2008-03-29 20:19:26

金銭感覚の異常性・37

テーマ:田中正造の虚像と実像

増田清三郎の怒りの手紙(明治42年6月20日)を続けます。


「正造殿小生宅ニ明治三十五六年まいり、へたくさ青年ヲ引つれ、小生ヲくいつぶしました。何百回デあるカ、すうしれづ、君ハ小生を、よくガふカいカ、君ガをにであるカ、東京ニこぢきにでてわけます。日本事(中?)ニ新分(聞?)ニテ、ほうこくします」


「小生のくるしみを、これ正造殿よくカンガいろ。小生利子為メニ地所ニはなれても、元金デよろしいと、ちのなみだニテゆたのです。どせい君の為メニしだい(身代?)カぎりをしたのですカら、元金だけでよろしと、家内事の相段ニテ君ニゆいましたのです。元金の為メで、よくガ深いと、君の大な小生あくをした。これを世界ニホヲコクする。小生家内九人ニテこぢきカ、しするカ、正造元利金とトリカいこです。これより宅地ニはなれ、村ニはなれ、家内九人ニテそろうてわ、こぢきもできないカら、わカれてしまて、こぢきです」


「小生モ神(親?)せきノ間デモ、これまでに、をいニたすけてもらいましたカら、今ども神せき向テ麦作ヲとられたはなしを、あんまりカなし、為メニ神せきニはなしをして麦壱俵ヅツも、モらい度との為メ、はなしをしたところガ、神せき一同、小生宅ニよりてくれて、神せ一同ハ小生ニ向、明治弐五六年ヨリ運通(動?)せシ、又ハ三十七八年ヨリ人のせつニわ、田中正造の為メニをうい、そうんガいであると人ガゆいますカら、これヨり、しするとモ、こぢきニなるとモ、田中正造ニくわせてモらうとも、神せきのことわりや、小生わ田中ニたをされたとたをされたとたをされたと為メです」


「小生わ運通ニでてモ、くわづ、のまづ、よるヒる運通為メ、昨年一月ヨリ病気です。この病気のカらだニて毎日毎日毎日しごとうをやりて、麦を取入て母上供ニ安心させるつモりで、病気モいとわづ、カぎう(家業?)をやりました。麦三十五俵取入たる麦ヲさそく、みカけでをカれたとめいて金利小作ニもていガれしまいた。田中殿、君ニわぜにガなくてモ、人ガくわせる、とめもする、人力車モ引ます、それモ何回モたたでわしない。小生君の為メ実ニカなしカなしカなしカなし、よくみろよくみろよくみろ、よくカんガいろカんガいろカんガいろ、大至急、小生宅の九人ヲころせころせころせころせ、刀にてころせころせころせころせ、をニどん、ころせころせころせ、大至急。明治四十二年六月二十日、増田清三郎、田中正造殿」


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2008-03-22 20:29:48

金銭感覚の異常性・36

テーマ:田中正造の虚像と実像

増田清三郎の怒りの手紙(明治42年6月20日)の続きです。暗号を解読するつもりで読んでみて下さい。少しずつ分かってくるはずです。


「小生家内ガこじきニなるのガ、さぞさぞさぞさぞさぞをもしろいだろ。小生ハ三十八年度ヨリ三十九年、四十年、四十一年、四十二年六月、五ヵ年の間、元金四百円以上の利子ハ、正造ニモわカるだろ。一百円ニ付、年利拾五円ヅツ、この利金ハ向ニするのわ、ちのなみだにて、正造ニも向ニするカら元金だけガ、今日、百八拾円です。申シ(もし?)この事ニ付、よくガ深いとハ何ニ事なる。小生家内ニシテハ、ゆてゆいきれん。正造ハ今日年ニ壱回、二回、三回、シらきない。正造ハばカやろをの金額ヲ左部ト小生でつカてやたカらをしろい事ガ、田中カをニ目(見?)ます。実ニカなしいカなしいカなしいカなしいカなしい事です」


「東京ニモ正造の有者きうさい会たちてをます事、そのきうさいもみてをるカ。田中の為メニ九人ニテヒボシをみてをるカ」


「小生モ身ヅからしする事ハできづ、又ハ古澤事件ニ付、小生ハ古澤の頭ヲたたいて、しらんとの、とうがんをするはカらいニテ、古澤のあたまを、こぶしニてたたき、正造ハ古すて木で、きヅをまくり、それを小生引受テとうがん、このとき田中殿ハ小生に向テ、君ニ金参拾円やりますから、小生をばカニみて、口車のせた。みな田中正造のことば、小生に向テハみなふとうのことば也」


