2008-02-27 20:40:21

金銭感覚の異常性・29

テーマ:田中正造の虚像と実像

谷中村の村民は、東京にいる偉い人との付き合いも多く、社会的な名士の正造が、まさか一文無しだなどとは思っていません。だから、裁判費用なども当然正造が出すと思い込んでいたようです。しかし、弁護士にいろいろ頼んでおきながら、お金を払う時になると、正造はどこかへ雲隠れしている有様なので、彼らは相当に当惑したようです。
今度は、そういう現実を感じさせる手紙を紹介します。


明治41年4月6日、島田栄蔵・島田熊吉・間明田条次郎たちは、東京の逸見斧吉方に滞在中の正造に宛てて、次の内容の手紙を出しています。


5日付をもって栃木町において差し出し下されたる書面につき、鑑定人費用100円也、私どもにおいて一時当借して、本日古河町において郵便局へ振り込み為替にて、弁護士茂手木清へご送付申し上げ候間、ご承知相成されたく願い上げ奉り候。追って金円は至急ご返済願いたく候間、至急お取り計り下されたく候」


正造がお金を持っているはずはありませんから、おそらく、彼らは払ってもらえなかったと思います。もしもらえたとしても、最終手段として、逸見斧吉が正造の代わりに出したに違いありません。


明治42年3月28日、大沢新八郎が、東京の島田三郎方に滞在中の正造に宛てて、彼らの困りきった情況を物語る次の手紙を出しています。


「ご老台様から音信がないため、谷中村の人民は、ひたすらご老翁のご尽力の結果を待っております。茂木弁護士からは、再調査にかかる費用の話が出ておりますし、今や谷中村堤内人はどのようにしたらいいか困っております」


「小生も日々の運動費に欠乏し、如何とも致し方なく、申し訳ありませんが、至急何程なりとご都合なされ下されたく、併せてお願い申し上げます」


生活費も活動費もゼロなのに、立ち退き反対運動をしようとすれば、こういう問題が起こってくるのは当然です。正造は計画性というものを何も持ち合わせてていないので、このように、結局みんなを困らせるわけです。


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2008-02-23 20:06:43

金銭感覚の異常性・28

テーマ:田中正造の虚像と実像

次は栃木県足利郡御厨村の橋本安十郎という人からのお金の催促です。
明治41年12月21日に正造に宛てた彼の手紙を、以下に引用します(現代文に直しました)。


「以前御用立ていたしましたお金のことですが、その後利子だけは小生が支払っておりましたところ、明治29年の水害で少なからぬ損害を受けてその利子も滞り、今日では元利合計が450円余りとなりました」


「そこで、この年末に債権者から厳しい督促を受け、ほとほと困却いたしております。何卒ご推察の上、何らかのご方便でご救助下されたく、何重にも願いあげます」


「実は戦争(日露)前、足利の原田(定助)様に事情を申し上げたところ、何らかのご補助を下さることになりましたが、原田様も出征されたため、そのままになってしまいました。もしご救助がなければ、田畑を売却せざるを得なくなります。以上をご賢察の上、至急いずれかのご返事を煩わしたく思う次第でございます」


この手紙から、正造は甥の原田定助に、何かといえば尻拭いさせていたことがわかります。
この橋本さんは、20数日後に、わざわざ正造の家まで訪ねた上で、もう一度催促状を出しました。
明治42年1月13日付けの下の手紙を読んで、本当にお気の毒といわざるをえません。


「先日谷中地方にまいり、ところどころおたずねして藤岡に4泊もいたしましたが、ご面会できずに空しく帰宅いたしました。その後も債権者から厳重に談判されて本当に困っております。ご多忙も察せずに実に申し上げかねますが、小生もこのような次第でありますので、失礼とは思いながら、何卒悪しからず思し召し下されたく存じます」


何の仕事もせず、お金は全く稼がずに忙しい忙しいとあちこち駆けずり回り、しかし、立ち退きを食らった谷中の農民には何一つ貢献せずに終わった正造は、橋本さんのような人々大勢に、同様の迷惑をかけていたはずです。
正造が必要とした生活費や活動費は、結局、お人よしの彼らがそのすべてを負担していたのです。


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2008-02-20 21:16:17

金銭感覚の異常性・27

テーマ:田中正造の虚像と実像

田中正造が借りたお金その他、支払うべきお金を払わずに踏み倒したケースは、おそらく相当な数にのぼるだろうと思われます。


収入がないのに働かず、ホームレスなのに政治活動と称して、人力車や汽車で関東地方をあちこち動き回っていましたから、普通の人より交通費や宿泊費が多かったはずです。


のみならず、無銭の彼なのに、何と知り合いの費用まで自分が払うからと約束し、当然ながらこれを踏み倒すのですから、本当に空いた口がふさがらないのです。


宇都宮駅前の近江屋旅館が谷中村の川鍋宅の正造に宛てた、明治39年12月20日の手紙です。


「しばらく滞泊していた柴原君、宿泊料金30円余(今の30万円くらい)、未だ本人よりお支払いなく、過日ご面会(正造と)の折、あなた様が弁償されるということでしたが、その後、今か今かとお待ちしておりましても、全く約束が果たされて下りません。国税の納付に当てるつもりでしたが、役場からはきびしく督促されており、差し押さえ処分を受けるかもしれません。このことをご洞察の上、あなた様からぜひぜひお立替え下されたく、ひとえに願い上げ奉ります」


