ハッピーでいられる自分が好き 森田ゼミ 3/28 講義録⑨

2006年04月04日(火) 16時28分24秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
さて、皆さんはアシュリーという少女をご存知でしょうか?
何度かTVでも取り上げられた難病である「早期老化症(プロジェリア)」の少女です。

プロジェリアというのは、普通の人の10倍ぐらいの速さで老化が進んでしまう奇病ですけど、アシュリーはもう14歳。プロジェリア患者の平均寿命を超えてしまいました。

そんな彼女の言葉と姿、彼女が書いた絵などが本になっています。

彼女の言葉を少しご紹介します。

『ひどいことを言われて相手に怒りを感じたときは、
その人に怒り返さないように、自分に待ったをかけるの。』

『憤りが相手にそういわせたんだってことが見えてきて、
自分のなかの怒りや悲しみが消えてゆくの。』

『ハッピーでいられる自分が好き。
悪口を言われたときでも、
誰かが私に怒ったときでも、
相手に対して怒らないでいられる自分が好き。』

『プロジェリアじゃなければいいのに、なんて思わないわ。
わたしは、わたしという人間であることが幸せだし、
神さまがわたしをお創りになったのには、きっと理由があるはずだもの。』

ご静聴ありがとうございました。次回は4月25日です。(拍手)

人生は、心一つの置きどころ 森田ゼミ 3/28 講義録⑧

2006年04月04日(火) 16時25分45秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
もういちど天風師の言葉を借りてみましょう。
心とは、
 『人生は、心一つの置きどころ。霊魂というひとつの気体。もっと単純に言えば「気」である。これがいわゆる人間の心(精神)と体を支配するもので、私が便宜的に使っている心とは、「気(霊魂)の支配する心」という意味である。この目に見えない「気(魂・霊魂)」が、現象世界にその生命を表現しようとする場合に、必要な道具として与えられたのが肉体と心なのである。(中村天風 銀の言葉 /岬 龍一郎 KKベストセラーズから)

どうでしょうか。「私たちは宇宙のさざなみである」に近づいていませんか。

さぁ、私たちの心は、表現していく主体であるものです。
それを妨げているものの一つが「エゴ」、偏った感情なんですね。
特に怒り。

さて、大変恐縮ですが、またまたゴルフの話。
おなじみの夏坂健氏の『だからゴルフはやめられない』から、引用します。

『怒ったら、負けるのがゴルフの掟

「怒りはゴルフの最大の敵である」 この格言を残したノーマン・フォン・ニーダは、1947年にイギリスの賞金王を獲得し、名誉あるバードン・トロフィーまで手中にしたオーストラリア人である。(略)さて、飛ぶ鳥落とす勢いのジーン・サラゼンがオーストラリアにやってきて、エキジビション・マッチが行われることになった。(略)
12番が終わったところで実に4アップの差をつけ、迎えた13番のショートホール。 
ニーダのティーショットは、あわやホールイン・ワンかと思うピン60センチ。
サラゼンも負けじとピン90センチの競演ぶり。
グリーンにあがったニーダは、大先輩に敬意を表してサラゼンのボールを拾い上げ、にっこり手渡した。
当然のこと、もっと短い自分のボールにもOKが出るものと手を伸ばしかけたが、サラゼンは知らん顔。
その瞬間、カーッと頭に血がのぼった。
「汚ねぇ野郎だ。礼儀ってものを知らねえのか。畜生、許せない。アメ公め」
顔面を朱に染め、あらんかぎりの悪態をつぶやき、わななく手で短いパットを押し込もうとした。
ところがボールはふちを一回転、カップに入らなかった。 
この醜態でさらに逆上した彼は、次の14番で2発のOBを打ってギブアップ。
それからというもの、やることなすこと歯車がまったく噛み合わず、残りのホールを全部取られて敗北、アメリカ行きもオジャンになった。(中略) 
さて、ゴルフの歴史を振り返ってみると、怒りを露にするタイプは勝負に弱いという事実に気が付く。
怒りは自分を見失う激しい感情であり、冷静なコントロールを神髄とする穏やかなゲームに、およそ似つかしくないのだ。
プロのキングと呼ばれたウォルター・ヘーゲンでさえ、
「何かに腹を立てたゲームで、勝ったためしがない」 と述懐していた。
ゴルフに不運は当たり前。3連続OB、5連続ロストボールに遭遇しようとも、コースにいるのはしばしの時間だ。遠くの景色を眺めながら、過去のナイスショットでも思い出すとしようじゃないか。』
<続く>

