2009-01-31 19:32:19

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・13

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

著者たちは、明治29年の大洪水の前後の田中正造の行動を、この本で次のように書いています。


「正造は、7月の洪水以来、被害町村の請願運動の組織化に着手し、9月の大洪水の直後、協力者の伊藤章一名義で、農商務大臣宛の<足尾銅山鉱業停止請願(草案)>を被害町村に配布した。この草案は、被害町村が個別に提出する請願書の雛形であると同時に、鉱業停止請願の根拠を論理化し、請願運動の組織化に向けての教育と宣伝を兼ねたものであった」


ところで、請願すべき当事者は鉱毒の被害者であるはずです。その草案を、どうして被害者ではない田中正造が作成し、当事者に「教育と宣伝」をしなければならないのでしょう。


被害の程度は被害を受けた人がもっともよく分かっており、農商務大臣にどう訴えればいいかは、彼ら自身が決めるべきはずです。
しかも、この草案を自分で書いていながら、正造は伊藤章一名義にしたと著者は言っています。何のためにそうしなければならないのでしょう。
この伊藤なる人物は、正造の知人の鹿児島県人だということですが、これにも驚きます。わざわざ事情を知らないのが明らかな九州人を名義人にする理由はありませんし、それはかえって逆効果です。
このことから言っても、正造がいかに思慮の足りない人間であるかがわかります。


この本からの引用をつづけます。


「こうした田中の努力によって、9月27日に旧梁田郡全部が、10月2日には植野村を除く安蘇郡全部が、鉱業停止の請願を行うことに決定した」


「10月5日、さらに田中は両県10日町村有志とともに、群馬県渡良瀬村の雲龍寺に<群馬栃木両県鉱毒事務所>を設けた」


だが、植野村は示談にも執着したので、救済会との関係を絶ち、請願運動に合流したのは11月7日のことであった。11月29日には、栃木県の安蘇郡、足利郡、群馬県の邑楽郡の38町村が結集し、その後さらに組織的拡充が進められた」


岩波書店の全集によれば、植野村と界村は、11月16日に足尾銅山鉱業停止願いを農商務大臣に提出しています。
しかし、県議会はこの動きには実質的に連動しなかったようで、この本はこれに続いて次のように書いています。


「群馬県議会は、12月4日、鉱業停止を求める内務大臣宛の<鉱毒の議に付き建議>を可決した」


「栃木県会は、12月に、12県議による内務大臣宛の<鉱業人に予防命令を下すことを求める建議書>が提出された」


つまり、県の段階では鉱業停止の請願はしなかったというわけです。


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2009-01-28 20:31:29

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・12

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

前回説明したように、科学的・客観的に記述するなら、明治29年の異常に拡大した被害面積は、異常気象による大洪水に原因する、とすべきです。


にもかかわらず、この本の著者は、田中正造に扇動されて、巨大化した被害の原因を足尾銅山にあると思い込んで、古河市兵衛に鉱業停止を要求することに転換した被害民を正当化します。
そこで、次のように記述するのです。


「この鉱毒被害の拡大・激化は、粉鉱採集器による詐称と、予防措置を放置して示談契約を推進してきた古河と明治政府の欺瞞と不当性を、いっきょに白日のもとにさらした。そして、鉱業主(古河市兵衛)を相手とする補償要求ー示談契約から、鉱毒による生存権と公益の破壊を、政府の政治責任とする鉱業停止要求-請願運動へと大きく転換する契機となった」


異常気象という自然現象による原因を、「古河と明治政府の欺瞞と不当性」にしてしまうのですから、驚くほかありません。何という論理の飛躍でしょう。


足尾銅山が排出していた公害原因物質(鉱毒)は、明治29年の洪水以前と変わらないのです。
示談金で満足していた被害民が、それなのに何で足尾銅山の閉鎖まで求めるのでしょう。全く意味がないではありませんか。


著者たちは、事実を記述しているのではなく、古河や明治政府を悪者と見て、主観を読者にぶつけているに過ぎません。何ともお粗末ではありませんか。
なぜ著者たちがこのように理不尽な主張をするかといえば、それは、田中正造の言動を絶対的なものと考えているからです。


次回に理由を説明しましょう。

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2009-01-24 19:41:56

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・11

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

この本は、「鉱業停止を求める農民の鉱毒反対闘争」が、「軍備拡張を推進する明治政府」と対決していたため、と解釈するとともに、当然のことながら、明治29年の異常気象に基づく渡良瀬川の大洪水のためだ、とも解釈しています。


