放蕩生活24時

エジプトで社会人?生活を送る放蕩人の顛末記&現地情報


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忘れないうちに、エジプトでの出来事や所感などをちびちび書いていこうと思います。
目標はエジプト経済の今後の見通しを語るとこまで(笑)どこまでできるかは「神のみぞ知る」です。

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2011年7月、エジプトに赴任した私が真っ先に頼まれたのは、政変後のエジプト経済の行方をフォローする事。

当時はまだ外出禁止令が発令されていて、私のフライトも当初予定していた深夜着のものから変更しなければならなかった。その結果、奇しくも自分の誕生日にエジプトに赴任する事となった。

空港に到着し、スタッフに迎えられてマーディーに向かう道のりは砂漠なので、町の様子を窺い知る事はできなかった。
バタバタと着任後の手続きをし、経済情勢をまともにフォローできるようになるまでには、着任して2週間を必要としたけれど、その間、マーディーの街を徘徊したり、留学中に滞在していたフェイサルのマンションに里帰りしたりしてカイロの様子を覗いていた。(ちなみにマーディーは東京で言ったら田園調布、フェイサルは足立区?練馬区?板橋区?よくわからないがぎりぎり23区?みたいなところ)

1年半ぶりに見たタハリール広場はきれいな芝生がマルハゲになっていて、ポツポツとデモ隊の活動用テントが並んでいた。カイロの中心地の一等地に建っていた旧与党NDP(国民民主党)のビルは焼き討ちに遭い、黒こげになったままナイル川に佇んでいた。
留学時代に住んでいたフェイサルのマンションの窓には銃痕が残っており、政変時にエジプトにいた友人から、すぐそばの大通りでもデモ隊と治安部隊との衝突があったと聞いた。
「田園調布」マーディーでも、外資系スーパーで略奪が起こり、店内がめちゃめちゃになったらしい。
ただ、2011年、エジプトの人々は革命の成功に高揚していて、みんなが政治に強い関心を持ち、誰一人エジプトの明るい未来を疑っていなかった。

着任して2週間。このエジプトは、2009年に見たエジプトとは違うのだと実感した。




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上記の旧NDPビルはついこないだ取り壊しがようやく決まったみたいですね。

次は政変前のエジプトの経済について、2009年のエジプト留学時代の話も含めて書きます。




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恥ずかしいからこっちに書こう。

エジプトに暮らしながらエジプト経済を追う中で、しばしば『やっぱりおかしい』と頭を抱えるのは、統計が実際のエジプト経済を反映しているとはとても思えないとき。

統計上は変化がないときでも、人々は苦しいと叫び、統計上はもうこれ以上持たないんじゃないかと思うほど経済が落ち込んで見えるときには、逆に人々は意外と淡々と生活している。

机に座って統計資料とばかりにらめっこしていると、こういうギャップにしょっちゅう悩まされてしまう。

こんな適当な国で統計資料が当てになるなんて思う方が間違っているんだろうけど、それだけで片付けられない違和感を感じる。

経済を見るとき、分かりやすい指標がそれしかない上、日本も欧米諸国もみんな使ってる指標だから、まだろくに統計の見方も身に付いていないけれど、ついつい統計に頼ってしまう。ついついそれが唯一の正解だと勘違いしてしまう。自分の知ってる物差しで、この国の経済を測ってしまう。

だけど、エジプトで暮らすと、経済ってのはそんなんじゃないんじゃないだろうかという気がする。スークの物売り、バクシーシをせがむゴミ収集業者、悪賢いシムサール、マンシャトゥルナセルでひっそりと営まれているリサイクル業、そんな産業がGDPにどれだけカウントされているのか。そんな雇用は失業率統計で考慮されているのか。そもそもどこまでの人が税金をきちんと払っているのか。何もかもが曖昧なのに、統計なんてとれるわけない。

物価に関しても、インフレ率は緩やかになってるように見えるけど、供給が不足すると拡大する闇市場で高値で買う他なかったり、税金が上がるという噂だけで販売価格が上がったりと、不安定な物価の上げ下げが市場では起きていて、実際に人々が感じる物価上昇は統計とかけ離れていることだろう。トマトの値段だって、3年間で2倍になった。

