2007-12-28 18:28:25

金銭感覚の異常性・14

テーマ:田中正造の虚像と実像

正造の実家の家屋敷、田畑・山林は、手紙類を見る限り、篠崎という医者その他に売り渡したけれども、蓼沼丈吉や島田雄三郎その他への借金の返済に充て、残りは(実家のある)小中の青年団に寄付したようです。


しかし、その寄付の名義人を原田定助にしたとも正造は書いています。おそらく、定助が正造の生活費のほとんどを負担していたことに配慮したためだと思われます。ただし、書かれた数字は怪しいし、全体にどこまで本当なのかも分かりません。


定助の姉の原田たけ子・勘七郎夫婦に宛てた次の2通の手紙から、そのことは推察できます。


「正造は今この天国に生活せり」は、明らかに二枚舌に違いありません。
「医師篠崎氏には、家も土蔵も屋敷も残らず譲り渡し候。・・・正造は天地を家とし、同胞千万億兆の人民皆わが兄弟なり。皆わが父母姉妹、子孫にて候。今日の正造は正にこの人にて候。正造は今この天国に生活せり。まことに貧し。しかも貧しきものは幸いなりにて候
」(大正2年3月4日)


「正造から足利(原田定助のこと)へ預けた田畑3反6畝は、小中回復農業会青年団の学田に寄付することにした。ただ、蓼沼、島田雄三郎に400円、その他少しずつ500円ばかり古い借金があるので、右の田畑は1000円から8,900円のものであるから、500円を引き二人に完済しても3,400円は残る。その分が小中の農業会の寄付になるわけ。寄付名義人は原田定助になる」(大正2年3月7日。簡便にするため文章は直してあります)


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2007-12-26 20:34:58

金銭感覚の異常性・13

テーマ:田中正造の虚像と実像

しかし、甥に対してこんな迷惑を掛けながら、彼は、最晩年になると逆に甥の定助から迷惑を受けていると、他人に吹聴するのです。


大正2年2月12日の石関郡蔵、白石五平、篠崎平吉(足利町)宛の次の手紙を読んでみてください。


「小中(正造の実家)の田畑わずか3,4反のことにつき、貴君らの手をわずらわし・・・(しかしながら)原田定助氏は、商法に通人なりしも通俗の人事に暗きより、正造の多忙をよく覚らず、小中の田畑の相場もよく知らず候。私より小島国平氏をもって申し入れても、話も途中で流れ、ついに6年の長きにわたり、正造は蓼沼、島田両氏に偽りを申したようにもなり、信用も減るわけとなる。正造が迷惑することなぞは、原田氏は夢にも悟らず、この推量の乏しきは原田氏の通弊とも申すべき・・・」


これに関連する定助から正造宛ての7年前の手紙を紹介します。


「小中の山林書き換え済み、御安心下されたく候。島田先生への手紙に小生の連名云々仰せ候ども、小生名義御使用の義は御免を蒙りたく候」(明治39年6月13日)。


正造は、甥に自分の家の不動産の書き換えを頼んだのでしょう。しかし、その結果に不満なので彼を非難したようです。しかし、甥としては、この時点で、人の名前を勝手に使う伯父に抗議しています。どう見ても正造のほうが非常識ではありませんか。 


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2007-12-22 21:00:37

金銭感覚の異常性・12

テーマ:田中正造の虚像と実像

田中正造が甥の原田定助に対して掛けた迷惑は、相当に深いものがあります。


栃木町の長谷川屋から正造に宛てた次の手紙は、正造が「定助に返させるから」という約束で勝手にお金を借りたものの、何時までも約束を果たさないので、正造に対して「原田さんに催促してほしい」という、変てこりんな内容になっています。


「過日、原田定助様より御回し下さる約束で差し上げたお金のことですが、いまだ御送金がないため、義母と家内から苦情が起こり、小生はほとんど途方に暮れております。原田様から御送金下さるよう大至急お願い申しあげます」(明治39年3月28日)。 


結局、定助は正造が借りたこのお金を支払わされました。その直後に正造に宛てた手紙が、その事実を証明しています。事業に失敗して暮らしにも困っている定助が、伯父に対して本当に怒っていることが分かります。


長谷川氏へ本日送金致し候。以後外様より借用の義はお断り申し上げ候」(明治39年4月2日)。                                              

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2007-12-19 20:57:17

金銭感覚の異常性・11

テーマ:田中正造の虚像と実像

甥である原田定助に対するお金の無心は、定助に経済力がなくなってからもまだまだ続いたようです。


明治43年11月27日付けの正造の次の手紙は、その事実を証明していますが、正造がどのような文章を使ってお金を出させていたかが分かって、興味深いものがあります。


「一概には申し上げかね候えども、新たな獲物もこれあり候えば、多大の車代このたび限りご許容相願候。下野は事実上滅亡に候えども、谷中の窮民19戸独りが人民中死残り、人民の一部分とは相成り候。あわれ、あわれ、御洞察、御洞察」


定助から相当多額の交通費をもらおうとしたようですが、この3年前には、正造はこの定助をさんざんこき下ろす手紙を、定助の姉である原田たけ子に宛てていたのですから、なんとも驚くべき無礼なのです。紹介しましょう。


