2007-06-30 20:20:18

健康被害についての虚偽①                                    

テーマ:田中正造の嘘

正造は、鉱毒の人体への影響を極端に強調しています。帝国議会での質問書や演説で、正造は次のような発言をしました。


鉱毒激甚地は衛生を害され、婦女の妊娠中乳汁(母乳)の欠乏を来たして死体分娩となり、たまたま出産するも乳児の多くは死亡し」(明治32年3月6日)


「当年は100人死に来年は200人死ぬというようにして、これから何千人死ぬかわからない」(明治33年2月9日)


「鉱毒地の人間は、せまい所を調べたばかりでも千人という死人がいる。政府の調べでは何千人になっているかわからないぐらい」(同年2月17日)


「この毒のために、乳が出なくなって子供に乳を飲ませることが出来ぬというのが、一番ひどい悲しみでございまして、そういう地方は15,6か村あるのでございます」(明治34年3月23日)


政府は、内務省衛生局や東京帝国大学の専門家を現地に派遣して調査をしています。しかし、その因果関係を医学的に明確にすることはできませんでした。
実際、正造の言うことは相当にいい加減で、ひどい嘘をついているという証拠もあります。


あるときの議会で彼は次のように農商務省を攻撃し(明治30年2月26日)、その後もこれを根拠に「健康有害説」を唱えつづけました。


「銅山に毒があり、人畜植物に害があることは、古来学者の定論であって、あえて学者を待って始めて知るというものではない。明治22年と29年に医科大学(東大医学部)の教師の三宅秀という人が、衛生に害があるということを栃木県に2回来て断言せられた」


しかしその後、この発言は完全に作り話だということが判明しました。川俣事件の裁判(明治34年)で、医学博士の三宅秀が、裁判官の質問に、次のように答えたのです。


「渡良瀬川の水中に毒があるとすれば、医師たる者はその原因を探求し、衛生上の影響を調べる必要があると言ったことはありますが、そのほかには何も言っておりません。2回とも、鉱毒が人体に害があるなどと演説してはおりません」

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2007-06-27 20:43:31

正造の誇大表現・大言壮語⑦

テーマ:田中正造の嘘

大きなことを言う正造の性癖は、その生涯を終える死の床にあっても変わりませんでした。
正造を尊敬していた谷中村の島田宗三少年に、キレギレの低い声で次のように言ったというのです。


「この正造はな、天地とともに生きるものである。今度倒れたのは、安蘇、足利(郡)の山川が滅びたからだ。・・・ですから<山川擁護会>をつくるよう、安蘇郡有志の近藤貞吉君あたりへお話ししなさい。もしそれができなければ、遺憾ながら正造は、安蘇、足利の山川とともに滅びてしまう。死んだあとで棺を金銀で飾り、林檎で埋めても、そんなことは正造の喜ぶところではない」


この言葉を拝聴した宗三は、次のように答えたということです。
「お言葉は真理ですから、光ですから、光はたとえ消えても永久に残ります。私も永久に忘れません」(島田宗三著『田中正造翁余禄』)


こうなればもう宗教の教祖か預言者の「御教え」や「予言」です。自分は天地と一体だというのですから、神のごとく特別な人間だという意識がなければいえない言葉です。


正造がなくなった大正2年には、すでに説明したように回り一帯の農地は完全に復旧していたのです。どうして「山川が滅びた」といえるのでしょう。もう嘘と本当の区別ができなくなっていたのではないでしょうか。