実際のエジプト経済ってのはたぶん統計で見るよりもずっとしぶとくてずっと敏感だ。
今エジプトで起きている騒乱も、そういうものが大きく影響している気がする。

エジプトを『経済』という視点から見てはや1年半。まだまだエジプトのことは全然わからない。
だけど残りの期間は半年しかない。
机の上での勉強はこのくらいにして、街に出て実際の経済をもっと見てみたい。
そしたら、今エジプトで何が起きているのか、何を求めているのか、もっと理解できるかもしれない。

就職とか今後のライフプランとか、不安なことは山程あるけど、限られた時間の中で、今しかできないことをしたいと思う今日この頃。




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8/28~9/5まで夏休みをもらえたので、マルタに語学研修に行ってきました!


何を隠そう、私は帰国子女にもかかわらず英語の語学力が残念で、英語を使うことに自信がありません。
なので、最近英語の語学留学先としてもメジャーになってきたマルタで英語を勉強してこようと思い、
夏休みを利用してマルタに行ってきました(・∀・)


正直1週間だけの語学研修なので、語学がどれだけ伸びたかは押して図るべしなのですが、楽しかったのはエジプトでの留学生活との比較ができたこと。


そして実感しました。
エジプト留学ってサバイバルだったなぁと・・・
マルタでは値段交渉もいらないし、学校のアクティビティでいろいろと連れていってもらえるし、
昼は海水浴、夜はナイトクラブで遊んで・・・と、これがいわゆる「遊学」か!と実感できるほど恵まれた環境でした。(その分マルタ留学生たちはそれに危機感を感じて家でずっと勉強しているタイプも多い気はしました。)

逆にエジプトというか、カイロが恵まれているなぁと感じたのはその交通の便の良さ。
もちろん渋滞はひどいんですが、そういえばカイロに来てからバスや電車に乗るのに30分以上待ったことはありません。
今回マルタで久々にバスを30分待ち続けるという体験をして、改めてカイロのメガシティっぷりを実感しました。


それにしても、ともかくすばらしかったのは、透明度の高い青い海と、そこから取れる美味しい魚介!
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今回の遊学?、正直魚介を食べに来たと言っても過言ではないくらい、魚介に期待してきたので、その点は大変満足できました。
だってカイロって、基本的に魚丸揚げだし・・・

地中海の魚は色こそ鮮やかでないものの、種類が豊富で、市場にはタコ、イカ、エビ、ムール貝、スズキ、ウツボ、サメなどがずらっと並び、その味の濃さもまた大変私好みでした。
ウツボはどうやって食べるのかわかりませんが。
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特に美味しかったのが巨大エビとカジキマグロうお座

プリッとしたジューシーな身と、ニンニクの香りが強いトマトソースのマッチすることといったら。

たぶん食自体はイタリアに行った方が美味しいとは思いますが、北アフリカmixなマルタ料理はエジプト料理との共通点も多く、私にとっては大変馴染みやすかったです。


あともう一つ面白かったのはマルタ語。
マルタ語は現存する4つのセム系語族のひとつで、アラビア語とも同じ語族。
もともとマルタの歴史は非常に複雑で、さまざまな民族がマルタを支配し、あるいは亡命し、移民してきた島です。
そのため言語もいろいろな国の言葉が混じっているのですが、もっとも色濃く影響を受けているのは間違いなくアラビア語だと思います。
マルタ語の教本を見ると、そこにはほぼローマ字転写のアラビア語が多く見られます。
「こんにちは」はmerhabaで「ごきげんいかが?」はKeif inti?だし。地名もアラビア語から来たものが
多かったです。ヨーロッパ顔のカトリック教徒がアラビア語そっくりのマルタ語で会話する姿はなんだかとっても不思議でした。

マルタにはイスラーム支配時代の建築は残っていないのだけど、言葉の中には歴史が息づいていると実感しました。また、相当数の移民を有し、様々な民族の支配を受けてきたにもかかわらず、独自の言葉が生き続けているところもまた興味をそそります。
時間があれば、マルタ語ももうちょっと勉強してみたかったな。