柴原という人は、おそらく正造の仕事に関与していたのでしょう。旅館側は、代議士だった正造にお金がないなどと考えなかったでしょう。当時の元代議士は「雲の上の人」でしたから。


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2008-02-16 20:12:07

金銭感覚の異常性・26

テーマ:田中正造の虚像と実像

田中正造は仕事をしようとせず、無収入であるのみならず、ホームレスでもあったので、奥さんはやむなく親戚などに身を寄せ、内職などをしながら暮らしていたようです。


そのかつ子夫人が正造に宛てた珍しい手紙が全集に載っていたので、これまた正造の借金の実態を明らかにする証拠として紹介します。前半部分は、何をされても夫には決して不満を言わない昔の女性気質がよく現われているので、あえて引用しました。ただし、文章は現代文に直してあります。明治39年7月16日の手紙です。


「ご無沙汰して申し訳けございません。そちらへまいりたいとは思いますが、何分病弱で意のままにならず、遺憾至極でございます。近頃は一層弱くなり、毎日薬を飲んでいる始末。お医者様が温泉がいいと申されるので、矢島国治の下の子のみちが、来る21日頃那須温泉へ行くというので、同行いたしたく思います。お許しくださいますか。お伺い申し上げます。お取り込み中恐れ入りますが、ご返事下されたく存じます」


「次に、田島村の島田嘉内殿の地所書き換えの折、清算した所、役場の間違いで年貢の立替が45円ばかりあって、戻ってくることが分かりました。そこで、川津平四郎を代理に使わしたところ、島田殿が言うには、正造殿に30円貸してあるので、それを差し引いてくれ、ということでした。この件についても併せてご返事いただきたくお願いいたします」

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2008-02-13 20:48:02

金銭感覚の異常性・25

テーマ:田中正造の虚像と実像

親戚の原田家や逸見斧吉へのお金の無心はこのくらいにして、今度は正造に「金を払ってくれ」という催促状をいくつか紹介していきます。


古河町の池田新平が谷中村の川鍋方にいる正造に宛てた、明治39年5月13日の手紙には、次のように書かれています。


「過日貴君よりお預かりの衣類をご送付の際、拙者よりお立替金ご返却の期、相過ぎ候も、原田定助君より何らお沙汰これなく、はなはだ迷惑に候間、ご照会申し上げ候処、今だ何のお答えこれなく、いかがなれや。至急お答えこれありたく候」


あなたのために立て替えたお金は、甥の原田定助君があなたに代わって払ってくれるという約束だったので、先日その催促をしました。しかし、いまだに返事すらいただいていません。至急返事をください。こういう内容でした。
この手紙は更に次のように続きます。


「加藤安世君も、君(正造のこと)より1,2泊を宿泊致しくれとのお頼み故、荷物もそのままにこれあり、警察よりも断られ、いかが致すべきか。1泊は承知いたし候えども、我が家は宿泊営業にあらざれば、これまた困難。今日限りお断り申し上げ候。しかる所以は、拙者少女数人を育ており候えば、もし男の人を故なく宿泊させるは、はなはだ迷惑のみならず、世間に対し疑惑の点実に困り入り候。君の依頼何事迷惑のみ」


田中正造という人が、いかに非常識かということがよく分かる内容です。
旅館でもないない、若い娘がいる家に、迷惑を全く考えずに男を泊めろ(もちろんタダで)と言うのですから。「君の依頼何事迷惑のみ」に、正造が当時知人たちからどう見られていたかが、よく現われています。


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2008-02-09 20:20:12

金銭感覚の異常性・24

テーマ:田中正造の虚像と実像

逸見斧吉は、正造から頼まれるたびにお金や着るものをあげていたようです。早い時期の事例を少し、まとめて紹介します。
明治40年11月25日、逸見斧吉は、宇都宮の猪熊方に滞在する正造に宛てて、以下の内容の手紙を出しています。


「昨日はご封書3通、おハガキ1葉拝見いたし候。その前におハガキ3葉拝受仕り候。・・・仰し越され候金子5円、別券にてお送り申し上げ候。・・・羽織を送れとのお申し付けのところ、羽織はウチにはこれなき候由に御座候。綿入れのお召し物はウチにこれ有り候ゆえ、本日、足袋、股引と共に小包みにてご送付申し上げ候」


斧吉のこの手紙から、正造が一日に同じ人に4通も手紙を書いていた異常さを、知っていただけると思います。
正造は、このように徹底したアタックをすることで、周りの人々との関係を辛くも保っていたのです。相手から尊敬されていた証拠は、なにも見当たりません。