「この書面次件次第ニ田中正造殿、刀を以テ小生の家内九人ヲころしてもらいたい。刀のせいニなれば、しとをもい、田中殿大至急ニテ刀ニテころせころせころせころせころせころせ。小生君の為いきてていきぐるしみ、貴君ころさんとすれば、東京市中ニ右段ヲ有士ニ向ほこくす」


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2008-03-19 21:18:29

金銭感覚の異常性・35

テーマ:田中正造の虚像と実像

増田清三郎の怒りの手紙は、教育を受けず、まともに手紙が書けない昔の農民の、心からの叫びを示している原文によって紹介することにします。


これまでは、代筆だったり、分かるように手を加えたりしましたが、今回は理解は困難でもそのまま引用します。

日付は明治42年6月20日、差出人は埼玉県北埼玉郡河辺村大字小野袋・増田清三郎で、「家内一同九人にて」とあります。宛先は、東京日暮里村金杉百五十五番地 逸見斧吉・田中正造外有者一同様。「大至急用ニ」と書かれています。長い手紙なので、何回かに分けることにします。


「拝啓 君ハばカの私ヲ口車ニのせて三ヶ月の間返済スル返済スル返済スル返済スルトシテ、金額四百円以上の金ヲ支テ、今日ハ小生モ君ニ向イ、利子ハ向ニ(無効?)ニシテ元金ヲ返済ヲ願い、たすけてくれと何回ニモ申込せシ残り金ハ壱百七拾円ニ相成、この元金返済ニ付キ貴君ハ小生向テよくガふカいト申シ、君ハ世界デ壱人の有者ガ、ばカノ私ヲ口車ニのせて、所持ノ田畑ヲ君の利子の為メとられてしまい、本年麦作取込、麦ヲ三拾五俵取ました。利子ト小作トニ以(持?)テいガれてしまい、まだ利子ト小作ニ麦拾俵以上の金額ガたれない。小生家内九人ニテ日々食する物なし」


「貴君田中正造ハ、私、母、子供、家内事の身ニとる、正造ハをにであるカ、じやである、盗賊デある。日本デハ女ト金額トの為メニいのちをとられ、いのちをしまい、けいさつもあり、裁判所あ、貴君ハ小生ヲ口車ニのせて家内九人ヲヒボシデころす。小生家内九人モ正造の為メニいよいよこぢきです。正造元ヲ返済するニ、よくガふカいと。ばカな金だカら、うぬガカてニすろとのことばです。ある東京有者ハ、小生家内九人ヲたすけてください、たすけてください、たすけてください、たすけてください、たすけてください。左部彦次郎ノ地所も貴君正造、小生ニ向、何回モ申入、谷中運道ニこまるカら、左部彦次郎ニ地所買テモらいたいト、又ハ左部ニ目ヲ掛テもらいたいト、この地所壱反九畝歩、左部県長(庁?)ニ売渡シ、この代金四拾七円五十銭ニ売渡シ、正造の申入の事ハ目ヲカけてくれろト、何回ニも申ス為メニ、其ノ外貸金弐拾八円也、又小生姉、左部ニ貸金七円也、この事モ貴君正造ハみてをる。今日ニシテハ、田中シりませんと、ゆいますだろ」


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2008-03-15 20:59:50

金銭感覚の異常性・34

テーマ:田中正造の虚像と実像

全集に載った手紙によって、その後の経過を調べてみました。


前回の催促状から半年以上たった明治42 年3 月19

日、増田清三郎は、正造に宛てて感謝の手紙を次のように書きます。


「田中正造様に申し上げ候。逸見様より金額50円送り付け相成り、有難く、ありがたく、ありがたく、ありがたく存じ候。なおまたこの上に有士様方にお願い込みをして、小生家内一同をお助け下されたく願い上げ候。早々。増田清三郎拝」


利子だけで100円ぐらいにはなっているので50円はわずかですが、逸見斧吉から入金があって、とにかく正造にお礼を言ったわけです。


しかし、それから2ヶ月後、明治42年5月25日には、増田清三郎はまた、東京の逸見斧吉の家に滞在する正造に催促状を出します。それによれば、彼は、正造から返してもらうことは諦めていたらしく、正造に近い人物の左部彦次郎と武藤金吉から代わりに返してもらう約束をした、その証拠書類をこの手紙に添付してありました。


本文は次の通りです。
「過般ご来車の際、ご相談下され候件、私方も母上も借金のため財産減少に相成るは実に面目次第に御座候に付き、就いては是非とも元金だけは御尽力下さるよう伏して願い上げ候。増田清三郎、同母」
「1、金110円也」
「1、金70円也。ただし武藤金吉分」


