2006-01-20 21:10:18

岩波『日本史辞典』の主観的日本史

テーマ:辞典類のデタラメ

岩波書店は、『田中正造全集』を刊行しているので、この辞典にも反映していると思いきや、全く違いました。
この辞典の解説者は、自分に都合の悪い事実は一切書かず、主観的に正しいと思ったことだけを書いており、客観性は全く無視しています。
内容は次のとうりです。


田中正造を指導者とする被害農民は、政府に鉱業の停止を求めて東京へ大挙押出し(請願運動)を図るなど、強力な反対運動を展開した。」
「政府による鉱毒問題の治水問題への転換、谷中村の強制破壊によって、歴史的には抹殺された。」
「だが、被害はその後も続き、今なお足尾には禿山、下流には広大な遊水池を残している。」


『田中正造全集・別巻』の「年表」は、次の事実を明確に記載しています。
加害企業の古河が、被害農民と示談をくりかえしたうえ、損害賠償金を支払い、政府が専門の委員会を設けて対策を立て、古河に鉱毒防除工事を命じ、古河がこれを忠実に履行したこと、その結果、「明治36年10月には鉱毒被害地の稲が豊作になった。」ことなどです。


しかし、こうした重要事項を、この辞典はすっぽりと抜かしてあるわけです。

解説者は、田中正造と谷中村の抵抗農民だけが正しく、それ以外の被害農民の声さえ否定する極端に偏向した立場をとっていることがわかります。


しかも、たとえば、2番目の文章には主語がなく、何が誰によって抹殺されたのか不明ですし、3番目の文章におけるその後の被害と、禿山や遊水池との関係も理解不能です。


本辞典の編集委員には、由井正臣が名を連ねていますが、この項目は彼が執筆したのだと思われます。田中正造全集は彼が編集し、岩波新書の『田中正造』は彼の手で書かれているからです。しかし、上の解説は、二つの著書が生かされずに、特定のイデオロギーを読者に押し付ける書き方になっています。こんな主観的な日本史でいいのでしょうか。



AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-01-13 21:31:13

東京創元社『新編・日本史辞典』のウソ

テーマ:辞典類のデタラメ

この辞典は、京都大学出身の学者たちが編集していますが、内容のデタラメさに関しては、ほかの事典と変わりありません。
解説文を引用しながら、これを批判してみましょう。


「この年(明治30年)、政府は鉱業主に鉱毒除外工事を命じたがその効なく、同年より洪水ごとに被害民数千人が上京し、1900年(明治33年)には、群馬県川俣で阻止しようとする警官に弾圧されて、負傷者や検挙者を出した(川俣事件)。」


被害民が2回も上京して政府に請願したため(明治30年)、工事の命令が出されたのに、その逆であるかのようにウソをついています。
工事の効果はすぐに出ないはずです。にもかかわらず、被害民の行動を正当と見、政府の対策を非難しています。
デモ隊を規制するのは間違いだと言えるのでしょうか。そうでないこともあるはずです。


「この事件(田中正造の直訴)は世間を衝動し、婦人矯正会・社会主義者・弁護士・学生らも救済を叫び、02年(明治35年)政府は予防工事を命じ、被害は一応収まった。」

直訴(明治34年12月)以前に工事の効果は出ており、新聞も「激甚被害地以外の農地はきわめて豊作」と報じていました(同年10月6日付け・朝日)。
02年の工事は改善だけであって、これで被害が収まったのではありません。歴史的事実を何も調べていないことがわかります。
つまり、直訴もその直後の世論の高まりも、被害の回復に大きな役割を果たしてはいないのです。


「政府は谷中村を廃村として遊水池を作り、反対農家19戸を07年(明治40年)強制的に破壊した。」

谷中村の遊水池化は、鉱毒対策でなく洪水対策です。上流の被害民もこぞって賛成しており、栃木県も国も議会で決議している以上、この説明もまた
客観性を欠き、谷中村の残留農民だけを正当化している点、説明が一方的です。

