2007-05-27 11:44:24

数字の操作によるだましのテクニック⑤

テーマ:田中正造の嘘

前回紹介した『鉱毒問題解決論』(1901年)に、著者の田川大吉郎は田中正造や野口春蔵らが被害を極端に大きく言うことに対して、次のような感想を漏らしています。


彼は報知新聞や都新聞の記者だったため、仕事として現地の被害状況を取材できたわけで、情報の確かさは一般の人よりはるかに上だと思います。文章は現代文に直してあります。


「田中らは、7万町歩、35万人の住む区域に被害が及んでいると叫んでいる。しかし、現地視察で人がよく訪れる海老瀬、下羽田などが、本当に穣じょうたる黄茅白茅、他に一枝のか穀をも生ぜざるまでに荒れ果てているかどうかを、よく注視してほしい」


「わずかに海老瀬の一地方の状況を見て、その他を類推し30万の民正に死につつありと断定できるのか。海老瀬地方の惨状は確かにひどく、自分も悲憤を感ずるが、その激甚の区域は70ないし80町歩ぐらいである。これから推察して、7万町歩にわたって同様の状況だと叫んでいる者たちに、私は承服することなどできない」


実は、被害の実態をこのような正造の大袈裟さは、明治天皇への直訴状にも同じように見られるのです。
次回はそのことに触れます。


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2007-05-19 21:09:47

数字の操作によるだましのテクニック④

テーマ:田中正造の嘘

田中正造と一部の過激派被害民が発表し、これを支持する学者たちがそのまま流しているデータ(1900年頃の被害面積と被害人口)がいかにオーバーかを、他の機関のデータと比較して示してみます。少ない順に並べると、次のようになります。


キリスト教同志会/4,360町歩/8414人
政府の第2次鉱毒調査委員会/1万5811町歩(1903年6月の数字)
農学博士・横井時敬/2万町歩
大蔵省/2万4450町2段8畝11歩(1898年4月の数字)
鉱毒問題解決調査事務所/4万6733町8反6畝9歩(『足尾鉱毒問題解決処分』から)
田中正造/8万ないし9万町歩/30万ないし35万人
野口春蔵の調査/51万7343人(『田中正造全集』が採用している)


キリスト教同志会と農学博士・横井時敬の数字は、田川大吉郎著『鉱毒問題解決論』(1901年)に出ていたもの。
大蔵省のデータは、土地税を免除した被害農地の合計数です。


被害の程度により、次のように分類され、免税の年数によって段階をつけてありました。

激甚地といっていい「特類地」
作物には適さない「第1類地」
銅分に抵抗力の強い作物のみ出来る「第2類地」
改良すれば栽培可能な「第3類地」
ほぼ同様な「第4類地」
銅分の害はない「第5類地」


鉱毒問題解決調査事務所とは、田中正造の直訴後に結成された民間の学者たちの団体で、彼らが独自に鉱毒除外工事の効果を調査するなどして、問題解決のために必要な提言を行っています。

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2007-05-12 21:26:20

数字の操作によるだましのテクニック③

テーマ:田中正造の嘘

今度は、被害民の数について、彼がどう述べているかを見てみます。


明治30年2月26日の演説、「昨年の9月8日の大洪水で損害を受けた人口が9万8880人」
明治30年3月24日の演説、「毒水に浸るものが13万5000人ばかりになった」
明治33年2月13日の質問書、「天皇陛下の臣民たる我ら被害民30万人民の亡滅」


こんな風に次々に被害者が増える原因は、しかし特別見当たらないのです。何でこう増えていくのか理解できません。


『田中正造全集』では、その被害の規模は、「1府5県1市20郡2区251町村に渡り、51万7343人」に及んでおり、それは野口春蔵の調査によるものだと解説されています。
しかし、車も電話もない時代に、一人で、いったいどうしてこんなに細かい数字まで算出することができたのか。明らかに嘘をついているとわかります。


正造は、「野口が千葉と東京に新たな被害地を1万308町4段6畝見つけた」と、細かい数字を挙げてもっともらしいことを演説でしゃべっています(明治30年3月24日)が、このやり方は、明らかに本当らしく思わせるためのテクニックに違いありません。


キリスト者の内村鑑三は終始田中正造を支援していた人ですが、彼のような味方でさえ、何と次のように発言しているのです。


「鉱毒問題に関しては、多少の政略、術策を用い、事実よりも大きく言う傾向がある。あるいは6万町歩30万人、あるいは7万町歩35万人、日によっては40万人と叫ぶこともある。また、被害地は茫々たる荒野となり一茎の草だに生ぜず35万の民は炊ぐに物なくして飢えに倒れんとすと言う。しかし、鉱毒地には草も生えているし、餓死した人もいないではないか」(『福音新報』明治35年4月9日号)

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2007-05-05 21:27:48

数字の操作によるだましのテクニック②

テーマ:田中正造の嘘

3年後、明治33年2月13日の帝国議会の演説で田中正造のあげたデータは、前記の嘘の更に2倍に拡大するのですから驚きます。


「被害民の調べが6万町歩であって、実際は8万町か9万町歩に及んでおると思います」


3年の間に渡良瀬川の洪水が何度かあったので被害は拡大はしたでしょうが、この数字はオーバーすぎます。
「調べが6万町歩で、実際は8万町か9万町歩」という言い方にも、そのいい加減さが如実に現れているではありませんか。
この演説の4日前の2月9日に彼は議会に質問書を出しているのですが、そこでは「6万町歩」としてあります。それなのになぜ「実際は8万町か9万町歩」と言わなければならないのでしょう。


ちなみに、大蔵省は、土地税の免除の対象にした被害農地の面積を、明治31年4月の数字ですが、2万4450町2段8畝11歩と算定しています。
また、政府の第2次鉱毒調査委員会が明治36年6月に発表した数字は、1万5811町歩となっています。
いったいどちらの数字が信用できるかと言えば、組織的な調査体制を備えた政府機関の方にあるのは当然です。


一方の田中正造のデータで一番疑問に思えるのは、電話も車もない時代に、ほんのわずかの被害民だけで、どうして6万町歩もの広大な農地を調べることができたのか、ということです。そんな調査は、常識的に考えれば不可能ではありませんか。

正造の議会演説を読んでみると、こうした数字がいかに口から出まかせかということに、はっきり気づかされます。
明治31年6月6日に、彼はこう言っています。数字の根拠などないのです。


始まりは1600町、その後が3000町、昨年の第一の質問の時(明治30年2月26日)には3万町と諸君にご披露を申した。その後第2の質問の時(同年3月24日)にはすでに4万町に達し、今日(明治31年6月)では4万6000町というので、江戸川の用水などを取り調べまするというと、5万町以上になるのでありまする。何分にも貧民が調査をすることで、手が回りませぬから、先へ行けば行くほど、多くなるばかりでありまする」

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