2008-04-26 19:47:12

金銭感覚の異常性・45

テーマ:田中正造の虚像と実像

いったい、他人の家をどのように転々と訪問していたのか。日記を見れば分かると思ったので、明治の末年から少しの間、正造の日記をメモしてみました。それを並べてみましょう。


明治45年4月29日、昨日栃木県茂木氏を訪れて佐野に至り、小島氏方に泊す。
   同年5月5日、昨4日、谷中より海老瀬、藤岡に。田中弥平氏方に泊す。
   同年5月6日、木村市郎氏と共になり、海老瀬佐山の家に泊す。
   同年5月18日、前夜本郷稲村広吉氏に泊し、河辺村稲村氏を立って、三人して(島田宗三と竹沢房之助と)古河町に。わだやで昼飯ののち、板倉、雷電、板倉沼を見に行かんと材木店○○方に泊す。 
   同年5月19日、汽車で足利に至りて原田氏方に投宿。
   同年5月22日、昨日馬門大橋屋に泊し・・・・。


最後の大橋屋は旅館のようですが、その他は普通の家です。
元国会議員の偉い人が来れば、ご馳走を出して饗応し、床の間のある一番奥の部屋に、来客用の寝具を用意するでしょう。


本当は乞食のように、食べ物と寝る所を求めて行っただけでしょうが、正造を迎えた人々は、賓客と思って受け入れたはずです。


ですから、職業もお金も家族も家もなかった正造は、その家を訪問する具体的な用事がないにもかかわらず、次々と個人の家を泊まり歩いていたのだと思われます。



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2008-04-23 20:10:02

金銭感覚の異常性・44

テーマ:田中正造の虚像と実像

田中正造の日々の動きを見ていると、あちこち転々と移動していて、本拠であるべき谷中村にはほとんど落ち着いていません。


谷中から動かない方がお金がかからないはずなのに、働かずに収入のない彼が、なぜあちこち動き回っていたのでしょう。よく考えると理由は簡単です。お金がないからこそ、人の家を訪ねて食事をおごってもらい、泊めてもらっていた、と考えられます。


このことを正直に告白した手紙があるので、紹介しましょう。
公害反対運動のリーダー的な活動家だった野口春蔵に宛てたもので、日付けは明治44年9月1日、差出人は「日本の東京より、世界的土人」となっています。


「拝啓、臨時お頼み申し上げておきます。それは小中辺の人々が何を誤解せしか、正造が村長を望むとやら、万一にもなられては大変、郡長さん困るだろうとかにて、内々反対の運動しておるとの風聞が耳のきわをかすってきていた。・・・去年以来正造がたまたま小中に行くのは、銭に困って行くので、他に用があって行ったのではないです。正造は天国に行く道普請の最中で、多忙ですと話して下さいよ」


小中とは、正造の生まれ故郷で、栃木県佐野町にある地名です。


多忙な人が、お金に困って故郷の知り合いの所に出かけ、泊めてもらって食事をご馳走になり、お小遣いをもらって帰るなんて、あり得ることなのでしょうか。多忙は明らかにうそです。彼は誰からも何も頼まれていないし、自分で勝手に動き回って、忙しいといっていたに過ぎないからです。


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2008-04-19 20:13:27

金銭感覚の異常性・43

テーマ:田中正造の虚像と実像

もう一つ、正造の興味深い手紙があったので紹介します。


島田雄三郎と言う人に宛てたものですが、どうやら、正造がこの人から時々お金を恵んでもらっていたようです。
そこで正造は、借用証を発行し、実際に甥の原田定助にお金を払わせようと図ったのですが、相手から「このお金は差し上げたので貸したのではない」と断られた、といった内容になります。


「回顧、明治13年以来、また23年以来、夢の如くにして今日に至り申し候。その間引き続き時々の恩恵、時々のご援助浅からず、貴家のご厚誼日々増し、年を加えていよいよ厚し。・・・小生の不肖も、貴下の如き人を得ては人道を全うするものに候。ついては先年来の恩借金といえども、何もかも投げやりにても人道またよろしからず、今後参上の頃、証文らしきもの相認め申したく候間、その節紙と筆と墨とをご用意、ご貸与下されたく候。おうかがいかたがた併せ御意を得候。頓首」(明治39年5月21日)


それからひと月後の明治39年6月25日、正造はこの島田雄三郎に宛てて、次の手紙を出しました。


「仮証。1.金20円也、ただし、間接に津久居彦七君を保証人に選任いたし、足利町原田定助殿より来る6日受取、急ぎ御回金仕るべく候事。明治39年5月19日。田中正造。島田雄三郎殿」


「本証元金返済のため持参候ところ、なお御恵与下さる候との厚きお言葉にしたがい、すなわち頂戴いたし候につき、後来のため、この仮証そのまま貴下に御預け申し上げ置き候也。6月25日、田中正造」


