2008-10-25 20:31:42

岩波新書の『田中正造』・4

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

次に由井は、示談契約の内容について、前の説明とは違うことを以下のように書きます。


明治29年6月30日までは、公害防止設備の粉鉱採集器の試験期間とするので、「契約人民は何等の苦情を唱うるを得ざるは勿論、その他行政及び司法の処分を乞うがごとき事は一切為さざるべし」、とするものであった。


「示談契約の本質は、足尾銅山の利益擁護を基本とし、被害者の権利意識を眠りこませるものであった」


県知事が示した先の示談内容と違って、「明治29年6月30日までは」という条件がついていることが、お分かりと思います。


ここで由井の書いていることは、果たして本当でしょうか。


実際の示談契約書は、次のとおりです。


第1条 古河市兵衛は、粉鉱の流出を防ぐために明治26年6月30日を期し、精巧な紛鉱採集器(公害防止設備)を足尾銅山の工場に設置する。 

第2条 古河市兵衛は、徳義上示談金として、左のごとく支出する(内容省略)。

第3条 明治29年6月30日までは、紛鉱採集器の試験中のため、契約民は苦情を唱えたり、行政・司法の処分を乞うなどしてはいけない。

第4条 明治29年6月30日以降、紛鉱採集器がその効を奏したときは、この契約は解除される。

第5条 紛鉱採集器が万一効力がないときには、なお将来について臨機の協議を行い、別段の約定をする。 


つまり、「お互いに話し合いで約束しましょう」というのが示談ですから、第3条の「契約民は苦情を唱えたり、行政・司法の処分を乞うなどしてはいけない」、と約束することは当然のことです。


裁判などによる解決は不可能だから、県会議員の仲裁の下で示談交渉がなされたのです。

したがって、「仲裁委員会による示談は、県-郡-町村という完全な行政ルートをつうじて強圧的に、そして異常な速さですすめられていった」という前回の由井の非難も、示談の性格が強圧的、一方的なものでない以上、全く的外れだということが出来ます。


その少し後、住友の別子銅山でも、藤田組の小坂銅山でも、久原房之助が経営していた日立銅山でも公害が発生し、被害民が糾弾しました。

しかし、どの加害企業もすぐには責任を認めず、金銭による補償は全くしませんでした。すぐに示談を提案した古河は、例外的に誠実だったのです。


「示談契約の本質は、被害者の権利意識を眠りこませるものであった」も、ですから全く事実関係に無知な、由井の勝手な観念にすぎません。反証もあります。


そもそも、鉱毒の被害者がすべて古河を敵視していると思い込むことには無理があります。足尾銅山の周辺の農民の多くは、銅山のお陰をこうむって生活していました。現実問題として銅山側に文句を言えない立場にあったのです。


示談が成立した後のことを、仲裁委員の一人で栃木県会議長や国会議員にもなった横尾輝吉は、「鉱毒事件仲裁の顛末」に、次のように書いています。


「この仲裁の結果は、両関係者ともに非常の満足を表わし、被害人民諸氏は各町村ごとに盛大なる慰労会を開き、遠くわれわれ仲裁委員を招待せり。各町村ともに美麗なる用紙に感謝状をしたため、各委員に贈られた」   

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2008-10-22 19:58:24

岩波新書の『田中正造』・3

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

著者由井正臣は、次に、加害者の古河市兵衛と被害農民とで交わされた示談契約について説明をします。
その部分を引用しましょう。


「明治24年12月、栃木県知事は示談契約に関する規約草案を沿岸各町村に示した」


「その内容は、被害地は、知事の紹介をもって、古河市兵衛に24年から26年まで3年間の被害にたいして、何ほどかの金額を<懇請>する。それについては、3年間に被害が増加してもいっさい苦情を申しでないとするものであった」


「この仲裁案が、政府あるいは古河側の意向をどの程度反映したものであるかは、あきらかではないが、相互にある程度了解があったことは推測できる」


由井正臣は、知事に対して不満を表明しています。しかし、加害者は誰かがまだ特定されていないこの時点で、加害者と被害者との間に示談の動きがあったことは、日本の公害事件では全く例がないことです。加害企業も行政側も、今の時代と比較すれば、とてつもない優等生ではありませんか。
誉められていいことなのに、いったいなぜ逆に非難するのでしょう。


そして、由井の言う知事の行動は、果たして本当なのでしょうか。


『栃木県の百年』(山川出版社)は、明治25年1月に古河の番頭の浅野幸兵衛が、群馬県新田郡長の高山幸雄に対し、洪水による田畑の損害には「銅山側に非があることを認め、粉鉱採集器による除外法を強調」したので、高山はその設置を条件に、「示談契約書を交わした」こと、さらに、栃木県に派遣された番頭の井上公二によって、同県でも「ただちに示談に入った町村があらわれた」、と説明しています。


