2007-07-29 19:55:29

正造の強気と弱気と二枚舌④

テーマ:田中正造の嘘

正造が代議士を辞め、明治天皇に直訴した明治34年になると、活動家たちもほとんど彼から離れていき、思いどうりにはいかなくなります。


そのため、この年の彼の手紙は、被害民への同情などどこかへ行ってしまい、言うことを聞いてくれない彼らへの鬱憤があふれています。野口春蔵への手紙には次のような愚痴がみられます(明治34年4月22日)。


「正造の申すこと今日ほど(被害地の人々が)信ぜざることなし。しかるに(東京など)無害地の人々はようやくにして信じ来たり候。・・・悲しむべきは被害地人のしだらなし。予ら流悌(涙を流して)これを救うの術に苦しめり」


よほど頭に来たのか、理性などどこ吹く風、その6日後には野口を含む活動家10人に宛てて、被害民一般に徹底的な悪口を叩き、同時に少数の彼ら活動家を徹底的に褒め上げた次の手紙を書くのです(同年4月28日)。


「被害地の馬鹿は自家の権利を縮めることのみに汲々とし、請願の上京を怖れ、上京を悔い・・・嗚呼、これらの愚、嗚呼、これらの馬鹿に貼付すべき良薬なし。・・・(彼らに反し)諸君は沿岸の先覚なり、沿岸の神なり、仏なり。よって諸君の責任や甚大なり」

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2007-07-25 20:43:43

正造の強気と弱気と二枚舌③

テーマ:田中正造の嘘

明治32年の春までは、代議士の歳費は800円でした。ところが当時の内閣(山県有朋)が、土地税の値上げ案を通す為に、これを2000円に増額する「議員歳費値上げ法案」を提出したため、結局これが通過して歳費は2000円に増額されました。


しかし、絶対反対の意思表示をしていた田中正造は、他の反対議員はやむなく従ったのに、1200円の増額分を拒否するのではなく、歳費辞退を全く受け取らないという「歳費辞退届」を議会に提出(4月19日)。他に1銭の収入もないのに、彼はそれ以降無報酬で国会議員を続けたのです。


しかも、この時、選挙資金のために支援者たちが佐野銀行から借りていたお金が1500円もあったので、この行為は彼らを痛く失望させたということです。
ところが正造は、堂々と次のようにこれを正当化したのです(明治32年4月23日付けの原田定助宛の手紙)。


「(歳費を辞退したことを)人は馬鹿と言う。(しかし、この行為は)人心の腐敗をして幾分の矯正を為すこと疑いなし。その利挙げて算すべからず。嗚呼、世の政治家の馬鹿この理を知らず、宗教・道徳家またよくこれを行う者なし」


まことに高潔で立派な精神で、かつ強気の姿勢ですが、600円の借金を申し込んだ蓼沼丈吉宛の弱気の手紙から、本当は実に哀れな状態だったのだとわかります。


「当時正造は金銭大必要の最中に歳費を辞したれば、1銭の抵当となるべきものなく、他借の道絶え非常に困惑の折柄、大切なる第3(選挙)区人民よりは・・・辞退は名利のことなりなぞと悪口せられ、ほとんど進退に苦しみたり。・・・昨春より今春に至るまでは、どしどしやってはおりましたけれども、前述の借金は出来いたし申し候」(明治34年2月23日)

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2007-07-21 20:59:23

正造の強気と弱気と二枚舌②

テーマ:田中正造の嘘

前回は、「公害反対運動をする被害民は駄目人間ばかりだ」と決め付ける、自信たっぷりで強気の手紙を紹介しましたが、なんとその翌月は正造の気分は大きく変化し、全くの弱気に転化するのですから驚きます。


明治32年8月に野口春蔵他公害反対運動活動家たち16名に宛てた手紙は、「自分は指導者の資格がないので引退する」と言い出すのです。


「正造、愚才短慮浅学にして、衆人の長たるべき器量には決してあらず。ただ誠実に被害地を永遠救い出さんとして、あるいは多数に対し、しばしば無礼の演説をなし、しばしば主なる諸氏に向かっては言辞円満ならず、あるいはせっかくの多勢出京をも、これを説得して帰らしめ、あるいは示談金を得るの機会あるも、永遠に救うの決心から、これを排斥してかえって飢餓に陥らしめ、・・・いくたび当路者に膝を屈するも、いくたび同志を集合するもその効少なし」