添付された資料は次のとうりです(武藤金吉の分はハガキ)。


「かねて御恩借金の儀、本明治40年8月10日限り相違なく解決いたすべく、その節に至り必ず遅滞なく約束履行仕り、よって約束書件のごとし。明治40年7月6日。群馬県利根郡池田村・左部彦次郎。河辺村・増田清三郎殿」


「謹賀新年。田中翁関係の件につき、翁参られ、委細承り、この2週間に何とか致し候。左部氏分ともご送金申し上げ候。明治40年1月5日、東京・武藤金吉。河辺村・増田殿」


この手紙から、無責任極まりない正造が、自分の支払うべき借金を、この二人に肩代わりさせていたことが分かります。
徹底して正造に尽した左部は、彼に貢いで家業の造り酒屋を倒産させてしまいました。ですから、増田との約束は果たせるはずがありません。
正造の政治姿勢に共感する武藤に関しても、政治家ですから単なる出まかせの口約束にすぎません。


果たして、このひと月後には、増田は正造に怒りの催促状を出すのです。


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2008-03-12 20:05:19

金銭感覚の異常性・33

テーマ:田中正造の虚像と実像

正造が貧しい農民にお金を借りて、返済せずに踏み倒したケースで最も悪辣なのは、おそらく埼玉県河辺村の増田清三郎からの借金だと思います。


正造の活動を積極的に支援していた増田は、渡良瀬川をはさんで谷中村の対岸に住む農民で、明治38年の4月に、正造のために年利1割2分という高利で人から200円を借りて、それを融通したらしいのです。


失業者である正造には、当然返せるはずがありません。増田が催促を続けたものの全く駄目で、やっと少しだけ返してもらえたのが、明治41年の9月になってからでした。おそらく逸見斧吉が代わりに支払ったのだと思います。
金額は不明ですが、文面からは50円内外だと考えられます。
明治41年9月26日の手紙で、前半は姉のせきが書き、後半は本人とせきの連名で書いてあります。候文を現代文に直しました。


過日あなた様より内金として届けられた分、正に拝受いたしました。しかし、受け取ったお金は、堤防の上置き金200円の利子30円を払い、残金は質物の利子に支払い、その他夏物4,5枚を質屋から受け戻したため、1銭たりともさらになく、まことに困難きわまりなきところです。弟の清三郎は永く病気を患っていまだ全快せず、私は煙草銭や小遣い銭にも欠いて、近所や親類から50銭、30銭と小遣い銭を借りている始末です。これについては、いずれ面会の上、いろいろお話申し上げたく思います。増田せき」


「二伸を申し上げます。元金200円については、明治38年4月7日に、古河の片町より借用しましたので、それに対する利子も84円になり、金主より頻りに請求が参っており、困却いたしております。この段お伺い申し上げます。ただし、利子1割2分。増田清三郎・せき」


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2008-03-08 20:19:37

金銭感覚の異常性・32

テーマ:田中正造の虚像と実像

島田熊吉・宗三兄弟は、正造にもっとも忠実だった谷中村民ですが、返済期限から3年経っても貸したお金を返してもらえないので、しびれを切らしてまた催促状を出します。


明治43年4月3日に島田熊吉が正造に宛てた手紙で、やはり弟の宗三の代筆です。


「かねてたびたびお願い申し上げおきたる金円の件。至急ご返済相成りたく候。かくご請求を申すは実に心よろしからず候えども、先方よりしきりに催促せられ、今日に至るまで3年と7ヶ月も日に延べ月に送りて、ようやく延期して来たり候えども、先月来より俄かにまた厳しく請求せられ、ここにおいて愚かなる小心の私には先方へ申し述べようもなく、実に困難致しおり候」


「ご大老様とて、決してご返済下さらぬお心は御座なく候わん。私方のような貧乏な者をお倒しなさるようなご精神は露ほどもなきことを信じ候。ご多端中の一日を割きて、ぜひ私方の困難をお救い下されたく、利子の点についても大なる損害これあり候えば也。翁に取りては、これくらいの金円は低利をもってご融通の出来得ることを深く信じ申し候」


農民を救うために忙しく駆けずり回っていると宣言しながら、貧しい農民からの借金を踏み倒し、彼らを苦しめているとは、何という矛盾でしょう。


返済を催促している方が遠慮していて、実におかしな関係になっていますが、これより7日後に、宗三が古河町の田中屋という旅館にいる正造に出した手紙もまた、正造に文句がありながら、結局、相手でなく自分の方を責めてしまう、農民の弱さを物語っています。


