2005-10-29 22:09:40

平凡社版『世界大百科事典』のウソ②

テーマ:辞典類のデタラメ

この項の末尾には、こう書かれています。


「今、はげ山化したおよそ3000haの足尾山地では、巨額の国費を使って緑化工事が進められているが、一度失われた自然の回復はきわめて難しい。他方、最下流の旧谷中村を中心とする3300haの渡良瀬遊水池では、首都圏のための水がめ化工事が進行中である。この上流と下流に広がる広大な荒野こそ、日本の急速な近代化の裏面史であり、<明治政府失政の遺跡>ともいうべきものである。」


鉱毒事件の被害者たちは、「はげ山化」の阻止を求めたのではありません。彼らは、鉱毒に汚染された農地の回復を求めたのです。

それに応えて、明治政府は防止施設の建設を古河に命じ、古河がこれを履行し、その結果、5,6年後には農地が元に戻ったのですから、明治政府は失政どころか、輝かしい成功を収めた、ということが出来ます。
「はげ山化」と明治政府の施策とは、何の関係もありません。

旧谷中村の渡良瀬遊水池もまた、沿岸農地を洪水から救う目的で、大部分の被害農民の賛同を得て作られ、実際に洪水を防いだわけですから、どう解釈しても、「失政」とすることは不可能ですし、明らかに意図的なウソとしかいえません。


上記の解説をしているのは、国学院大学経済学部教授の菅井益郎です。

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2005-10-22 21:59:12

平凡社版『世界大百科事典』のウソ①

テーマ:辞典類のデタラメ

平凡社の『世界大百科事典』といえば、一番人気のある百科事典ですが、同書における「足尾鉱毒事件」の解説は、政府と古河鉱業を厳しく批判する内容で、歴史的事実を完全に逸脱しています。たとえば、ここには、


「政府は古河に鉱毒予防工事命令を下したが、工事はきわめて不完全なまま認可され、煙害の被害地である上流の松木村は1901年ついに全村移転し消滅した。」


と書いてあります。
しかし、当時の技術レベルでは亜硫酸ガスによる煙害を防止するのは、絶対に不可能でした。
だから、古河鉱業は総額4万円(今なら4億円)を払って、戸数40ほどの松木村に立ち退いてもらったのです。
この事典は、渡良瀬川沿岸の鉱毒汚染農地は数万ヘクタールと書いていますが、鉱毒被害のほとんどは水質汚染によるこの広大な農地です。
そして、予防工事の効果によって、5,6年後にはこの広大な被害農地が旧に復したのです。
つまり、事件はまさに見事な解決を見たわけです。
だからこそ、農民たちは田中正造に感謝し、尊敬したのでしょう。
ところが、解決したという事実は事典には全く書かれていません。
これは明らかに読者をだますための欺瞞であるといえます。百科事典として許されざることではありませんか。

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2005-10-15 22:18:08

菅井益郎の回答⑧

テーマ:辞典類のデタラメ

私は、「企業の社会的責任」を、古河市兵衛ほど立派に果たした加害企業の経営者は、いないと思います。
また、田中正造の政治力こそ、政府と古河を動かし、史上例のない本格的な公害防止工事を履行させ、被害農地を回復させたのだと思います。
だからこそ、農民たちは正造を尊敬してやまなかったのだと確信しています。
ところが、菅井益郎教授の解釈は、私とは全く反対なのです。
彼は、小学館編集部に宛てて次のように書いています。
このような人が、百科事典で「足尾鉱毒事件」の解説をしているのです。どう書いているか、ためしに読んでみてください。


「他人に損害を与え、迷惑をかけたなら、謝罪し、償う、そして二度と迷惑をかけません、と誓うのが市民社会のルールですし、再び過ちを犯すなら、鉱業条例に則って禁止するのが当然です。しかし古河は国益のためと開き直り、日清ー日露戦争を背景に軍備拡張に邁進する政府はこれを擁護し、その後も1974年に至るまで古河は鉱毒被害の原因を公式には認めなかった、これが事実なのです。」


「多くの農民の被害はそのまま放置されたが故に、今も下流の人たちは、一度は田中正造と袂を分かった人たちも含めて、正造を尊敬しているのであって、そのことを理解しないのであれば、どんな説明も無意味でしょう。」


