2006-01-27 21:20:49

真実の追究を忘れた「下野新聞」

テーマ:新聞社の偏向

私の著書『直訴は必要だったか』の異常性は、多くの出版社から、原稿を見ずに拒否されたことにあります。
それまで見ず知らずだった出版社にまで、次々と交渉を試みましたが、そのほとんどは私に会おうともせず、原稿を読んでみたいとも言わずに出版を断ってきました。


あるとき、事件の舞台だった栃木県なら関心を持つかも、と考えて「下野新聞社」と交渉すべく、上西朗夫社長に手紙でお願いしてみました。平成15年7月のことですが、広報担当の早乙女哲取締役から次の返事があって、門前払いされたのです。


「(前略)栃木県にとりまして、田中正造は地域住民のために生涯をかけて国家・巨大資本と闘った義人であり、近代日本の反公害運動の英雄となっております。したがって、私どもが彼を虚言の異常者とする立場を鮮明にするには、かなり厳しいものがあります。激しい性格により、あるいはアジテーター的な役割によって、相手を傷つけることがあったという話は、何度となく聞いております。その意味では聖人ではなかったのだ、とも思います。」
「砂川様の研究が間違っているとか申し上げるものではありません。ただ、作今の出版状況は先の見えないトンネルの中にあり、赤字覚悟でとは行かないのが現実です。残念ですが、お断りさせていただきたいと思います。」


断られたことに文句を言うつもりはありません。しかし、疑問なのはその理由です。
新聞社が標榜する「新聞倫理綱領」には、次の言葉があります。


「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追及である。報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。論評は世におもねらず、所信を貫くべきである。」


「下野新聞」は、真実の追究を忘れ、世間におもねて、読者の信頼を保っていけるのでしょうか。栃木県には、田中正造の出生の地と同時に、日本の近代化に大きな貢献をした足尾の町もあるのです。


AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-01-20 21:10:18

岩波『日本史辞典』の主観的日本史

テーマ:辞典類のデタラメ

岩波書店は、『田中正造全集』を刊行しているので、この辞典にも反映していると思いきや、全く違いました。
この辞典の解説者は、自分に都合の悪い事実は一切書かず、主観的に正しいと思ったことだけを書いており、客観性は全く無視しています。
内容は次のとうりです。


田中正造を指導者とする被害農民は、政府に鉱業の停止を求めて東京へ大挙押出し(請願運動)を図るなど、強力な反対運動を展開した。」
「政府による鉱毒問題の治水問題への転換、谷中村の強制破壊によって、歴史的には抹殺された。」
「だが、被害はその後も続き、今なお足尾には禿山、下流には広大な遊水池を残している。」


『田中正造全集・別巻』の「年表」は、次の事実を明確に記載しています。
加害企業の古河が、被害農民と示談をくりかえしたうえ、損害賠償金を支払い、政府が専門の委員会を設けて対策を立て、古河に鉱毒防除工事を命じ、古河がこれを忠実に履行したこと、その結果、「明治36年10月には鉱毒被害地の稲が豊作になった。」ことなどです。


しかし、こうした重要事項を、この辞典はすっぽりと抜かしてあるわけです。

解説者は、田中正造と谷中村の抵抗農民だけが正しく、それ以外の被害農民の声さえ否定する極端に偏向した立場をとっていることがわかります。


しかも、たとえば、2番目の文章には主語がなく、何が誰によって抹殺されたのか不明ですし、3番目の文章におけるその後の被害と、禿山や遊水池との関係も理解不能です。


本辞典の編集委員には、由井正臣が名を連ねていますが、この項目は彼が執筆したのだと思われます。田中正造全集は彼が編集し、岩波新書の『田中正造』は彼の手で書かれているからです。しかし、上の解説は、二つの著書が生かされずに、特定のイデオロギーを読者に押し付ける書き方になっています。こんな主観的な日本史でいいのでしょうか。



AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-01-13 21:31:13

東京創元社『新編・日本史辞典』のウソ

テーマ:辞典類のデタラメ

この辞典は、京都大学出身の学者たちが編集していますが、内容のデタラメさに関しては、ほかの事典と変わりありません。
解説文を引用しながら、これを批判してみましょう。


「この年(明治30年)、政府は鉱業主に鉱毒除外工事を命じたがその効なく、同年より洪水ごとに被害民数千人が上京し、1900年(明治33年)には、群馬県川俣で阻止しようとする警官に弾圧されて、負傷者や検挙者を出した(川俣事件)。」