色即是空 森田ゼミ 3/28 講義録⑦

2006年04月04日(火) 16時24分03秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
般若心経の「空」。
すべてのものは「空」。
説明をとばしてしまいました。

えっ。別に気にならないですか。

でもすこしだけ。

色即是空、空即是色。とても有名な文句ですが、量子力学的記述でもあります。
極小の粒子、クオークや電子、そう、素粒子の世界では、生まれては、消滅することを繰り返している。
空間からね。生まれては消える。

A地点からB地点に電子を一つ飛ばすと、電子が高速で飛んでいる間、AとBとの間の近くも遠くも、すべての空間にその電子が存在しているって、理解できます?存在確率による偏在です。

うーむ。意味不明ですか?

電子がAから出て無限に偏在して「色即是空」、結局Bに収束する。
それが「空即是色」です。
これを応用してノーベル賞をもらったのが「トンネル効果」のダイオードを作った江崎先生です。

そういうとなんか現実味があるでしょ。

「空」っていうのは、法則を持ったエネルギーです。

「色」は、その法則とエネルギーによってこの世界に表現されたものです。
<続く>

理想と現実とのギャップ 森田ゼミ 3/28 講義録⑥

2006年04月04日(火) 16時22分31秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
皆さんもよく知っている王陽明の「心即理」も同じことを言っています。

『この心が私欲に覆われていない状態が、すなわち天理そのものなのです。それ以上そとから何かを付け加える必要はないのです。この天理そのままの純な心を発揮して、父に仕えればそれがすなわち孝なのです。発揮して君に仕えれば、それがすなわち忠なのです。さらに友と交わり民を治めるときに発揮したら、それがすなわち信であり、仁なのです。ただこの心から人欲を取り除いて天理を発揮するように努力さえすれば、それでいいのです。』<<徐愛との会話>> (「真説・陽明学」入門 林 田明大 三五館から)

陽明のいう私欲が、チョプラ氏の言う自らの願望・エゴですね。
そこから快楽も苦痛も生まれる。
それを取り払ってしまえば、心イコール天理となる。

「不幸とは、理想と現実とのギャップを埋められないと感じている人の心である。」

これは、私が10代のときに母を見ていて思ったことです。

その母も天国に召されました。人は生まれて死んでいかなかったものはいない。
あぁそれが自然な成り行きです。
いつまでも生きたい。
生きていて欲しい。
と思う心に、苦痛が生まれる。
怒りが生まれる。
恐怖が生まれる。
悲しみが生まれる。
<続く>

感情的な束縛から心を自由に 森田ゼミ 3/28 講義録⑤

2006年04月04日(火) 16時18分03秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
感情的な束縛から心を自由にする。
このことを、有名な般若心経でみてみましょう。

観自在菩薩 行「深般若波羅蜜多」時 照見五蘊皆空 度一切苦厄。

観自在菩薩が、「悟りをひらくための智慧を説いた教え」を行っていたら、
すべてものは「空」であって「苦しみ」も「厄」もないのだ。
とわかった。

それだけのお経です。
あとの文句はあれこれと例をあげて、お釈迦様が弟子の舎利子に言ってるわけです。
というか、だから「観自在」菩薩なんです。

心が自在で縛られていない。
悟りを得た人のあとの名前ですよね。

愛知県犬山市の寂光院の松平住職が明晰に説教をしてくれたときを思い出します。

私たちは身体の自由については、気を使っている。
でも心の自由さは気にしていない。
心が自由なことを「自在=自らで在る」というんだと。

天風師もこう言っています。

「観念要素の更改」
消極的精神を掃除する法。

『天風哲学では、消極的心を悪とみなす。その消極的要素を積極的要素に改めることを「観念要素の更改」という。 「人間は、肉体を自由に動かすことができるのに、どうして心を自由に動かすことができないのか」心の奥の潜在意識が消極的観念で充満していて、心のアンテナというべき感応性能が狂っているからだ。あなたがたが、夜寝際に、お風呂に入って体の垢を落とすように、眠りに就く前に心の中も掃除しなさい。夜の睡眠は、哲学的に言うと、生きる生命を偉大なる創造主のお力に預けている時だ。』