そして、かなり詳しくこの自然現象の説明をしています。しかし、異常気象はいつの間にか鉱毒に変化しているのです、引用しましょう。


この年は異常気象のつづく年であった」


「梅雨は7月になっても降りつづき、時として豪雨となった。20日の豪雨では、渡良瀬川は約5メートルも増水し、堤防を流れた鉱毒水は流域一帯の農地に冠水した。こうして、鉱毒被害は確実に拡大・激化の方向をたどった。豪雨は8月になっても降りつづき、7日から15,6日にかけてまたしても洪水となった」


「8月下旬になると暴風雨が続き、30日から31日にかけて、渡良瀬川は約6尺(1.8メートル)あまりも増水した」
「9月8日に至って、豪雨降りしきる中で渡良瀬川が氾濫し、堤防は各所で決壊した。翌9日も豪雨は止まず、渡良瀬川の水量は2丈4尺(約7.2メートル)にも達し、決壊した堤防からは濁水が大音響とともに流域のうちを襲ったのである」


「被害地域は1府5件11郡136か町村、被害農地面積4万6723ヘクタール、被害総額2782万9,856円にのぼった。総額は足尾銅山の年産額の10倍に達したのである」



皆さんは、この記述を素直に受け入れることが出来ますか。


著者が説明しているように、この年は異常気象のために、例年とは比較にならない面積の田畑が洪水で冠水したわけです。したがって、その被害が鉱毒(汚染物質)に原因していると断言することは、完全に間違いです。


足尾銅山が排出していたに違いない公害汚染物質は、採取した銅鉱石の分量には比例します。しかし、洪水による冠水の被害面積と比例するはずはありません。


にもかかわらず、ここでは「鉱毒被害は確実に拡大・激化の方向をたどった」と説明し、被害農地面積も被害総額も、すべては古河鉱業鉱毒に責任があるように説明しています。


明治25年6月の正造の演説によれば、この時点での鉱毒被害面積は、1650ヘクタールほどでした。この数字は、23年秋の大洪水がもたらしたものです。
大洪水があれば、普通の年ならこの程度の被害があるとはいえます。


しかし、明治29年に被害面積がその30倍近くに達したからといって、それが鉱毒に原因するのだとは結論できるわけがありません。


科学的・客観的に記述するなら、明治29年の被害面積は、異常気象による大洪水に原因する、とすべきです。
つまり、著者たちは、明らかに根拠のない嘘をついており、読者はなんとなくそれにだまされているわけです。


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2009-01-21 19:51:29

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・10

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

足尾銅山の公害問題は、加害者が被害者に示談金を支払うことで、解決したように思われました。

しかし、その支払いが終わった頃の明治29年の夏、7月から9月にかけて3回もの大洪水に見舞われたため、渡良瀬川沿岸の農地に未曾有の被害があり、多くの被害農民が加害者に対して強硬姿勢をとることになり、公害反対運動は激化しました。


彼らは、田中正造に強硬方針に影響されて、足尾銅山の操業を止めることを要求し始めたのです。

さて、この『通史足尾鉱毒事件』は、その理由が、この年の異例とも言える豪雨にあるはずなのに、明治政府の「日本帝国主義」「軍備拡張主義「日清戦争」「製鉄資本の政治的経済的支配力」などといった政治的な問題にあるとも強調するのです。


第3章の「日清戦後経営と被害の拡大・激化」から少し引用しますが、著者たちが、何とも幼稚な左翼思想に基づいて、読者を説得する試みをしているかが、これでよく分かると思います。


「日清戦後経営は、日本の支配層が朝鮮・清国をめぐる帝国主義列強の領土分割競争に参加するための政策であり、まさに日本帝国主義の原型といえるものであった」


「軍備拡張を課題とする殖産興業政策は、兵器、鉱工業生産設備、機械類などの輸入に見合う輸出の増大を図らなければならなかった。このとき、世界有数の産銅国として、対外支払い手段として、銅生産のもつ意義はきわめて重要であった」


「先進資本主義国においては、<鉄は国家なり>との言葉に示されるように、製鉄資本の政治的経済的支配力は、きわめて大きかった。これに対して、近代工業生産体系成立への過渡的役割を担う銅生産は、まさに<鉄は国家なり>と呼ぶに価する比重を占めていたのである」