被害民が2回も上京して政府に請願したため(明治30年)、工事の命令が出されたのに、その逆であるかのようにウソをついています。
工事の効果はすぐに出ないはずです。にもかかわらず、被害民の行動を正当と見、政府の対策を非難しています。
デモ隊を規制するのは間違いだと言えるのでしょうか。そうでないこともあるはずです。


「この事件(田中正造の直訴)は世間を衝動し、婦人矯正会・社会主義者・弁護士・学生らも救済を叫び、02年(明治35年)政府は予防工事を命じ、被害は一応収まった。」

直訴(明治34年12月)以前に工事の効果は出ており、新聞も「激甚被害地以外の農地はきわめて豊作」と報じていました(同年10月6日付け・朝日)。
02年の工事は改善だけであって、これで被害が収まったのではありません。歴史的事実を何も調べていないことがわかります。
つまり、直訴もその直後の世論の高まりも、被害の回復に大きな役割を果たしてはいないのです。


「政府は谷中村を廃村として遊水池を作り、反対農家19戸を07年(明治40年)強制的に破壊した。」

谷中村の遊水池化は、鉱毒対策でなく洪水対策です。上流の被害民もこぞって賛成しており、栃木県も国も議会で決議している以上、この説明もまた
客観性を欠き、谷中村の残留農民だけを正当化している点、説明が一方的です。

この解説を書いた歴史学者は、神戸女子大学名誉教授の山本四郎です。

AD
いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)
2006-01-06 21:18:25

支離滅裂きわまる朝倉書店の「日本史事典」

テーマ:辞典類のデタラメ

これまで百科事典や歴史事典の矛盾・虚偽・欺瞞などを指摘してきましたが、この事典はそのうちの最悪例といえると思います。
足尾鉱毒事件については、次の順序で説明されています。


①「被害農民は再三上京して政府と交渉しようとして警官と衝突した。」
②「社会主義者・弁護士・キリスト者・学生が被害農民の救済・支援の運動を展開した。」
③「田中正造は、明治34年の12月に、問題を解決するために、天皇に直訴するという非常手段に出た。」
④「この動きの中で、政府は明治30年に鉱主に対して鉱毒除去の工事を命じたが、効果がなかった。」
⑤「明治35年には、(政府は)改めて鉱毒予防工事の実施を命じた。」
⑥「しかし、鉱毒問題は基本的解決をみることはできなかった。」


読者は、当然、このとうりの順序で事件は経過したと理解するはずです。しかし、実際の順序は、①,④,③,②,⑤,⑥なのです。


①の交渉は4回ありますが、うち2回の交渉のあとに政府は④の工事を命じました。その効果は直訴以前に現れています(明治34年10月6日・朝日)。明治30年のこの歴史的な公害防止工事によって、農地が回復しはじめていたのです。
農民と警官との衝突は、明治33年2月の4回目の反対行動のときですが、鉱毒除去工事を実施した以上、農民の要求を抑えるのは政府として当然の行為ではないでしょうか。


④の「この動きの中で」は、「支援運動や直訴などがあったため」としか理解できませんが、この文章では、時間を完全に逆転して読者をだまそうとしています。まことに卑劣なやり方で、政府や古河を悪者にする意図が露骨に表れています。


②と③も時間を逆転させていますが、③の直訴があったから②の支援運動があったのに、これを反対だと思わせようとしたわけです。
②の支援運動は、東京の知識人の間で一時的に盛り上がっただけで、事件の解決には何の影響も与えていません。


⑤の明治35年の工事は、明治30年の工事の改善命令だけで、これも重要な事実ではありません。


⑥の文章は完全なウソです。被害農民も農地が回復したと証言していますし、『田中正造全集・別巻』の「年表」にも、「明治36年10月、鉱毒被害地の稲豊作」と記されています。この事実は、鉱毒問題が解決したことを何よりも証明しているではありませんか。


 



いいね!した人  |  コメント(0)  |  リブログ(0)

AD

ブログをはじめる

たくさんの芸能人・有名人が
書いているAmebaブログを
無料で簡単にはじめることができます。

公式トップブロガーへ応募

多くの方にご紹介したいブログを
執筆する方を「公式トップブロガー」
として認定しております。

芸能人・有名人ブログを開設

Amebaブログでは、芸能人・有名人ブログを
ご希望される著名人の方/事務所様を
随時募集しております。