「正造老いてとかく病気、その任を尽さずして機に遅るることしばしばなり。諸氏の上位にあって言語動作の上においても、いたずらに長老の体を装うに過ぎざるのみ。よりては、正造も自今・・・諸氏の驥尾に付して一心ただ難きをさけざるの尽力を為すべし。諸氏今より公議体を組織し・・・正造に代わってこもごも正道を守り、正義を張り、・・・必ず救済の方法を講ぜられよ。正造近々帰国、他の壮年および青年にも図りて、諸氏を推して参謀に仰ぎ、正造もその命に服せんことを約せんとす」


正造が若者たちにすべてを任して本当に引退したかというと、実はこれが全く違うのです。以下に述べる事実から、前回の手紙と今回の上記の手紙は、明らかに2枚舌だということがわかります。


これより少し前、彼は入院中の順天堂病院からハガキで「最大急務。被害激甚地の小児悪徳商人のために死亡せしは、即ち殺されたると同じ。これを等閑にせば人類社会にあらず。心あるものは専心尽力調査すべし」と、若い活動家たちに指令を出していたのです。


そして、引退宣言の4ヵ月後の12月1日、被害民の一人である庭田源八に、この調査に協力しようとしない息子の恒吉を非難する、次の手紙を書くのです。


「恒吉君はなぜ鉱毒死亡表調査に反対せらるるや。・・・この調査に賛成せざる如きは奇怪千万と存じ候。これは、誰か側に邪道がありて恒吉君を悪魔の境に誘うて御身の明を暗ませるにはあらざるか。如何」


更に、翌々日の3日には、正造は次の手紙で、庭田源八にしつこく追い討ちをかけるのです。これでは引退どころではないではありませんか。


「ご令息恒吉君にお話し下されたく候。・・・些細のことに迷いて、本旨本目を失うなかれとお話し下されたく候」


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2007-07-18 21:16:21

正造の強気と弱気と二枚舌①

テーマ:田中正造の嘘

そもそも田中正造の性格は分裂症気味のところがあり、その言動は矛盾に満ちています。しかも独善的で、自分の立てた方針を押し付けようとするので、正造と行動をともにした農民活動家たちは、彼についていくことができずに、最終的にはみんな離れていきました。


しかし、帝国議会での演説や日記、だれかれかまわず毎日のように書く手紙などから伺われるのは、強気一方ではなく、時には弱気を見せることによって、2枚舌で何とか協力者の気持ちをつなぎとめようと努力していた事実です。


大規模公害防止工事が施された後は、正造がいくら質問しても演説でどんなに噛み付いても、政府は全面的に拒絶しようと言う強硬姿勢に終始しました。


しかしながら、明治32年3月8日の帝国議会での演説では、それでも次のような意気軒昂振りを見せています。


「明治24年以来、これで13回目の質問書になっておるのである。何回でもこれを追い詰めないうちは、止めるのじゃあないのである」


ところが、2ヵ月後の5月に親戚の原田定助に宛てた手紙には「鉱毒事件は追い込められ、・・・我々の事業は失敗のみ」と書くのです。
そうかと思うと、その2ヵ月後の7月には、友人の村山半に宛てて、仲間であるべき被害農民を平気で非難する次のような手紙を出します。


「今の壮年は屁の如し。青年はなお屁の如し。老年もとより論ずるに足らず。・・・今の壮年青年に気力なく、腕力なく、・・・その心も因循姑息、まことに見るべきものなし」

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2007-07-14 20:29:07

古河市兵衛を悪者に仕立てる③

テーマ:田中正造の嘘

正造は議会の演説で根も葉もない市兵衛の悪口を言っていただけではありません。
被害民の活動家たちに、手紙などで「市兵衛のスパイに気をつけろ」といった警告もしていました。