正造は、彼に寄付したいという人々に甘えて、「証文を書きます」などと口先で相手をだましながら、収入を得る道を選んだのではないでしょうか。


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2008-04-16 20:30:34

金銭感覚の異常性・42

テーマ:田中正造の虚像と実像

田中正造は、借金を踏み倒した増田清三郎に関し、前回の手紙のほかに明治44年1月7日にも、同じく逸見斧吉に次の手紙を書いています。


「また埼玉の河辺村増田殿、同村に従来の悪漢等また人民を売って(私欲)云々、しかも増田殿等これを発見、去月その由を訴えるとて300人県庁に行く道、久喜の停車場辺にて警官の偽言にだまされて空しく帰りたりとの風聞は、かつて聞きおりたるところ、右利島(村)、川辺(村)の人民は、ここに到りて正造を頼まんとするのです」


「増田氏、先年は偽りの文句を左部彦次郎に学びて、悪手紙を東京市の我々の同志にくばりて、面目を傷つけ、今また正に死になんなんとしては人民を引き連れて正造にすがる。正造は暇すらあれば救うのです。増田殿が前年の事は咎めぬのです。けれども谷中の外四方八方皆この混乱で、手も足も廻るものでない。無邪気の人民は、鉱毒よりも水害よりも恐ろしき危難に陥りました。右参考に申し上げ候。早々頓首」


何を言っているのかわかりずらい手紙ですが、増田たち農民を「無邪気の人民」と決め付け、彼らは自分を頼ってくるが、「暇すらあれば救える」けれども、「手も足も廻るものでない」から、それはできないといっています。お金を返すことが先決なのに、自分勝手な理屈を持ち出して、その相手をかえって責めるのですから驚きです。


田中正造の異常な金銭感覚は、大正元年11月30日の次の日記にもよく伺えます。


彼は、国会議員引退後に選挙地盤を譲った蓼沼丈吉から、200円(今なら200万円)借りていました。相手は当然返金など期待していないお金でした。
ところが正造は、お金を返したことがない人なのに、口ではいかにもご立派なことを言っています。


「去る7月中、蓼沼丈吉氏は、佐野町川田屋にて予に面会の時、予が金200円の借金は帳消したりと告げたれば、予はこれに答えていう。返済の義務は我にあり。帳面は消すとも予が精神は消すべからず。予の精神は、返金せしのちにあらざれば消えず。蓼沼氏笑う」


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2008-04-12 20:13:50

金銭感覚の異常性・41

テーマ:田中正造の虚像と実像

増田清三郎からの「金返せ」という催促状に対して、田中正造はいったいどのように対処したでしょうか。


実は、すでに明治42年8月15日の段階で、古河町の旅館・田中屋に滞在する正造は、逸見斧吉に次の手紙を出しています。


「増田清三郎のこと、右は正に相渡し候。大喜びでトント別人の如し。しかれども今後同人より貴下に何事を申上げるもこの上はナシです。委細は更に御面会」


正造は、借金を踏み倒した農民・増田清三郎に、何一つ遠慮していません。むしろ軽蔑しています。


それは、前回の明治42年12月26日付けの増田の催促状から10日ばかり後、明治43年1月6日の手紙からもよく分かります。古河町の村沢旅館に滞在する田中正造は、ここから東京の逸見斧吉に宛てた手紙に、この日なんと増田を馬鹿にして次のように書くのです。借金を踏み倒した相手に済まないと思うどころか、平気で軽蔑してお説教までしようとしてするのですから奇奇怪怪。田中正造という人は、農民を救済するどころか、明らかに愚弄していたことがよくわかります。言葉と行動は完全に分裂しているのです。


「去月下旬以来(埼玉県の)川辺の増田清三郎氏の裏通行。車にて往来6回せるに1回も立ち寄らざりしは、他人の素人にはなし急ぐためなり。しかして去月30日青年4人同行、立ち寄りたれば、この人すでに貧苦止みなく悪魔の小売に欺かれたり。増田氏は食えぬその理由の弁解、気焔万丈。これまことに神の我に教えられたるところなり。凡人食尽き飢えれば敵に降るを恥じず。あたかも兵士の戦破れて降るも同一に心得ておる。非戦論の国難ここにあり。食多ければ無益の戦争を聞き、食尽きれば内地の人民を責め滅ぼして兵士の食物とす。これ、現代の政治が我人民を殺しその肉を食うに至りしは、まことに凡人社会の常となり申し候。恐るべし恐るべし。増田清三郎氏の変化もまた哀れなる次第にて候。ただし、追々この人には人道の汚点たるをば説き申すべく候。蘇生まで説き申すべく。31日の夜も飯積の野中氏方にて夜食して、暗夜無灯提、独り麦倉の飯塚伊平氏に来泊す。10時にて候。5日夜書く。6日朝」


封筒の裏は、「古河町旅舎村沢方より本日発す。あとは田中屋、43年1月6日前9時」と書いてあります。彼はこの正月に点々と人の家に泊めてもらい、ご馳走に預かっていたわけです。正に乞食行為です。