この解説を書いた歴史学者は、神戸女子大学名誉教授の山本四郎です。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-01-06 21:18:25

支離滅裂きわまる朝倉書店の「日本史事典」

テーマ:辞典類のデタラメ

これまで百科事典や歴史事典の矛盾・虚偽・欺瞞などを指摘してきましたが、この事典はそのうちの最悪例といえると思います。
足尾鉱毒事件については、次の順序で説明されています。


①「被害農民は再三上京して政府と交渉しようとして警官と衝突した。」
②「社会主義者・弁護士・キリスト者・学生が被害農民の救済・支援の運動を展開した。」
③「田中正造は、明治34年の12月に、問題を解決するために、天皇に直訴するという非常手段に出た。」
④「この動きの中で、政府は明治30年に鉱主に対して鉱毒除去の工事を命じたが、効果がなかった。」
⑤「明治35年には、(政府は)改めて鉱毒予防工事の実施を命じた。」
⑥「しかし、鉱毒問題は基本的解決をみることはできなかった。」


読者は、当然、このとうりの順序で事件は経過したと理解するはずです。しかし、実際の順序は、①,④,③,②,⑤,⑥なのです。


①の交渉は4回ありますが、うち2回の交渉のあとに政府は④の工事を命じました。その効果は直訴以前に現れています(明治34年10月6日・朝日)。明治30年のこの歴史的な公害防止工事によって、農地が回復しはじめていたのです。
農民と警官との衝突は、明治33年2月の4回目の反対行動のときですが、鉱毒除去工事を実施した以上、農民の要求を抑えるのは政府として当然の行為ではないでしょうか。


④の「この動きの中で」は、「支援運動や直訴などがあったため」としか理解できませんが、この文章では、時間を完全に逆転して読者をだまそうとしています。まことに卑劣なやり方で、政府や古河を悪者にする意図が露骨に表れています。


②と③も時間を逆転させていますが、③の直訴があったから②の支援運動があったのに、これを反対だと思わせようとしたわけです。
②の支援運動は、東京の知識人の間で一時的に盛り上がっただけで、事件の解決には何の影響も与えていません。


⑤の明治35年の工事は、明治30年の工事の改善命令だけで、これも重要な事実ではありません。


⑥の文章は完全なウソです。被害農民も農地が回復したと証言していますし、『田中正造全集・別巻』の「年表」にも、「明治36年10月、鉱毒被害地の稲豊作」と記されています。この事実は、鉱毒問題が解決したことを何よりも証明しているではありませんか。


 



AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005-12-24 21:23:57

「日本史広辞典」(山川)の左翼的偏向

テーマ:辞典類のデタラメ

山川出版社といえば、日本歴史の老舗、権威のある歴史専門出版社です。
しかし、驚いたことに、「足尾鉱毒事件」に関する限り、デタラメもいいところ、お粗末としか言いようがありません。
田中正造と一部被害農民の言いたい放題の主張だけで、客観性を欠くだけでなく、内容は明らかに虚偽です。
全く資料を調べていないことがわかりますが、ここには、次のように書かれています。


被害農民は、田中正造とともに明治政府に対して、足尾銅山の操業停止を訴え、東京へ押し出し(大挙請願運動)を行うなど、鉱毒反対運動を展開、大きな社会問題となった。」
「政府は刑事弾圧を加える一方(川俣事件)、鉱毒問題を治水問題にすりかえて運動を分断し、遊水池設置のため谷中村民の家屋を強制破壊した。」


刑事弾圧を加えた、とありますが、それ以前に、農民や田中正造の圧力に押された政府と加害企業が、公害防止工事を行い、すでに農地は回復の兆しを見せていました。この事実をなぜ隠すのでしょう。


鉱毒問題を治水問題にすりかえたとありますが、谷中村の遊水池化は、栃木県会も国会も上流の農民も賛成した事業で、しかも洪水対策ですから、「すりかえ」には当たりません。