明治42年11月19日、古河町の田中屋という旅館にいた正造から、東京の逸見斧吉に、次の手紙が出されています。お金を受け取ったという報告なのは間違いないでしょう。


「ご封入中、二にて八印正に拝受。封入沢山に相成り、恐縮」


明治43年12月31日、逸見斧吉は、正造に宛てて次の手紙を出しています(話し言葉に直した)。


「お望みの金5円は、別紙の小為替証書で差し出しましたのでお受け取りください」


よく探せば他にもあるでしょうが、私が見つけたものはこの程度です。


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2008-02-06 22:05:29

金銭感覚の異常性・23

テーマ:田中正造の虚像と実像

その後どうなったのか気になったので調べてみたら、逸見斧吉にもらったお金で越後屋への支払いを済ませ、次に知人の渡辺政太郎方(東京・麻布)に滞在していたらしい正造が、3月14日に、前回に記した林さんに宛てたハガキがありました。以下に引用します。


「お詫び申し上げ候。先日はハガキの粗雑な文面にて、突然に○談(お金の話)を申し上げたるは今更粗忽でありしに気づき、重ね重ね申し訳けなしです。平にお詫びです。それ故、2日の手間、30円ばかりを損かけまして候。今後は注意します。このたびは平に平に」


「天地人道のためには、およばずながら力を尽くしつつある」と、偉そうなことを言いながら、仕事もしないで、乞食みたいに、何で他人にお金をねだるのでしょう。結局、この林さんから、30円(百年後の今なら30万円ぐらい)をせしめたわけです。いったい「今後は注意します」で済むようなことなのでしょうか。あきれるばかりです。


ところで、皆さんは、このように他人からお金をもらって歩く田中正造という人が、乞食のように弱者的な意識があったという印象を受けますか?
皆さんが考えるように、実はこのことに、彼は何の恥じらいも感じていなかったようなのです。


林さんにハガキを出した翌々日の大正2年3月16日は、谷中の残留農民たちが立ち退き料金の値上げを求めた裁判の現地調査がある日で、東京高裁の裁判官、鑑定人、関係弁護士たちが、谷中の現地を訪問する予定の日でした。

その前日の3月15日、渡辺政太郎方に滞在する正造は、田中屋助次、島田宗三、川島要次郎ら谷中村の残留農民たちに、コロタイプで印刷した次の手紙を書いているのです。ここからは、乞食根性など全く感じられません。自分は誰よりも優れた指導者だ、という優越意識にあふれています。


「東京の人は、谷中人民の身なりを見て困る。百姓の身なりは、みのとかさを常とせり。みのは、船渡町田島屋にあります。代金27.8銭なり。すげがさにみのをきて、もし途中休みのときあらば、東京の人々にそのみのを広げて、その上に休むのです。正造は年来この行いをなせり。きれいな物着て、のそのそするなかれ。・・・丁寧に、恐れ入って、言葉も少なく、落ち着いて、要所要所の説明は一人ずつにすべし。生意気はあきれられる。利口ぶると損のみ。ホラはなおさら損なり。必要の言葉を忘るるなかれ。必要の場所をうかうかと通り過ごすなかれ」

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2008-02-01 20:08:39

金銭感覚の異常性・22

テーマ:田中正造の虚像と実像

前回紹介した逸見斧吉宛ての「お金を恵んで下さい」という手紙は、大正2年3月10日に、正造が無銭宿泊を覚悟して滞在した、新橋の越後屋から出したものでした。


なぜか同じ日に、同じ逸見斧吉宛に、正造はもう1通ハガキを出していますが、そこには、「知らず知らず腹中イツシカ空ともなりし時多くありしと見えて終に疲労に変じたるこの罰、今朝よりまた復活に到りまして候(疲労は回復した、ということでしょう)。ドテラ他一物逸見5男君より正に・・・」とあります。


どうやら、日暮里の逸見斧吉は、新橋の宿屋にいる正造まで、息子を使ってお金(一物)を届けさせたようです。
実はこれより2日前の3月8日、驚いたことに、正造はこの宿屋から「お金を恵んでほしい」という手紙を、もう一通出しているのです。
相手は染色業の林重平という人で、内容は次のとおりです。


「ご無沙汰つかまつりました。かねがねご心配下され候谷中収用価格の控訴裁判官および書記、弁護士数名、鑑定人同道、来る12,13,14日頃、東京より古河町に出張、谷中調査に相成り候。・・・かれこれ○(お金の意味)何ほどにても、実は、7,8,9にても急ぎ為替御贈り下されたく候」



久しく御無音して突然に金円借用の事まで申し上げ候に付き、次便ハガキにお詫び申し上げ候次第。・・・正造年73の老朽といえども、天地人道のためにはおよばずながら勢いの大小(政府その他の大きさと谷中の小ささ)に論なく今日までは継続して力を尽くしつつあれども、たまたま疲労に取り臥し候まま、この東京より金借申し上げ候次第、悪しからずおくみ取り、お手許になくとも百方ご工夫下さり候いて、至急このところに御回金相成候様お願い申し上げ候。くれぐれ病気にあらず、疲労中といいども床に臥していてこの手紙です。早々当用のみ。頓首頓首。林重平様、同御母上様、同御家内御中」

そして、その2日後の10日、前日に11通という沢山の手紙を書いたその翌日に、次のような封書を林さん宛てに出します。
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