それなのに、島田宗三にはこれが有難い真理の言葉として、一生涯心に残ったのですから、言葉というものは、まことに不思議な力をもっているといえます。



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2007-06-23 21:07:31

正造の誇大表現・大言壮語⑥

テーマ:田中正造の嘘

壮大な想像力の持ち主だったらしい正造は、帝国議会の演説で、何の根拠もなしに実に誇大な予言をしています。


もちろん完全にはずれたわけですが、何ともとんでもない嘘つきだということが、これでよくわかります。


「ただ今申す所の6万町歩以上ある所(彼の言う被害農地)は、60年にして不毛地となることを明言する。明治10年に見つけたのであるから当年は20年になります。6万町歩の3分の1いけなくなったものと見ると、あと40年かかれば終わる割合になる。・・・あと40年でいかなる鉱毒希薄地といえども、ことごとくいけなくなってしまう」(明治33年2月13日)


「鉱毒というものは、他の損害とは違って地面がなくなってしまう。・・・同時に、その土地に居るところの人類もなくなってしまう。すべて砂漠地になって人類までにも及んで行く筋合いの被害でございます。・・・人民は死に、国家はなくなってしまいまするということを繰り返し怒鳴るに過ぎない話でございます」(明治34年3月23日)


被害はいつの間にか「明治10年に見つけた」ことになり、10+20=33という計算が可能になり、このときすでに2万町歩が不毛地になったとしています。大正の終わりごろには、栃木群馬の両県に6万町歩の砂漠ができるという話ですが、嘘だから何でも言えるとはいえ、彼の嘘はあまりにも度外れです。こんな人の話をいったい誰が信用するでしょう。


しかし、まことに不思議なことに、彼は反公害運動の偉大な闘士で、尊敬に値する人物とされているのです。おかしくはありませんか?



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2007-06-20 20:32:32

正造の誇大表現・大言壮語⑤

テーマ:田中正造の嘘

帝国議会での質問書に出てくる誇大表現を、またいくつか挙げます。


「(政府は)10万余の人民をして害毒のためことごとく死に至らしめんとす。現に急激過度の貧苦に陥り、あわせて毒食をなさしむるの惨状、あたかも人類をもって評すべからず。これ政府が人民を害毒死に至らしむると同一の道理あり」(明治30年3月24日)


「本年9月大出水あり。・・・毒中衣食住の三を失い窮迫の極一家離散に至らんとせる者1万余人。活路を求め・・・26日相助けて入京せんとせしに政府は、船を南岸に奪うて利根川を渡らしめず、・・・軍人馬を駆けて枕頭を蹂躙し、・・・あらゆる卑劣の手段の醜態を演じ罪なき良民を辱しむるのみ」
(明治31年12月10日)


「(被害民は)今や悲惨の極にしてほとんど例うるに物なく、実に人類の生活し能わざるまでに変化せり。・・・実に禽獣すらなお忍びざる境遇に陥られたるものなり。・・・我等被害民中その千余名はすでに鉱毒のために惨憺たる非命の死を遂げて、その他幾万の生霊今まさに死地に陥りつつあり」
(明治33年2月9日)


「ことさらに無罪の人を殺すべからず。しかるに加害者の意のままにこれを殺傷して豪も厭わず、・・・実に暴虐飽くなきの加害者ありて殺すなり。即ち鉱毒をもって殺すなり。・・・しかして政府これを救わず」(明治33年2月15日)


明治30年には政府が徹底した公害防止対策を立て、これを古河鉱業が履行しています。
いったいどうしてこれほどまでに加害者や政府を責めることができるのでしょう。明らかに非常識な脅しとしか考えられません。
そして、足尾銅山の公害が原因で人が死亡したという医学的報告はゼロなのです。


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2007-06-16 20:03:38

正造の誇大表現・大言壮語④

テーマ:田中正造の嘘

正造がもっとも得意としたのは演説だったので、帝国議会での演説や質問書には、誇大表現や大言壮語が数限りなく現われます。
いくつか紹介しますので、全集で確認してみてください。自分で探せば、まだまだ沢山出てくるはずです。


「政府は13万余の被害民が毒を飲み且つ毒食するを知らざるか」(明治30年3月24日、質問書)


「この洪水・鉱毒の合成加害は・・・この土地人民を亡滅し尽すにあらざれば止まらざるの悪毒たるを如何」(明治31年6月6日、質問書)


