスト、ラッセル・ロックハート》 神仙思想は、老子を祖と仰ぐ道教と、儒教に対立する老荘思想を指している。その神仙の道で陽明は、病気を治すことを目的に道家で行う導引術(呼吸法)を学んだのである。このとき陽明は「予知能力」や「光と一体となる恍惚体験」などの神秘体験を得たという。」
しかし、陽明は人間性の向上を目指していたので、超能力と人間性とは比例しないことを見抜いて仙道の修練を止める。 次に陽明は仏教に懲り出して静坐を始めた。すると次第にこの世は苦しみや悪が多くて生きる値打ちがなく、どこか人里はなれた山中にでもいって修行に専念したいという願望が強くなった。しかし、ここでも陽明は、年老いた父母への情を絶つことは、自身の人間性をも否定してしまうことに気付き、人間の情愛を肯定する「良知」の学びへのインスピレーションを得る。陽明は仏教を排斥しているのではなく、儒教・仏教・老荘の区別を際立たせ排他的になるのは小道であり、すべてを含めて主体的にそれらを生かしていくのが大道である。と考えていた。
陽明が33歳のとき官職に復帰し、34歳頃から立志の大切さを訴えている。《ふだんから、一念一念に愛情を込めるように努めることことを心掛けていれば、やがては自然に愛が心の中に確立され、意識しなくても愛を発揮できるようになる。料理をするときも、掃除をするときも、心のこもらない機械的な作業になってはいけない。》