ついでに先ほどのクンバハカ「神経反射の調節」のくだり。

 『恐れず、怒らず、悲しまず。怒ったり、恐がったり、感情や感覚のショックを感じたら、すぐに肛門を締める。そして、同時に下腹部に力を込め、肩の力を抜いてストンと落とす。同時に深呼吸を行う。この呼吸法は、いざというとき落ち着いた気分が求めずして得られ、今までのように感覚や感情にひきずられた言動をしなくなり、心はいつも平常となる。』

そもそも、苦しみやそして快楽さえも、心の解釈から生まれるわけです。
期待や願望が生み出す派生物ですね。

期待が高ければ高いほど、現実とのギャップが大きければ大きいほど苦しみは大きくなる。
怒りも生まれる。
実現しないんじゃないかという恐怖も生まれる。
ついには大きな悲しみとなる。

心が縛られている。
自分の生み出した欲望にね。
あるいは世間の常識にね。

縛られているわけです。
<続く>

観察者としての自分 森田ゼミ 3/28 講義録④

2006年04月04日(火) 16時14分56秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
湧き上がる、自然に湧き上がる感情。
勿論人それぞれ感情には濃淡があって、でも本当の心の動きは他人からは見えません。
人からは冷静に見えて、でも心の中は『燃える炎』に焼き尽くされているかも?
心の中はどろどろに煮えたぎっているかも?
その燃える炎をどうしよう。
あるいはくすぶるような火種はどうしよう。

受動から自発へ。
依存から自立へ。

これがキーワードです。

何かのせいにする。
人のせいにする。それはやめましょう。

そして、評価から観察へ心の態度をシフトしましょう。

私は怒っている。
私は怯えている。
私は悲しんでいる。

それでいいんです。そのままで。ありのままの姿。

自分の感情を真正面から受け止めて、それ以上評価をしない。
理由付けをしない。
何かのせいにしない。
誰のせいにもしない。

もうひとりの自分を作っていく。

自分の感情をありのままに受け止める観察者としての自分を置く。

『メンタル・タフネス for ゴルフ』という本を 岡本正善さんというかたが書いています。
岡本さんは、田中秀道プロが泣かず飛ばずだった頃にメンタルコーチをして、田中プロを一流に変えてしまった人です。
岡本さんはゴルフの達人というわけではありません。
潜在意識理論を使ったメンタルコーチです。 

氏は著作の中で、心と身体を合致させることを説いています。
以下抜粋してまとめて見ました。

『人間の身体の中で本人の意思でコントロールされているのはわずか数%。残りの90数%は、潜在意識であり、潜在意識に蓄積されている情報や技術力が潜在能力と呼ばれるもの。
心と身体の合致とは、潜在意識と身体のスムーズな連動の妨げとなる「フタ」を取り払うこと。
潜在意識は、実際の経験と想像したことを区別しないので、イメージトレーニングによって未来を経験させてくれる。
潜在意識は、不安や悩みに対する答えを考えてくれる。
その答えが「気づき」である。
心と身体が合致した状態とは、頭が「リラックスした集中状態」である。
この状態を得るには、
①集中②イメージ③目標設定の3つのアプローチが必要。

① 集中:余計なことに気を奪われない

② イメージ:客観的な視点に立って自分の様子を眺める余裕

③ 目標設定:潜在意識は目的を与えられないと活性化しない     』

潜在意識とからだの連動を妨げる「フタ」というのが、さまざまな感情です。
感情を伴った思考とも言える。
②の客観的な視点に立って自分の様子を眺める余裕。というのは、まさにもう一人の観察者としての自分ですね。
これが、感情の嵐を成長の糧とする方法です。<続く>

心ですね。ゴルフは 森田ゼミ 3/28 講義録③

2006年04月04日(火) 16時11分52秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
 充電中ではありますが、先月定光寺のオープンコンペに行ってきました。
早く着いてパターの練習をしようと。
でもね。あそこは、フロントのカートのあるところと、OUTのスタート位置までが距離があって、しかもOUTのスタートのところにしか練習グリーンがないんですよ。

