2006-06-25 12:20:52

花村校長のあきれた個人崇拝⑤

テーマ:栃木県人の大法螺

田中正造の研究者の中では、古河市兵衛を高く評価している点で花村校長は特異な人で、市兵衛のことを次のように誉めています。


「古河市兵衛は、生涯を反公害闘争に捧げた田中正造に遜色のない、明治期を代表する大人物であった。」
「激動の明治期、徒手空拳、裸一貫から一代にして古河コンツェルンをつくりあげた市兵衛は、明治きっての大実業家である。」


ところが、彼はまたこの自説を、次のように完全に覆して恥じないのです。


「市兵衛は、無学であるがゆえに、足尾銅山の莫大な利益を優先し、何の鉱毒防止対策も講ずることなく、多大の鉱毒惨禍を招いたのである。」
「幼少期での苦難の体験が、市兵衛をして知と情のアンバランスをもたらし、金銭に異常に執着する人格を形成せしめたと思われる。」
「生涯を通して人間への不信感を持ち続けた、金銭万能主義者の市兵衛は、<ものいわぬ鉱石>のほうが、平気でうそをつき、人を裏切っても恬として恥じない人間よりも信用でき、愛着をおぼえたのではなかろうか。」


花村校長は、「市兵衛は予防工事のために、国家予算から勘案すると今日の8000億円に相当する巨費を投じた。」と自分で書いたことを、すっかり忘れているようです。その上で彼は、次のような心理分析までするのですから、驚くほかありません。


「とすれば、生涯をワンマンで通した市兵衛は<孤独の人>であり<淋しい人>だったといわざるを得ない。」


そして最後に正造をこう称えるのです。


「対する正造は、<愛の人>であり、自他ともに認める<可愛い人>であった。」


大企業の経営者であった市兵衛が、何千人という従業員に尊敬され、明治十二傑に選ばれ、五人の子供がいたのに反し、正造は妻ともずっと離れて暮らし、子供はおらず、反公害闘争の仲間だった農民からも見捨てられ、ついには一人で谷中村に行かざるを得ませんでした。いったいどちらが<孤独の人>だったのか。考えればすぐ分かることです。


ところで、「自他ともに認める可愛い人」とありますが、正造は自分で「可愛い人」と思っていたのでしょうか。不思議なことです。



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2006-06-18 12:03:54

花村校長のあきれた個人崇拝④

テーマ:栃木県人の大法螺

明治36年、古河市兵衛に命じて造らせた公害防除施設の有効性を確認した明治政府は、渡良瀬川の洪水防止(治水)対策として、下流の谷中村を遊水池にする計画を立てます。


実際、この年の秋には、沿岸の田畑は豊作になりましたが、この事態に対して花村校長は、『田中正造の終わりなき戦い』(1998年)にこう書いています。


「激甚被害地が大豊作となったことは、鉱毒被害農民の意識を大きく変化させた。農民は本来、自己の耕作田畑に対して異常ともいえる執着心を持つものであり、守旧意識が強いのである。」


「農民たちは、自分たちの田畑が大豊作となったことで大いに満足し、渡良瀬川の大改修が竣工すれば、鉱毒被害に二度と見舞われないという保守的観点から、政府が推進する治水事業に賛成し、多数の農民の生存権が抹殺されること(谷中村廃村)に同情を寄せたものの、なんらの支援活動を行うことなく、それを見殺しにしたのである。」


花村校長は、農民は意識が低く保守的で、谷中村の農民を見殺しにしたと批判していますが、農民が農地に執着するのも、他人よりも自分の利益を優先するのも当然の理ですから、この批判は全くの的外れです。この偏見の原因は田中正造を絶対視していることにあります。


鉱毒の被害者は農民ですから、主役は農民であり、彼らの行動を理解することが大切なのに、花村校長は、脇役でしかない一人の政治家の言動だけを基準にして正邪を判断しているのです。全く主観的な歴史観だということができます。