とにかく、この辞典の説明は、左翼の学生の一方的な政府への攻撃に似ていて、歴史に必要な客観性などどこにも見られません。



いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005-12-17 20:55:47

政府の公害対策を無視する『日本全史』(講談社)

テーマ:辞典類のデタラメ

「ジャパン・クロニック」という副題がついたこの歴史事典は、主な事項を暦年ごとにまとめて説明しており、「足尾鉱毒事件」は、1897(明治30)年のところ(被害農民の請願運動)と、1901(明治34)年のところ(田中正造の天皇直訴)に解説されています。概要はこうです。


「農民たちは、数回にわたって、集団で上京し、政府に請願をしたが、官憲に阻止された。」
「田中正造は、農民と政府の間に立って斡旋に努めたが、政府の対応は誠意を欠き、請願運動を弾圧した。」
「田中正造は、鉱毒被害の惨状を見かねて天皇に直訴した。」


つまり、政府は何らの公害対策もせず、農民を弾圧しただけだというのです。
しかし、実際は全くの逆でした。政府は加害企業に5回にわたり公害防止工事を命令し、3回目の、「政府が企業に対してとった唯一の厳しい公害防止対策」(宇井純)が功を奏して、鉱毒事件は解決しているからです。


すでに直訴の前に、「激甚被害地以外はきわめて豊作」と新聞は書いていますし(1901年10月6日、朝日)、『田中正造全集・別巻』の「年表」には、「1903年10月、鉱毒被害地の稲豊作」、とあります。


明らかに重要な事実を隠蔽しており、客観性を欠いた不公正な記述です。これではウソの歴史ではありませんか。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005-12-11 10:43:22

河出書房『日本歴史大辞典』の偏向ぶり

テーマ:辞典類のデタラメ

この事典も、A5判4段組640ページが全10巻もあり、内容はきわめて詳細です。
しかし、「足尾鉱毒事件」の説明は、きわめて粗雑で、偏向しており、明らかに虚偽の説明をしています。
前回の事典と同一人、塩田庄兵衛の執筆になる文章の問題部分を引用しながら、間違いの理由を説明しましょう。


「古河市兵衛は、被害農民を買収して反対運動を阻止しようと図った。」
田中正造は、こう言っていますが、その証拠はありません。買収の必要もないはずです。


「田中正造は、繰り返しこの問題を議会に訴えて、古河財閥と政府との結託を攻撃し、ついに天皇直訴にまで及んだ。」
「政府が企業に対してとった唯一の厳しい例」、と公害学者・宇井純が言う鉱毒防除工事を、政府は古河に命じています。それには180日以内に完工しなければ鉱業権を取り消す、との条件までついていたのですから、「結託」していると言えるはずはありません。


「被害農民を支援して、社会主義者、自由主義者ブルジョア、農本主義者、キリスト教徒、婦人、学生らが、一致して抗議・救済運動を展開した。」
彼らはほぼ東京に住む知識人で、時期も、被害農地が回復の兆しを見せはじめた直訴の直後でした。しかもわずか数ヶ月で運動は終息しました。ですから、あまり重要な事実とはいえません。


「1902(明治35)年、内閣に鉱毒調査委員会が設けられ、古河鉱業に対して鉱毒予防工事が命ぜられた。」
上の委員会は、上記の抗議・救済運動の結果設置されたのですが、2回目のもので、工事も前回の改善工事に過ぎません。重要なのは1回目の委員会で、この時(明治30年)の命令による大規模予防工事によって、農地が回復し、日本最初の公害事件は解決を見たのです。


いちばん重要な事実を、なぜ隠したのでしょう。田中正造の直訴まで政府が何もしなかったことにしようとしたからです。
明らかに偏向した歴史観によってついてしまったウソですが、中学・高校の歴史教科書は、ほとんどがこのウソの孫引きです。
こんな歴史のウソを、子供たちはどうして教わらなければならないのでしょう。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005-12-03 21:04:06