「村々には古河市兵衛の犬多くかくれおり候間、噛み付かれぬようにご用心下さるべく候」(山崎ケイ次郎宛、明治34年3月6日)


この人為の被害を念頭にせざるものは、自家不正の行為ある者なり。神も仏もクソなり。よろしくその不義の社祠を破り、その背徳の寺院を焼き、古河の番頭たるその郡長を追い出し、その議員を排斥し、すべての加害者の犬を殺し尽すべし」(蓼沼丈吉宛、同日)


「古河市兵衛は年々離間中傷のため20万円ずつの多額の費用を、地方と東京との間に散財せしと」(野口春蔵宛、明治34年4月4日)


「例の市兵衛の犬はますます地方にていたずらいたしおり、下野新聞、足利の新聞とも被告人を悪し様に中傷いたし候・・・。貴下従来の活眼をもって人の知らざる所にご注意くださり、村々に潜伏せる狐狸の巣窟をあばき、悪漢の根城を絶滅いたし下されたく候」(山崎ケイ次郎宛、明治34年4月14日)


被害者に示談金を支払い、年産金額の半分以上の大金をかけて公害防止工事を敢行した経営者が、いったい何でスパイを使い、被害者側の分裂を図るために20万円(今の20億円)を使う必要があるでしょう。全部がそうですが、正造のつく嘘はあまりにも見え見えの、お粗末なものばかりです。


こんな嘘にだまされて、これを信じているらしい研究者たちもまた、お粗末としか言いようがありません。



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2007-07-11 20:08:37

古河市兵衛を悪者に仕立てる②

テーマ:田中正造の嘘

演説の場合はボルテージが上がるためか、市兵衛に対する悪口雑言は相当激しくなります。帝国議会での演説を並べます。


「この鉱業者一人に限って法律の外にわがまま跋扈をさせるのは、治外法権を特別にこしらえて執行権を与えておくのと同じでございます」(明治30年2月26日)


「政府は、古河市兵衛を鬼神のごとく恐れる。地方官のごときは古河のことを、鉱主様と言っている。古河市兵衛と名を呼ばない位であります」(明治34年3月23日)


「(政府は)人民に対しては、古河市兵衛に頼まれてわが軍隊まで繰り出して、これを弾圧したであろうが。ざまあ見ろ、一人の商人のために堂々たるわが護国の兵を濫用し、国費を濫用し、・・・その醜態見るべからず。古河市兵衛に頼まれずにそんな悪いことをする馬鹿はない」(明治33年2月9日)


「あるいは間違いかは知れませぬが、警察官の服は着ておったけれども、古河の番頭に相違ない顔を見たということである。古河の番頭にあらずといえども、古河市兵衛の小使いでなければ、左様なことをする訳はないのである」(明治33年2月15日)


「加害者は政府監督の下におるから、(被害者が)政府に請願をすると古河市兵衛は躍起となって反対をするのである。わけの分からないにも程がある。金を使いあるいは被害地の村長や県会議員に金をくれて、鉱毒はない、鉱毒は薄いなどと言わせる。被害地の村長が鉱毒は薄うございますなどと願書を出すヤツも出す奴でございます」(明治31年6月6日)


正造はいろいろ言っていますが、全部口からでまかせの嘘だということがわかります。そして、いずれも実にお粗末な作り話です。


古河市兵衛は、鉱毒は足尾銅山に原因があることを認めたからこそ示談金を払い、会社の存亡をかけて鉱毒防止工事を施したのです。それなのに、何で「被害地の村長や県会議員に金をくれて、鉱毒はない、鉱毒は薄いなどと言わせる」必要があるのでしょう。
他の話も、同様にありえないと言うことがお分かりと思います。


全く、正造の人間性の卑しさを感じないわけにはいきません。


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2007-07-08 19:57:44

古河市兵衛を悪者に仕立てる①

テーマ:田中正造の嘘

正造の人間性が低劣なことをうかがわせる事実は数多くあります。そのうちでしつこいほど繰り返されるのが、古河市兵衛に関する捏造話です。


相手は加害企業の親玉で、被害者から見れば憎らしい敵であるわけですから、悪口を言うのはある程度はやむを得ないかもしれません。しかし、その内容がとんでもない作り話で、正義のために闘う男とは正反対の、卑劣な性向がそこに感じられます。


