July 24, 2006

いわゆる1級建築士問題について

テーマ:建築
 国土交通省が1級建築士全員を対象に再試験を実施するという事を言ってきた訳だが、それが今日になって再試験の断念も含めて再検討するというニュースが出て来た。

 なんだかなあ、国の中枢機関というのも日和っているというか筋も通らずだらしないものだという印象を受けた。そもそも最初の「再試験の実施」からしてよくわからないものだ。構造計算書の偽装から始まりそれを理由としての再試験の導入であったらしいが、そもそも建築士個人の倫理的問題を学術的な試験でどうにかしようとする事からして間違いだったと思う。それともこれは、再試験という足枷を作る事によって国の財源を確保するなり、特定の業者に金銭をばらまく程度の目論みがあったのかもしれないが。

 やると言ってやらないと言い出してる訳だけど、これは極楽とんぼの山本氏の事を挙げて球団を解散すると通知した萩本氏の動作にも一致する。言うだけ言っておきながらその後に周囲の動作を見、やはりやめますなんていうくだらなさが、おそらく一部のヒューマニストに受けたりもするんだと思う。

 話を建築士に戻すが、姉歯氏が起こしたいわゆる偽装についてはあってはならない事だと私も思う。しかし言うまでもなくこれは姉歯氏ひとりだけに関わる問題ではなく、建築業界から果てはマンションの価格競争という一般社会にまで及ぶ広く社会的な問題であり、その一部が表出したに過ぎないものである。安くて良いものを追求するのは悪い事ではないが、価格競争のその圧力が歪みとなり、悪しき事が通常の事として蔓延した果てには事件にも成り得るし人が死んだりもする。しかし我々はそういう世の中を生きていくしかない。貴い犠牲の上にこの世界が成り立っている事を思い出したい。
July 23, 2006

小倉邸

テーマ:建築
小倉邸
 安藤さんの小倉邸を見てきた。場所は名古屋の八事(やごと)のあたり。個人住宅なので住所関係はあまり詳しい事は言えない。

 以前から安藤さんの作った住宅が名古屋市内にある事は知っていた。安藤さんの住宅関係の本にもすでに紹介されているし、友人知人からも市内の高級住宅街の方にあるという噂は聞いていた。しかしながら詳細な情報というのは入手出来ておらず、探してみたいと思っても場所が絞り込めない状況だった。

 ちなみにネット上で関連の事を検索していくといくらかはヒットしてくる。安藤さんの名古屋の住宅という事で、やはり住所は明らかにされていないのだが写真付きのページも見つけたりした。竣工は1988年だから今からほぼ20年前という事になるだろうか。どういう訳なのか今は住み手がおらず、完全な廃墟と化しているようだ。という事は無断侵入できるんじゃあ・・・なんてフトドキな思惑が頭をちらっと過り、ますます見てみたい感を募らせていた。

 しかしながらどんなに頑張って検索してもそれ以上のヒントは出てこなかった。安藤さんの本の上では「道をへだてて木々の繁る小高い丘がある」と書いてある。名古屋の地図を取り出して見つめてはみたものの、緑のあるとこなんていくらでもある。いろいろ考えもしたのだが、どうやら今は縁がなさそうだ。少々くやしくもあったが諦める事にした。

 どれだけか月日が過ぎ、そんな安藤さんの住宅の事なんてすっかり忘れてしまっていたある日。建築関係の仕事をしている友人からふと安藤さんの話題が出た。「八事の方に安藤さんの住宅があるけど知ってる?」。おお~、知ってる知ってる、知らないけど知ってる♪八事にあるんだー。で、どの辺?場所はおおまかにしかわからなかったが、絞り込めただけでも最高だ。そぉか~、高級住宅街というのは八事の事だったんだな。

 早速行こうと思っていたのだが、あいにく今は梅雨の季節である。雨が降ったら建築は見れないという事はないのだけど、今回の状況を考えるとチャリで探しに行くのがベストと思われた。歩くだけでは時間がかかるし、車はかえって不都合だ(という前に持ってないけど)。いくらか日を待ったのだが今日という日に天気予報を念入りにチェックして探しに行く事に決めた。予報は一日中曇りになっている。雨も降らず暑くもないというのは最高ではないか。荷物をまとめてガーッと出掛けた。