由井は、次いで、翌明治25年2月に、栃木県会議員19名からなる仲裁委員会が組織され、彼らの仲介で示談交渉が始まったことを説明していますが、ということは、知事が、明治24年12月の段階で、「何ほどかの金額を<懇請>する」とか、「いっさい苦情を申しでない」という「規約草案を沿岸各町村に示した」ということは、きわめてあやしくなります。


地元の県会議員を差し置いて、沿岸各町村に知事が直接何かを指示するのは、普通考えられないからです。
『資料・足尾鉱毒事件』(亜紀書房)に、編者の内水護は、「明治24年12月の栃木県会で、被害地の損害を古河に賠償させてほしいとの意見が出された。そして、翌明治25年2月には、県会の決議にもとづいて仲裁委員会が組織され、示談の斡旋に乗り出した」、と解説しています。


さらに由井の説明が変なのは、示談契約の対象を、「24年から26年まで3年間の被害」としていることです。まだ発生していない25年と26年の被害を示談の対象にするはずはないからです。
したがって、「この仲裁案が、政府あるいは古河側と県知事の了解のもとにつくられた」というのも、由井による全く根拠がない「推測」だ、ということが推測できます。


読者にはまず歴史の事実を提供すべきであって、その前に著者の推測などを聞かせるのは失礼な話です。もし読者を本当に納得させたいなら、読者が自然に推測し、自然に納得するような事実を提供すればいいのです。


由井は上記の「推測」だけでは満足せずに、そのうえ次のように書くのです。


「仲裁委員会による示談は、県-郡-町村という完全な行政ルートをつうじて強圧的に、そして異常な速さですすめられていった


果たしてこれは事実でしょうか。検証してみましょう。



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2008-10-19 21:32:32

岩波新書の『田中正造』・2

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

この本の著者由井正臣は、田中正造による足尾鉱毒事件の国会質問に対する政府答弁に関し、次のような感想を述べています。


「この答弁がいかに欺瞞にみちたものであるかは、そのわずか1か月後に官報にのった<被害地調査報告書>の中で、古在由直・長岡宗好両助教授が、被害の主因が足尾銅山の鉱毒にあることを科学的分析にもとづいて詳細にあきらかにしているからである」


この文章をよく読んでみてください。正しい文章になっていないことにまず気づくと思います。


これでは主語と述語が繋がっていません。したがって、たとえば「・・・欺瞞にみちたものであるかは・・・・あきらかにしていることから明白である」、といったように直さなければ、意味が通じません。
岩波の編集部までこのミスに気づかないのは驚きですが、いったい、政府の答弁がなぜ「欺瞞にみちたもの」なのでしょう。


当時の農商務大臣である陸奥宗光は、「農科大学でも調査している。しかし、結論はまだ出ていない」と、明治24年12月25日に答弁しているのです。
そして、その農科大学(正式名称は帝国大学農科大学。東大農学部の前身)の古在由直・長岡宗好両助教授は、由井正臣がいう「1か月後」の明治25年2月に至ってから、「被害の主因が足尾銅山の鉱毒にある」、という結論を出したのです。


いったい大臣の答弁のどこが間違っているのでしょう。この著者には、時間の前後の区別がつかないのでしょうか。どの点が欺瞞に当るのでしょう。


誰が考えてもまともで正確な政府答弁を、「いかに欺瞞にみちたものであるか」と怒っているこの人は、「明治政府は悪」という観念に支配され、その悪感情を無関係の読者にぶつけているのです。


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2008-10-15 21:22:10

岩波新書の『田中正造』・1

テーマ:メディアのばらまく偏見と嘘

田中正造のことを書いた本は相当数多く出ていますが、一番売れているのは由井正臣著『田中正造』(岩波新書)ではないでしょうか。


その影響力からいって無視できないので、読者をだましているこの本の問題箇所を、ページを追って点検していきます。


明治24(1891)年12月18日、帝国議会で足尾の鉱毒問題について田中正造が最初に質問書を提出し、農商務大臣がこれに答弁したことに関して、著者は、年末の官報に発表された答弁内容は以下のようなものだった、と書いています。