吉川弘文館の大きなミス

テーマ:辞典類のデタラメ

テーマを元に戻し、今回は、角川書店に次いで、歴史書の老舗・吉川弘文館にメスを入れます。


同社の『国史大辞典』は、数多くの日本史の事典の中で圧巻といってよく、1巻がB5判4段組で1000ページもあるのに、14巻でやっと一揃いになる、とてつもないボリュームの大歴史事典です。


昭和54年発行の第1巻にある「足尾銅山鉱毒事件」の解説には、そのためか、ほかの事典には見られないとんでもないフィクションが、堂々と載っています。それは、
「(明治)13年、栃木県令藤川為親が、<渡良瀬川の魚族は衛生に害あるにより一切捕獲することを禁ず>という布告を出した。」
という部分です。


田中正造によるこの言説が真っ赤な嘘だということは、すでに周知の事実だったので、なぜこう書かれてしまったのか不思議でなりません。
公害発生の新聞記事は、明治17年10月が最初ですし、足尾銅山の本格操業も明治14年からなので、研究者の一人が、「これは田中正造の作った虚構だ」と発表して(昭和50年)以来、これが定説になっていたからです。


権威ある事典がこんな間違いをしてしまったのは、田中正造の言説を頭から信用してしまい、他の資料を見ようとしなかったからです。
ほかにもまだウソがあります。


たとえば、事典には、「(鉱毒問題の解決策が)効果のないのに絶望して、直訴を試みるという非常手段をとった」、と書かれています。
しかし、別のところには、「政府は、明治30年、鉱業主に対し鉱毒除害工事を命じたが、その効果はただちには見られなかった。」と記すと同時に、「しかし、渡良瀬川の鉱毒は一応表面から消えるに至った。」との説明があり、文意は明らかに矛盾しています。


直訴の2ヶ月前の『朝日新聞』は、「鉱毒被害地も、激甚地を除くほかは極めて豊作」と報じているのですから、「絶望」の振りをした田中正造にだまされたとしか言いようがありません。『田中正造全集』の年表には、「(直訴の2年後の)明治36年10月、鉱毒被害地の稲豊作」と書いてあります。


この事典の執筆者は、都立大学と立命館大学の名誉教授で、社会運動史の権威、マスコミ界でも大活躍した塩田庄兵衛です。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005-11-12 22:19:24

角川版『Our Times 20世紀』の偏向解説

テーマ:辞典類のデタラメ

この本の1900年のところに、「足尾鉱毒の被害深刻。田中正造、政府を追及」という解説文があり、この年の2月にあった被害農民の最後の反対行動について説明しています。

そして、次のように続いています。


「被害民は何度も政府や県に鉱毒対策を要求してきたが、当局は真剣に対処しようとはしなかった。」
「田中正造は代議士を辞任し、天皇への直訴をはかった。」
「政府は、新聞の批判には新聞紙条例違反や官吏侮辱などで弾圧する一方、世論に押されて鉱毒調査委員会を設置した。」


政府当局は、鉱毒調査委員会を設置して、公害の歴史上最も優れた防除対策を立て、これを実施させている(1897年)のに、「真剣に対処しなかった」とはどういうわけでしょう。なぜ公然たる事実をわざわざ隠すのでしょう。

防除工事は成功して、被害農地は「激甚地以外はきわめて豊作」と報じられるほど回復しました(1901年10月6日、朝日)。
そんな中で正造が直訴したのですから、これは異常行為ですし、直後の世論に押されて、「鉱毒調査委員会を設置した」との記述も曲解です。この委員会は、2回目のものだからです。

解説の続きはこうです。


「1907年、内務大臣原敬(前年までは古河鉱業副社長)は、谷中村の土地収用を公告し、抵抗する16戸の残留民の家屋を破壊した。村の復活に日本の再生をかけて谷中村に入った田中は、13年に死亡する。なおも抵抗を続けていた残留民も17年に谷中村を立ち退き、ここに谷中村は国家によって抹殺された。」


