2007-03-31 21:26:31

公害発生年を早めた偽工作⑤

テーマ:田中正造の嘘

今では嘘だと言うことが通説になっている公害発生年の捏造は、正造が起草した明治30年2月26日付けの「鉱毒被害地復旧請願書」には、次のように遠慮がちに述べられていました。つまり、農作物の被害がはっきりしたのは明治23年だった、といっていたわけです。


栃木、群馬、埼玉、茨城4県に及ぼせる損害は、すでに明治12年にその兆候ありといえども、われら人民は・・・ついに久しく被害の現象を見ることなかりき。しかるに同13年に至り栃木県令藤川為親氏より衛生上の注意として渡良瀬川の魚を食すべからず、売買すべからずとの諭告ありしにもかかわらず、・・・田畑における鉱毒の害なお隠微にして未だ著しく人目を引くものあらざるをもって、わずかに魚類の死亡を怪しみたるのみなりしが、物代わり時移り、明治23年の洪水に至りて、農作物の発生せざるを認めしより、ここに初めて鉱毒の害を知り、大いに喫驚せり」


ところが、田中正造は、同じ栃木県の被害農民である野口春蔵宛の、明治36年9月4日の手紙にはこう書いているのですから驚きます。


「去る明治14,5年の頃、小山八郎の庭宅、下羽田の問屋の近く、雲竜寺辺、下野田の石川輝吉の庭宅などが、15,6年前に比べ、見るかげもない有様になっていた。・・・惨憺たる鉱毒はすでにかくのごとし」


何時ごろから公害が起こったのかは、被害農民が一番よく知っています。
栃木県植野村の被害農民・関口幸八の日記にはこうあるのです。


明治18から19年のころより始めて鉱毒のきざしあり」(『校注足尾鉱毒事件史料集』、1972年)


嘘をつけば、どうしてもこのように矛盾だらけになり、つじつまが合わなくなります。特に実体をよく知っている農民にまで嘘を信じさせようとするのですから、もともと成功するはずはないのです。


しかし、昭和40年代以降の学者や物書きは、完全にこのお粗末な嘘に引っかかってしまったわけです。


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2007-03-24 20:42:16

公害発生年を早めた偽工作④

テーマ:田中正造の嘘

正造のでっち上げた嘘に更なる脚色を加えて世間をだましている悪質な小説家がいます。
それは歴史を勝手に書き換えることが得意な三好徹で、『日刊ゲンダイ』に連載した『政・財腐食の100年』には、堂々と次のように書いています。

「渡良瀬川の川魚が危ないことは、明治13年に栃木県知事藤川為親の通達で知れ渡った。彼は、川魚を食べたものが吐いたり手足がしびれたりするという報告を受けて、川魚を食べてはいけないと通達した。そのために島根県に転任となった。」

「吐いたり、しびれたり」は三好の創作ですが、それ以外の出所はもちろん正造の発言です。

しかも、驚いたことに、三好は少し手前に次のように書いていますから、自分が書いている話の矛盾にさえ気づいていないのです。
「(足尾銅山の)操業許可は明治10年10月である。しかし、はじめは赤字だった。いっこうに眠れる鉱脈にぶつからなかった。明治17年5月。ついに新しい鉱脈を掘り当てた。」

また、『幕末・明治 陰の主役たち』という著書に、三好はこう書いています。
「古河の妻のお為は、神田上水で投身自殺をした。新聞は鉱毒と結びつけて書き立てた。古河は銅を掘りつづけた。妻の死にも動じなかった。<鈍>とはそういうことかもしれなかった。妻の葬式の日にも、各営業所への指示書をいつものように書いた。」

これは完全な作り話だと私は確信したので、当時の新聞を調べてみました。すると、次の記事が見つかりました。
「夫人の横死せし以来、(古河市兵衛は)とかく鬱々として引きこもり、一昨日は青山(胤通)博士の来診を請うなどした。」(『時事新報』明治34年12月13日)

彼の「政商もの」は、上のほかに『政商伝』もありますが、いずれも、デマや誹謗中傷の悪質な資料と、自分勝手な虚構をこれに加えた作り話で、とても信用できる歴史書ではありません。

三好徹は、田中正造が善人で古河市兵衛が善人だと、信じ込んでいるようです。そして根拠なくこれを読者に信じ込ませようとしています。
その小説を読んで何の疑いも抱かない読者を、私はとても気の毒に思います。


3月20日に「この記事に興味もって読ませていただいています。長いので日にちをわけて読んでいます」というコメントを頂きました。ありがとうございます。
教科書に嘘偽りの説明をすることはあってはならないことなのに、私の指摘した問題点に、皆さんまるで無関心です。いい加減なことをしていると、いつかまた原爆を見舞われるような事態になるはずなのに。あなたのような人が現れてほっとしています。