「足尾銅山は、輸出および内需の両面から、帝国主義的生産の枢要な一翼を担っていた。したがって、足尾銅山に対する鉱業停止を求める農民たちの鉱毒反対闘争は、必然的に、軍備拡張を軸として日清戦後経営を推進する明治政府と対決する、という性格を持たざるを得なかったのである」


公害の被害を説明するのに、何で、このような左翼思想を持ち出さなければならないのでしょう。

明治政府も、それを支えている大多数の日本国民も、欧米諸国に追いつこうとして、ひたすら経済力をつける努力を続けていました。

そのような時代ですから、足尾銅山が特別に「帝国主義的生産の枢要な一翼を担っていた」わけではないはずです。


足尾銅山は、たまたま優秀な鉱脈を発見したために、異例とも言える生産力を持っていたに過ぎません。

被害農民も、明治政府が「軍備拡張」のための経済政策を進めているという意識も、そのために政府と対決する意識もなかったはずです。

彼らは、ただ田畑が元に復旧すればよかったはずです。

だからこそ、公害がなくなった時点で「鉱業停止を求める」闘争をやめているわけです。


いったいどうして、農民が「明治政府と対決」したなどという解釈が出来るのでしょう。わけがわかりません。

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2009-01-17 19:42:26

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・9

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

「永久示談契」なるものについては、内水護編の『資料足尾鉱毒事件』にある『足尾銅山鉱毒事件仲裁意見書』という、当時栃木県会議員だった当事者の横尾輝吉らがまとめた資料に、相当に詳しく説明されています。


「その後(最初の示談契約の後)、被害人民と銅山主と熟談の上永久示談契をしたのは、次の例のごとくである」


「1、金2000円也、明治28年3月16日、下都賀郡部屋村外4か村被害地主総代小倉嘉十郎外28名、古河市兵衛殿、保証人○○(2人)、明治25年8月25日付けご契約の次第もあるが、今般協議の上、さらに頭書の金額貴殿より領収つかまつり候事確実なり。したがって、どんな事故が生じても、損害賠償その他苦情がましいことは一切申し出ません。前回の契約は、本日をもって無効になります」


「このような例があって、下都賀郡に属する被害地はすべて永久示談となった」


さて、東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』は、こうした永久示談の結果を、次のように説明しているのです。


「永久示談の金額をみると、栃木県の場合、第1回の示談が1反歩平均1円70銭であったが、第2回示談ではそれより低く、1円40銭であった。総額も第1回の約10万9000円に対し、約6万4,000円と抑えられていた」


「このような金額で、過酷な永久示談に被害住民を屈従せしめることができたのは、国内政局の危機を転化する侵略戦争ー天皇制支配権力によって準備、主導された日清戦争が、被害農民を国家の名のもとに、強制したからだといえよう」


この説明は、明らかに読者をだましています。
上の数字の「1反歩平均1円70銭が1円40銭に下がった」ということは、ありえません。
田中正造の発言からも、上記の「下都賀郡部屋村外4か村被害地」のケースからも、示談金が上がったことは明白ですし、そもそも、農民が前より金額的に不利な契約を結ぶわけがないはずです。


前記の『足尾銅山鉱毒事件仲裁意見書』によれば、第2回の示談契約をした被害民は5127人で、第1回の契約者は8414人ですから、3000人以上は第2回の永久示談に応じていません。ですから、総額や平均額で比較しても意味がありませんし、契約金額は被害の程度によって違うので、比較することも不可能です。


因みに、『仲裁意見書』では、初回の示談金総額は7万6602円6銭、永久示談金の総額は3万4119円3銭となっています。
契約者数が違うのに、その総額を示して、契約金額が「抑えられていた」と説明するのは明らかにごまかしです。、この本の著者は何とまあひどい詐欺師たちなのでしょう。


しかも、「侵略戦争ー天皇制支配権力による日清戦争が、被害農民を国家の名のもとに強制した」と説明するに至っては、馬鹿馬鹿しくて、あいた口がふさがりません。

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2009-01-14 20:39:26

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・8

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

一旦示談契約なるものが成立したのに、なぜ途中で「永久示談契約」なるものへの変更がなされたのでしょう。


『通史足尾鉱毒事件』にはその理由も内容も、何一つ説明されていません。

しかし、想像すれば理由はすぐ分かります。

企業経営は、赤字が大きくなって収支のバランスが成り立たなくなれば破綻しますから、支払う側の加害企業は被害農民に支払う示談金を出来るだけ減らそうとします。

一方、被害者側は、当然のことながら出来るだけ多額の示談金をもらおうとします。

その結果、会社側は、「今後これ以上の要求をしない」という条件で、すでに契約した示談金よりも多額の金額を支払うという提案をし、受け取る側の農民はその方が有利だとわかればこの提案を呑むはずです。


