□京都造形芸術大教授 竹村真一さん

 ■父の影響で地球的な視野に- 大阪万博では世界を感じた。

 --大阪のご出身だそうですね

 竹村 高槻市で生まれました。ちょうど東京に引っ越す寸前に大阪万博があったので、万博に行って、月の石なんかも見て宇宙時代を感じましたし、小学生でしたけれど、エチオピア館の苦いコーヒーなども覚えています。

 --大阪万博には強烈な印象が残っていると

 竹村 万国博覧会らしく「世界を感じた」ということもありました。

 デジタル地球儀を作るとか、地球の問題をこれだけ扱うようになる背景としては、万博の前の年に8カ月ほど、アメリカで暮らす機会があったんです。父の転勤の関係で。そのときに差別を受けることもなく非常に楽しく、子供でしたので言葉は片言でもそれほど不自由なく遊んで、「こういうふうに世界の子供たちと普通にかかわれるんだな」という感覚を持って帰ってきました。

 --貴重な体験ですね

 竹村 「帰国子女」という言葉は当時ありませんでしたが、かえって珍しがられて、日本の方が違和感があったぐらいです。そのくらい向こうではすんなり自然に、多民族の中で暮らすことができました。

 --父親は評論家の竹村健一さんですが、影響というのは…

 竹村 父はあまり家にはいませんでしたが、インターナショナルな視野で行動していた親から、日本だけが仕事場ではなく、地球的な広がりの中でものを考え、仕事をしていくんだということを自然に学びました。そういう意味でいい影響、いい環境を与えてもらったと思います。世論がどうであれ、自分が正しいと思ったことを言っていくという姿勢を、背中を通して、敬意をもってみていました。

 --青少年期はどのように過ごされたのですか

 竹村 そんなに野山を歩くタイプの子供ではなかったんですけど、20代半ばからインドやチベットなどに一人で行くようになりまして、ずいぶん体質も変わりましたね。

 --世界中を旅されたのは研究目的ですか。それとも旅行で…

 竹村 両方ですね。研究するという名目で行って、ついでに旅をするということが多かったです。まじめな研究者はちゃんと行って、すぐに帰ってくるんですけれど、僕はだいたい寄り道をして…。

 ボルネオ島の奥地の首狩り族のところへ行こうとすると、公共交通はないわけです。アマゾン川でも上流へ行くと公共交通はないですから、町で上流から来た少数民族の人をつかまえて、たばこをあげたりして仲良くなって、連れて帰ってもらう。それはいいけれど、次に誰かが町に下りるまで何カ月間、文明世界に帰れるかどうかわからないような状態でした。

 --言葉は通じるんでしょうか

 竹村 片言の英語ですよね。南米のアマゾンであれば、こちらも片言のスペイン語やポルトガル語で。村へ行ったら女性や子供たちはスペイン語もポルトガル語もしゃべらない。

 --コミュニケーションを取るのは大変でしょうね

 竹村 ですから、人間力、人間性でコミュニケーションを取るしかない。でも、子供たちとは遊べますからね。遊んでいれば親たちも安心して「ああ、こいつ悪いやつじゃないな」と。だから、言葉を必要としない子供たちと仲良くなることが最初に非常に重要です。あとは、出されたものは食べること。それで仲良くなったりできるわけです。

交通事故死者、5000人切る=交通安全白書(時事通信)
帯状疱疹後神経痛治療剤リリカカプセル、22日に新発売(医療介護CBニュース)
ネット選挙解禁見送り=郵政廃案、派遣法は継続に(時事通信)
皇居の「自然観察会」申し込み要領発表(産経新聞)
<国民新党>新幹事長に下地氏、国対委員長など兼務(毎日新聞)
AD