 チャリを漕ぐ事一時間、ようやく八事に着く。問題はそこからだ。八事といっても決して狭くはない。建物周囲の状況は教えてもらっていた訳だが、それとて曖昧なものでなんともおぼつかない。まあしかし、建築を探しに行く時なんていつも似たり寄ったりでそんな事には慣れているが。それに自分で言うのもなんだけど、こういう事に関してはいくらかカンも働く。もっと別の重要な時に働いてほしいものだがそうはなってない。そんな事はさておいて、あちこち探すうちにコンクリの建物を発見!汚れ具合からしてもおよそ20年は経っていそうなものだったが、ディテールが安藤さんらしくない。だいたい写真とは全く違う建物だったのでどうのこうの考えても仕方ないものだったんだが。あきらめてそこは通り過ぎる。

 さらにあちこち探すうちに雨が降ってきた。最初は小降りで仕方ないなあと思っていたのだが、それもだんだんに粒が大きくなり量も増してきた。違うじゃないか天気予報!どうしてくれるんだ、と言いたくても言うべき相手も何もない。まあこんな事も建築を探す上では”よくある事”だけどさ。しかし傘かカッパでも持ってこれば良かった。雨の中をあっちにこっちに走り回る。デジカメの事が少し心配になる。

 そのうちに、なんだかコンクリブロックの壁らしきものが見えてきた。見えてはきたんだが、どうにもきれいで新築みたいだ。でも形は写真にあったそれに似てる。近付いてみてみると、やはりこれがそうなのだとわかった。わかったのだけど、やはり全体がきれいになっている。どうやらリフォームされたようだ。外壁もコンクリだからツルツルとは言わないけれど、真新しいそれと言っても過言でないような感じだった。おそらくは表面を研摩してウレタンか何かをコートしてあるに違い無い。表札もしっかり付いていて、新たに住み手も決まっているようだった。うーん、不法侵入の夢が消えた(何言ってんだか・・・orz)。
 
 周囲を見て、敷地の条件が変わっている事に気が付いた。木々の繁る小高い丘というのが消失してしまったようだ。建築の大きな開口部の正面にあったはずのその丘はマンションに変わってしまっていた。諸行無常という事か、それにしてもその丘はもともと誰の持ち物だったのだろう。緑を借景として建築に取り込む事は理解できるが、丘が私物と割り切ってそう計画したのかどうか、知りたくもなった。

 この家はプランを見るとよくわかるのだが、主な開口部は全て北側に面している。南側はガレージの扉を除いては窓もガラスもない。コンクリートで囲われたテラスやコートは沢山あるが室内はさほど広いものではない。内外ともコンクリブロックで、壁に関して言えばおそらく断熱は施されていないだろう。さらに言えば開口部のそれぞれの位置上、通風に関しても良いものとは言えない。借景としてあてにしていた緑もマンションに変わってしまえば向こうからの視線も気になるだろう。今はこうしてきれいにリフォームされてはいるが、一時期にしろ廃墟になっていたのは考えられる事だった。住むのには厳しい家だ。しかしそれを求める施主がいて、それを考えうる建築家がそこにいた。住み良さと経済性を目指して作られた建物とは完全に違う存在感がここにはある。生きるという事に人がどう向き合うか、それを問うように揺るぎなくそのコンクリの箱は存在していた。これは住吉の長屋を見た時とも違うもので、ここではどちらかといえばその存在が重く感じられる。もう少し軽快さがあったら住み手も放棄しなかったかもしれない。

 新たにここに住んでいる人はどういう人なんだろう?開口部が大きいために外部からも生活の一部を覗き込めるような家だが、きれいに片付いた感じで家具が入っているのが見受けられた。おそらくは安藤さんが持つ建築に対する意図を読み取る事ができる人が使っているのだろう。であれば設計者としては願ったりの事だと思う。

 もしも安藤さんがここで再び家を作るとしたらどういう家になるんだろうか。雨が降る中で少し想像もしたのだが、たぶんこれとは違う家になるのではないかと思った。敷地の条件が変わったという事もあるけれど、それよりも時代が求めるものが20年前のそれとは変わってきており、おそらく安藤さんであればそれに応えると思ったからだ。かつては精神性が建築におけるキーワードの一つだったが、今はそれよりも環境や情報に対していかに答えるかが建築の生きる道となっている。見えない建築というのは使い古された言葉だけど、おそらくは今程の存在感を持って作る事はないんであろうかと勝手に想像を膨らませた。雨がだんだん強くなってきた。再びペダルを漕いでそこを後にした。

