2008-07-02 06:21:00

フィレンツェの大聖堂への落書問題と信賞必罰の功罪

テーマ:ブログ

企業経営者、組織のトップに限らず、私たちには様々な局面でジャッジが求められます。企業であれば経営戦略へのGOサイン、撤退の判断、人事登用、不祥事への対応などなど。ことに人事に関しては、起こった出来事に対する評価を適正に下さなければいけませんね。信賞必罰をきちんと行うことが組織内の緊張感、規律を育てるためには大事なことです。


ところで、最近メディアが取り上げている話題に、イタリア・フィレンツェの大聖堂への落書があります。このことについて、私は一昨日、別のブログで次のように書きました。


事の発端の岐阜市立女子短大学生6人に下した「厳重注意処分」に対する「処分が甘い」との批判が多数届き、京都産業大は男子学生3人を2週間の停学処分にしたと発表し、更に今回はついに監督解任というエスカレートぶりです。私はメディアが駆り立てる「処分が甘いという」矛先が違うのじゃないかなと思いますよ。


国民の税金を使って居酒屋タクシーで金品を強要するような連中が譴責や厳重注意位の処分で済んでいるのに、たかが落書きくらいとは言いませんが、ちょっとした出来心でやってしまったことで、職を失い、自分が率いるチームが試合に出られない処分が俎上に乗ろうとしている。高野連は選手の問題ではないことで、チームの出場問題にまでは波及しないだろうとの含みを持たせていますが、当然の判断だと思います。


落書きのほとんどはイタリア語、英語、スペイン語などで書かれ、日本語は全体の1割程度だったといいますから、この三つのケースを一罰百戒として、もうこれ以上追求する必要はないでしょ。


ワイドショーでは案の定、この問題をいかにも日本人の恥、教育者としてのモラルハザードとして取り上げていました。そんな中、ジャーナリストの大谷昭宏さんが、謝罪が当のイタリアではなく、監督責任者としての保身のために行った内向きの処分だと憤慨していました。あっぱれでした。信賞必罰を講じる際のトップのジャッジとして肝心なのは当事者に対しての水先案内的なシグナルを発することであって、世間に対するトップとしての見栄を張ることではないはずです。上記の三者のジャッジには明らかに保身の姿勢が見え隠れします。


そんなことを考えていたら、昨日報じられた次の記事が目をひきました。


~<落書き>伊紙「あり得ない」 日本の厳罰処分に~

【ローマ藤原章生】「教員、大聖堂に落書きで解任の危機」--。イタリア・フィレンツェの大聖堂に落書きをした日本人が、日本国内で停学や務めていた野球部監督の解任など厳しい処分を受けていることに対し、イタリアでは「わが国ではあり得ない厳罰」との驚きが広がっている。イタリアの新聞各紙は1日、1面でカラー写真などを使い一斉に報道。メッサジェロ紙は「集団責任を重んじる日本社会の『げんこつ』はあまりに硬く、若い学生も容赦しなかった」と報じる


フィレンツェに限らず、イタリアでは古代遺跡はスプレーにまみれ、アルプスの山々には石を組んだ文字があふれる。その大半がイタリア人によるものだ。同紙は「日本のメディアによる騒ぎは過剰だ」と、日本人の措置の厳しさに疑問を投げ掛けた。コリエレ・デラ・セラ紙も「行為はひどいが、解任や停学はやり過ぎ」と論評した。一方でレプブリカ紙によると、大聖堂の技術責任者、ビアンキーニ氏は「日本の出来事は、落書きが合法と思っているイタリア人にはいい教訓だ」と語った。(71毎日新聞 )


この報道によって、国内メディアも多少はトーンダウンするでしょうが、大手企業、有名企業の不祥事に対する対応のお粗末さ、官僚組織の当事者意識のなさなど、自分の物差しで道理をきちんとジャッジできない立派な経歴を持つ大人が少なくないように思います。タバコ喫煙と健康問題、タバコ値上、メタボリック、地球温暖化問題、疑わしき大きな流れの中で、自分で調べて自分の物差しを持つことが今の時代に大切なことだと思う次第です。

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