谷中村の農民が抵抗するのは当然です。しかし、洪水から(公害からではなく)自分の農地を守るために、上流の農民たちも、谷中の遊水池案には賛同しているのです。
それなのに、なぜ正しい選択をした政府をこうも非難するのでしょう。
明治以来の国土開発は、無数の村を抹殺してきました。救われるべきは、谷中村だけではないはずです。
田中正造と谷中村の悲劇だけを強調するのは、歴史の本がすることではありません。
この本の監修者は、ジャーナリストの筑紫哲也です。

いいね!した人  |  コメント(1)  |  リブログ(0)
2005-11-04 21:58:56

事実を無視した 『角川新版・日本史事典』

テーマ:辞典類のデタラメ

足尾鉱毒事件の解説文の引用と私のコメントを並べます。


当初、古河は示談でことをおさめようとしたが、96年(明治29)の大洪水で被害が深刻化し、被害民たちは97年(明治30)から4度にわたって上京、直接政府に操業停止を訴えた。」


古河と被害民との仲裁交渉は、速やかに行われ、今のお金に換算して10億円が支払われました。
公害の歴史で、これほど見事な例はないのに、古河がずるく立ち回ったごとくに書かれています。


政府は古河に鉱毒予防工事を命じる一方、1900年(明治33)群馬県川俣で上京途中の被害農民を警察、憲兵が弾圧した川俣事件を機に運動の沈静化をはかったが、田中正造の天皇への直訴で世論は再び沸騰。」


工事を命じたと書きながら、この工事で農地が回復した重要な事実は全く伏せてあります。
一方、政府が農民を弾圧したと強調していますが、川俣事件の年の秋には農地が一部回復し、反対運動は自然に沈静化しました。
世論が沸騰したのは、現地ではなく、事情に疎い東京の学生や社会運動家たちで、農民は直訴を批判しています。


「政府は、鉱毒問題に終止符を打つため、渡良瀬川下流の谷中村をつぶし、遊水池をつくろうとしたが、谷中残留民の根強い抵抗が続いた。」


政府は、鉱毒問題が解決したので、洪水予防対策として、谷中遊水池案を立て、上流の沿岸農民もこれに賛同したのです。
谷中残留民が抵抗するのは当然ですが、上の記述は、事実ではなく、谷中村民への同情を強調した主観的解説になっています。

この辞典の編者は、京都大学名誉教授・朝尾直弘、千葉大学名誉教授・宇野俊一、奈良国立文化財研究所長・田中琢の3氏です。


いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2005-10-29 22:09:40

平凡社版『世界大百科事典』のウソ②

テーマ:辞典類のデタラメ

この項の末尾には、こう書かれています。


「今、はげ山化したおよそ3000haの足尾山地では、巨額の国費を使って緑化工事が進められているが、一度失われた自然の回復はきわめて難しい。他方、最下流の旧谷中村を中心とする3300haの渡良瀬遊水池では、首都圏のための水がめ化工事が進行中である。この上流と下流に広がる広大な荒野こそ、日本の急速な近代化の裏面史であり、<明治政府失政の遺跡>ともいうべきものである。」


鉱毒事件の被害者たちは、「はげ山化」の阻止を求めたのではありません。彼らは、鉱毒に汚染された農地の回復を求めたのです。

それに応えて、明治政府は防止施設の建設を古河に命じ、古河がこれを履行し、その結果、5,6年後には農地が元に戻ったのですから、明治政府は失政どころか、輝かしい成功を収めた、ということが出来ます。
「はげ山化」と明治政府の施策とは、何の関係もありません。

旧谷中村の渡良瀬遊水池もまた、沿岸農地を洪水から救う目的で、大部分の被害農民の賛同を得て作られ、実際に洪水を防いだわけですから、どう解釈しても、「失政」とすることは不可能ですし、明らかに意図的なウソとしかいえません。


上記の解説をしているのは、国学院大学経済学部教授の菅井益郎です。

いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。