こういう、きわめて当然の交渉が行われて、「永久示談契」なるものが実現したと考えられます。

にもかかわらず、著者は全く一方的、強制的に古河が永久示談契約を推進したと説明しているのです。

これは、明らかに虚偽説明です。


この本によれば、最初の示談契約では、「示談金額は(栃木県の場合)、1反歩平均1円70銭だった」ということです(6回目の記事を見てください)。


しかし、明治29年3月25日に国会に提出した質問書で、田中正造は「永久示談契約」に関して、「田畑1反歩に付き各3、4円宛ての金を与え、しかして爾後永遠苦情を申したてまじく旨の書類を認めて強制的に、これに捺印せしむるの処置をとれるもの」だ、記述しています。


正造は嘘ばかりついているのでこの数字も嘘だということが、この日の国会での演説で「人民に1反につき2、3円金をやるから、これで永世子々孫々まで苦情を言うなという書き付けを取り、判を強奪した」と発言していることからも、はっきりわかります。


彼の挙げる数字のいい加減さはともかく、「永久示談契約」の方が、受諾した農民にとってはるかに有利だったということは、これでよく分かります。


正造の発言は絶対信用できないという証拠をここで紹介しましょう。


彼はこれより1年前の明治28年3月16日の村山半宛の手紙には、次のように、金額を「5円以内」と書いているのです。


「鉱毒地方田畑1反につき5円以内を一時に恵与して、被害人より永世子孫に至るも、苦情がましき儀申し出まじく云々の証文を、古河市兵衛へ差し出す大干渉を、足利郡樺山郡長、旧梁田郡県会議長長真五郎、同長裕之、早川忠吾ら、皆古河の奴隷となり、番頭となり、手代となり、犬となり猫となり、被害村々運動、強いて調印奪取、日夜奔走中にて、足利、梁田村々中気弱な人々および小欲の人々、私利目前汲々の人々、この威嚇的利欲的の二途に迷いこまれ、すでに植野、界村まで侵入いたしたりとのこと」


田中正造が勝手に根拠もない作り話を、周りの人々にばらまいていたことも、これでよく分かると思います。嘘の話をでっち上げるほど簡単なことはないわけです。

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2009-01-10 20:18:50

東海林・菅井の『通史足尾鉱毒事件』・7

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

前回に続いて、被害農民と加害者である古河鉱業の示談契約に関して、この本が書いている説明を引用します。


「そして、1892~93(明治25~26)年にかけて第1回示談を完結させると、古河側はさらに1894~97(明治27~30)年にかけて、第2回示談(永久示談)を押し付けてきたのである」
「第2回示談は、被害農民が永久に苦情を言わないという、永久に被害農民の権利を拘束してしまおうとするものであった」


「(この)永久示談の推進に、古河側は官憲と結託してさまざまな手段を弄した。同年(明治27年)8月1日の日清戦争の勃発が、古河側に有利に作用したのである」


この説明によれば、被害農民は一旦条件つきで(明治29年6月までに限った)締結した示談契約を、なぜか古河側に強制されて、無条件の永久示談契約に切り替えられたことになります。しかも、その背景に日清戦争があり、そのために被害民がやむなくその強制に従わざるを得なかったというのです。


果たしてこれは事実でしょうか。少し考えると常識的におかしなことだらけです。


いったい、話し合いによって約束を結んだ示談に関して、明らかに不利になると分かっていながら、なぜ被害農民が変更を受け入れるのでしょう。古河側も何で相手が不利になる条件を強制できるのでしょう。考えられないことです。


日清戦争と損害賠償といえる示談金とにどんな関係があるのでしょう。何にもないはずです。


「古河側は官憲と結託してさまざまな手段を弄した」とありますが、県議会議員の仲介で示談をするのに、何でそんなことが可能なのでしょう。一般的には、企業側は加害者責任を認めないはずなのに、古河は責任を痛感して大金を払うというのですから、そもそも低姿勢で交渉しているのです。


永久示談なるものの著者の説明が、いかに矛盾だらけで嘘っぽいかについて、次回から詳説しましょう。


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