1.被害が足尾の鉱毒によるものとは断定できない。
2.原因については分析試験中だ。
3.粉鉱採集器を外国から買い、設置の準備をしている。


ずいぶん冷たい回答だったみたいに箇条書きしていますが、官報で確かめると、実際は概略次のようなものでした。


「今日までの調査では原因は確定していない」


「今年の2月以来、栃木県に3回、群馬県に2回技師を派遣・調査し原因を研究している。効果があると思われる除害方法はすでに両県に報告した。医科大学教授にも土壌分析をさせ、農科大学でも調査している。しかし、いずれも結論はまだ出ていない」


「1年前に本大臣は、鉱山局長、嘱託で且つ工科大学の教授、それと本省技術官に足尾銅山への出張を命じ、現地調査をさせた。その結果、銅山側は、予防対策としてドイツとアメリカから3種の粉鉱採集器を購入し、合計20台を新設して、鉱物の流出を防止する準備をしていることが分かった」


関心のある方にはすぐわかりますが、日本の公害の歴史において、国会で問題になる1年も前から原因調査を始めた例などありません。明治政府の対応は何とも立派で、賞賛に価するといってもいいと思います。


ところが、この本の著者は、なんと政府のこの答弁を非難しているのです。


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2008-10-11 19:48:24

正造の晩年の孤立・14

テーマ:田中正造の虚像と実像

「自分だけが正しい」という思い込みを、正造はとにかく人に訴えたかったようです。普通の人なら他人に分かってもらえなくても仕方ないと思うはずですが、幼稚な精神構造を持ったこの人には、どうしても自分を偉く見せたかったのでしょう。


大正元年9月8日、自分の姪である原田たけ子に宛てて、自分は20年も関東一円の人民を救うために努力してきたのに、世間はそれを認めないと嘆くと同時に、それでもへこたれていないと強がって見せた手紙を書いています。


「今は正造ただ一人にして、関東5州、上野、下野、常陸、下総を救わんとするにありて、歳月20年、今は人民もまた正造の心を知らず、ますます正造を疑って信ぜず、かえって行為を賤しめるもの十のうち八、九なり」


「しかも不思議なるかな、正造今日の無事なるを得る。この9ヵ年、10ヵ年、何を食せしか、何を着て寝しか、どこに居りしか、自ら既往の経過を知らず」


その翌月の同年10月25日、同じたけ子に宛てて、自分は立派な生き方をしてきたが矢はすでに尽きた、けれども心は安泰だという強がりを見せる、矛盾だらけの手紙を出しています。


「正造は常に東西に奔走して10年、定まれる家なし。乞食の風采たり。しかも救いの道に尽くせり。善事の伝道に努めり。進んで無限の細大四面の悪魔と戦い、下級宗教心の実行に努めり。・・・数十年人道の戦いに倦まず、退かず。しかも刀はすでに折れたり、矢はすでに尽きたり。しかもなお心に恐るる所なし。ありがたし、ありがたし」


大正2年8月2日、栃木県足利郡吾妻村の庭田清四郎宅で倒れて死の床に就きますが、8月13日、島田宗三に正造はこんなことを言いました。


「この正造はな、天地と共に生きるものである。今度倒れたのは、安蘇、足利(郡)の山川が滅びたからだ。・・・ですから<山川擁護会>をつくるよう、安蘇郡有志の近藤貞吉君あたりへお話ししなさい。もしそれができなければ、遺憾ながら正造は、安蘇、足利の山川と共に滅びてしまう。死んだあとで棺を金銀で飾り、林檎で埋めても、そんなことは正造の喜ぶところではない」(島田宗三著『田中正造翁余禄』)


彼は、最後には誇大妄想に取り付かれて、聖人になったとでも思ったのでしょう。

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2008-10-08 22:04:15

正造の晩年の孤立・13

テーマ:田中正造の虚像と実像

孤立の深まりと近づく死とともに、正造は、「世の中はみんな間違っているが自分だけは正しい」という思い込みを、いや増していきました。

明治45年2月4日に、土屋七蔵宛の手紙で正造は次のように書いています。


「雪は白し、南天の実は赤し。人々の心もかくさえあれば泰平にして、皆々無事満足に暮らせるものを。何とも黒き雪を降らせることの多き今の世の有様なれば、一層万事にご用心のほどを。栃木町方面より、無野心生」


自分は野心がなく、白い雪のような人間だと自己宣伝していますが、何とおめでたい人でしょう。


明治45年4月5日には、栃木県安蘇郡界村の永島礼七・糸井藤次郎、役場職員に宛てた手紙に、栃木県人に対して次の不平不満をぶつけました。


「嗚呼、栃木県は10年の以前に人心は滅び、今は形も滅びたるを知らざれば、あわれにも気楽な顔しているものなり。佐野町の人々よ、宇都宮の人々よ、足利の人々よ、小理屈と我利我利論の楽観のみの論はあれども、まじめに研究せられた涙の調べは少しもない。栃木方面にて、沿岸回復運動員より」


