2006-07-28 21:18:03

教科書出版社の沈黙

テーマ:検定教科書の嘘・いつわり

公害の原点とされる「足尾鉱毒事件」の常識に疑問をおぼえて本を書いたものの、マスコミからもミニコミからも無視された私は、やむを得ずインターネットで真実を訴え続けてきました。
しかし、1年以上経っても、聞く耳を持ってくれる人はほんのわずかにすぎません。


なぜでしょう。
最大の理由は、学校で教わったことに人は絶対的な信頼を置いていること、教科書の内容は疑わないことにあると思います。


そこで私は、文部科学省の検定教科書が、この事件をどのように書いているかを調べてみました。
その結果、事件の説明が予想以上にデタラメで、嘘・いつわりだらけだということが分かりました。


あまりにもひどすぎるので、「あなた方の作っている教科書は間違っている」という趣旨の、同文の手紙を12社ほどの教科書出版社に宛てて出しました。しかし、返事をくれたのは1社だけで、あとは完全無視を決め込みました。


そこで今度は、教科書ごとに事実の間違い、論理的矛盾点、文章表現の不適切などをいちいちこまかに指摘し、各社の社長に宛てて配達証明つきの手紙を送りつけました。
すると、今度は「指摘されたことにつき、執筆者の先生と相談し、今後どうするか検討したい。」といった真面目な返事が数社から寄せられました。


しかし、検討の結果は、未だにどこからも知らせてきません。それ以外の数社は再度無視しましたが、とはいえ反論が来なかったということは、私の指摘に全く異議がなかったことになります。

出版社がこのように沈黙したということは、教科書が子供たちに「足尾鉱毒事件」について嘘・いつわりを教えている、つまり子供たちを騙していると、執筆者ともども認めたことになりませんか?


次回からは、いったいどんな嘘・いつわりが教科書に載っているのかを見ていくことにします。


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2006-07-18 19:59:56

立松和平の嘘八百とNHK宇都宮

テーマ:栃木県人の大法螺

NHKラジオ深夜便の「心の時代」で、立松和平の講演「田中正造がやり残したこと」が放送されることを知ったので、去る6月17日(土)午前4時に目覚まし時計を使って起きて、この放送を聴きました。


その結果は予想を超えたものでした。彼は口から出まかせの嘘を次々と述べ立てたのです。
「足尾銅山は政府から払い下げられた。」
「日本で始めてダイナマイトを使った。」
「製錬後の廃石には、水銀やカドミュームが含まれていた。」
「鉱毒の被害者には、水俣病と同じ症状が出た。」
「明治13年頃を境に豊かだった自然が消えた。」


古河市兵衛が足尾銅山を買ったのは、副田欣一からですし、ダイナマイトは明治7年ごろから使われていて、始めてではありません。
その他のことも、足尾鉱毒事件のことを少しでも知っていればすぐ気がつくことで、よくもこんなでたらめを言えるものだと、ほとほと感心させられる嘘ばかり。


彼がこれほどの嘘つきとは思いませんでした。それに、「正造がやり残したこと」は何も話さず、自分が足尾に木を植えている、ということばかり強調していました。


あまりにもひどすぎる、「心の時代」で放送すべき内容ではないと考えた私は、これを制作したNHK宇都宮放送局の局長に宛てて、これらの事実を指摘し、「訂正する義務があると思うが、どうか。」という手紙を出したのですが、留守中の私に電話が入り、「後日また電話します。」との伝言があったため、しばらく待ちました。


しかし、電話が来ないのでこちらから電話を入れたところ、相手のタキタという放送部長は、「私どもとしてはなんら問題がないと考えている。」「文書では返事はできない。」と、いかにも高圧的な調子で、これがNHKの体質なのかと思わせる見解を述べました。


いったい、「心の時代」という番組で嘘八百を並べる放送をして、どうして「何ら問題がない」のでしょう。
放送法第3条には、放送は「政治的に公平であること」「事実を曲げないですること」と定めてられています。「問題がない」どころか法律違反ではありませんか。


嘘をつけば必ずばれます。立松和平はそのときにどう答えるつもりなのでしょう。
両者ともあまりにも非常識な発言です。いずれ、彼らは信用を落とすことになると、私は考えます。