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2006-06-11 11:26:16

花村校長のあきれた個人崇拝③

テーマ:栃木県人の大法螺

明治政府の命令に従って古河市兵衛が履行した鉱毒防除工事は、田中正造の直訴後に政府が設置した第2次鉱毒調査委員会により、その効果が徹底的に調査されました。

その調査結果について、花村校長は次のように書きます。


「明治36年3月3日、委員会は桂首相宛に、<調査報告書>を提出した。ここには、<銅分の根源は、工事以前の排出物の残留分が大部分を占め、現業に起因するものは小部分に過ぎない。>と、足尾銅山を擁護する政府の方針を追認する姿勢に基づくものであった。」


つまり彼は、政府の調査は信用できないと結論付けたわけですが、なぜ、当時のトップクラスの専門家の諮問を否定できるのでしょう。
しかし、実際にこの年の秋には、被害地の田畑は豊作になりました。この事実については、彼はこう書いています。


「これは全て神仏の加護であると正造は訴え、この絶好の機会にこそ足尾銅山の鉱業を停止して、鉱毒の流出を永遠に停止し、被害地の完全復旧を図るべきであると主張した。」


さらに彼は、正造だけが正しく、被害農民も間違っているという主張を、次のように進めていくのです。


かかる悲痛かつ絶叫とも言うべき正造の主張・訴えにもかかわらず、被害民のほとんどは、この豊作が、第2次官製鉱毒調査会の報告、すなわち政府と鉱山側の主張するように、工事の実効の証左であり、鉱毒事件はほぼ解決された、という姿勢に急速に傾斜していった。」
「結果として、この年の豊作は鉱毒問題を治水問題へ転換させ、鉱毒事件を鎮静化せしめ、正造の孤立化に拍車をかけたのである。」


何千何万という被害農民が、公害防止工事の効果で自分たちの農地が復旧したと確信したのに、なぜ花村校長は彼らの判断は間違いで、被害者でない政治家の主張は正しいと、断言できるのでしょう。滅茶苦茶な理屈ではありませんか。

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2006-06-04 10:45:58

花村校長のあきれた個人崇拝②

テーマ:栃木県人の大法螺

田中正造にかかわる花村富士男の著書とは、以下の5冊です。
『神に最近づいた人』(1995年) 
『田中正造の終わりなき戦い』(1998年)
『我拾って天国を創らん』(2001年)
『田中正造翁伝』(2003年)
『田中正造翁の生涯』(2005年)


昭和5(1930)年生まれなので、2005年で75歳ですが、高齢ながら非常に精力的に正造の伝記に取り組んでいることがわかります。


とはいえ、どの本を見ても内容は同じようなもので、しかも正造の言動は全面的に正しく、政府や古河市兵衛は間違っているとのメッセージで一貫していて、とても人間がリアルに描かれているとはいえず、面白く読めるような伝記とはいえません。
しかも、いったいなぜ正造が正しく、なぜ政府が不正なのか。どうしてこういう結論が出るのかも、さっぱり分らないのです。


たとえば、鉱毒予防工事をやり遂げた古川市兵衛のことを、彼は次のように高く評価します。
市兵衛は、政府命令の実行に真摯かつ全力を傾注して取り組み、当時としては最大限の努力と犠牲を払って完了したのである。水俣病などの公害に対しての経営者たちの無策と比較すると、市兵衛の鉱毒予防への取り組みの真剣さが目立つといわざるを得ない。」
「全費用を合算すると約200万円の支出であった。これを当時の国家予算から勘案すると今日の約8000億円に相当する。」


ところが、上の事実から導き出される結果を、彼はデータを何も示さずに次のように書くのです。
「この事件の根本的解決策はなかったのである。その場限りの一時しのぎの予防工事であり、普通の台風による大雨にも耐えられず、依然として鉱毒のたれ流しはつづいたのであった。」
「当時の科学のレベルからは、鉱毒発生の原因を突きとめることが精一杯で、予防ないし除害のための有効・適切な施策・対策は、,鉱業の停止以外には不可能だったといえるのではないだろうか。」


鉱業停止とは閉山のことですが、公害防止には閉山しか手がないなどと、いったい誰が考えるでしょう。
花村校長は、ただ田中正造の思想が絶対的に正しいと信じているだけなのです。だから、このように現実離れしたことしか言えないのです。


同じ栃木県の教師たちが書いた『下野人物風土記』の3集、古河市兵衛の章には、「予防工事によって、鉱毒問題は解決した。」とありますが、この事実を彼はどう受け止めるつもりでしょうか。

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