カートを出してしまうと他の3人が歩いてこなきゃいけない。
赤の他人を歩かせる訳に行かないし、どうしようかな。
早く他の3人こないかな。なんてやきもきしてたんですが、3人目がぎりぎり時間になってもこないんですよ。

しょうがないのでフロントに確かめに言ったら
「あっ。さきに行って練習グリーンにいるはずです。」なんて。がくっとね。
私は。やきもきした挙句に、えっ。私のしたかったパターの練習してるわけ?この温厚な私ですが、気持ちの整理がつきませんでしたね。結果を見ると。

結局第1ホールのオーナーを引き当てて、えいやっと。振り向けば、ドライバーがシャンクでOBですから。(笑)

汗かきべそかきして、結局7発のOBがあって、OUTのハーフで64でした。
INで落ち着いて46。
同じ人間ですか?このスコア。

ちなみに練習グリーン満喫のそのゴルファー、46・46の92。
後半のINが私と同じ46だったのがすごく不思議そうで、不満そうにぶつぶついってました。

前半はトリプルペース。後半はボギーペース。
心ですね。ゴルフは。

思い出しました。初めて定光寺のオープンコンペにでたのが、2003年の12月25日でクリスマス杯。
このときも第1打のドライバーがチョロでOUT80。INが50の130。
小心者なんです。いや虚栄心の塊かな。(笑)

20も縮まったことに感謝しなきゃね。でも。なんでかな。定光寺では未だに100が切れないんです。

去年の9月のオープンコンペでOUT47。IN53。100がベストスコア。まだ未練言ってますけど。(笑)
でもね。定光寺から離れられない。
ここで苦労してるとよそで楽なんですよね。
ぜひご一緒しましょう。

中部銀次郎さんの著作を読むようになってから、練習場で我武者羅に振らなくなりました。
以前は週3日くらいは行っていて、1日平均で300球以上打ってましたけど。
むなしくなりました。
下手打ち固めするより、『無』の境地ですから。

それで今日はどうかな。なんて、ふうっ。と思いながら、慎重に第1打を練習場で打つでしょ。これで判るんです。
その日の仕事。そのときの気持ち。
心配事や後の事なんかあったりすると、へちゃら球になるんですね。
気が入ってない。
練習球で意味のあるのは、最初の打球と、最後の打球だそうです。
最初の1発。そして最後の1発。
練習の中ではいちばんプレッシャーがかかっているスイング。
これで実力が判るようになります。
だから数打たないでいい。へたしたら2球でいい。いっぺんやってみましょう。(笑)

私たちは、あまりにも人間臭い。
だから感情をなくす事は出来ませんね。
無くそうとしたらきっと地獄です。
危ないです。

いつか切れますね。感情を無くそうって言ったって、それは不自然でしょ。
<続く>

怒りと恐れと悲しみは、同じモノ 森田ゼミ 3/28 講義録②

2006年04月04日(火) 16時09分21秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
激しい感情が沸き起こったとき、天風師は、クンバハカを推奨しています。
感情の嵐が吹き始めたら、お知りの穴を閉めて、力を入れて閉めて見ると、冷静に戻れるんですよ。
 それがクンバハカ。 
やってみてください。
すごくお尻の穴に意識集中が必要で、確かに感情を忘れてしまいます。
締まりが良くなること請け合いです。 

先の史上最強のアマチュアゴルファーであった中部銀次郎さん。
『銀のゴルフ』と別名言われているそうですが、
『ゴルフは80%が心、技術は20%に過ぎない』 と言っています。
意味深長ですね。

『わかったと思うな中部銀次郎ラストメッセージ』のなかでこんなことを言っています。

『ミスして当たり前のゴルファーが叩いて腹を立てるのは生意気です』

げっ。(笑)

『多分、多くのゴルファーはミドルホールなんかで7も叩くと「なに、トリプル?チクショー」って気持ちになるんじゃないでしょうか。言い過ぎになると思いますが、そういう気持ちを持つのはハッきり言って、生意気です。少なくともミスしておかしくないゴルファーなんです。そのようなゴルファーがたとえパー4のホールで3つ多く叩いたからといって、腹を立てることはない。感謝しこそすれね。これも虚栄や見栄といったものが心の中にあるからでしょう。虚栄の心があるから感謝する気持ちが生まれてこない。そう思います。』 