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2006-07-09 11:43:12

もう一人の田中教信者・雨宮義人

テーマ:栃木県人の大法螺

『田中正造全集』の編集陣に、花村校長を誘ったのが、全集の企画者で推進者だった雨宮義人です。
彼は、大正4(1915)年に宇都宮で生まれ、東京帝国大学国史科を卒業しますが、すぐに召集されて兵役につき、敗戦とともにソビエトに抑留されます。そして、昭和24年に帰国してまもなく、栃木県立宇都宮高校の教師になっています。


同時に、田中正造の行き方に感激して資料を調べ始め、早くも昭和29年に『田中正造の人と生涯』を書いて出版しています。

つまり、第二次世界大戦後の正造研究の先駆者といえる人ですが、それだけに入れ込み方は激しく、後輩教師の花村校長同様、完全に田中教に毒されていたといえます。


明治36年の秋に鉱毒被害農地は大豊作になるのですが、これにあわてた田中正造は、「去年の秋の豪雨で南北10里余の山が崩れ、ほとんど50年分の山土が被害農地の毒土を覆ったためで、断じて鉱毒予防工事のためでない。」と演説して回りました。


あまりにもナンセンスなこの作り話を、しかし雨宮義人氏は全く疑わずに信じ込むのですから、私には何とも不思議でなりません。
彼は、『田中正造の人と生涯』に次のように書いています。


「この年にいずれの田も人の背丈に稲が繁って、ふっさりと重げに穂を垂れる光景を呈したのであった。それは、去年の秋の洪水が、多年山林濫伐の結果、水源地の山々が大潰れに壊れて、新しい土壌を沿岸一面に分厚く置いていったためであったが、そのため、鉱毒地回復の報さえ伝わった。」


もちろん、社会主義者として著名な木下尚江も荒畑寒村も、宇井純も花村校長も、田中教の信者なので、このばかばかしい作り話を本気で信じて疑おうとしていません。
宇井純は、東大での「公害原論」でこう話しました。


「明治35年は、もう一度洪水がありまして、そのときに運ばれてきた土が、被害地のそれまでの鉱毒の上にかぶさったために、被害がやや軽減する傾向が出た年です。」


花村校長はこう書いています。


明治35年の大洪水は、渡良瀬川中流鉱毒激甚地の毒土を、渡良瀬渓谷の肥沃な新土が覆いつくしたのである。そのためにこの年(明治36年)の稲は、そのほとんどは前年の5倍という大豊作であった。」


何かを絶対視することによって、人間はこのように馬鹿になり得るのです。恐ろしいではありませんか。






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2006-07-02 09:40:28

花村校長のあきれた個人崇拝⑥

テーマ:栃木県人の大法螺

花村富士男氏が田中正造をこうまで崇拝する理由は、国家権力への姿勢を評価しての事のようです。
『評伝・田中正造翁の生涯』(2005年)は、特にこの面を強調しています。


「正造が理想としたのは、鉱毒被害各町村民が大同団結して国家権力と闘い、各町村自治体を再構築することであった。」
「過酷な鉱毒被害に喘ぐ農民たちのために全力を傾注し、国家権力に立ち向かった、すさまじいまでの生き方に対して、畏敬の念を禁じ得ない。正造こそ明治期の日本が生んだ世界に誇るべき巨人であった。」
「明治時代を代表する立憲政治家として、時の政・官・財界一体の強大な国家権力に対し、徹底して挑戦し続けて永眠したのであった。」
「正造は、このまま足尾銅山が操業を続ければ、日ならずしてわが日本は滅亡への道を辿ると、一大警鐘を鳴らしつつ、胃癌のため数え73歳でこの世を去った。」


しかし、被害農地が復旧したのは、国家による公害防止対策が成功したためです。被害農民が国家と闘う気になるはずはありません。


ところで、花村先生自身は国家権力とどのように闘ったのでしょう。
日本国憲法の精神とは矛盾するにもかかわらず、国家権力は、これまで、高校の卒業式などに、日の丸・君が代を強制しつづけてきました。
花村先生は、このことで闘うことはしなかったと思います。教育委員会に抵抗すれば、校長先生にはしてもらえないはずだからです。


私の本は、勉誠出版が『下野新聞』に広告を出しました(2004年10月26日)。
しかし同紙は、本のことは全く記事にしませんでした。
花村校長によれば、同紙の吉沢文夫編集局長は、花村先生に歴史を教わり、宇都宮高校を昭和43年に卒業。二人は今でも親しくしているということです。
私の本を読者に知らせなかった理由が、これでよく分かりました。



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