「近頃聞く。定助殿より聞く。連戦連敗なりという。しれた事、足利にいて勝敗を争うて敗するはもとよりなり。かく過ちを幾度もなすは何のことです。兄弟には相談がないのか。如何。なぜ身を戦地に投ぜざれば勝敗に手出しすべからざるは、三才の童子も知るところの兵法なり。前に忠告せし時は論題にならぬとして用いず。今またその敗を重ねる。何たることに候や。・・・定助は洋糸のほか何の相場も知らぬ人です。書画も知らず、人物の相場はなおさら暗し。危うき事薄氷を踏む如し」(明治40年12月18日)。


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2007-12-15 20:11:26

金銭感覚の異常性・10

テーマ:田中正造の虚像と実像

毎月仕送りをしていた甥の原田定助は事業に失敗して、正造への仕送りができなくなったことは、すでにお知らせしたとおりです。


しかし、相当にあつかましい性格だったのでしょうが、正造はしばしばこのお人よしの甥に平気で付けを回していたようです。次の手紙からこの事実を読み取ることができます。


「過般来再三の御用達、ことに東京静岡屋にても、御用向きこれあり候由に付き、当分3カ月位は御用金ご下命はお断り申し上げ候」(明治39年7月31日)


正造は、東京日本橋の静岡屋という旅館をよく利用していたようですが、宿泊代を払わないので、しばしば定助のもとに請求書が回ってきたようです。金銭的な余裕がなくなって困っているのに、定助はきっぱりと断ることができません。「当分3カ月位はお断り申し上げたい」としか言えないのです。


そこで正造は、かえって強気に出てたかりをつづけたようで、その3年後に定助にお金を無心するこんな手紙を書いています(明治42年4月6日)。


「(来る4月10日に前橋のキリスト教青年会で講演をします。そこで前橋へ行きますが、行きの)銭は都合できますけれども、帰路の時もし同地の厄介なければ、帰れぬ時は残念ですから、金5円ばかり、前橋の弁護士徳江玄之助氏金主に付き、この人のところにご恵送下さり候わば、ありがたく奉り存じ候」


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2007-12-12 20:50:17

金銭感覚の異常性・9

テーマ:田中正造の虚像と実像

前回の手紙は、大阪在住の原田光次郎からのものでしたが、それから2ヵ月後には、光次郎は中国の牛荘(にゅうちゃん)の日本大使館に在籍していて、この地から東京の今村弁護士宅に寄留していたらしい正造に宛てて、「お金を送った」という手紙を出しています(明治38年4月8日)。


この文面から、正造の甥の原田光次郎が、兄定助に代わって正造に月20円ずつ送金する約束をし、3月からそれを実行し始めたこと、しかし、光次郎は、4月分でさえ送金できるかどうか分からないほど貧乏だということ、兄定助も戦争で従軍していることなどが読み取れます。


「先月および先々月送金いたしかねたるは、遊びおりて差し支えたるために候。お詫び申し上げ候。本日、今村君宛にて20円相送り申し候。4月分は都合相付き次第お送り申し上げるべく候。兄定助は目下奉天にあり。歩兵50連隊第一大隊、陸軍3等主計にて、ご書簡下さり候わば相届き申し候。小生も当分は貧乏、先ず致し方なしとあきらめ申し上げ候」


それにしても、この兄弟はいったいなぜ、伯父の生活費を負担しなければならなかったのでしょう。親戚だから仕方がないと思ったのでしょうか。


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2007-12-08 18:58:09

金銭感覚の異常性・8

テーマ:田中正造の虚像と実像

原田光次郎は大阪にいたようですが、明治38年2月11日、東京の弁護士・今村力三郎宅に寄留していた正造に宛てて、次の手紙を書いています。


この文面から、正造が「100円送れ」とこの甥に要求していたこと、しかし、甥は自分のお金でなく、友人のお金を送ることにしたことがわかります。
何とも不自然な話です。
正造は誰彼かまわずお金を出させ、それで乞食のように生きていたわけです。


「田中伯父上様。数日中に金100円ご送付申上べく候。これは当てにしておいて大丈夫なり。一友人より尊台に進呈するはずなり。小生の力によるに非ず。届先は今村氏に致すべく、その折は改めてご通知申上げ候」


100円といえば、今の100万円位ですから、相当な生活費が甥のお陰で手に入ったことになります。知らない人間からお金をもらうことに、正造は何の抵抗も感じなかったのでしょうか。



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2007-12-05 21:36:34

金銭感覚の異常性・7

テーマ:田中正造の虚像と実像

実は、原田定助が「お気の毒ながら、今後は1ヶ月金20円にご改正下されたく候」と、仕送り金の減額を通知してまもなく、正造は名古屋に住む定助の姉夫婦、原田勘七郎・たけ子に「金送れ」の手紙を書いていたらしく、正造の姪とそのお婿さんは、明治37年7月9日に正造に次の内容の手紙を出しています。


「御用金なるべく都合致したく候えども、御要求額はあるいは難しいと存知候。昨年お約束して未だ果たさざりし金15円は、本月14,5日頃出浜(横浜行き)致し候に付き、その節上京、久々にて拝面致したく、持参致すべく候。横浜よりまたまた出状(お手紙)致すべく候」


この文面から、正造はすでに前の年に原田夫婦にお金をねだっていたとともに、最近また、この二人には無理と思われる額のお金を要求していた事実がわかります。
国会議員を務めた名士で、どこかの顧問でも引き受ければ月に50円でも100円でももらえるはずの有名人が、15円を出費するのも難しい親戚に、何で「お金を恵んでくれ」という手紙を出さなければならないのでしょう。
        
実は、原田家には定助の弟である原田光一郎がいますが、正造はこの人にもタカルのです。


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