そんなこんなで楽しい旅はおしまい。
またしばらくはお仕事の日々。
少しずつだけど着実に、前に進んでいけるといいな。

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備忘録的メモ


8月3日、世界中が注目する中、テレビ中継でムバラク裁判が行われました。

私が7月20日ごろタハリール広場に行ったときは、垂れ幕の半数がムバラク裁判を求めるものでした。
それに、「公正でクリーンな」エジプトを実現したい人々にとって、最もわかりやすい記号はムバラクが檻の中に入ることでしょう。
その意味で、今回の裁判は文字通り、ムバラク大統領辞任から夏まで続いた「公正でクリーンな」エジプトを目指す動きの集大成と言えました。

裁判の開始は朝10時。この日はムバラクだけでなく、アドリー(アーディリー)元内務大臣やムバラクの息子アラーとガマールの裁判も行われました。
場所はなぜか裁判所ではなく警察学校!
この警察学校、以前は「ムバラク警察学校」という名前だったのですが、革命以後、「ムバラク」の部分が削られてしまったため、今はただの「警察学校」らしいです。
そんないわくつき(?)の警察学校で裁判を行うのは何の因果か。
まぁ一番の理由は裁判所はカイロの町中にあるため、人が集まりやすく、いざ何かあったときに対処しにくそうですが、警察学校はカイロ・アメリカン大学(砂漠にある巨大な大学)近辺にあり、周りは砂漠で家は少なく、車でしか行けないところなので、人も集まりにくく、暴動も起きにくいと判断したからでしょう。

この裁判の様子はテレビで中継されたので、私は職場でテレビつけながら見ていたのですが、
裁判が始まる前から、ラマダン中の平日朝10時だと言うのにすごい人の数!
ラマダン中はみんな夜中まで朝までどんちゃん騒ぎだから眠いだろうに。
平日なのに辺鄙なところにこんなに集まれるのは、仕事がない人が多いからなのか、仕事を抜け出してるのか・・・もちろん活動家も多いんだろうけど。

そして、もちろん10時には始まりませんでしたが前閣僚たちの裁判がはじまりました。
エジプトの裁判では、被告人は檻の中にいます!
しかも、同日に行われる裁判の被告人がぎゅうぎゅうに檻の中に詰まっています!
さらに驚くことに、この裁判、検察官席・弁護士席・傍聴席の区別が全くつきません。
もしかしたら何らかの区別があって、私が分からなかっただけなのかもしれませんが、100人以上の弁護士らしき人々が総立ちで、口々に叫ぶ様はまさに、カオスでした。

ただ、元閣僚の裁判の後、ムバラク元大統領が檻の中に姿を現したときはさすがにショックでした。
私でもショックなんだから、エジプトでずっと生きてきた人たちにとってその衝撃はいかばかりであったことでしょう。
デモを行っていた人たちにとっては夢のような映像だったのでしょうか。
デモの最中、巷で出回っていた檻に入ったムバラクの合成写真。それが現実になる日が来るとは。

他方で、30年一国の大統領として世界の舞台に立っていた人物が、たったの半年でこうなってしまったという事実にも衝撃を受けました。正直私はムバラクは来なくて欠席裁判になるんじゃないかと思っていたのですが、彼はこの檻に入るとき、いったい何を感じたんだろう。
かつての栄光の地、シャルムッシェイフで過ごしているとき、彼は何を考えていたんだろう。

彼のやってきたことに同情の余地はありませんし、肩を持つ気はないけれど、大統領という仕事が決して甘い汁だけすすれる楽な仕事ではなく、彼は彼なりに国益を考えていたのではないか、数年ののち、彼の功罪だけでなく、業績を評価する動きがあってもいいのかなと思いました。

ただムバラク裁判が始まったことによって、民衆の多くがこれに満足しているという話も聞きます。
またムバラク裁判以降、ラマダンが始まったことも相まって、デモの勢いは弱まっています。
今回のムバラク裁判が粛正の集大成として、国民の満足いくものとなり、今後、粛正という方向だけでなく、建設的な議論が進んでいくことを望みます。
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こんにちは音譜


本ブログに書き込むのはエジプト留学以来2年ぶりになりますが、また2年間のエジプト行きが決まったので、再開したいと思います。(帰ってきてからしばらくFC2使ってたのですが、どうも慣れませんでした)


さっそくですが、記念すべき自身の誕生日に、エジプトに赴任いたしましたビックリマーク
エジプト赴任が決まってから1カ月で政変が起き、自分の就職がなくなるんじゃないかと気が気でなかったですが(そっちかよ)、どうにかこうにか赴任することができました。

