2006-04-23 21:33:03

公害学者・宇井純の大誤認②

テーマ:栃木県人の大法螺

東京大学の助手だった頃の宇井純は、しかしまた、小・中・高の教科書には書かれていない重要な事実を「公害原論」で講義していました。


それは、政府が古河に公害防止工事を命令したことで、彼はこれについて次のように踏み込んだ話をしました。


「この命令は、政府が企業に対して厳しい態度をとった、おそらく唯一の例だろうと思います。」
「これを受けて、古河市兵衛のほうも覚悟を決めまして、あえてこの命令を受けて、6ヶ月以内に工事を全部完了します。」
「工事のために資材をかたっぱしから買い付けて突貫工事をやったんでして、おそらく東京オリンピックくらいの騒動が、足尾であったという風に考えていいんじゃないか。」


これで、1970年代に彼がこの事件にどんな認識を持っていたかがわかります。
しかし、なんと不思議なことでしょう。2002年刊の『岩波講座 環境経済・政策学 第2巻』に、彼は次のように書くのです。


「日本の工業化初期の深刻な公害紛争の多くは鉱山が関係し、鉱毒と呼ばれていた。明治時代を通じて最大の社会問題の一つと言われていた足尾鉱山の鉱毒事件はその典型である。」

「日本政府は強力な鉱山保護政策をとり、農民の被害の声を圧殺した。不世出の政治家・田中正造のもとに結集した農民は、粘り強い陳情運動を繰り返したが、結局その運動は中央政府の弾圧に敗北した。」


しかし、同じ岩波版の『田中正造全集』には、宇井の言う突貫工事の効果で、「明治36年10月、被害農地の稲が豊作」(別巻の「年表」)と明記され、イギリス人のK・ストロング著『田中正造伝』には、「明治37年には多くの田畑が通常の水準近くまで生産性を取り戻した。」と書かれています。


田中正造が亡くなった大正2年、反対運動のリーダーだった野口春蔵は、「先祖伝来の土地がこれほどまで救われたご恩(田中正造への)は、神仏の及ぶところではありません。」と言い(柴田三郎『義人田中正造翁』)、前記の公害防止工事を命じた大隈重信は、「家を忘れ身を献げてよく渡良瀬沿岸数十万無告の民を救済せり。」と、正造を称える弔辞を送りました。


それから60年後、昭和40年代に刊行された『下野人物風土記』の古河市兵衛の章には、「工事が成功して、長い間の鉱毒問題も解決した。」と明記されています。

それなのに、宇井純は、なんで前言を翻してまで「弾圧で運動は敗北した。」などと決めつけたのでしょう。誤認どころか明らかに大嘘ではありませんか。

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2006-04-16 10:45:56

公害学者・宇井純の大誤認①      

テーマ:栃木県人の大法螺

これまで、栃木県連合教育会が郷土の歴史を知らないだけでなく、ウソ偽りの歴史を子供たちに教えている事実をお知らせしました。


同会にもこの記事のことを伝えていますが、これまでに全く何の反論もありません。

今度は、栃木県関係者が事件をどう説明しているかをお伝えしましょう。


下都賀郡壬生町出身で昭和7(1932)年生まれの栃木県人に、世界的に著名な公害学者の宇井純(沖縄大学名誉教授)がいます。

東京大学都市工学科の助手で、大学の古い体質に反抗して、市民向けの公開自主講座「公害原論」を講義していた1970年代において、彼は東大教授よりもはるかに高い人気を持ち、時代の旗手といった印象を世間に与えていました。

真に輝かしい学者として、毎日出版文化賞、フィンランド自然保護協会特別大賞、スモン基金奨励賞その他を受賞し、助手の彼は、沖縄大学からそのまま教授として迎え入れられました(昭和60年)。


ところで、自主講座「公害原論」において、彼は足尾の事件についてどんな話をしていたでしょうか。
「明治11年には魚の死骸が見られ、明治13年には知事が布告を出した。」と講義で語っていますが、このことから、彼は田中正造の捏造話を真に受けて、公害の発生年すら誤認していたことがわかります。


田中正造は、「公害が発生したのは明治12,13年ごろで、栃木県知事は渡良瀬川で獲れた鉱毒汚染魚を売ることを禁じた。」という話をでっち上げていたからですが、このウソは今でも多くの人が信じており、一番権威のある日本史の事典である『国史大辞典』(吉川弘文館)にすら堂々と載っています。