耳が痛い。
ミスして当たり前の腕前ですので。私たち(?)。

でも偏った感情が湧き出ます。
くそ!なんで?しまった!あ~あ。Etc。

怒りとは限りませんよね。こういう場合。
またミスするんじゃないかってすごく不安にもなる。
頭のなか、真っ白になる。
力が入る。テンポが速くなる。
そしてまたミスショット。(笑)
そして悲しくなるでしょ?(大笑) 

やっぱり、怒りと恐れと悲しみは、同じモノですね。出方が違うだけ。
さらに銀次郎さんは言います。

『感謝する気持ちは、一つの切り替えです。気持ちの切り替え。で、早く気持ちを切り換えられる人が悪循環を断ち切ることができる。ゴルフはこの断ち切りの早い人が早く上手になります。だいたいは気持ちを引きずったままホールを重ねていくことが多いですね。』 

中部銀次郎さんには学ぶことが多いです。

『どうもゴルファーの多くは技術に頼りすぎる。技術さえ身に付ければナイスショットが打てるし、スコアも縮まるものだと思ってますね。 しかし、そうではないことを知ってもらいたかった。ナイスショットは心が平静なときに出る。何のこだわりもない、不安や欲や虚栄の一切ない心が無の状態。 そのときこそナイスショットが出る。それも自分でビックリするようないいショットが打てるということを知ってもらいたかった。』
(本文「心の鍛錬、これに尽きると思う」より)

うーむ。ほんとにそうですよね。
<続く>

感情の嵐は成長の糧になる 森田ゼミ3/28 講義録①

2006年04月04日(火) 16時06分21秒 テーマ:森田ゼミ 講義録
皆さん、こんばんは。
3月にも雪が舞って本当に4月が待ち遠しい。また寒波が来るらしいですけど。寒い冬でしたね。今年は。
やっと春です。

かつて、6度の日本アマのタイトルを取り、プロより強いといわれた最強のアマチュアゴルファーである中部銀次郎さんが、
「12月から3月までは寒いのでゴルフはしません。ゴルフにもオフがあってもいい。」
とおっしゃっているのを読みました。
「充電のときが必要だ。」 
というようなこともおっしゃっていました。 
私はずっと充電中ですが。(笑)

さて今日は、『第5の原理 感情の嵐は成長の糧になる』のお話です。
感情の嵐と聞けば、どんな感情を連想します?
愛慕?そう演歌の世界ですか?
恋慕?いつまでも艶やかでいいですね。

中村天風師の言葉に三勿というのがあります。
たぶんサンモツと読んでいいと思いますが、
1. 怒らず
2. 恐れず
3. 悲しまず
3つの勿(なか)れ、してはいけないことです。

感情の基というか、元素というか。怒りと恐れと悲しみ。
その感情に溺れてはいけない。と言う事です。
私がこの3つを考えるに、恐れ、すなわち恐怖心が変化したものが、怒りであり悲しみであるような気がしています。
怒りというのは、自分の思うようにいかない外部に対して、攻撃的にアプローチして自分の思い通りに相手をコントロールしようとしているもの。じゃないかと思うんです。
悲しみは、自分を悲劇の主人公に仕立て上げて、同じように相手をコントロールしていく手段。
もちろん両方とも本人はそんな難しいことは考えないで、無意識にやっているわけですけれど。

心理学ではコントロールゲームとして知られています。脅迫者・被害者。
両者とも、自分の思うようにならない現実や事象に対して、恐怖心がベースになっているような気がします。
自分を失ってしまう恐怖心。
自分の願望が成就しない恐怖。
その表現方法・心の癖としての怒りや、悲しみ。嵐のように激しい怒り、恐怖、悲しみ。 
天風師も言っているように、この感情の嵐に身を任せてしまっては、「成功の実現」は難しいのです。
チョプラさんも、本当は『中庸』がいいと。
  でも、中庸でいられる人間はほんとにいません。
それで『成長の糧』になるということで、感情的な皆さんにも道を開いているわけです。(笑)
<続く>

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