幸いなことに留学時代の友人や先生方はエジプト政変の際もケガひとつなく皆無事で安心しましたが、
実際に政変を経て、エジプトは私の知っているエジプトとは全く変わってしまったのではないか。
飛行機の中では、そんなことばかり考えていました。


そしてエジプトの空港に着いて私を迎えたものは、変わらない砂埃とエジプト人の人懐っこい笑顔。
相変わらず鼻炎に悩まされることを予感しつつ、久しぶりに会う友達との再会を果たしたような安堵感がありました。


しかし、実際エジプトで2週間過ごしてみて、革命の影響をひしひし感じるときもありました。

この国の治安は確かに悪化したと思います。
以前は若者集団の横を通る時、うざいとは思っても恐怖心は感じませんでした。
だけど今はちょっと怖いです。一部の若者はまだ革命前後の興奮状態を持続させている気がします。

また、観光客も減っているので、観光地周辺では業者による激しい客の取り合いが行われています。
たとえば、観光地へ向かう客を乗せたタクシーを身を乗り出して止め、多数の業者がタクシーを取り囲むといった現象がありました。
実際治安はやや悪化しているようで、ひったくりも増加しているようです。
とはいっても、おそらくエジプトの治安はスペインや南米と比較してかなりいい方ですが。

どこにいってもそうなのですが、「絶対に大丈夫」ということはないのだということは念頭に置いておいた方がよさそうです。むしろ以前のエジプトが安全すぎたので、少し気を張っておこうと思います。


ところで、先週例のタハリール広場に行ってきました!
といっても、一番盛り上がる金曜や夜間は避け、土曜の昼間に行きました。

タハリール広場は現在まだデモ隊が占拠しており、車両の通行は禁止されています。
そのため、広場の中は完全に歩行者天国状態で、ど真ん中にはいくつもの白いテントが設営されています。
土曜の昼は、一番盛り上がる金曜の次の日で、休日ということもあり、デモ隊にとっては祭の後だったのでしょう。
土曜日はテントの中でデモ隊の人々が爆睡し、舞台で人々が歌い、あるいは演説し、テントの周りにはジュース屋などの出店や、革命グッズ販売の出店が立ち並ぶなど、さながらお祭りのようでした。広場には、子供連れの家族の姿が多く見られ、ペインティングや写真撮影などをして楽しんで(?)いました。

「アナ・バルタギー(私はならず者だ)」と書かれたTシャツを着て写真を撮るコーナーも。

また、広場一面に書かれているデモ隊の要求に関しても、要求はバラバラです。
今一番ホットなのは、「ムバーラク前大統領の裁判」です。
だけど他にも補助金や遺族への慰謝料だったり、賃上げだったり、シャラフ首相の退陣だったり。
ようするに、あまり全体としてのまとまりは無いようです。

おそらくこの革命が起きた際、欧米を中心とする多くの国々の期待としては、タハリールの若者たちが新しい政党を組織する、もしくは既存のリベラル派政党に入党し、政治参加していき、その勢力がムスリム同胞団よりも大きなものになることを期待したことでしょう。
だけど実際には、タハリールの革命家たちは、タハリールでデモを行い、声をあげることを自分たちの使命とし、政治参加に対しては小さな政党がいくつか出来上がっただけで、政治勢力として自分たちで国を変えていこうという気がないように見えます。そしてはからずも、同胞団系やサラフィストによる政党設立が目立っているのが現状です。「言うは易く行うは難し」という言もありますが、今のタハリールの状態は駄々っ子がごねているようにも見えます。

エジプト人マダムいわく、「革命は終わったのよ、早くおうちに帰りなさい」とのこと。


相変わらず、政府の方も民衆の機嫌を損ねまいと、要求をのんだり内閣を改造したりと忙しそうでうです。(内閣改造はやった先から文句を言われてますが)
ただ、先日デモ隊がアッパッセーヤの軍最高評議会にデモ行進に行った際のバルタギーとの衝突以来、デモ隊と軍との関係が悪化してきているので、ラマダーン月に入ってからどうなることやら。


とりとめもないですが、消息報告がてら、こんな感じで時折エジプト生活や中東情勢を呟く予定ですので。
日本の皆さんもお元気でチョキ

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