世間の話題になり始めた公害の原因が、自らの会社にあることをすぐに認めて、古河市兵衛が被害農民との間で示談契約を交わし、示談金を支払った事に関して、佐野銀行頭取の村山半宛の手紙に、正造は次のように書きます(明治28年3月16日付)。


「(契約の仲介をした郡長や県会議員は)皆古河の奴隷となり、番頭となり手代となり、犬となり猫となり、被害村々に運動を強いて調印奪取。・・・足利、梁田の村々中気弱な人々少数の人々、私利目前汲々の人々は、この威嚇的利欲的の二途に迷い込まれ引きずり込まれ、・・・」


古河市兵衛が強圧的に示談契約を結ばせたような書き方ですが、損害賠償金を払う会社でさえ公害事件では珍しいのに、いったい支払う側が無理矢理調印を迫ることなどあり得るでしょうか。全く何の必然性もないでっち上げ話です。


明治29年には3回も大洪水があり、被害が大きく広がったために、示談金をもらった被害農民の多くが、正造の運動方針である「足尾銅山鉱業停止(閉山)請願運動」の仲間に加わりはじめました。
そこで、示談契約の仲介者である県会議員の横尾輝吉たちが、ある文書でこれを問題にしたところ、正造は蓼沼丈吉宛の手紙で次のように非難したのです(明治29年12月3日付)。


「図らざりき、横尾輝吉他数名の者、古河の委嘱を受け、金銭をもって請願者を瞞着せんとして印刷物を配布。加害者市兵衛を崇拝すること恰も神のごとく、・・・停止請願派を非難すること言語に絶し、実に油断ならざる運動を始めんとは、これ実に彼ら腐敗漢のわれわれ正々堂々停止請願を為す者に対し公然戦いを挑みたるものというべし。・・・仮にも示談仲裁等のごとき腰抜不節操の挙動なきよう御誘導これありたく」


「加害者市兵衛を崇拝すること恰も神のごとく」は、決してあり得ない、あまりにも無茶苦茶な作り話です。それに、示談契約をしようと請願派に転じようと、それは被害者個々の自由ではありませんか。それに対して当事者でもない正造が、何の理由があってこれほどまでに示談仲裁派を責め立てるのでしょう。農民の自由を束縛するのは、封建的権力者のしてきたことです。


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2007-07-05 20:24:16

健康被害についての虚偽②

テーマ:田中正造の嘘

同じ裁判で、同じ医科大学教授の入沢達吉も裁判官から証人尋問を受けましたが、政府の依頼で鉱毒の人体への影響について調査した結果を、次のように答えています。 


「(全部で83人について検査をして)大小便等に銅分が含んでいることを認めたものの、銅または硫黄の中毒に罹った者を発見できなかった。少量の銅分が長く身体にあって中毒を起こすということはないものと信じる」


最も驚くべき正造のでっち上げは、「鉱毒非命死者1064人」と断じた上で、これを根拠に政府の責任を攻め立てたことです。

この数字は、正造が活動家の岩崎左十に調べさせたもので、2つの町と12の村の34字(あざ)について、1年間の死亡者数から出生者数を引いたところ、1064人になったため、彼はこれだけの人が鉱毒で死んだことにしてしまうのです。めちゃくちゃとしか言いようがないではありませんか。


その上で彼は、第14回の帝国議会で、理論的にも科学的にも何の根拠もないこの数字を使って次のように演説したのです。


「目下我ら被害民中その1千余名はすでに鉱毒のために惨憺たる非命の死を遂げて、・・・しかもなお恬然過ちを改むるの意なくして、かえって鉱毒予防工事の効能を云々する者ありとせば、けだし他に為にする所あるによらずんばあらず。政府は何故に・・・我等被害民の父母兄弟姉妹を毒殺せしか。目下の現況無政府よりも甚だしと言わざるべからず」(明治33年2月9日)


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