追伸 写真の写りがイマイチでスマソです。しかしながら思うんですが、こうやって写真を見ると電線というのは如何にも邪魔なもののように見えます。建築がシンプルで力強い分、余計にそういう所が目立ってしまいますね。
July 17, 2006

北方町生涯学習センターきらり

テーマ:建築
kirari
 先日出来た磯崎さんが設計した北方町生涯学習センターきらりを見てきた。

 本当は伊東豊雄さんの各務原に出来た火葬場を見に行く予定だったのだが、当日が友引で開館していない事が判明。急きょ磯崎さんの北方を見に行く事にした。両方に共通して言える事は屋根がぐにゃぐにゃである事。構造設計も両方と同じく佐々木睦朗さんだ。

 両方ともぐにゃぐにゃ系のストラクチャーなのに磯崎さんの方は実はあまり見る気がしていなかった。何故かというと写真で見る限りなのだが屋根の端部の処理が好きでなかったからだ。せっかく薄いコンクリのスラブでぐにゃぐにゃの屋根を作ったというのに端部にはその厚みがきれいには表現されていない。無用に暑苦しく見方によってはゲーリーになってしまうところだ。しかしながら磯崎さんの今までの作品を分析して考えてもみると、空間にもディテールに甘んじる所がないのが磯崎さんである。どうしてこんな事になったんだろうか。

 名古屋から車を飛ばす事2時間。岐阜の北方町に着いた。ここはすでに妹島さんの集合住宅を見に訪れた事があったので地理的な不安はなかった。磯崎さんのを見る前についでだからと思って妹島さんのその集合住宅を再び拝見する。遠目には変わらずきれいでカッコ良く見えたものだが、近付くにつれて外壁が劣化している事に気が着いた。コンクリにクラックが入ったのか、あるいは塗装に何か問題があったのか、白い外壁はあちこちが補修されている。それが目立ってかっこわるい。どうしてこんな事になったんだかなあ。建ってから何年になるんだっけ?ちょっとググってみたのだが1期が平成10年で2期が12年の完成だった。という事はまだ10年もたっていない。劣化の進行が早すぎるように思う。

 その他にも近年に出来た集合住宅もあったがそれらはすっ飛ばして磯崎さんの学習センターの前に来た。想像はしていたがおおむね写真の通りだった。屋根が重い。かろやかさが表現できれば良さそうなものなのだが、実際は重量感に苛まれているように見える。屋根の鼻というか木口にあたる所が2重になっているのだが、そこがいやがおうにもなく重さを醸し出している。磯崎さんはここで何をやりたかったのだろうか。

 当日は日曜日だった。建物の名前からすると当然開いているものと思ったのだが入口は鍵がかけられて閉まっていた。どこか入れる所がないかなあと思い周囲を歩くと事務室とおぼしき所が見えてきた。中にはその関係の方もいらしゃるようで入ってみた。休みだから無理なんだろうなあと思いつつも見学の旨を申し出てみたのだが、これが思いがけず快諾される事となった。ラッキ~♪建物のパンフレットをいただいた。しかもそれだけでなくてその後その方が建物全体を案内して下さった。思わず感謝である。

 「今日は高校生が演劇の稽古で使っているんですよ」とその方は教えてくださった。なるほど、裏口の方は開いていて中に入ると演劇部とおぼしき高校生たちが真剣に稽古を行っていた。中は暗がりで「足元に気を付けてくださいね」と言われて気をつける前にその方が何かにぶつかって鈍い音を立てていた。まあそれはいっか。

 いきなり中央であるホールの方に通された。約400人入るというホールはその数からしてもこじんまりと見えた。中央で高校生らが稽古をしていた訳だが、マイクなしで十分に肉声が響き渡るし遠くからでも動作がはっきりと把握できる大きさだろう。残響は長くしてあるらしく、多目的ホールとパンフレットには書かれていても音楽を中心としたホールだという事がわかる。いずれにしても表現する側からすれば客からのレスポンスが受けやすくその分については申し分ないと思う。「磯崎先生は天井もぐにゃぐにゃのまま見せたかったそうですが、吊りものの関係でそうもいかなかったんです」と説明を受けた。暗くてよくは確認できなかったが、照明器具がひしめいている事はわかる。仕方なかったんだろうなあと思う。