「多くの被害民を毒殺し・・・打殺する等の一大事実あり、如何」(明治33年2月14日、質問書)


「鉱毒の氾濫は・・・多大の国土を亡滅し人民を暴殺しつつあり、これを如何」(明治34年3月17日、質問書)


「失礼ながら早稲田の大隈さんの邸のあのきれいな庭が、一本の草もない、花もないとなったら、諸君どうであるか。伊藤(博文)さんの大磯の別荘の前の砂が鉱毒の砂ならどうでございましょう。・・・この上は鉱毒の水を汲んできて、農商務大臣に飲んでもらいましょう」(明治30年3月24日、演説)


科学の知識がある人なら、銅山での公害に毒殺とか暴殺とか言った猛毒性は考えられず、「土地人民を亡滅し尽す」はずがないことは、よくわかると思います。彼の言うことはあまりにも現実離れしており、言葉で脅しをかけているだけだったのです。
そんな実態を何一つ考えずに、正造の大言壮語をまともに信じている学者たちが大勢いるのですから、摩訶不思議としか言いようがありません。


なお、この時の農商務大臣は、かつて徳川幕府の幕臣だった榎本武揚でした。


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2007-06-13 20:03:55

正造の誇大表現・大言壮語③

テーマ:田中正造の嘘

1900年2月13日は、有名な川俣事件があった日で、野口春蔵たち活動家の大半が逮捕されました。ちょうど帝国議会が開会中だったため、田中正造は17日に演説でこの事件を取り上げましたが、、現場を見たわけでもないのに、警察官の暴行について次のように言っています。


「杖一本持ってこない、一本の兵器も持たない人民にサーベルを持って、いきなり吶喊(とっかん)をして(ときの声を上げて)切ってかかって、・・・追うも追う2里も追いかける、1里も追っていって殴って、幾人もかかって口の中へ砂を摺りこみ、泥を摺りこみ眼をほじくって、片目っごにしたという残酷もございますぞ」
「諸君、眼球を抉り抜いたのでございまする。諸君(笑い声)何がおかしい。・・・無罪の人民が巡査に眼球を抉り抜かれたということをおかしいと言うに至りましては(「笑いはしない実に驚き入った」との野次)、左様仰せられますれば、まことに有難い仕合せでございます」


警察官がデモ隊を1里も2里も追いかけるなど絶対にありえない話をしていることから、彼がいかに大げさな嘘を言う人間かがよくわかります。


「一本の兵器も持たない人民」とありますが、そんなこと当たり前ではありませんか。
16日付けの『毎日新聞』ですら、「(警官や憲兵が)靴をもって蹴り、拳を固めて殴り、土砂を投げ、所持品を奪い、負傷して倒れた者を捕縛した」と報じましたが、「眼球を抉り抜かれた人がいた」とは書いてないのです。


翌々19日に、政府は次のように答弁しています。その内容から「杖一本持ってこない」も、どうやら嘘らしいとわかります。


「本月13日群馬県において警察官憲兵が人民を殺傷したる事実あるを認めず。ただし、多数人民中あるいは土石を乱投し、あるいはその端を尖らしたる竹竿を船とともに荷車にのせて群集中を疾駆したる等、喧騒を極めたる者あるをもって、その間に負傷者ありしといえども、重傷者はこれなき見込み」