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2007-03-18 22:17:13

公害発生年を早めた偽工作③

テーマ:田中正造の嘘

田中正造の嘘は、客観報道をしなければならないはずの新聞記者まですっかり洗脳してしまいました。


毎日新聞の木本正次記者は、『四阪島 公害とその克服の人間記録』(1971年)に、正造のでっち上げた作り話を何ら検証することなく、嘘の中身を更に増幅して、次のような尾ひれをつけました。


「早くも明治14年ごろから魚類の死滅、農作の不振となって地元の怨みを買った。」


同じく毎日新聞の元記者である川名英之は、自己の想像力を膨らませ、『ドキュメント・日本の公害・第4巻』(1989年)に、小説を上回る次のようなフィクションを、ドキュメントとして書きました。


「明治12年夏、渡良瀬川ではそれまでにない魚の大量死が発生した。白い腹を見せて浮かび上がった魚は推定数万尾。さらにこの年の初秋には出水し、水と一緒にあふれ出たウナギは弱っていて、幼児さえつかめたほどだった。この年、古河市兵衛は、足尾銅山に銅を製錬するための機械を据え付けて稼動させ、鉱毒が大量に渡良瀬川に流れ込み始めたからである。」


足尾銅山が本格操業をしていない時ですから、機械も据え付けていませんし鉱毒も発生していません。
ですから、これはすべてドキュメント作家を騙る川名英之の創作ということになります。


「嘘は泥棒の始まり」と昔から言われていますが、こうなると、もう立派な犯罪としか言いようがありません。




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2007-03-11 20:58:50

公害発生年を早めた偽工作②

テーマ:田中正造の嘘

公害発生年をごまかしたこの嘘は、当然のこと、同時代の人々はだませませんでしたから、戦略的には何らの成果も生みませんでした。


しかし、当時のことは頭で考えるしかない昭和の学者たちをだますことには、大いに成功しました。
正造を公害反対運動の闘士として持ち上げた学者、研究者たちが、この嘘を頭から信じて疑わなかったからです。


東海林吉郎という民間の研究者が疑問を持つまでは、世間が一流と信じる学者たちがこぞって引っかかったのですから、嘘はお粗末でも、正造のだましのテクニックには、不思議な力があったに違いありません。


社会主義者の荒畑寒村は、その時まだ青臭い若者だったので、実地には何も調べず、正造から話を聞いた通り「明治14年、栃木県知事が渡良瀬河岸の魚族の斃死を見て、初めて鉱毒問題の先鋒をなすや、政府は実に鉱業主の利益のために、16年知事を島根県に追いたりき」と書きました(『谷中村滅亡史』、明治40年)。


自主講座・公害原論で教授よりはるかに有名になった東大助手の宇井純は、「明治11年には魚の死骸が見られ、明治13年には知事が布告を出した」と講義しました。


日本史の歴史事典の中で最も権威ある『国史大辞典』(吉川弘文館)には、明治13年に栃木県知事が、「渡良瀬川の魚族は衛生に害があるにより一切捕獲することを禁ず」と布告した、とまるで本物の資料を引用したかのように解説しています。
布告が事実なら、公文書ですから証拠があるはずです。学者なのに、いったいなぜ証拠を探そうとしなかったのでしょう。


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2007-03-04 19:46:24

公害発生年を早めた偽工作①

テーマ:田中正造の嘘

学者や研究者も公認した、正真正銘の正造の嘘が一つだけあります。
足尾銅山で公害が発生した時期は、明治17(1884)年あたりというのが今の定説ですが、長い間明治13(1890)年ごろとされていました。


田中正造が議会で何回もそう言い続けていたので、田中正造を義人と称えていた学者・研究者は、何の疑いもなくその発言をずっと信じていたからです。


彼は、帝国議会で何度となく、鉱毒は明治13年、あるいは14年、あるいは15年に発生したと発言し、その上、「栃木県知事の藤川為親は、渡良瀬川が汚染されているので、漁をすることも獲れた魚を売買することも禁止する、という布達を出した。この措置に不満を持った政府は、知事を島根県に追いやった。」という話までしていました。


しかし、両方とも全くの作り話だということが、研究者の一人である東海林吉郎によって明らかにされたわけです。
何しろ、この時期には銅の鉱脈が見つからず、生産はほとんどゼロに近い状態だったので、鉱毒汚染など起こりようがありません。


東海林が正造の捏造に気づいたのは当然ですが、彼はこの捏造を「正造の戦略的虚構」だとして、決して批判してはいません。しかし、私に言わせれば、正造の嘘は他にいくらでもあり、戦略など考えていない極めて「日常的な虚構」に過ぎません。

公害がいつから起きたかは被害民はわかっていますし、布達が出たかどうかも公文書ですから、虚偽だということはすぐばれます。
その当時正造は栃木県会の議員でしたから、「なぜあなたは反対運動をしなかったのか?」と聞かれれば、答えられないではありませんか。


こんなできの悪い嘘が、どうして戦略的といえるのでしょう。 


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