「どうぞ砂川氏には古河が被害農民のために何をしてきたか、農民側に立って客観的に事実を見るように伝えてください。公害というものを加害者側に立ってみるのは一種の自家撞着に陥り、きわめて偏った見方になりやすく、被害を過小に評価する一方、対策を過大に評価してしまうことになり、そうした見方は今日経営学で議論されているコーポレントガバナンスの視点からも得るものはないことを考えてほしい、と思います。」


「公害の研究者が加害企業側に立てば、公害は更に悪化してしまうことを私たちは多くの公害の経験から知っています。本当に企業側が誠実に、かつ持続的に対応したならば、評価に値しますが、足尾銅山鉱毒事件における古河は、全くその評価に値しません。」

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2005-10-08 21:25:52

菅井益郎の回答⑦

テーマ:辞典類のデタラメ

「鉱毒被害は洪水とともに農地に及ぶ、いわば<鉱毒洪水の合成被害>であるために洪水の原因である渡良瀬川源流地帯の荒廃は、氏があっさり書いているように<技術的に亜硫酸ガス対策が出来なかった>では済まされません。古河は国有地のうっそうたる森林を枯らし続けて表土を奪い、それが川床を高めて洪水を長時間滞留させ、排水を悪くして農作物の生育障害の原因となったのです。」
「古河は今日に至るまで山骨露出した山を残した日本一の環境破壊会社といえます。足尾銅山はこの点では別子や日立などと大いに異なっていますが、これを<技術が未発達だから当然>という砂川氏には強い疑問を呈せざるを得ません。」


以上は、「公害予防工事は、脱硫技術のなかった煙害防止に関して不完全だっただけ」と、私が手紙に書いたことに対する菅井教授の回答部分です。
皆さんは、菅井氏が如何に答えにならない答えをしているか、論点をずらしているか、お分かりになるだろうと思います。


いったい、100年以上前に、古河市兵衛は、彼の事業がもたらす環境破壊というものを、いったいどれだけ予想できたというのでしょう。
森林が枯れるのを恐れた市兵衛は、燃料を薪からコークスに換えることにして、明治21年に、コークス製造工場を作りました。
蒸気機関ではマキを大量に消費するので、明治23年、日本初といえる水力発電所を稼動し、動力を電気に切り替えているのです。
洪水の原因も、菅井説が正しいと言えるかどうか疑問です。
たとえば、明治29年に限っても、大きな洪水は渡良瀬川以外に多発し、全国いたるところで惨状を見ています。
渡良瀬川の洪水は、足尾銅山が休業状態だった江戸時代末期にも、3回起こっているのです。
菅井教授は、ただわけもなく古河を非難しているだけだということが、お分かりになると思います。


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2005-10-01 21:05:50

菅井益郎の回答⑥

テーマ:辞典類のデタラメ

菅井益郎の手紙は、古河市兵衛に対して、まるでかたきのように非難の目を向けています。


「もしこの工事を古河が自ら率先して行い、被害地に損害賠償を支払っておれば、市兵衛の評価は高まっていたでしょうが、彼は結局何もしなかっただけでなく、養嗣子である潤吉の後見役であった原敬は、谷中村を破壊する土地収用法の認定を下したのです。予防工事も鉱業停止命令の圧力の下で行ったわけで、主体的に被害を軽減しようとして行ったものではないのですから、これはそれほど評価の対象にはなりえません。」


菅井教授の指摘は、すべて事実と逆になっています。
古河市兵衛は、公害の原因が明らかになったその年に、被害農民と示談交渉を開始し、およそ1万人の被害民に、当時のお金で総額10万円、今のお金に直すと10億円もの損害賠償をしています。

谷中村を遊水池にする計画は、渡良瀬川の上流の農民たちも賛同したのですから、正しい政策だったといえます。
原敬が土地収用法の認定をしたのは、その担当大臣だったからであり、このことを理由に市兵衛を批判するのは全くの筋違いです。
当時の公害は、古河の足尾のあと、住友の別子、藤田組の小坂、久原鉱業の日立の各銅山が続きますが、これらの加害企業は、当初は責任逃れに終始し、農民たちを怒らせました。
しかし、古河市兵衛は、損害賠償の後も政府の命令に何一つ不平を言わず、世間が絶対できないという困難な工事を、120万円をかけて(足尾銅山の年商は180万円)、完成させています。

だからこそ、工事の翌々年に博文館が行った「明治十二傑」の人気投票で、トップになったわけです。
いったいなぜ、菅井教授は「市兵衛の評価は高くない」などという妄言を吐けるのでしょう。

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