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2007-06-07 21:07:24

正造の誇大表現・大言壮語②

テーマ:田中正造の嘘

明治天皇への直訴より5年前、正造は「足尾銅山鉱業停止請願書」の草案というものを書いています(明治29年9月)。それはこんな文章です。


「今や渡良瀬川などその支流沼地の魚類ほとんど絶滅して、沿岸多数の漁業者これがために生計を失えり」
「したがってこの川水によって灌漑を仰げる数多の田畑荒廃を来たし、一茎生ぜず一穂実らず、その被害極めて酷なる所にいたっては、満目(見渡す限り)半点の緑翠(草や樹木)をとどめず」
「もしそれ洪水氾濫に際せば、常に河身に沈澱せる鉱毒一時に流出し、濁水両岸に横溢して、勢い壮絶一帯低窪の土地は全く毒水の中に浸さるるに至る。かくのごとくにして一村見る影もなき砂漠と変じ、幾百の同胞相擁して飢凍に泣くものその数年々に増加せんとす。あに惨憺凄愴の極ならずや」


正造は被害地域の県や町村にこの草案を示して、政府に請願するように強力に働きかけました。しかし、この文章が実際に使われた形跡はありません。
この年の12月に群馬県議会が内務大臣に宛てて請願書を提出していますが、その文章は次のとうり、至って簡潔でした。


「足尾銅山より渡良瀬川に流出する鉱毒は、いまや全く国家の公益を害するの程度に達せり。すみやかにこれが救済の方法を施さずんば、渡良瀬川一帯の地方は索漠たる不毛の地と化すは、けだし遠きにあらずと信ず。よって鉱業条例第十九条により営業停止の処分あらんことを請う」


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2007-06-02 20:41:21

正造の誇大表現・大言壮語①

テーマ:田中正造の嘘

明治天皇への直訴状には、いったいどんなことが書かれていたでしょうか。


文章の断片を以下に紹介します。たとえばこんな具合です。

「河身激変して洪水また水量の高まること 数尺。毒流四方に氾濫し、毒さ(鉱毒の沈澱物)の浸潤するところ茨城栃木群馬埼玉四県およびその下流の地数万町歩に達し、魚族斃死し田園荒廃し、数十万の人民のうち、産を失えるあり、あるいは業に離れ飢えて食なく病んで薬なきあり」


「かくのごとくにして二十年前の肥田沃土は今や化して黄茅白葦(黄色いかやと白いあしのみの)満目 (見渡す限り)惨憺の荒野となれり」


「人民の痛苦その極に達せるを見て憂悶手足を置くに所なし・・・しかも政府の当局は常に言を左右にしてこれが適当の措置を施すことなし」


「数十万の無告の(苦しみを告げる当てのない)窮民空(むな)しく雨露(大きな恵み)の恩をこいねがうて干天(ひでり)に号泣するを見る。ああ、これ聖代(陛下の世)の汚点に非ずといわんや。而してその責や実に政府当局の怠慢こう職(職務怠慢)・・・」


「聖明(天皇様)矜察を垂れ給わんことを(ご推察ください)。臣(私は)痛絶呼号の至りに耐うるなし(耐えられません)」


毒流とか毒さ(鉱毒の沈澱物)とか言いますが、あまりにもオーバーな表現だと思いませんか。銅という金属は毒性をもつ物質ではないのです。


「飢えて食なく病んで薬なき」なども、いかにも文学的な表現で嘘っぽいことがわかります。
政府は4年前に徹底した公害対策を施しています。従って「政府の無策」は明らかに嘘ですし、被害民は、東京まで4回も歩いてデモ行進し、政府に陳情・請願運動をしています。ですから被害民が「無告の窮民」であったはずはありません。


「満目惨憺たる荒野」はどうでしょう。直訴直前の新聞はこう報じています。
「両毛の米作(桐生・小山間)十二分の作柄にて、平年の収穫より2割内外の増収 あるべし」「激甚被害地を除いてきわめて豊作にして、1反につき1石6斗ないし2石位の収穫を得ること難からずという」(朝日新聞・1901年10月6日)



川俣事件の裁判で被害農地の鑑定をした農学博士・横井時敬は、群馬県の多々良村の原武八の田んぼで1反当り3石余の収穫があったことを報告しているのです(鉱毒事務所発行『足尾銅山鉱毒被害地臨検分析鑑定書』、1901年12月)




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