帰ること。
テーマ:ブログ皆さん、明けましておめでとうございます!!
いかがお過ごしですか??帰省されている方も多いのではないでしょうか^^
僕は昨年末に大き目の風邪を引いてしまい、クリスマスから大晦日にかけて体温計と水まくらの手放せない日々が続いておりましたが、昨日の朝にようやくピシャッと治ってくれました。
昨年最後の宇治太陽ヶ丘でのライブにお越しいただいた方々には、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいです。。
もっとゆっくりと歌い、お聴きいただきたかったのですが、荒れた喉と止まらぬ咳のため2曲のみの演奏となってしまいました。
そして何より、野外とはいえ皆さんに良からぬ菌を撒き散らしてないか・・・気が気でない療養生活でした><;
遅ればせながら、本当にくれぐれもお風邪などを召されませんように・・・!
この地にしっかりと足を踏みしめ、前を見据えて、皆さんとともに歩いていきたいと思っています。
どうぞ今年も宜しくお願いします!!
さて、昨日一月一日のザ・元日。
我が家には兄と姉の家族が集まり、大人も子どもも笑い声の絶えない一日が訪れました。
おめでとうの挨拶。
お雑煮はふはふ、お鍋はふはふ。
庭でドタバタ、廊下でドタバタ、リビングでドタバタ。
…たまに響く「こらー!」の声。
一夜明けた今朝、がらんとした部屋にはまるでちいさな辻風が舞うようです。
―僕が幼い頃、1,000円のデジタル腕時計を買ってもらいました。
盤面の上部に配置された横長の液晶の下には、いくつものカラフルな小さいボタンが施されており、それを押せば“♪ピロロ~”とボタンごとに割り振られた電子音の曲が流れる、という代物。
僕はその中でも、 "Home, Sweet Home"という曲を最もヘヴィーローテーションしていました。(ちなみに2番目は“雪山賛歌”)
幼い自分は歌詞も知らねど、そのメロディーに終始漂う温かい安心感。
特別なものは何もなくても、“There's no place like home.”
それが、そこである必然性などない。だからこそ、“かけがえのない場所”=“愛しの我が家”。
“埴生(はにゅう)の宿”という邦題を聞くと、とたんに藁葺き土壁の日本的古式家屋を思い浮かべますが、楽曲としては19世紀始めのイングランド民謡。歌詞は、アメリカの作家が書いたというので、ヨーロッパ的な格調高い香りのメロディーと、まだフロンティア精神の残る古きよきアメリカの土埃の手触りが、何とも言えない異国の郷愁を喚び起こします。
一方で、同様に好きな“My Old Kentucky Home, good-night” (邦題:“懐かしきケンタッキーの我が家”、CMソングでもおなじみ♪)は、メロディーも詞もアメリカの「土埃の手触り」が強く、僕の中では好対照な印象です。(後者については、僕が学生時代に研究した黒人霊歌のような独特の雰囲気をも感じます)
少し話が逸れましたが、文化や時代が違えど、心の中にある温かい“Home”は誰にとってもかけがえのないもの。
その座標の示すものは、文字通り場所かもしれない。
あるいは、五感によって感じられるものかもしれない。
あるいは、誰かの思いかもしれない。
あるいは、大切な存在そのものかもしれない。
自分がどんなに遠く離れても、心の中のすぐそばにいてくれる。
あなたがどんなに遠く離れても、あなたの帰ってくる場所はここにあるんだよ。
そんな、感謝と慈愛の気持ちが、 ありふれた短い会話に詰め込まれている気がします。
「ただいま。」
「おかえり。」
あと何回、家族に言えるだろう。
言ってもらえるだろう。
当たり前のようにあって、かけがえのないもの。
そばにいて、大切なもの。
鈍感な僕は、何度もそう心に感じては日々の隙間からこぼれる思いを掬いきれずにいます。
伝えきれずにいます。
きっと、一生をかけても足りることはない。
このちいさな“Home”は、いつまでも胸の中に守り続けていきたい光です。








1 ■明けまして
明けましておめでとう
ございます。
風邪大変でしたね。
わたしも12月は入院してたからあっという間でした。麻生さんにとって良い年でありますように。今年もよろしくお願い致します。お大事に。