自分は何かを真面目に研究しており、堕落した栃木県人を回復させる運動もしているというのです。


真面目な仕事をしてお金を稼ぐことをせず、自分の妻さえ養えないため彼女を家から出して自活させ、自分の生活費はすべて他人から恵んでもらっているという乞食のような人間が、いったいどうして渡良瀬川の沿岸人民を救済できるのでしょう。

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2008-10-04 19:54:38

正造の晩年の孤立・12

テーマ:田中正造の虚像と実像

孤立を深めた正造は、「教えんとして失敗せり」という反省などどこ吹く風、谷中の残留農民たちの普段着にまで文句をつけます。


大正元年11月17日に、島田宗三や川島要次郎に宛てた手紙はこうです。


「とにかく、ありのままをよしとす。作るはよろしからず、なかんずく、谷中人民の衣服は仮小屋相当を要せり。仮小屋で錦衣を着てはおかし。間明田粂治氏この間の装いは谷中の残留農民の風采でない。町場の商人体に見えた。染宮氏は相応に見えました」


孤立が深まるとともに、自分は農民の指導者であるという幻想が、ますます強くなっていったようです。
大正2年2月4日に東京の巣鴨館から島田、川島宛に出した手紙になると、もう教祖のご託宣になっています。


「日本死しても天地は死せず、天地と共に生きたる言動をもってせよ。天地と共に久しきに答えよ。今はまずこの老いた不肖の言を信ぜられよ。よく信ぜば復活疑いなし。この言を疑えば復活せず。見よ、既往より見よ。日本政治家の浅薄、13ヵ年以前より予の忠言を信ぜずして、未だ悟らずして今日の有様なり」


「自分の忠告を聞かないから日本の政治は駄目になった」との発言は、正造という人間のお粗末さ加減をよく示していますが、この誇大妄想ぶりは、同日に出した逸見斧吉への手紙にも次のような文章で繰り返されています。


「正造断言す。今日の形勢といえども、予の投薬一ぷくを国家が用いるときは、百病直に全快せん。人心たちまち復活、20億の負債といえどもまたかくのごとき無算極まる悲観なしです。けれどもけれども、嗚呼、予は政治家にあらざるなり」


それにしても、自分を全く客観視できない正造という人は、何とおめでたいお馬鹿さんなのでしょう。


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2008-10-02 19:44:50

正造の晩年の孤立・11

テーマ:田中正造の虚像と実像

「正造も去る37年以来教えんとして失敗せり」と反省しながら、彼はその後も谷中の青年たちにお説教をしつづけます。おそらく彼にはこれ以外に彼らと付き合う手段を持たなかったのでしょう。若い時以来ずっと、現実離れの政治的思想を上段から発言してきた人ですからね。




明治45年4月5日、島田宗三、川島要次郎、竹沢房之進他青年会御中という宛名で、栃木町の金半旅館から次の手紙を出しています。

「春はねむし。たとえ眠くとも忍んで御さとしあれ。たとえ馬鹿にされるとも御さとしあれ。たとえ空腹になるとも忍んで、人に頭コツコツヤラレルとも忍んで、この憐れの人々と見れば教えて救いたまえよ。殺さるるまで忍んで救いたまえ」


「見よ。3歳の小児将に井戸に落ちんとす。また、犬に噛まれんとす。これを近く馳せ寄り急ぎ救うは道なり。人情なり。諸君、疑うことなくしてこの道の実践を祈る。・・・諸君、必ず大実践を持って、精神をもって御救いに御尽力あれよ。正造感あり。嗚呼、天に尽す何の憚る処がある。以上、頓首敬白」


「人を救え」といわれた農民たちは、いったいどうすればいいのでしょう。戸惑うしかないはずです。
そもそも、まともな仕事を何もせず、人を救うためだといってあちこち出回って他人の家に泊めてもらい、食事のご馳走になって暮らしを立てていた正造が、いったい人を救えとお説教する資格が、どうしてあるのでしょう。


それから2ヵ月後に同じ青年たちに宛てた次の手紙(大正元年9月9日、東京から)になると、「いったいあなたは何様なの」と叱り付けたくなります。


「人道を全うしてはじめて神の道に入る。1日人道を学べば神の道に行くの一里塚なり。実行実行。いたずらに書物の上に達するも実行に及ばざれば、ただに知識の人にして、未だもって真人というべからず。努めよや努めよや」

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