 ホールから出てロビーらしき所へ。ホール内と違ってここは窓からの光で明るい所になっている。特徴的なのはやはり天井部分という事になるか。うねった三次元の曲面で構成されていて、その天井からは何も吊り下がってはいない。「照明とか火災報知器の類も全て壁の方に取り付いているんです」と説明されて見ればなるほどだった。火災報知器は赤外線で反応するものらしく、きっといい値段がするものなんだろうなあと思った。天井はそうやってきれいなものなのだが、惜しむべきはガラスで出来た壁の部分である。風圧に耐えるべくリブは太くなって当然であるのだが、天井の軽やかさがそこで途切れてしまう。せめてガラスの天井に接する部分だけでも枠を取ってしまいたい所だが、屋根の構造を考えるとそうもいかないのだろう。そしてそんな最上部の枠の部分は外からすると隙間があるようで、そこがスズメたちの営巣の場所ともなっていて微笑ましくもあった。「ガラスが汚れちゃうんですよ」と案内の方がお話されたが、このあたりの事は実際の設計担当の人はどう考えていたんだろうか。

 「サインが小さくてわかりづらいんです」どちらかと言えば苦情に近い事ばかり聞いているようだが、案内の人が決して誇張して言っている訳でないのは現地にいたらよくわかる。建物内部の案内掲示はあるのだが、確かに小さくてわかりづらい。その上にトイレは地下に降りてさらにわかりにくい所にあるらしく、おそらくは館の職員の方たちが作られたであろう案内標識があちこちにあった。今までに公共建築を多数手がけてこられた磯崎さんである。つまらない間違いはしないはずだと思うのだが、つまらない所でせっかくの評価を落としてしまいそうで残念にも思う。トップとしては全体に手がまわらない所もあると思うが、逆に言えばそのトップである磯崎さんにまではこういう話はまわってこないのだろうか、なんて思ったりもした。

「屋根はコンクリートで厚さが200程度あって、一部を除いて天井からの吊りものがないんです。」上を見ながら案内の方が教えてくださった。いいチャンスだと思って屋根の端部がどうしてあれだけ厚いのか尋ねてみた。すると「あそこは樋が付いていてあれだけの厚みになっているんです。当初磯崎さんは樋なしで行きたいと言われていてそのような模型も作られたのですが、これが施主の側から雨はどうするのだとの猛反発を受けてしまい、結果としてこのような形となってしまった訳です。」なるほど、雨の問題か。デザイン面で検討して水勾配やその流れなどを考えてどうにか出来ないものかとも思ったのだが、そういう選択はされなかったようだ。しかしなんだか勿体無いよなあ。逆にここはわざと厚みを見せるように工夫されたんだろうか。薄さが出ないのであればそれはそれで仕方ないとして。というか、いちいちそんな事気にしてるのはオレだけか?

 巨匠の実作に向かって失礼な事とは思うのだが、作品の規模に対して屋根にこだわりが過ぎているのではないだろうか。自由な曲面による屋根は確かに魅力ではあるのだが、その屋根は逆に人々や空間を拘束する屋根になってしまっている。せっかくの一枚の大屋根としての魅力がここでは生かされていない。今回のこの屋根の仕組みは磯崎さんからすれば北京の国家大劇院のコンペの大屋根の流れを酌むものだと思うのだが、ここでは建築が目立たない仕組みを作るべきではなかったかと思う。手法と理論に長けた氏であるが今回の建築については残念に思った。

 お礼を述べてその案内の方と別れた。最初から最後までずっと案内して下さったのだ。アポなしで来ていたのにとても親切に対応して下さった。感謝感謝である。もう一度外側をぐるっと見てまわる。おそらくこれからこういう構造を含めてぐにゃぐにゃしているものが沢山出来て来ると思う。今はその走りの時代だと思う。建築の可能性を広げたという点においてとても評価できるものと思う反面、建築と場所の関係はどう考えたら良いのかと思いもした。あるいは凡人である自分では及びもつかない事であるか。しかしながら凡人にわからなければ建築など不要のはずと思う。

