2007-09-12 20:55:22

正造の強気と弱気と二枚舌⑰

テーマ:開設にあたって

彼はすぐカットなって怒り出すタイプの人間で、帝国議会で失礼な発言を繰り返し、よく発言禁止、公式記録からの発言の削除、退場、出席停止などを命じられました。


その議会でも、しばしば馬鹿野郎発言をしていますが、彼が所属する政党の党首だった大隈重信が、外務大臣との兼任で農商務大臣に就任した時(明治30年3月29日)、農商務省が、足尾銅山などの鉱業を管轄する役所だったからでしょう、同じ党員の衆議院議員の尾崎行雄に宛てて、次のような手紙を出しています。


「犬養馬鹿尾崎馬鹿、イカナレバ伯(大隈伯爵)を農商の大臣とせしは馬鹿の馬鹿、大馬鹿三太郎よりも大馬鹿なり。その詳論を聞きたくば来たれ。正造病気中にあり候まま一書さし進じ候。頓首。3月30日。尾崎君馬鹿、犬養君馬鹿、なお武富君馬鹿、高田君馬鹿、阿部君馬鹿、島田君馬鹿、外馬鹿御中」


絶えず不満を持ち、その原因を他人にぶつけて怒りをあらわにしていた非常識さが、この手紙によく現われています。単なるユーモアとはとても思われないのです。このようにして敵をたくさん作り、晩年は友人といえる人がほとんどいなくなるのですから。


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2007-08-29 20:30:58

正造の強気と弱気と二枚舌⑬

テーマ:開設にあたって

田中正造の書簡を見ていて驚くのは、自分に批判的な相手には徹底して恨みを抱くと言うその単純さです。
政治家である以上、世間からさまざまに言われることは当然のことで、普通の政治家なら上手にあしらって済ましますが、彼は我慢することができず感情のままに怒ったり怒鳴ったり、愚痴ったりしてしまうらしいのです。この点では政治家失格ということができます。
彼にとっては、「宇都宮」と言う土地さえ「悪魔」だと思い込んでしまうのですから、あきれてしまいます。
明治40年11月18日の逸見斧吉宛の手紙を紹介しましょう。


「宇都宮は足尾銅山の台所といわれるほどの所で、正造には悪魔。新聞社は3つあれども皆悪魔で、うち2つは正造も300円ずつの金を入れた資本家の一人でした。一つは創業者の一人でした。明治12年5月より発行して、今の下野新聞と申し、一つは足尾より金をもらってこしらえた野州新報と申すのです。彼らは10年1日のごとく正造の中傷に余念なし。下野人をおろそかにすることに努めつつありますけれども、この3新聞に取り消しを申し込んだことはありません」


この手紙が真実を語っているとすれば、地元出身の国会議員であったにもかかわらず、地元の新聞からは絶えず悪口を書かれていたこと、つまり人気がなかったことがわかります。
「下野人をおろそかにすることに努めつつある」と彼は言います。しかし、読者を増やしたい地方新聞が、読者をおろそかにするわけはありませんから、これは「田中正造をおろそかにすることに努めつつ」と言う意味なのでしょう。


「新聞に取り消しを申し込んだことはない」とは全く驚きで、彼がいかに愚かなことを考える人なのかを、よく物語っています。
彼の本質が明確に見えてくるではありませんか。


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2007-08-01 20:51:59

正造の強気と弱気と二枚舌⑤

テーマ:開設にあたって

指導者がこのようなことをすると、当然団結がくずれていきます。翌明治35年の手紙からは、内ゲバが始まった様子も見られます。
明治35年5月14日付けの庭田源八宛の手紙に、正造は次のように書きました。


「左部(彦次郎)、野口(春蔵)2氏のことをなんのかんのと申す馬鹿ありとて、考えてみろと申し聞かせ下さるべく候。・・・大出(喜平)氏のごとき、また非凡の名士なり。非常に尊敬せねばならぬなり。この3人のことを事実も知らず、・・・ただ悪口言う奴こそ身の程知らずに候」


こんなことを書けば、事態はますます悪い方へ行くはずですが、果たして翌年には、正造がこの時褒め上げた3人しか残っておらず、この3人をつなぎ止めるために、彼は3人宛ての手紙で次のように彼らを称賛するのです(明治36年7月10日)。


「正造は諸君の護衛兵たり。しかもなお沿岸人民には分からぬ。・・・諸君の智、諸君の明にして、万一にも少々にても厘ほどにても疑う点あらば、その行き違いより来る損害は幾千円幾万円の金にも代え難からん。小生も諸君を信ずるあまりに申し上げ候」


ところが、こんなに褒め上げても正造はなお不審を買ったらしく、野口が正造に腹を立てていると言ううわさを聞くや、野口に次のように書いて謝っています(明治36年10月30日)。


「とにかく正造は盗人なり。野口君や大出君の功名を盗んだり。また山本君や青木君や田野入君や亀井君や稲村君や谷君や糸井君や小野君や新井君やの功名を盗んで、正造はこれをわが者顔にせし不埒不届の盗賊の魁である」


自分の蒔いた種で問題が深刻になると、得意の2枚舌を使ってそのピンチを切り抜けていた実態が、この文面からよく伺えると思います。


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2005-03-11 13:36:05

足尾鉱毒事件自由討論会

テーマ:開設にあたって
みなさんは、「足尾鉱毒事件」について「政府も加害者も何もしてくれなかったので田中正造が天皇に直訴した」と学校で教わったと思います。
しかし、それは間違いです。では本当はどうだったのでしょうか。私(砂川幸雄)が書いた『直訴は必要だったか――足尾鉱毒事件の真実』(勉誠出版=http://www.bensey.co.jp/)をぜひ読んでください。そして、あなたの意見をこのブログに書き込んでください。反対意見は特に歓迎します。
ここを自由な討論の場にしたいと思います。


著者: 砂川 幸雄
タイトル: 直訴は必要だったか―足尾鉱毒事件の真実
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