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2008-04-09 21:52:42

金銭感覚の異常性・40

テーマ:田中正造の虚像と実像

前回の手紙から半年後、明治42年12月26日に、増田清三郎は東京日暮里の逸見斧吉の家に滞在する田中正造に宛てて、また金返せの催促状を出しています。内容は以下の通りですが、誰かに代筆してもらったことは歴然としています。


とは言っても、意味が分からないところがたくさんあります。なぜそうなのかをよく考えながら、読んでみてください。


「拝啓、御貴殿様に申し上げます。3か年間田畑不作のために家族9人、実に食することも出来ない始末。明治40年度より3か年村税未納、次に学校建築費と共に53円を、いよいよ、いよいよ、いよいよ、財産差押えの命令あり、他に借用金の返済を請求され、子供5人に寒さしのぎが出来ず、そのために子供が病気を引受け、小生も長年の病気で見る影もなく、御貴君様お助け、お助け、お助けを願います」


「御貴君様は、聞くところによれば、来ても小生宅には寄らず、この次は寄るかと思えば素通りして、お願いもできず、12月30日までに金100円をぜひぜひぜひ、ご都合なり、借用するなり願います」


「家内どもは、御貴君が素通りに付き、田中さんは金の為に殺すんだろうか。実に母始めとして涙に暮れております。金もなし、食するものもないから、毎日母上に口説かれておりますことは、貴様が14,15年間の運動と田中正造への立て替え金元利、34年の調べは山のごとくだろ、その為にぢうらいのしんくうをしまうのか。実に情けない、なさけない、なさけない。毎日家内一同に泣かれております。大至急御情け、助けを願います。増田清三郎、家内一同にて」

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2008-04-05 20:19:23

金銭感覚の異常性・39

テーマ:田中正造の虚像と実像

増田清三郎による死に物狂いの抗議の手紙は、以下のように結ばれています。


この手紙の宛先は、「東京日暮里村金杉百五十五番地 逸見斧吉・田中正造外有者一同様」ですが、この部分は、正造でなく逸見斧吉に訴えています。


「この段逸見様、日々の食する麦ヲ三十五俵田中殿為メ引とられてしまい、まだ利子ト小作ニ麦十俵以上ガたれない。家内九人ニテ食する物ガない。田中正造ノ為メニこのしまつとうの事ヲ、逸見様、東京有士様ガた、私ノ心ろヲぢうぶん(自分?)のむねニあてはめてみてモらいたい。谷中売収ニハ社会ニ人あるガ、田中正造ノ為メニ小生ハこれヨリこぢきニなる事ニハ人ガないのでしよカ」


「逸見様、東京市中ノ有士方ニモ御方告御願度く、小生書面又ハこぢきニでて、有士、新分ン(新聞)社ニたのみますカら、其ノ内御貴君様、東京田中きうさい会及ビ有士方ニ御しら御段願度く、御貴君様上カらモ田中殿ニ向テ、よくはなしを願ウ。増田殿ノ家内人ヲころすとモ、いカすとモ、大至急ニしてやるガよいと田中向テ御せつめを願う。小生ハ田中刀でころしてモらいたをモわ」


これが、まともに字が書けない貧しい農民の、明治42年6月20日の怒り狂った、心の叫びの手紙の全部です。


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2008-04-02 20:54:25

金銭感覚の異常性・38

テーマ:田中正造の虚像と実像

増田清三郎の怒りの手紙(明治42年6月20日)を更に続けます。
『田中正造全集』には、6月20日より少し後らしいが日付けのない手紙が、この直後に載っています。


今と違って、当時は、学校にも行かず何の教育も受けていない百姓が、雲の上の人である元国会議員にこのような抗議文を送ることが、いかに異常で、考えられないことであるかを想像しながら読んでみて下さい。
これまでと同じく、増田は正造の「口車に乗せられた」ことや、「欲が深い」と言われたことを、しきりに訴えています。


「正造殿、過日書送りたるこの事ハどうしたのであるカ。これ正造うそだろを。これモ私ヲ口車まにのせたのうだろう。君ガ左部彦次郎この事ニモカわづ又ハうぬれガ支カた元金ニ付よくガふカいとわ何ごとな。武藤金吉殿の事うそであるだろう。利島川組合ノ水理委員モ長年間つとめ、村会議員モ長年間つとめ、又ハ明治二十五年ヨリ運通(運動?)せシ利島、川辺ノ青年ヲ引シテモ、又ハ利島、川辺、古河、野渡、谷中、藤岡、新合(郷?)、栗橋、東村、原通(道?)、村君村、いびせ村の人民ニモよくガ深と、又ハづるいにんげんだとふせつニモない」


「これ田中殿、元金返済ニ付よくガ深いとわ、これ田中、地方ニテ小生のしまつをきうてみろ。むカしのこぢうんガたといのとうり、をに田中正造ぢやう、正造ごうとうわひるまわしない。よるのいのちガけ、正造為メニヨリこぢきとわなさけないど、正造さぞをモしろいだろ。正造、小生モしぬものぐるいです」


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