・・・

なお加えて書いておくが、私は磯崎さんの建築が嫌いな訳ではない。むしろ自称磯崎建築のおっかけファン(?)とも言うべき存在である。そんなファンにとって今回の作品はとても惜しいのである。いいかえてみれば今期低迷する巨人を激励するファンの心境と似て無くもない(ちと違う?)。「先生、これはどのように解釈したら良いのでしょうか?」と問いかけたくなる気持ちを押さえる事ができずにこのように書いてしまったのだが、建築は上記の通りで建築家のみでできるものでもない。当然そこには施主は施工業者が介在し、法規土地地域経済などなどの問題が複雑に絡み付いてくる。しかしなおそういった苦しく厳しい条件がある中で解を導き出すのも建築の仕事であるので、どうにか理解したいと思う次第である。
July 15, 2006

ame

テーマ:ことば
水の匂いがしてきた

蒼かった空も

いつのまにか雲におおわれていて

今は雨

焼けたアスファルトもちょっとひとやすみ

爆弾を落とした遠くのあの国にも

ちょっと降ってくれないかな

友が元気でありますように
July 14, 2006

抜け殻

テーマ:ことば
さっきまでは確実にここにあったのだ。
生きていた証拠はすでに飛び立ち
空虚な堅い殻だけが残された。


命が短かろうと
灼熱の太陽に焼かれようと
鳥に喰われようと
知った事ではない。
暗闇での生活は長過ぎた。
ただ新しい光を求めて
彼は飛び立った。


残されて抜け殻は何も語らない。
ただ耐えて生きて来た証を
本人も気付かぬままに
忘れてきただけだ。
全ては変化していく。
そして同じ事はくり返される。


July 14, 2006

テーマ:ことば
ここには水が無い。
July 05, 2006

忘我

テーマ:ことば
あなたの顔は忘れた。
あなたの名前も忘れた。
肌の色も声も吐息も体温も富も名声も名誉も住所も電話番号もアドレスも待ちあう場所も
全て忘れた。
忘れたかったから、忘れた。
それだけのこと。


暑いだけの夏は
ふたりの間で水を燃やして
弾けて消えた。
それで良かったはずだった。
何も残らないはずだった。


生きて行く意味を知りたくて
過ちは何度もくり返されて
忘れたはずでも
身体に刻まれて傷は消えない。
愚かだと私の中で私が言う。
仕方なく、嗤ってやる。


あなたは私を試そうとしているのだろうか。
狂って咲いたシクラメンに問うてみる。
陽に焼けた花弁はただ赤いだけで
私の存在とはすでに関係がない。
June 19, 2006

重力

テーマ:ことば
自分の身体の重さに耐えられそうになくなる

甘いだけのクチナシの香りが

灼熱に交わって

神経を地面に引きずり落とす

記憶は形にならなくて

思い浮かぶ言葉は

吐き出す前に消えてしまいそうで



うたかたと、たれかがそれに名を付けた

見えている現実は

出来のいい幻で

やさしさに隠されて刺ばかりが見えてくる



地面は乾き

水は何処にも残っていない

深い眠りの中で

種は希望だけを見つめている
June 15, 2006

テーマ:ことば
種
ここから全ては始まる。

遠い記憶を内に秘めて

あこがれの空へまっすぐにのびていく。

真っ暗の土の世界から

まばゆいばかりの光の世界へ

力を振り絞って手をのばす。

誰か、見ているかな?

誰も見てないな。

でもいいんだ。

まっすぐにまっすぐに、ただまっすぐにのびていく。
June 13, 2006

生命力

テーマ:ことば
生命力
光の下に花があった。
この花には将来、どんな未来があるのだろう。

実を結び種が出来、鳥に運ばれ
遠く異国の地に行くか。
風に吹かれ枝ごと折れて
そのまま土となっていくか。
地面に落ちて雨水に乗って海に行き
魚の腹に入って姿を変えるか。

芽を出すのはほんの一部だろう。
さらに花を咲かせる事は至難の技だろう。

全ては移り変わっていく。
光と思えば闇がある。
続く事はあっても
今日と同じ日はやって来ない。

苦難の道があってこそ花は美しい。
その一瞬が明日の生命につながっていく。
届きそうな未来が今、ここにある。

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