「拝啓。昨日は久しぶりでご面会いたし、有難く存じ奉り候。陳(のぶ)れば、染宮与三郎のことにつき、あなた様私に向かって曰く、<私の不在の時、裏切りをする。村の中に村を壊す者がある>。この一言、実に気にかかりたり。私はもとより村を壊し、村の権利を毀損し他人に損を与える心は豪もなかりしなり。・・・」


「何か分かりませぬが、私が考えるちょっとした事にても、田中様は私を非常にお戒(いさ)め下さるように思われます。何でも、総てがそう思われます。私の身の上に、何かあなた様に疑う所があるかどうか知れぬが、これも私が悪いのです。皆おのれの信心の足らざるためです。罪はすべて私にあり。この罪を悔い改めねば、やっぱり人間にはなれぬのでしょう」


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2008-03-05 21:13:07

金銭感覚の異常性・31

テーマ:田中正造の虚像と実像

前回、島田宗三からの催促状(明治41年2月15日)を紹介しましたが、正造から返事がなかったらしく、その2ヵ月後に、今度は兄熊吉の名前で催促状を出します。ただし、兄は字が書けないので、宗三が代筆しています。明治41年4月12日のものです。


「あの金は実際自分の金にあらずして親戚の買収金を借用してご用立てしたるものにして、40年3月限りの約定なるに、未だご返済もなし下さらず、まことに困難にて候。7か年も米を取らず、半か年食分の麦を得て生活しおる谷中村民に、他人より金を借りさせ、期限より1か年余もご返済されざるについては、困窮せる我をなお痛困なさしめらるるように思われ候」


「私は思う。この位の金は東京の逸見様でも島田様でも、足利の原田様でも名古屋の原田様でも、一寸お話申せばできることならんと。・・・何卒至急ご返済の方法を立てられ、窮困なる私方の痛苦をお救い下さるよう、泣いて、幾重にも願い上げ候。謹言」


この時から更に2年を経ても、正造は全く1銭も返してくれませんでした。島田兄弟はどんな催促状を出したでしょう。それは次回にします。


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2008-03-01 20:52:35

金銭感覚の異常性・30

テーマ:田中正造の虚像と実像

谷中村の(立ち退きを拒否しつづけた)残留農民中、正造と一番気脈が通じていた人物は島田宗三でした。
彼は、正造の死の床で、


「この正造はな、天地と共に生きるものである。今度倒れたのは、安蘇、足利(郡)の山川が滅びたからだ。・・・ですから<山川擁護会>をつくるよう、安蘇郡有志の近藤貞吉君あたりへお話ししなさい。もしそれができなければ、遺憾ながら正造は、安蘇、足利の山川と共に滅びてしまう。死んだあとで棺を金銀で飾り、林檎で埋めても、そんなことは正造の喜ぶところではない」


という言葉を拝聴して、

「お言葉は真理ですから、光ですから。光はたとえ消えても永久に残ります。私も永久に忘れません」
と答えたほどの人です(『田中正造翁余禄』)。

そんな関係で、彼は兄の熊吉に頼んで、正造のためにに人からお金を借り、それを貸しました。しかし、1年以上経っても返してもらえませんでした。宗三の催促状を紹介します。

「わが兄熊吉よりご用立の金円は、貧乏なる親戚の買収金を無理矢理に借用し、貴方のご病気中御用立て申したるものに候。時は39年10月、返済期限は40年3月の約定なりき。この金円願わくは至急ご返済くだされたく、伏して願い上げ候。もし、ご処理下さらずして、毎日のように先方よりしばしば請求せらるるに於ては、わが兄何かに変心をきたすやも知れず」

「たとえば、落合熊吉、岩波弥太吉、篠崎又吉等のごときも、田中様よりの御用立て金、2,3日も早く彼らの手に入らば、必ずしもかかる場合はなきものと後悔する如く、我々愚かなる者どもは総て金銭目の前勘定にて、大きなる利害得失を忘れ、一寸した時に変心を来たすこと、甚だ多く候。右の次第に付き、ぜひ至急ご返済下されたく願い上げ奉り候」

「およその調べ、1.元金220円也。2.明治39年10月より41年2月までの利子46円80銭以下。内返済分22円で、差し引き残金24円80銭以下。3.合計245円以下」(明治41年2月15日)

この手紙から、すでに3人の村民が貸したお金を正造に踏み倒され、敵対するに至ったという事実がわかります。
なお、当時の245円は、今の245万円ぐらいに相当します。





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