しかし、足尾銅山が本格操業を始める前に公害が発生するはずはなく、大学の教師でも学者でもない研究者の一人がこれに気づいて、昭和50年に「この話は田中正造の戦略的虚構だった。」と発表して、その後これが定説になっているのです。


古河鉱業の社史を見ればこんな嘘はすぐわかるはずですし、県会議員だった田中正造が、公害が起きているのに反対運動をしなかったことに、疑問を持って当然ではありませんか。にもかかわらず、正造の発言を何も疑わずに鵜呑みにして講義した宇井純という人は、なんと不勉強で無責任な学者だったのでしょう。あきれてものが言えません。




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2006-04-09 12:37:30

当ウエブログの現在

テーマ:刊行後の反応さまざま

キーボードを打ったこともなかった私が、このブログを開設してから1年が経ちました。
それで何らかの効果があったかといえば、はなはだ疑問ではあります。


しかし、足尾鉱毒事件の舞台だった栃木県で少しずつ変化の兆しが感じられるのは確かです。
時を同じくして開館したのが足尾歴史館ですが、ここを訪れる人々のほとんどが、日本で最初の大規模公害防止工事のことを、銅山お抱えのカメラマンによる見事な写真を見て知り、衝撃を受け、これまで抱いてきた事件への認識を改めて帰るというのです。


3月中旬に、朝日新聞宇都宮支局の記者が歴史館を取材しましたが、19日付けの同紙栃木版に、「新・日光足尾の歴史を見直す住民」という見出しの記事が、写真入りで大きく載りました。3月20日に足尾町が日光市に吸収合併されたニュースに関連していますが、これまで誤解されてきた歴史の見直しが強調されていました。


館員の皆さんは、関心の高そうな来館者には、私の書いた『運鈍根の男』と『直訴は』の本を薦めていますが、つい先日、お蔭様で20冊の『直訴は』の追加注文がありました。


栃木県のある人が、「日光を漂ふ」という自分のブログに、私の本を読んで「鉱毒事件を誤解していたことがわかった」、といった記事を1月ごろから3回ほど書きました。「これはありがたい」と思ったので、「PRしてくれてうれしい」という意味のコメントをここに入れました。3月28日のことです。

ところがその翌日、足尾歴史館の I 女史から「きのう、ブログで砂川さんの本を宣伝してくれている人が来て、本も買っていきました。」というメールが入ったのです。どうやら彼は、私のブログを読んでこれまで記事を書いていたらしく、早速アクセスしてみると、今度は表紙の写真が大きく載っていました。


ともあれ、これほど真面目に『直訴は』のことを紹介してくれたことはこれまでなかったし、何よりも栃木県の人が、このように強い関心を寄せてくれたことに、私は無上の喜びを感じました。これからが非常に楽しみです。
関心のある方は、次のホームページにリンクしてみてください。


足尾歴史館( http://www.18.ocn.ne.jp/~rekisikn/ )

日光を漂ふ(http://dendo-annai.blog.ocn.ne.jp/nikko )


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2006-04-02 21:34:10

栃木の教師たちの不可解⑥

テーマ:刊行後の反応さまざま

世の中のことは、公害を出したから悪者でこれに反対したから善人だ、といったように単純には分けられません。

しかし、現実は別で、「私が公害を出したように同県人から言われることがある。」と、私は足尾の人から聞いています。

明らかに、栃木県人の間でいまだに差別の観念が働いているのです。

『しもつけ物語』で足尾鉱毒事件を教えられたからこそ、栃木県人は洗脳され、事実を誤解して足尾の人たちを差別するわけです。


足尾銅山主の古河市兵衛がこの公害に誠実に対応した事実を、この副読本が正しく教えていれば、こんな誤解は生まれないはずです。

私は、この実態を放置すべきでないと思ったので、住所を調べて栃木県の県会議員全員に書簡を送りました。文末にはこう書きました。


「こんなごまかしの歴史を子供たちに教えていいのでしょうか。私は、この事件をありのままに正しく栃木県の子供たちに教えるべく、議員の皆さまが何らかの行動をとられることを願ってやみません。」


これは昨年の2月のことですが、反響はゼロ。だれ一人としてこれに何一つ反応してくれませんでした。栃木県のエリートたちは、子供たちが郷土の重大事件にウソを教えられていることに何の関心も持たないのでしょうか。

なんとも不思議でなりません。

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